【キーリス異聞】使い魔のいない刻・5
また番外編ですが、情報自体は本編にも絡んでいます。
ミャーノがいない世界線の話なので注意。
これは、パールシャが騎士になってから初めての長期休暇を過ごす少し前、の話である。
「ああ、グラニット。シャルヤ君を知りませんか?」
「え? さあ、俺は今日一回も見かけてねえけど」
「そうですか。ではグラニットが付き合ってくれませんか?」
「どこに?」
「芝居の観覧です」
パールシャはそう言って、わら半紙に刷られた興行のチケットを尻ポケットから取り出す。
朱肉で判が押されていた。
「シャルヤと約束してたんなら、シャルヤ連れて行ってやれよ。ひどい奴だな」
「人聞きの悪い。いや、別にシャルヤ君と先約があったわけではないのです」
「じゃあなんでシャルヤ?」
「今日が非番だと知っていたので。君は?」
「……俺も非番だけど」
「では構わないでしょう。行きましょうよ」
「いいけどさあ。俺別に芝居なんて。っていうか、そんなんシャルヤじゃなくて女誘えよ」
「女性を誘うのは段取りが必要なので面倒くさいのです。そこへくるとほら、君やシャルヤ君なら当日声をかけてそのまま連れていける。気楽でいいですよね。行きましょう」
「ええー…いやいいけどさ。奢りなんだろうな」
「私も隊長からの貰い物なんでご心配なく」
「それ、まさか隊長があんたと行こうとしてあんたにくれたとかじゃねえだろうな」
「それは大丈夫。自分が女性と行こうと手配していたのに、急務が発生して行けなくなったのだそうです」
「そりゃあご愁傷様。そういうことなら、行こうかねえ」
とある秋の晴れた日の昼下がり、百人隊長のパールシャは、ヒラ魔導士のグラニットを伴って城下町へと繰り出した。
「そういや、いつも一緒にいるフィルズさんは?」
「これをくれたキア筆頭隊長と一緒にお仕事ですよ。――ああ、それを言ったら、これはあいつ好みの演目ですね」
「あ? 演目なに?」
「アレですよえーっと……白百合じゃない…菊花でもない……そうそう、『鈴蘭の騎士』」
「なんで“鈴蘭の騎士”がパッと出ねえの? 興味なさすぎだろ」
「そこまで言わなくても。些かド忘れしただけではありませんか」
会場は街の南にある小規模の屋外円形劇場である。
百五十名ほどの客を収容することができる広さで、外からタダ見が出来ないように壁が設けられていた。
『鈴蘭の騎士』はこの国においては元々好まれる演目であったが、殊この劇団自体に大変人気があり、前もってチケットを確保しておかねばならない状態であった。
パールシャはそのことを知らなかったが、グラニットは実はそのことを知っている。
(譲り甲斐のない男にやっちまったもんだなあ、キア筆頭隊長どのは)
「そもそもなんでシャルヤを探してたんだ? 男で付き合ってくれる奴探してたんなら、それこそ非番の部下に声かけた方が早かったんじゃ」
「私一応百人隊長ですからね。行きたくなくても断りづらいじゃないですか」
「それはシャルヤだって同じだろ? 俺だってあんたよりは階級下だし」
「お二人とも騎士団所属ではないですし。それにシャルヤ君はいいんです。私が芝居に誘っても彼は別に嫌じゃないでしょう? 都合が悪けりゃ彼は断りますよ」
「そんな自信満々に」
自信満々に「好かれている」自覚があるのがすごい、という言葉の後半を、グラニットは飲み込んだ。
シャルヤは厩番の職員であるため、騎士団とも魔導士団とも別の組織の人間となる。
とはいえ職務の関係上、騎士団の百人隊長であるパールシャが命じたことを無視できる立場でもない。
しかしパールシャは「シャルヤは自分に対しては立場にかかわらず、まず断らないだろう」と思っている。グラニットもその認識に呆れつつも、「そうなんだろうな」とは考えた。
「君だって嫌なら袖にしてるでしょ」
「まあそうだけど」
「私とて人を選ぶのです」
「さいでっか」
「ところでグラニットはお昼は食べましたか」
「いや、まだだわ。何か買っていくか」
「我が意を得たり。ではあちらの食べ物屋の多い通りに寄っていきましょう」
「酒は?」
「ありです。肉系のサンドパン等を考えていましたが、酒のアテということであれば串焼きなどもいいですね……迷うな」
「別に一人で食うわけでもなし。サンドを二つに串焼き二本買おうぜ」
「ヤッホー」
「ヤッホーじゃねえよ、どんなテンションだそれ。食いたいもん食えっつーの」
「食べられるだけ食べるというのはあまり美しくないですよ。まあ、今日は君の提言ですからね。仕方ないですね」
「こいつ……人を言い訳にしやがった……――なんだよ?」
グラニットは訝しむ。
パールシャがグラニットの頭のてっぺんの方に視線を向けていたからだ。
グラニットとパールシャの背丈はそう変わらないため、パールシャがグラニットに向かって見上げる格好になる。
「この半年ですごい伸びたなと思いまして」
「ああ、背か。そうだな。最近落ち着いたけど、ちょっと前は成長痛がちょっとな……」
「あのペースで伸びたらそりゃあ、そうでしょうね」
「この調子なら、あんたの背は軽く抜いてやれそうだ」
「む。騎士ならともかく、魔導士がそんなに大きくなってどうしようと言うのです。私だってあと三年くらいは可能性が」
「期待しない方がいいぜ。鎧を纏ってると背が伸びにくいって聞いたよ」
「――そうですけど」
「まあ、食いもんだろうなあ。去年とかロクなもん食べれてなかったし」
グラニットが魔導士になったのは先の冬の終わりだった。
