少年達と図書カード
僕、海瀬心は、あの難関の掛け算九九を乗り越えた小学四年生です。
とはいえ何か特技があるわけでもなく、いたって普通の小学生ですが、毎日楽しく過ごしています。
そして今日も楽しい学校は終わり、ただいま帰宅中。
僕はアスファルトに引かれた白線の上を歩いたり、塀の上を歩いている猫に挨拶したりしながら通学路を逆走していました。
部活のない人はみんな帰ります。
その集団の中に僕はえーり君を見つけました。
駆け寄る僕。
「えーり君! 途中まで一緒に帰ろ?」
振り返るえーり君。
「ん? ああ、海瀬か。いいよ、ともに帰ろう!」
内田衛利君。
僕と同じクラスの子。
四年生になって初めて同じクラスになった子。
特別仲が良いってわけじゃないけど、僕は仲良くしたいと思ってる子。
えーり君はとてつもなく頭がいい。
そしてクールだ。
不思議な子だけど、だからこそ僕は気になっている。
「そういえばさ、えーり君。あの作文どうだった? 僕には結構難しかったんだけど」
そう、作文。
僕達は『環境問題について考える』というテーマで、作文を書かされていた。
「あれか。何も悩むことはないだろう。何を書いてもいいわけだし」
「そうなんだけどね。だからこそ何を書いていいか困るんだよね。結局ゴミを減らすとか、エコがどうとか適当に書いたけど」
「妥当なところだろう。ちなみに僕は排ガス規制の基準見直しと、最新式フィルターの除去性能について書いたよ」
「あはは、相変わらず何言ってるか分かんないや。えーり君はすごいなぁ」
「そうか? たぶん先生方が求めているものとは違うんだろうけどな。ともあれ参加賞をもらえたのだからいいじゃないか」
「参加賞ねぇ~」
僕はえーり君と並んで歩きつつ、ランドセルを肩からおろし抱えると、中から四角くて白い封筒を取り出した。
「これでしょ?」
ひらひらと振りながらえーり君に見せる。
「こういう参加賞って、たかが知れてるでしょ。ほら、ぺらぺらだし、大体予想がつくよ」
「まだ開けてみてないのだろう? 意外と良いものだったりするかもしれないぞ」
えーり君が言う。
「そうなの?」
えーり君が言うのだ。
もしかしたら本当に良いものが入ってるのかも。
僕はゆっくりと封筒の中身を取り出してみた。
「…………」
「どうだ?」
「えーり君。やっぱり予想通りだよ」
僕の手には長方形のカード。
そう、図書カードだった。
「こういうのは大体図書カードだよね」
「テレフォンカードの場合もあるぞ」
「テレフォン……なにそれ」
「公衆電話をかけるときに使うやつだ」
「ん? ああ! 見たことある! でも、今どき使う?」
「使わないな。なら良かったじゃないか、利用価値は図書カードの方が高い」
「そうなのかなぁ。たかが図書カード」
「不満なのか?」
「不満じゃないけどさ。もらうだけタダだし」
「そうだな。しかし、海瀬。君はたぶんその良さを十分に理解していない」
えーり君が黒縁眼鏡を光らせて言った。
「図書カードの価値? 図書カードは図書カードでしょ?」
「ならば、あれを見て見よ!」
えーり君が指さした先では、下校中の男の子が参加賞の図書カードを両手で掲げながら走っていた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 激萌えぇぇぇ~~~~!!」
何やら叫びながら走る少年。
「ひゃっほ~いい! おぉぉぉ~~、ひゃうっ!」
あ、電柱にぶつかった。
少年はそのまま後ろに倒れたが、幸いランドセルがクッションになったので、けがはなさそう。
僕とえーり君は駆け寄った。
「あいたたたぁ」
「れん君?!」
少年は同じクラスの鳥木蓮司君だった。
れん君は、なんというか、はっきり言うとバカだ。
