【キーリス異聞】使い魔のいない刻・6
前回に引き続きの番外編後編です。情報自体は本編にも絡んでいます。
ミャーノがいない世界線の話なので注意
『ならば私が最も多くの武功を立てればよろしい』
『鈴蘭、しかしそなたは女の身。並み居る猛将たちと並び立つことすら――』
『いいえ、姫様。ご存知なかったのであれば、ご覧に入れましょう――!』
『そうして鈴蘭の騎士は、カトレヤ姫への言葉を証明するかのごとく、ジェノーヴの竜人との戦いで圧倒的な勝利をおさめてみせたのです。この戦役の褒賞として、王様は鈴蘭の騎士を千人隊長に叙したのでありました。』
ナレーションの吟じられる中、鈴蘭の騎士役の男性が、竜人の被り物をしたモブを薙ぎ払っていく。
「今『女の身』と言ったじゃないか」などと無粋なことは観客の誰も言わなかった。アクロバットなスタントを要求される鈴蘭の騎士の役者は、歴史的にほとんど男性が演じてきているからだ。
娘役をしてきた女優の中にだってそれくらいできる者はいるのではないか? そういった疑問も当然であるが、そのようなアクションをものにした女優は大抵の場合、王軍にスカウトされてしまい、そちらへいってしまうのである。戦時であるなしにかかわらず、王軍は、イメージアップのための「アイドル」を常に必要としていた。使命に燃えるスカウト係においては、勧誘術のノウハウも積み重ねられていて、その成功率は低くなかった。
王軍の要求を袖にしたアクション女優はここ三百年、二人ほどしか確認されていないらしい。
観客の誰も文句は口にしないが、少なくともパールシャはこの伝統に不満がある。鈴蘭の騎士役は、絶対女性が務めるべきだ、と。
彼は別に鈴蘭の騎士のファンでも信者でもないが、その想いだけは強く抱き続けている。
(それでもさすがに髭面の強面の中年男性などが演らないだけマシか)
二年ほど前に一度、彼がフィルズ――フィルズは熱狂的な鈴蘭の騎士のファンであった――に劇場へ連れていかれた際の役者も、今回も、“声帯に少しの少年らしさを残した、肌の明るい美青年”が演じていることに、彼はせめて感謝をすることにした。
『鈴蘭、私はそなたという臣を得ることができて本当に嬉しい。そして私の心は苦しい。なぜなら私が姫である限り、そなたは戦い続けねばならない……』
『私はよいのです、姫様。私の強さはこのキーリスと、そしてあなたの平穏のために授かったものなのです。私の姫様』
『いいえ――私は決めました。あなたを一日も早く“私の友”に戻すため、婿を迎えずに女王となりましょう!』
「カトレヤそんな殊勝なこと言わなかった……」
パールシャがぽそりとそう呟いた。
「え?」
「……ん?」
グラニットがパールシャの方を見た時には、パールシャは、思わず口をついて出た、のが何故だかわからない、という顔をしていた。
『おお――陛下。あなたをそう呼ぶ日まで』
『のちに実に女王となるカトレヤ姫の誓いに奮起した鈴蘭の騎士は、かのメシキ攻略を果たします。』
ナレーションを背に、今度は人間の姿のやられ役達がばったばったと倒れていく。
一瞬パールシャに気を取られたグラニットは、舞台のその惨劇の有様に視線を戻し、「無血のはずなんだけどな」と胸中ツッコミをひとりごちた。
『おお、オスタラ・ヴォルフ! そなたの気高さと強さはまるで、亡き我が母である。私の鈴蘭!』
この下りを聞くにつけ、グラニットは「ここやっぱりおかしくないか? 自分をいてこました女が母親にそっくりって、どんな苛烈な母ちゃんなんだよ」と、何度でも考えてしまう。だが、なぜかここのパラース――メシキ戦役で鈴蘭の騎士に敗北して捕虜となったトロユの王太子(当時)である――の発言内容は、どの講談でも、史料でも頑としてこれであった。
よほど四百年前当時、証言者が多く、また熱烈にそれがなされたとしか、グラニットには思えなかった。
それ即ち――パラースから鈴蘭の騎士に対しての求婚である。
『ご提案は有難いのですが。トロユの王太子。私の主人は、我が蘭の花として、既に在る。――せめて捕虜となっていただくことで、私への愛の顕れとしていただきましょう。』
