11-6.使い魔、王都を歩く
フランシスの拵えてくれたメモを手に、私は王軍本部を出た。
おそらくは木炭で書かれたそれは、とても丁寧な線と字で書かれている。
(事務に向いた人って感じがするなぁ)
前に見た、サラの師匠・シビュラの蹟もそうだったが、図解が整然としている人にはそれだけで好意的になってしまう。
ただ、私にはその字が綺麗なのかどうかはわからなかった。
翻訳能力のせいである。
字は読めるのに、文字の認識がどうにもしづらい。
面白いことに、私は文字を――少なくともキーリスの――綴ることができた。
感覚としては手が勝手に動いている状態なので、自動書記である。
「こう書きたい」と思いながらペンを動かそうとすれば、右手が自然と綴り出す。
それに気がついたのはベフルーズに模擬試験を受けさせられた時だった。
書けなかったのは「自分の名前」だけだ。なぜか「バニーアティーエ」は書けたのに。
自分の筆跡が達筆なのかあるいはミミズがのたくっているのかはわからなかったが、ベフルーズがお世辞を言っていなければ成人男性として全く問題ない綺麗なそれだということだった。
ちなみに、日本語の仮名漢字や英語のアルファベットで文章を綴ることもできた。だけどこっちは妙にぶきっちょな筆跡になっている。箸の持ち方や絵を描くことが下手になったのと同じ理屈の下の変化だろうとは思われた。
仮名やアルファベットには「へー」くらいの反応だったベフルーズとサラだが、十画を超えるような漢字を書いて「バランスよく書けない……」などと唸っていたら、その複雑な表意文字には興味津々であった。
(ひらがなとカタカナはともかく、漢字の書き方うっかりすると忘れそうだな、この人生……)
ただでさえ、パソコンなどの漢字変換機能を使用した生活や仕事が多くを占めていたのだ。読めても書くことができないなんてことが、簡単な漢字でも起こってしまいそうで――日本人としては危うさを感じる次第である。
(まあ――『葛野』なんて漢字すら、もう書く機会はなさそうだけども)
他人事のようにそんな益体もないことを考えながら、メモから顔を上げて、きょろりと街並みを見渡す。
ここへ向かって歩いている間も感じていたが、空気はからりとしていて、道々の日当たりは良好だった。
日差しが暖かいというよりは、熱い。
道行く人々の半分くらいは帽子をかぶっていた。その多くは男性だ。女性はスカーフだかバンダナだか、布で包んでいる人が多く思えた。
騎士隊は皆帽子を着用していなかったし、それなりにいい身なりの男性でも帽子をかぶっていなかったりしているから、「帽子をつけていないと恥ずかしい文化」ではなさそうだ。世界や時代によっては、そういう文化もあるのだから、観察するに越したことはない。21世紀の日本だと少なくとも、屋内で着帽したままなのは逆に行儀が悪いんだけれども。
私は帽子をかぶるのがあまり好きではなかったが、これ以上日差しがきつい日だったり、極寒の日には帽子をかぶりたい。だから、帽子の有無が問われないのなら、それが一番助かる。
建物は木やレンガで建てられ、道は石畳で整備されていた。
シーリンの街よりもカラフルに見えるが、モスタンよりは派手ではない。
モスタンの建物も木やレンガでできていたが、上からクリーム色や水色の塗料でとりどりに塗りたくられていた。
ビラールが教えてくれたところによると、硫黄の温泉の湯煙などから、家が傷むのを防ぐ効果があるのだという。
ハルカン市やシーリンは海辺でも温泉街でもないため、そこまでの対策が必要ではなかったのだろう。
「ええと……コロティネの薬局……コロティネ……」
地図には、左手にそういう店が出てきたら左折しろとあった。
小さい看板でうっかり見落としそうであったが、大きなカエル――わりとリアル系の――の石像が目に留まり、その頭にぞんざいに載せられていた板に「コロティネ 営業中」と書いてあったのを見つけられた。
薬局というからには薬剤師さんがいるのだろう。風邪薬や傷薬などは作り置きがあったりするのだろうか。
(漢方薬局なんかだと風邪薬でも個人の症状に合わせてその場で配合したりするけど)
道路が明るい分、店先は暗い。だが、私は常人と違い、夜目が利くのだ。
商品棚の様子が見えないかと、行儀は悪いが、左折がてら横目でちらりと盗み見してみる。
商品棚かと思った棚には、たぶん配合のための薬の元――薬研で挽く前の、木ノ実だったり、乾燥させた臓腑だったり、骨・肉だったりが瓶に溜め込まれているもの――がびっしりと並んでいた。
玄関口から視線を忍び込ませて、棚を滑って――そうした私の視線は、広くない店内においてはやがて奥のカウンターでどんづまる。
カウンターには店主か店員かわからないが、青年が座っていた。薄暗い店内で静かに本を読んでいる。
ふと、本から顔を上げて、青年は玄関口を見た。
(気づかれた)
覗き見をするような不躾さを、私は恥じる。
思わず会釈をして、足早に左折しきった。
自業自得のばつの悪い思いをしながら、この通りの軒先のどれかにぶら下がっているはずのイルカ型の看板を探す。「イルカ型」と表現したが、それはメモに書かれてあった表現なわけではない。フランシスが、跳ねたイルカのようなシルエットをそこに書き添えてくれていたのである。
三十歩くらい歩いたところで、焦げ目で『コマツナ食堂』と店名が記されたお目当ての看板が目に留まる。
思わず、視線の先・目線の高さにあるその“看板のイルカ型”の横に“フランシスの描いたイルカ”を掲げて見比べた。
(すごい。まるでコピーしたみたいな図形)
フランシスに目撃された指名手配犯がいたならきっと、そいつはすぐ捕まるに違いない。
私は感心しながら、無い暖簾をくぐった。
「いらっしゃい! おひとり様? それならカウンターへ…」
「いえ、先に連れが――」
「ミャーノ! こっちこっち!」
店員のお姉さんが出迎えてくれたが、「おひとり様」を否定して無遠慮に店内を見回す。私が気づくより先にビラールが声を掛けてくれた。
「おっと、あの人の連れがアンタか。駆け付けの一杯はエールでいいかい?」
「はい、お願いします」
「ほいきた」
気風のいい姐さんだ。シーリンのマーフを彷彿とする。
「お疲れ様、待ってたわ。……いえ、食べてはしまっているのだけれど」
「いえいえ、お待たせいたしました」
「場所はすぐわかったかしら」
「受付のフランシスさんがこのように丁寧かつ詳細な案内をくださったので、おかげさまで」
「へえ、こりゃすごいや」
サラ達にメモ木片を見せてやると、ビラールが手放しで褒めた。
「初めての人にもわかりやすいお店にしたつもりはあったんだけど、これで迷う方が難しいね」
迷わなくて本当によかった。
お読みいただきありがとうございます!
次回更新はちょっと間あいて再来週の8/2までにする予定です。
珍しく長めにあけてすみません。
だいたい夏コミとかのせいです。