「あはは、ぶつかっちゃった。よっ、えーり! それと、こころん!」
「またその呼び方~。やめてよ、そのこころんって言うの」
「いいじゃん、可愛いし。可愛いは正義だぞ!」
わけの分からないことを言いながら立ち上がるれん君。
「二人とも帰るところなんだろ? 一緒に帰ろうぜ!」
「いいけど、大丈夫?」
「へーき、へーき。この図書カードもらったのが嬉しくて、ついはしゃいじゃったんだ」
「図書カードもらったのがそんなに嬉しいの?」
「なんだ、こころん。この良さが分かんないの?」
「そうなのだ、鳥木。ちょうど今海瀬にその良さを説明しようとしてたところなんだ」
「おっけ~! 俺も手伝う!」
れん君は腕組みしながら勝手に力説しだした。
「いいかね、こころん。まずこの図書カードはタダだ!」
「そうだね、タダだ。それは分かるよ」
「いや、待て。元をたどれば国家予算ということも」
「えーりはちょっと黙ってて!」
「すまない」
れん君が怒ると、えーり君は黙った。
「でね、こころん。このカードは一体いくらですか?」
「千円って書いてあるね」
「そう、千円だ! わかる? 五百円じゃなくて千円だよ! なかなか豪華な参加賞でしょ?」
「確かに千円は大きいね。でも、本を買うのにしか使えないんでしょ?」
「いや、待て。金券ショップなら割り引かれてしまうが現金にすることが」
「えーり、そういうこと言うなよ~!」
「すまない」
えーり君はまた怒られた。
「じゃあさ、仮に現金だったとして、こころんは何に使うの?」
僕は少し考えた。
「う~ん、千円かぁ。貯金って選択肢もあるけど、使うなら小説とか雑誌とか買うかな? あれ?」
「ほら~、そうなるでしょ。こころんは本が好きだもんね」
「だったら海瀬はなぜ図書カードを否定してたんだ?」
「否定する気はなかったんだけどね。本なら図書館で借りれるし、新刊が欲しくなってもお小遣いで何とかなるし。どうせもらうなら現金の方が良いのかなって思ったんだ。正直なところ僕も嬉しいのは嬉しいよ?」
するとれん君は急にニコニコして、僕の肩に手を回してきた。
「なぁんだ、やっぱこころんも嬉しいんじゃんかぁ。そーだよなー、嬉しいよなぁ」
「そ、そうだね。嬉しいよね」
「いや、待て。海瀬、君は本当に鳥木と喜びを分かち合っていると思うのか?」
えーり君が妙なことを言う。
「えーり君、どういうこと?」
「では問おう。なぜ鳥木は図書カードをもらってあそこまで喜ぶ?」
「それは……れん君が本を読むの苦手なの知ってるけど、漫画くらいは読むだろうし、もらったら嬉しいんじゃない?」
「俺、漫画読まないよ? だって字がいっぱいあるじゃん」
予想外の答えだった。
「あれ? そうなの? じゃあ、絵本とか?」
「絵本なら読むけど、図書館にあるやつしか読まないし。図書館なら名作大体揃ってんじゃん」
ますますわけが分からなくなってきた。
れん君の表情も徐々に険しくなってくる。
その様子を見て、えーり君がさらに質問してくる。
「ではとっておきの質問だ。海瀬、もしこの図書カードが三千円だったら嬉しいか?」
僕は即答した。
「もちろん! だって三倍だよ。嬉しくないわけ……」
僕が即答すると、真横にいるれん君の様子が急変した。
「う、嘘だろ? 嘘って言ってくれよ! なぁ、こころん! 三千円じゃダメじゃん! 千円だからいいんじゃないか! バカなの?」
ひどい言われようだ。
三千円の方が良いに決まってる。
れん君がバカなのは知っていたが、まさかこんな簡単な計算もできないレベルだったなんてね。
「れん君、三千円は千円の三倍だよ? 千円より大きいんだよ?」
「そんなの知ってるよ! バカにしてんのか、こころん!」
じゃあ、なぜそんなにも怒っているのだろう?
