11-1.王都ハルカン市
なんでか、成田空港で飛行機を降りて入国ゲートへ向かう時のことを思い出した。
私はここに初めて訪れたのだから、国内は国内でも、せめて利用したことのない空港を思い浮かべるべきなのではないか、とは、思う。
まあ、なんでそんなことを思ったのかというと、城門(城下町はいわゆる城塞都市になっているので、ちゃんとした関所があった)に架けられていたアーチに、『おかえりなさい』と書いてあったからだ。
文字は彫刻で拵えられており、彫られて凸になっている部分を何度か塗り直した跡があった。
素材は恐らく何かの木だが、雨風にさらされている独特の風合いから、古いものなのがわかる。
「――ということは」
私はちょっと思いついたことがあって、少し早足でアーチの向こう側が見える位置まで移動して、振り返った。皆で検問を共に通過したサラとビラールとミーネとアークは、急に置いてけぼりにされかけてきょとんとしている。
その代わりに、ではないが、なぜか検問の兵士が一人、私を目掛けて急に走り出してきた。
うおっ、なんだなんだ。
「貴様! 急に走り出すとは怪しい奴、何かやましいことがあるのか!」
あっ、そういうことか。
たしかに、検問を抜けた途端走り――早足程度なのだが――出したら疑われてもしょうがない。
「誤解を招いて申し訳ありません。アーチのこちら側を見たかったのです」
「ん? ――ああ、なんだ。紛らわしい奴だな……」
私が指差した方に目を向けて、兵士さんは納得をしてくれた。
そこには、『行ってらっしゃい、気をつけて』と書いてある。――想像した通りだった。
「『ようこそ』ではなく『おかえりなさい』というのが、なんだか心に響きまして。こちらの方も、『またのお越しを』ではなく『行ってらっしゃい』というのがまた、良いですね」
「良いよな。私もこれは好きなんだ。君、このアーチの由来は知っているか?」
「いいえ。どんな由来があるのですか?」
感性の合う兵士さんに勝手に好感を覚えながら、聞き返す。
ゆっくり歩いて寄ってきたサラ達が追いついてきた。
「これは四百年前に、かのカトレヤ女王が設けられたものだそうだ。女王が『鈴蘭の騎士』に、“行ってらっしゃい”を王都の者の中で一番最後に、“おかえりなさい”を王都の者の中で一番最初に言いたかったから、だと伝えられている」
「はは……、我々市民に向けたものではなかったのですね。なんとまあ」
「今はもう我々に向けられているものさ。『おかえり、我が友』。王都は初めてか?」
兵士さんはそう言って気さくに右手を差し出してくれた。
喜んで握手する。
「はい、南方から参りました田舎者です。先程は驚かせてすみません」
「私はジルダ。主にこの朱雀門の警備をしている。城下町で迷子になったら、壁伝いに歩けば城門に辿り着くから、衛兵に道を聞いたらいい。運良く私がいたなら、私が教えてやろう」
「ミャーノです。ぜひそうさせていただきます」
「ミャーノ・バニーアティーエ、王都に着いた途端なんで衛兵と握手してるんだい?」
「ば、バニーアティーエ? って、キア筆頭隊長! お、お疲れ様です!」
「やあ、お疲れ様」
キアが、ジルダの背後からひょいと顔を覗かせた。
ジルダは畏まって敬礼のポーズをとっている。緊張しているようだ。
(まあ、王軍の騎士団のトップ4の一人ってことだもんなあ。全然そんな感じしないけど、キア殿)
「こちらのジルダさんに、あちらのアーチの由来をお聞きしておりました。こういう、歴史を感じる文化財が私、好きでして」
四百年前といえば、私の地球における感覚で言えば関ヶ原の戦いあたりである。そこまで昔とは言わないが、関ヶ原の頃から健在の建造物――しかも市民の生活を見守ってきた――となれば、けっこうな有り難みのある文化財なのではなかろうか。
「君がバニーアティーエだったのか。びっくりするから最初から教えてくれよ」
「え、びっくり?」
私も同じことを言いたかったが、サラが先にそれを口にしたので、私は噤んだ。
「……ジルダ、そちらのお嬢さんもバニーアティーエだぞ」
「ええっ?! え、どっちがどっちです?」
「どっちとは」
最後は私のツッコミだ。どっちもバニーアティーエだぞ。私は詐称だけど、一族(といっても二人だけだけど)の承認をもらってるのだから対外的な問題はない。
「野盗退治で活躍した方の?」
ジルダはなぜか疑問形の語尾で答えた。
どうやら、最初に第二班への遣いをした騎士が、「エルドアン鋼の剣を持ったバニーアティーエ家の人間が、朱雀の野盗退治で活躍した」と触れて回っていたらしい。
「って、帯剣しているのは君だし、ミャーノがそうなのか。へえー…」
答えるまでもなく、ジルダは自己解決している。