故郷の村が未曾有の大雪で閉ざされて、やっと這い出した時には村民の半数が凍死と餓死で命を落としていた。
その中でもまだ体力が残っていた青年達数人でグラニットを含めたパーティを組み、王都へ助けを求めにきたのが、彼が魔導士団に入るきっかけであった。
当時、王都から北東の街道で山賊の討伐に当たっていたのは白虎――騎士団西大隊――だったのだが、王都へ南下していたグラニット達を拾って乗せたのは、その白虎に随行していたシャルヤの馬車であった。グラニットとシャルヤの縁はそこからだ。
グラニットに魔術の才があることを知った白虎の百人隊長が推薦して、彼を魔導士団に入れたのであった。
その後、グラニットは仕事で朱雀と連携をとる機会があり、パールシャとも知り合ったのである。
「先日、お母上にノーレンジを送ってましたね」
「ああ。ちゃんと届いたって手紙がわざわざ――なんであんたがそれ知ってんだい?」
「ふふふ」
「いや『ふふふ』ーじゃなくて!」
「いえ、単に発送手続きしてる君の後ろを通りがかっただけです。こらこら、人をストーカーを見るような目で見るんじゃありません」
「あんたの場合は『実は王軍内の動向を把握するために間諜潜り込ませてます』とか言い出されても『そっすかー』で済ませてしまえそうなんだよなあ」
「君の中の私のイメージは一体どういうことになっているんですか……」
魔導士になってからグラニットは、今も実家に一人で暮らす母親へ仕送りをしていた。キーリスでは、ヒラ魔導士でも、たとえば子二人と妻一人と城下町で暮らしていけるほどの月給が支給されている。独り者のグラニットは手元で蓄えもしつつ、母親に仕送りもしつつ、寮暮らしであるために余裕のある生活を送ることができていた。
母親には寂しい思いをさせているかもしれないことだけが気がかりではあるが、蓄えがもう少しばかりまとまった額へ達したら、王都へ連れてくるのもよいかと考えている。
住み慣れた村と家を離れるのを嫌がるかもしれないが、その時点ではもしかしたら結婚もして、ひょっとしたら子もいるかもしれない。そうなったら孫を餌に釣り上げよう――とまで、取らぬ狸の皮算用をしていたのであった。
「決めました。私は牛串と、ローストビーフとレタスのマスタードサンドにします」
「うしざんまい」
「持論ですが、牛だったら牛だけで揃えた方が味がまとまるのです」
「別に何もケチはつけてねえ」
「つけたそうな顔はしていました」
「先手を打つな先手を。となるとビールだな……うーん、俺は揚げたチキン系にするか…」
「ドリンクから決めてきましたか。いや、たしかに私はビールかなと思っているところですが、君もビールにする必要は別にないのですよ?」
同じものを観るなら、同じものが飲みたいのだ、とはグラニットは言わなかった。
「――ビールが飲みたかったんだよ」
「そうでしたか。余計なお世話でしたね」
チキンならば以前あの店で拵えてもらったチキンカツサンドが下味もしっかりとついていて旨かった、とパールシャはグラニットに嬉々として教えた。
グラニットはあまり買い食いをしないが、パールシャは意外と――そう、淑やかそうな風貌をしておきながら意外と食べ歩きに熱心なほうである。であるがゆえに、パールシャの屋台アドバイスについてはグラニットは基本的に従うのだった。
劇場は開演までにまだ45分ほどあったが、開場はしており、中に入って食事をすることが可能であった。もちろん、パールシャとグラニットはそうするつもりで屋台飯を買い込んでやってきたのだ。
「冷やす?」
「いいのですか? お願いします」
グラニットの提案に、パールシャは喜ぶ。パールシャは早速、常温のビールがたっぷり入ったグラスジョッキを二つ、二人の座った間に揃えた。
「そのくらいなら俺だってできるようになってるんだぜ? ――≪サード≫――下がれ圧力、蒸発しろ――」
「――グラニット、ストップ――!凍りかけてます!」
「っとわ」
冷やしすぎてジョッキには少し霜が発生していた。
パールシャは飲み口になる部分にハンカチをあて、間接的に指で温めてから口をつける。
グラニットは内心なるほどとパールシャの用心に感心しつつ、さも当然の対応という顔をして同じように対処して、一口飲んだ。
「うん、美味しいです! あわやフローズンビールになるところでした」
「水だとうまくいったんだけどなー…」
「そりゃ成分は異なりますからね。青の軍団長は何十種類という酒の温度を自在に最適化していましたけど、今思えばとてつもない芸当だったのですねえ、あれは……」
「何してんだあのじーさん」
「ああそうか。君が王軍に入るちょっと前に肝臓を悪くしてお酒飲めなくなってたんでしたねあの人。前はよく騎士団の、というか朱雀のかな? 飲み会に混じってらしたんですよ」
「ふぅん」
騎士団と魔導士団の飲み会開催頻度の落差についてたらたら話しつつ、サンドを食んでいると、やがて観覧席が埋まってきた。
開演に備えてのアナウンスも行われる。
野次を飛ばすのは構わないが、演者に攻撃を行ったり、舞台に上がるなというような内容だ。
まさかという話ではある。しかし、真に迫った演技をする悪役は、稀に、芝居であることを客に忘れさせてしまうもので――いや、実は稀でもなく、悪役を演じる役者は割と危ない目に遭い続けていた。
満を持して、舞台の幕は上がった。
お読みいただきありがとうございます。
今回は前後編構成です。
次回更新は土曜か日曜の予定です。