「海瀬、やはり君は最初から何も分かってなどいなかったのだ」
えーり君がぼそっと呟いた。
そして、れん君はいつの間にか泣いていた。
「いいですかぁぁ? これはぁ、なんですかぁあ!」
れん君が手に持った図書カードを指さして聞いてくる。
「図書カードだね」
「そーですぅ、図書カードですぅぅ。じゃ、じゃあ、絵柄はぁ! 何ですかぁ!」
今度は泣きながら絵柄を訊いてきた。
図書カードの絵柄は定番のキャラクターだった。
「うさちゃんラビットだよね」
「そう! うさちゃんラビットです!! 可愛いです!」
そう言い切ると、れん君は興奮し過ぎたのか、自分自身を落ち着かせようと深呼吸した。
「えっと、つまりどういうこと?」
「鳥木が重視しているのは、図書カードであるという部分でも、その金銭的価値でもなく。うさちゃんラビットなんだよ」
れん君に代わって解説するえーり君。
「そっか、うさちゃんラビットが好きなんだ。でも何で千円にこだわるの? 三千円でもうさちゃんラビットの絵柄あるでしょ?」
「違うんだよ、こころん。確かにうさちゃんラビットシリーズは、五百円から五千円まであるけど、うさちゃんラビットがメインで描かれてるのは五百円と千円だけで、あとはお仲間とかお母さんとかなんだよ!」
「ああ、他にもキャラいたんだ」
「でもって、千円はうさちゃんラビットがセンターに描かれてて、幸せそうにニンジン食べてて、ちょ~~~~可愛いの! ほらっ!」
図書カードを僕の目の前に出して見せつけるれん君。
「確かに、とても幸せそうだね」
「な~? 激萌えだろ。やべぇよな、本当に。萌えしぬぅ~~っ!!」
可愛いのは同意するけど、えーり君のリアクションはオーバーな気がした。
でも、好きなものをはっきり好きと言えるのは何だか羨ましく思えた。
「俺さ、こころんも俺と同じうさちゃんラビット好きだと思いこんじゃってたみたいだな。ちょっと変なテンションになっちゃってごめん」
「そんな、謝らなくても。驚いたけどね、れん君の情熱は理解したよ」
「本当か?! じゃあ、今日からうさラビ仲間だな。ひゃほ~い!」
「え? 僕が!」
「そう! あとえーりもな!」
「なんか勝手に決められちゃったけど、いいの?」
えーり君に聞いてみた。
「よかろう。世の中の醜い争いを見るよりかは、格段に癒されるキャラクターだ。鳥木が使う専門用語で言うと、激萌えだな」
あれ、専門用語なんだ。
「そうそう、激萌え激萌え。おっと、もうこんなところか」
気が付けば僕らは分かれ道まで来ていた。
「それじゃ、えーり、こころん。またな!」
そう言うと、れん君は全速力で走って帰っていった。
「ばいばい、れん君」
「さようなら、鳥木」
一応あいさつしたが、聞こえているだろうか。
たぶん、聞こえてないな。
「さて、僕達も帰ろうか」
「そうだな」
僕とえーり君はれん君とは反対方向に帰る。
「ねえ、えーり君。えーり君が教えたかった図書カードの良さって、ああいうことだったの?」
「概ねそうだ」
「そっか。あのイラストが好きな人にとっては図書カードそのものに大きな価値があるんだね」
「ああ、仮に千円を鳥木に渡したとしよう。するとたぶん鳥木はその千円で図書カードを買う。だとすれば、最初から図書カードという形で受け取れることは、とても嬉しいことだろう」
「うん。人によって価値観って違うんだね。それにしても、うさちゃんラビットかぁ。確かに可愛いし、僕ももう少しじっくり見てみるかな。そういえばうさちゃんラビットのお父さんって見たことないけどどうし……」
「待て、海瀬。その話はやめよう」
「どうして?」
「どうしてもだ。そして、絶対に鳥木の前でその話をするんじゃないぞ」
「うん、分かった。えーり君がそこまで言うなら、きっと理由があるんだね」
僕はそう言って話をやめた。
えーり君は話題が無かったり、話をする必要が無いと判断している時は無口だ。
何か自分の中にルールがあるみたい。
「我々もここでお別れだな、海瀬」
「そうだね、分かれ道だ」
「僕はこの道を真っすぐ帰るとしよう。海瀬、また明日だ」
「うん。また明日、えーり君!」
こうして僕達はそれぞれの家へと帰った。
家に帰った後、僕はどうしても気になったので、父さんのパソコンを借りて調べごとをした。
「うさちゃんラビット、お父さんっと。……検索!」
そう。
えーり君が言ってたあれだ。