「ミャーノ、サラ、願書出すんだろう? 今から王軍本部行くから、ついておいで」
「はぁい」
「はい。それではジルダ、今後ともよろしくお願いいたします」
「…ああ、よろしく…」
気さくに握手を求めてくれた彼に倣って、私は微笑みながら手を振った。
「キア殿、というか私はもう『筆頭隊長』とお呼びした方がよろしいですよね……? 皆さんはまだ任務中ですし、我々はご迷惑をおかけしておりませんか?」
「まだ呼び捨ててていいくらいだってば。だいじょぶだいじょぶ、俺たちが戻る場所も本部だから。受付も通るし」
彼の軽さに、思わずハルニスの方も窺うと、ハルニスは無言で頷き返してくれた。「ならばいいか」とキアに向き直る。
「ちょっとミャーノ…なんで俺の言うこと信じないでハルニスに再確認したの……」
「悲しい哉、人望ですな」
「ハルニスには訊いてないんですけど!」
「すみません。ほら、ルイスさん達が憤慨していた例があったので」
キアを責めるつもりは全く無いが、キアが道中に軽率なこと――無試験がどうのこうの――を言い出さなければ、クラウがとばっちりを受けずに済んだはずなのだ。お偉いさんの一挙手一投足が、下々にどんな影響を及ぼすのか、きちんと自覚した上で、発言と行動をしていただきたいのである。
「う…。あれについては迷惑をかけて申し訳なかったと言っただろう」
デスストーカーの件は、合流してから王都に辿り着くまでの間に、ルイスが自供させられていた。
キア達の隊に追いつくまでの間にクラウはすっかり回復していたので、合流した時点ではクラウの受けたとばっちりにキア達は全く気がつけなかったのだが――ルイス達が危ない目に遭っていたことを知ったキアは、そこまでの道中のルイスと同じくらい、クラウに謝っていたのだった。
「意地悪を申しました。今更ですが、お気になさらず。我々には別に被害は何もありませんでしたから」
「そうですよ、キアさん。それに、珍しいサンプルが手に入って、そこはラッキーだったのだわ」
「サンプルですか?」
聞き返したのは、キアではなくハルニスだった。
「ええ。サソリの毒液は或る薬品になるって聞いたことが――あ、大丈夫、ちゃんと梱包して、アークの錬金術でしまってもらってあるから」
そうなのだ。「サソリの毒に興味がある」と言っていたサラは、クラウの治療が済んだ後、私が切り落としていたサソリの尾を注意深く採取していた。
アークに何やら頼んでいたが、たぶん例の異次元行李に収納してもらったんだろう。
サラの鞄にねじ込むには、あの尾は少し大きすぎる。
「血清とはまた違うんですか?」
「うん。痛み止めとかね」
何気なく尋ねた私に、サラがしっかりと目を合わせて答えた。
私は内心、ハッとなる。表情筋は動かなかった。
(クィントゥス王子の頭痛薬の手がかりになるかもしれないのか)
毒は転じて薬になると言うが、サソリの毒にもそういう側面があることを私は知らなかった。
「ただ、この手のものは臨床試験が少しネックなのよね」
「あっ、そうですよね…」
私がエルドアン鋼の剣を持っているのに、グラニットの麻痺の術を解除した時のようにクラウの解毒に使えなかったのはなぜか、疑問に思った人はいませんか?
サソリが虫ではなくて魔物だと知った時点で、私はサラ達に一つ確認をしていたのだ。
サラ達はその答えを知っていて、それは『エルドアン鋼は魔術には効くが、魔法には効かない』というものだった。
魔物の魔力による毒というのは、どちらかというと魔法寄りなのだそうだ。
したがって、「デスストーカーの毒が悪影響を及ぼしたら、エルドアン鋼の片手半剣で解除すればいい」という手が使えないのであった。
「ある程度なら僕が試薬を用意できると思いますけどね。魔導士団は研究施設も充実してるんでしょう? きっと参考になるケースがありますよ」
「そう願うのだわ」
才女達が難しい話をしている。素人は関わらないでおこう。
そんな彼女達を見て、
「痛み止めねえ」
キアはハルニスと顔を見合わせて呟いていた。
王軍本部の建物は、意外と王宮からは離れた場所にあった。
曰く、場所的にはこの王軍本部の場所は、王宮から見た利便性ではなく、城下町視点で真ん中に位置することが重視された立地なんだそうだ。
受付に通してもらって、キア達とはそこで別れた。
「またね」
とキアは言っていたが。意味ありげに笑っていたから、すぐに再会することにはなるのかもしれない。
キアとハルニスが、グラニットを連れて奥へ入っていくのを見送った。
これで今、私と一緒に行動しているグループは、モスタンの街に着く前のメンバーに戻ったわけだ。
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