この部分、コメディを得意とする劇団の場合は、鈴蘭の騎士がパラース王太子を足蹴にするという構図を持って来る場合もある。今回パールシャたちが観劇している劇団はアクションに重きを置いていたので、そんな表現はしていなかった。
しかしグラニットは思う。「異性相手に対する警戒からの足蹴の方が、適当にいなされててきぱきと捕虜にされるよりは男としてはマシな扱いなのでは?」と。
『トロユの王太子は長く喘息を患っていたことをご存知でしょうか? トロユの国にいる間治らなかったその咳はなんと、メシキの森で鈴蘭の騎士と会した時より治りを見せたのだそうです。恋は不治の病と申しますが、恋は万病の薬とはなるのやも…?』
「違うって、邂逅する前に良くなってたって。それメシキの森の魔力のおかげ……だっ………て…….?」
「ああ、喘息だからって城に閉じこもったままだったら余計免疫力的な方面でよくなかったのかもな。……どした?」
「んん…?」
パールシャは少し焦りを感じていた。何かの拍子に、己の口にも関わらず、まるで別の人格の意見を代弁していくようであったからだ。
「パールシャ」
「……ッ」
グラニットはパールシャの耳元で、敢えて叱咤するかのようにその名を呼んだ。だがその後で、口調を和らげて、そっと囁く。
「具合悪いなら、出るか?」
「いえ、もう大丈夫です。すみません」
年下の、しかも未成年に労られる居たたまれなさにこっそり恥じ入りながら、パールシャは謝るのだった。
『メシキの森をキーリスのものとしてみせた鈴蘭の騎士でしたが、それ以上トロユの領地を脅かすことはしませんでした。カトレヤ姫殿下が、女王としてご即位あそばされたからでございます。』
『鈴蘭よ、私の気高き騎士。これで、あなたはもう他国の土地を奪う必要はありませぬ。どうか私の傍で、このキーリスの民草の守護者として共に――』
『御意に、陛下』
鈴蘭の騎士の物語は、現代のキーリスにおいては、王女カトレヤとの恋慕にも似た友情を主軸に語られるものが広く好まれている。この演目においてもその意向に添い、カトレヤとのそれを中心に表現していた。
ナレーターの「めでたし、めでたし」の締めと共に、客席からは拍手が送られる。パールシャもグラニットも、行儀良くパチパチとその手を鳴らした。
「――なんだ、気に入らなかったのか?」
「えっ……いいえ? まさか、そんな偉そうな。演者達の演技は素晴らしかった。殺陣もよかったですよね」
「……つまり不満があるのは脚本かい? なんだか『得心がいかん』――ってェ顔してるぜ?」
「そういうわけでも……ううん、なんでしょうねえ……これは昔からなんですが、鈴蘭の騎士が主役の演義物や歴史小説を読むと居心地が悪いのですよ。なにやらこう、ムズムズいたしまして」
「なんだそりゃ」
「……変なことを申しました。気にしないでください」
「おう。まあ、あんたがそれでいいなら」
「――帰りますか。貴重な休日に、お付き合いありがとうございました、グラニット」
「お安い御用ッスよ、サー。またタダ券がお手に入った際にも、どうぞこのグラニットをご贔屓に」
「……プフッ…なんですか、その言い回し」
「なんだ、面白かっただろ?」
「ええ。嫌だなあもう」
「嫌なのかよ?!」
「クク、失敬。言葉の綾です」
普段そのような道化の真似事など、グラニットはしてみせない。
しかし――夕焼けのオレンジ色に染まる街の空と石畳を共に歩くパールシャの微笑みは、沈む太陽と同じくらいには物憂げだったので。
「ああやって食う昼飯、うまかった」
「そうですね」
(ああ、ちゃんと笑っている)
今度二人で、鈴蘭の騎士以外の劇を見に来よう。ハッピーエンドでとびっきりのコメディがいい。
グラニットはそう決めた。
夕方の雑踏に紛れて見えなくなってしまった二人の長い影ぼうしは、大きな影の中ではゆらゆらと楽しげに重なっていた。
友人としてすら肩を触れ合わせるようなことはしない本人達とは違って。
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次回更新は明後日火曜の予定です