「えーっと、なになに。うさちゃんラビットのお父さんは農民に捕まりスープに……」
僕は真実を知ると、すぐにブラウザを閉じてパソコンの電源を落とした。
まさかそんなことになっていようとは、予想してなかったよ。
確かにこの話は、れん君の前でしない方がいいね。
うさちゃんラビット好きのれん君はたぶんこのことを知ってはいるだろうけど。
この日僕は夕食を食べ、宿題を終えると、少しだけうさちゃんラビットのことを考えてから眠った。
それからしばらくして、僕達は完全なうさラビ仲間となった。
えーり君は相変わらずクールだけど、僕は結構ハマってしまっていた。
どれくらい好きかというと、お小遣いをつぎ込んでうさラビシリーズの図書カードを全部そろえ、図書館にはない新作の絵本も買うようになっていた。
そして休み時間になると、三人で絵本の内容なんかについて話し合ったりした。
天才のえーり君、バカだけど面白いれん君。
そして、いたって普通の僕。
一見バラバラな僕達を、うさちゃんラビットが繋いでいた。
僕達は親友だ。
しかし、楽しい日々はあっという間に過ぎて、僕達は小学校を卒業することになった。
「なんだかあっという間だったな~」
卒業式を終え、両腕を上に伸ばしながられん君が言った。
「そうだね、れん君」
やっぱり卒業というのは、嬉しくもあり寂しくもある。
「だが我らは多くのものを得たと思うぞ。特に僕にとって君達は大切な財産だ」
えーり君が言った。
「僕も同じだよ。二人に出会えて、とても楽しかった」
「俺も俺も~! ちょ~~楽しかった!」
れん君が僕達の肩に手を回して笑顔で言った。
「あはは、れん君重いよ~」
「まあいいじゃないか、海瀬。今日くらいははしゃぎたくもなるさ」
「おお、珍しい! えーりが不真面目だ!」
「不真面目ではない。寛容なだけだよ」
こうして僕達はしばらく学校の前で過去を懐かしみながら話をした。
待たせるといけないので、両親には先に帰ってもらうことにした。
「まあ、こうやって僕達は卒業したわけだけど、みんな家近いし、中学はどうせ第二中に行くんだからまた会えるね」
僕は特に何の意識もせずにこの発言をした。
しかしそれを聞いた二人の反応は予想していたものとは少し違った。
「海瀬、悪いが俺は天桜中に行くことにしている。受験も合格したしな」
「ああ、そっか。えーり君頭良いもんね。天桜って言ったら隣町の進学校じゃん! さすがだね」
「将来は宇宙の研究をしたいからな」
「そうなんだ! 応援してるよ。じゃあ、えーり君とは違う中学かぁ。でもまあ隣町だから一緒に遊んだりはできるね。また三人で……」
「こころんっ!」
僕が話を続けていると、れん君がそれを遮って叫んだ。
「れん……君?」
「お、俺もなんだ!」
「俺もって?」
れん君は俯いて少し震えながら言った。
「俺……引っ越すんだ」
僕はまったく知らなかった。
「引っ越すってどこにだよ」
「東京」
「何でそんな遠いところに?」
「親の仕事の関係で、仕方なかったんだ」
「それは、仕方ないかもしれないけど。でも、何でもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
僕達は親友だ。
親友だと思ってたのに。
「言おうと思ったよ。でも言ったら何かあれじゃん!」
「あれって何だよ! わかんないよ! れん君のバカ!」
僕とれん君は言い合いをし、気づけば二人とも泣き叫んでいた。
「おい、海瀬! 鳥木の気持ちも察してやれ」
「何だよえーり君まで。察しろって言われても分かんないよ」
その様子を見てえーり君が頭を抱える。
「卒業したとはいえまだ子供は子供か。いいか海瀬……」
えーり君は何か説得しようとしていたみたいだけど、僕は無視して言ってしまった。
「分かったよ! もういい! バカなれん君なんか、東京でもどこでも勝手に行っちゃえ~~!!」
「こころん、待ってよ!」
「こころん言うな~~!」
そして僕は走った。
走って走って走って。
振り返ることなく家に帰った。
そしてベッドに潜り込み泣いた。
これが小学校での最後の別れだった。
こうして僕達三人はバラバラの中学に進んだ。
この別れを後悔していないと言えば嘘になる。
正直最悪な別れ方だと思う。
思い返せば、れん君の気持ちも分かる。
れん君の配慮があったから、僕達は別れることに怯えることなく楽しく卒業まで過ごせたのだろうと。
