10-11.街道の通せんぼ
「むう。何か言っているのはわかるのですが、何を言っているのかがわかりませんね」
「これまた使います?」
「うーん。あいにく読唇術の心得はなくて」
双眼鏡を差し出してくれるアークに気の進まない顔をしながらも、私は受け取ろうと手を差し出す。と、その双眼鏡が横から取られた。
「あ、ちょっと」
「いいから。――おい。あいつらが言ってるの、『来るな』じゃないか?」
「はい?」
抗議の声を上げるアークを制して、グラニットは双眼鏡を覗く。後で確認したら、よく似た魔道具が流通しているらしいので、グラニット達にも馴染みがあったようだ。
ともあれ、グラニットのその分析に対しては思わず聞き返してしまった。
「街道で『こっちに来るな』はないでしょうよ」
「俺もそうは思うけど……でも身振り手振りでもそう言っている」
「そう言われてみればそうなんですが……」
たしかに、そう見える。ジェスチャーが国や文化によって違うのは承知しているのだが、アークに目で問うても、彼女はグラニットの言い分を戸惑いながらも肯定していた。
二人ともキーリス国の文化域の人間――グラニットも、キアにこの北国訛りはキーリス人だろうと推測されていた――だから、その辺は彼らの感覚を信用、もとい、採用? するのが良いと私の脳は言う。
「――困りましたね。『助けて』ならわかりやすかったのですが……グラニット、君、クロスボウは使えますか?」
「え? ああ……って、ええ?!」
私は肯定の返事を聞く前に、腰帯に掛けてあったクロスボウを外して、彼に渡した。
「アーク、グラニット。サラとミーネの護りをお願いしますね。シャルヤ君、すみませんが一旦停車を。私が君たちに向けて頭の上で手を叩くのが見えたら近づいてきてください」
「かしこまりました。お気をつけて」
「だからあんたなあ! 俺は逮捕された賊なんだって! 俺がこれであんたを後ろから射ったらって考えてくれ!!」
「こいつのことは気にしないで、後衛は僕に任せてください! 行ってらっしゃいなのです!!」
一名了解してなくて文句しか言ってないが、クロスボウは受け取ったので了承ととろう。
「サラ、ちょっと見て参りますね」
「わかったのだわ。こっちの防衛は私に預けてもらって大丈夫よ」
「よろしくお願いいたします」
先方との距離は約100メートルと言ったところか。
私は競歩よりは少し早めくらいの速度で、半ば走り出した。とはいえ、全力で駆けたら先方から魔物と誤解されて矢を射られても文句を言えない速度が出る気がしたので、気持ち駆け足程度にしておいた。
頭上に大きくバッテンを作って首を横に振っていた向こうの男性二人は、その『来るな』ポーズを止めた。止まった馬車と、一人で先方へ向かう私を確認して意図を汲んでくれたようだ。
数メートル離れたあたりから、声をかけつつ近づく。
「御機嫌よう。来るなと制されたにもかかわらず、寄った無礼をお許しください」
「すまない、一旦そこで止まった方がいい。足元に気をつけろ」
「はい。何かあったのですか? ――そちらの方の具合が良くはなさそうですが……」
私は彼らの五メートル手前で歩みを止めた。
男性三人と女性一人と言ったが、よく見たら男女二人ずつという構成だった。ショートカットで背が高かったので、失礼な見間違えをしてしまったようだ。
四人のうち、最初から女性と認識できていた人だけが座り込んでいる。彼女の肌は私のいた世界でいうところのアフリカ系の黒色人種のように真っ黒で、顔色がいいのか悪いのかが私には判別できなかった。
一行は全員一見、旅装に見えた。苧麻か木綿のようなシャツとズボンの上から、外套を一着羽織っていた。一見、と但し置きしたのは、それに何か違和感があったからである。
だが、その違和感の説明がいまいち出来そうにない。
「落ち着いて聞いてくれ。デスストーカーがいる。彼女はやられた」
「デススト…?」
「知らないか? でっかいサソリだ」
言われて彼らの足元――自分の一歩先も同じだが――を見ると、そこは特に街道の石畳がひどく割れていて、土中を移動する生き物であれば、確かに人間を襲撃することが可能に見えた。私は元の世界ではサソリに馴染みがなかったので、彼らの生態的に土中を進むのか草叢に気をつけていればいいだけなのかがわからない。この辺で言う「でかい」がどれくらいなのかなど、もっとわからない。
次に自分の来た道を、馬車を振り返る。馬車を停めた時の光景を思い出して、そこの石畳は木の根にやられていなかったことに安堵した。
「血清はお持ちなのですか?」
サソリは神経毒だったっけ? 血清で解毒できるという中途半端な知識が記憶にあった。
「持っていると思うか? そんな高価なもの」
血清自体の発明はこちらの世界でもあるのか。
私の足を止めた方ではない男性(こちらの方が若そうだ)が、その口調に少し苛立ちを滲ませて吐き捨てるようにそう言った。
「申し訳ありません。そちらの方、――痛みが尋常ではないのでは?」
「鎮痛魔術を施しているから。しばらくは何とか正気を保っていられると思いますが――保って七時間ほどでしょう」
今度は、ショートカットの女性が悲痛な面持ちでそう告げた。
私は思ったことをそのまま提案する。
「彼女を動かせるのであれば、貴方がたも石畳側へ」
だが、その提案に対し――最初に私に答えてくれた男性が、私の知らない対サソリ毒対処を口にした。
「いや、奴の出現を待っているんだ。彼女の解毒には奴の血が必要なんでね」
「足止めされちまうあんた方には悪いが、少しの間警戒しつつ待機しててもらうか、――モスタンへ戻ってくれないか」
若い方の男性が、会話の最初で見せた険は除いて補足してくれた。
血があればいいのか? それなら文系一辺倒の自分でも協力ができる。
その意思表示として、私は片手半剣を抜き身にした。
「状況はわかりました。私にも協力をさせてください。連れに説明をして参ります」
「え――いいよ、って、ちょっとお前待て――ああもう!」
自分の決定を一応は告げて――かなり一方的だったけど――私はサラ達の方へ足を向けた。
「――ということみたいなので。私はサソリ退治に協力しようと思います」
「次から次へと……この街道は一度お祓いでもした方がいいのでは?」
「アーク、野盗は人災だし、サソリはただの虫害だぞ」
アークが迷信的なことを言うので、私は冗談めかして窘めた。
「違いますよ、ミャーノさん。『デスストーカー』は虫じゃなくて魔物なんですよ? だからこそ、そいつ自身の血に解毒作用があるんですから」
えっ、魔物なの。
あれ、そういえば私、これまで魔物と対峙したことがないのでは……? 安請け合いしない方が賢明だったかな。
「サソリつったら魔物しかいないだろ……」
グラニットが呆れたようにぼやいていた。
「ミャーノ、それなら私も行くのだわ。サソリの毒にはちょっと興味もあるの」
不謹慎だから、向こうの一行にはナイショにしてね、と可愛らしく、サラが申し出た。
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