僕は中学でひたすら勉強に専念した。
何か目的があったわけでもなく、ただ入りたい部活もなく暇だったからだ。
とはいえ学力がついてくると、自分を試してみたくなるもので、僕は県内で一番難関の高校に進学することを選んだ。
受験勉強はとてもつらかった。
ずっと勉強を続けてきた僕でも、合格するかどうかギリギリの所だった。
それでも頑張って勉強できたのはうさちゃんラビットのおかげだ。
前に一式揃えたうさちゃんラビットの図書カードは使わずにとってあって、それを眺めていると何だかやる気が出た。
そして僕は最難関の冥星高校に合格した。
――――冥星高校の入学式を終えた僕。
式のあと、僕は割り当てられたクラスの教室に向かった。
そして教室内で僕は見たことあるような人物を見つけた。
黒板に向かって左後方に、背の高い黒縁メガネの生徒がいる。
「あれはもしかして」
僕は気になったが、特に話しかけることもなく前の方の席に座り、式典後のガイダンスを受けた。
そしてクラス担任の話が終わるとみんなは一斉に帰っていった。
僕も同じように帰ろうとしたが、廊下で何者かに肩を掴まれる。
「海瀬」
その生徒は僕の名を呼んだ。
「あ、えっと……えーり君?」
「そうだ」
「やっぱりそっか。すごく身長伸びてるし、似てるけど別人だったらどうしようかなって思ったんだけど。久しぶりだね」
「ああ、そうだな。まさかここで会うことになろうとは。ところで海瀬、時間あるか?」
「うん、午後から暇だけど」
「いや、今だ」
「今?」
「ちょっと来い」
そう言ってえーり君は僕を引っ張って階段下の倉庫前に連れてきた。
「何か話があるのかな? えーりく……」
ドンッ!
僕は呆気に取られていた。
僕は倉庫の扉に背を当て、左肩にはえーり君の手があった。
そう、僕は押さえつけられていた。
「どうしたの、えーり君? こんな乱暴するなんてらしくないよ。しばらく会わないうちに変わった?」
「すまない、海瀬。だけど今回だけ許してくれ」
「ん?」
「お前、今まで何してた?」
えーり君が問いかけてきた。
「何って、ずっと勉強してて……だからこの高校に入れたんだよ?」
「そんなの見たらわかる。お前が努力してきたのも想像がつく。だが僕が言ってるのは鳥木のことだ!」
「ああ……れん君」
「お前鳥木とまったく連絡とってないだろ」
「うん、知らないし」
「知らないしじゃねえよ! あの時鳥木がどんな気持ちで東京に行ったと思ってるんだ?」
「それは悪かったと思ってるよ。でも、なんか気まずいし」
「思ってる? 思ってるだけじゃ伝わらないだろ! それじゃずっと気まずいままじゃないか」
「その通りだと、思います」
えーり君ってこんなだったっけ?
何かすごい迫力だ。
でも、すごく心配してくれていたのが分かるから、その言葉は心に鋭く刺さった。
「なあ、海瀬。僕達は……鳥木はもう親友じゃないのか?」
「そんなことないよっ! それは絶対にない。忘れたことなんか、一度もないんだから!」
「なら安心した。僕は鳥木と時々連絡とってるが、いつもお前のこと心配してたぞ」
「そうなんだ、なんかごめん」
「まあいい。確認すべきことは確認できたからいいさ。僕から鳥木に伝えておくよ。僕達は今でも親友だってな」
「うん」
「海瀬もちゃんと鳥木と連絡とれよな。ほら連絡先」
僕はえーり君かられん君の連絡先を教えてもらった。
「とりあえず僕からの話は以上だ。せっかく同じ高校に入ったんだ。これからもよろしくな!」
「うん。えーり君、ありがとう! またね!」
久しぶりの再会は、ちょっと予想とは違ったけど、またえーり君と学校生活を共にできるのは嬉しい。
れん君とも早く仲直りしないとね。
こうして僕達の高校生活が始まった。
僕とえーり君は別のクラスだったけど、ほぼ毎日顔を合わせて話をしたりした。
学校の授業は進学校だけあってかなりハイペースで高難度だったけど、必死についていったし、思ったほど苦ではなかった。
――それから数週間後のある日の昼休み。
「よう、海瀬。勉強頑張ってるか?」
「やあ、えーり君。何とかね」
「そういえば海瀬は卒業したらどうするんだ?」
「う~ん、まだ考えてないかな」
「早めに決めとけよ。ここ進学校だし、大抵のやつがもう決めてるぞ」
「だよね。僕はここに入学するので精いっぱいだったからなぁ。えーり君はどうするの?」
「僕か。僕はキャムブライド大学に行くよ」
「キャムブライドってイギリスの?」
「そう。そこで宇宙工学を学ぶんだ」
「世界的名門校じゃないか。やっぱりすごいね、えーり君は」
「まだ入れると決まったわけじゃないぞ?」
「でもえーり君なら絶対に入るでしょ?」
「まあな。そうだ! 海瀬も目指さないか、キャムブライド大。動物学部もあるぞ! 今でも好きなんだろ、うさラビ」
「好きだけどさ、それは何でも無謀だよ」
「そうか?」
そうだ。
えーり君みたいな天才が集まるような大学なんだ。
僕が頑張って何とかできるレベルじゃない。
「でも、面白そうではあるね」
「だろ? それで海瀬。話は変わるが、お前鳥木とちゃんと連絡とってるか?」
「ぎくっ」
聞かれたくないことを訊かれてしまった。
「ぎくってお前、あれほど言ったじゃないか。海瀬が連絡くれないって鳥木が嘆いてたぞ」
「いやぁ、あの後ちゃんと連絡とってたんだけどね。最近れん君のメールが変だから」
「変? どんな風にだ?」
「なんていうか、極端に言って彼氏っぽい?」
自分でもおかしなことを言っている気がするが、事実そうなんだ。
「海瀬、お前彼氏いるのか?」
「い、いないけど」
「ならばいいんじゃないか?」
「良くないよ! というかなんでれん君が彼氏なんだよ!」
「いや、世の中多様化が進んでいろんな愛の形が……」
「それはそれでしょ? 僕は普通に女の子が好きだし」
そうだ。
僕は女の子が好きな男だ。
だけどれん君の僕への対応はおかしい。
「何かさ、いろいろ聞いてくるんだよね。今日のお召し物は何ですかとか」
「いいじゃないか、仲良くて」
「しばらく相手してなかったから反動でああなのかなぁ? えーり君もれん君と連絡とってるんでしょ? 何かおかしいと思うこととかない?」
僕が訊くとえーり君は気になる発言をした。
「特にないと思うが。僕はただ鳥木に頼まれて定時報告してるだけだからな」
「え、ちょっと待って! 定時報告って何?」
「ああ、その日あった海瀬の様子を報告してくれって頼まれてな。報告内容についても事前にレクチャーを……」
「えーり君?」
「なんだ?」
「れん君に僕のことどんな風に伝えてるの?」
するとえーり君は淡々と言った。
「なに、大したことじゃないさ。海瀬は相変わらず身長低いままだけど、可愛い美少年ですよとか。この間も入学式の時の集合写真を……」
「原因はお前かぁ~!」
僕はつい大声を出してしまった。
「あ、すみません。何でもないです、本当に」
一瞬静まり返った教室の中で僕はとっさに謝った。
「何を怒ってるんだ、海瀬」
「それがれん君がおかしい理由だよ! だからこの前スマートフォンの待ち受けをこころんにしたよとか書いてたのか」
「僕は何か悪いことをしてしまったのかな?」
「いや、えーり君は悪くない。きっかけではあるけど、悪いのはれん君。なんか変なスイッチ入っちゃうと暴走するんだよなぁ」
「大変だな、美少年」
「もう、えーり君もからかってぇ。ねえ、お願いだからやめさせてくれない?」
「僕がか? でも定時報告止めたら鳥木悲しむぞ。前も何にも報告することないから送らなかったら怒ってたし」
「え~。じゃあ定時報告は甘んじて許す。でも僕にしつこくメールするのは控えるように言ってくれないかな」
「まあ、やってはみるが期待はするなよ」
「うん、ありがとう、えーり君」
こうして僕を悩ませていた問題の一つは解決したかに思えた。
まあ、実際あんまり効果はなく、れん君らしい変質的なメールはほんの少し控えめになった程度だった。
そして、時は流れる。
僕とえーり君は高校生活を満喫し、そして卒業した。
さて、その後どうなっただろうか。
えーり君は以前から公言していたようにキャムブライド大学の宇宙工学部に合格し、イギリスに向かった。
一方、僕はというと、実は僕も今イギリスにいる。
ここはキャムブライド大学敷地内の記念公園。
入学手続きを終えた僕はえーり君と噴水の前に座っていた。
「まさか海瀬が本当にここの動物学部に入るとはな」
「僕も奇跡だと思うよ」
「ふっ、奇跡か。それは言い過ぎだ海瀬。合格するだけの努力をお前がしただけのことだ」
「そうなのかな。うん、そうかもしれない。それにしてもえーり君は相変わらずすごいよね。宇宙工学部ってかなり難しいんでしょ?」
「そうだな。入学難度で言えば医学部には劣るが、難しくはあるかな」
「えーり君なら医学部にも入れたんじゃないかな。どうして宇宙工学なの?」
「僕は宇宙人だからな。宇宙に興味を持つのは自然なことだよ」
「なにそれ、えーり君らしくない冗談だね。面白いけど」
「冗談ではなくて本当に宇宙人なんだけどなぁ」
冗談ではないらしい。
まあ、確かにえーり君の頭の良さは宇宙人と言ってもいいくらいだし。
「ふふっ、そうだね。宇宙人並みの天才だ!」
「ちょっとバカにしてるだろ?」
「そんなことないよ~」
「まあいい、とにかく互いに入学おめでとう」
「うん、おめでとう。まさか小学校からの付き合いがここまで続くとは思わなかったよ」
「そうだな、海瀬」
本当にこんな未来は想像していなかった。
人というのは自分でも驚くほどに成長するものだ。
努力している最中には気づかないけど、こうして結果を出して振り返るとそう思う。
そして、僕がここまで頑張ることができたのは、間違いなくうさちゃんラビットのおかげだ。
おかしな話だけど、事実動物学に興味を持ったのもうさラビがきっかけだし、勉強も例のうさラビの図書カードで買った参考書で勉強した。
たかがうさぎのキャラクター、だけど僕にとってはすごい力をくれるキャラクターだ。
今でも使用済みの図書カードをお守り代わりに持ち歩いている。
そういえば、僕にうさラビの素晴らしさを教えてくれた彼は元気だろうか。
時折連絡をとっているとはいえ、あの最悪の別れから一度も会っていない。
何だか急に会いたくなってしまったな。
「それにしても、あいつ遅いな」
えーり君が呟く。
「あいつ? えーり君、誰か知り合いでも待ってるの?」
「ああ、ここで待ち合わせしてるんだけどな」
「そうなんだ。誰を待ってるの?」
「誰って、それは……って! まさか海瀬、知らないのか?」
「何を?」
「だから、とりきだよ」
「Tricky?」
「トリッキーじゃない。まあ、トリッキーなやつではあるが」
僕はえーり君が言っていることを瞬時には理解できなかった。
「だからさ、あいつだよ。と……」
えーり君が説明しようとしていると、遠くから何か叫び声が聞こえてきた。
「――――ろ~ん! こ~こ~ろ~~~~ん!!」
何かの冗談だろうか。
「ねえ、えーり君」
「なんだ」
「なんかさ、こころ~んって聞こえなかった?」
「聞こえたな」
「たぶん僕のこと呼んでるよね」
「そうだろうな」
「僕のことをこころんって呼ぶ人物を、僕は一人しか知らないんだけど」
「僕も同じく」
まさか!
僕はゆっくりと声のした方向に振り向こうとした。
しかし、僕が振り向く前に誰かに背後から抱きつかれた。
「こっころ~ん! わーい、本物だぁ~」
問答無用で頬ずりをしてくる人物。
「こころん相変わらず可愛いなぁ~」
「あ、あの……れん君?」
「そだよ~!」
「久しぶりだね」
「うん、ちょ~久しぶり! 元気だった?」
「げ、元気だけど。その……近いよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっとうれしくなっちゃて」
そう言ってれん君は僕から離れた。
僕は立ち上がってれん君と向かい合う。
身長も伸びて、顔つきも少し変わってるけど、間違いなくれん君だった。
「れん君……その、小学校の卒業式の日のことだけど……、僕……」
「ぎゅぅぅぅう!」
「!?」
れん君がまた僕を抱きしめる。
「れん君?」
「こころん、そのことはもういいんだよ。俺も悪かったし、こころんが気に病むことはないよ」
「でも、僕はれん君に謝っておかないと」
「だめ~!! だめです! もうこれは終わった話なの! 謝ってもらったら逆に困っちゃうよ」
れん君は僕を抱きしめながら耳元でそう言った。
「本当にいいの?」
「いいのいいの!」
「ふふっ、れん君らしいね」
「ま、俺は俺だし」
そしてれん君は手を放して僕から離れた。
「ふぅ~。こころん成分の補給完了っと」
「こころん成分って何だよぅ。で、どうしてここにれん君がいるの?」
僕が問うと、えーり君が言った。
「何だ、やっぱり知らなかったのか。鳥木、海瀬に伝えてなかったのか?」
「いやぁ、内緒にしてた方がサプライズになるかなって思って」
「えっと……何の話?」
「実は俺もここに入学したんだ! よろしくね、こころん!」
今、れん君は何て言った?
ここに入学?
「ほ、本当に?」
「本当に」
「あの、れん君が?」
「あのれん君って、どのれん君だよ? 失礼しちゃうなぁ。これでも頑張って勉強して医学部入ったんだからね!」
腕組みして胸を張るれん君。
「医学部? れん君、間違ってない? 本当に医学部?」
「しつこいなぁ、そうだって言ってるだろ!」
「海瀬、奇跡というならこれこそ奇跡だな」
僕はもう驚きと嬉しさで破裂しそうになった。
そして、いてもたってもいられなくなって、れん君の両手を掴んでぶんぶん振り回した。
「すごい! すごいよ、れん君! 本当にすごい!!」
「あ、ありがとう……って、なに泣いてんの? こころん大丈夫?」
「大丈夫だけど、大丈夫じゃない。なんか、もうよくわかんないよ」
「まいったなぁ。よしよし」
ポケットからハンカチを出して、僕の涙を拭うれん君。
「ありがとう、れん君」
「落ち着いて、こころん」
「うん、落ち着く」
僕は三十秒ほど深呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「はぁ、それにしても本当にすごいね」
「こころんさっきからすごいしか言ってないぞ」
「だってすごいんだもん」
「こころんだって頑張ったんだろ? すごいじゃん!」
「そうかな?」
「そうだぞ、海瀬」
えーり君も言う。
「じゃあ、みんなすごいってことで。それにしても、れん君が医学に興味があったなんて意外だな」
「え?」
「ん? 医学に興味があるんでしょ?」
「ないとは言わないけど……」
何やられん君の様子がおかしい。
「あの~、れん君? それほど興味が無いのに、医学部に入ったの?」
「うん」
「うんって。じゃあ何で医学部に?」
「だって、うさちゃんラビットが……」
「はい?」
「医学部に入ったらうさちゃんラビットもらえるっていうから」
「言ってる意味が分からないんだけど」
「海瀬。ここの医学部は数年前からうさラビとコラボしてて、申請するとうさラビデザインの学生証がもらえるんだ」
「まさか、れん君……」
バカだったれん君が成長して天才になったかと思ったが、根本的には変わってないのかもしれない。
「どうしても欲しかったんだもんっ」
「まったく、れん君はやっぱりれん君だなぁ」
「どういう意味だよ、こころ~ん」
「こころん言うなよ」
「ははは、これだから地球人は興味深い」
「何だそれ。えーりの新しい持ちネタ? お前も地球人だろ!」
れん君がえーり君に突っ込む。
まさかこんな懐かしい光景を、再度見られるとは思わなかった。
僕はとても楽しい気持ちになった。
「さ~て、入学手続き終わったし、みんなで動物学部の学部棟行こうぜ!」
「何で動物学部?」
「もぅ、うさちゃん見に行くに決まってるっしょ!」
「いるのかなぁ? それにれん君医学部じゃん」
「いーのいーの! 見学するだけだから。えーりも来るだろ?」
「ああ、行こう!」
「それじゃあ、レッツゴー!」
れん君が僕とえーり君の手を握って引っ張っていく。
僕達にはいろいろあった。
ここまで来るのに数々の苦しみや悲しみを乗り越えてきた。
でも僕達はまた親友としてここに集まったのだ。
きっとすべての始まりは、あの日参加賞としてもらった、うさちゃんラビットの図書カードだ。
ありがとう、うさちゃんラビット。
これからどんなことがあっても、僕達はずっと親友だ。
いずれ離れ離れになったとしても、うさちゃんラビットでつながっているのだから。