その50 新たな旅路
「ってわけで、旅に出ます」
早朝の二年三組教室。
年配のみなさんに囲まれて、私はそう宣言しました。
「……………………………………………………ふむ」
麻田剛三さんが、深く唸ります。
こちらはすでに、必要なことを話し終えていました。
反論の余地はないはずです。
「頭の中の声……か。にわかには信じられんが」
「ミートゥーです」
「しかし……ふむ」
麻田さんは、隣席の佐々木先生、そして紀夫さんに視線を配りました。
「思うんだが。もし君が望むなら、ここに留まってくれてもいい」
「しかし……」
「選択肢の一つとして、ね。これまでが特別だったんだ。高校生の、しかも女の子の君に、私たちはあまりにも頼りすぎた。もし君が力を失ったとしても、以前と変わらず受け入れられるだろう」
「フーム」
軽く悩む素振りを見せながら、私は腕を組みます。
まあ、自分の中の答えはもう決まってるんですけども。
すると、紀夫さんが手を挙げました。
「……という、優しい意見が出たところで、俺の考えだ。君に何かしらの試練が与えられているのならば、真っ向からそれに立ち向かうべきだと思う。これまで、“神”のような存在がこの世にいるなどと、考えもしなかったが。……その意思に従うことに、何かしらの意味があるんじゃないか?」
「ちょっと待ってください。まだ“神”がいるって決まったわけじゃないですよ」
佐々木先生の横槍に、紀夫さんが肩をすくめます。
「それか、“宇宙人”だ。なんでもいい。要するに、この世界を自由にできる立場のヤツがいるんだと仮定しよう。そいつがどんなヤツにせよ、今は指示に従っといた方がいい。……今は」
どこか、含みのある言い方でした。
その言葉の裏に漂う、現在の状況を意図的に作り出したと思われる“何者か”に対する憎悪に気づかない人はいません。
……これ、最終的に神と対決する羽目になるとか、そういう感じのオチじゃありませんよね。
嫌ですよ、そんなの。
私、静かに暮らしたいだけなんです。
はあ。
「なんにせよ、選ぶのはお前だ」
佐々木先生が結論づけました。
で、あるならば。
「じゃ、今すぐにでも発ちます」
「今から? それは急だな」
補給も済ませた今、ここに留まる理由はありません。
「何が“クエスト”失敗の条件かわかりませんので。それに、今の私なら、もう“ゾンビ”は敵ではありません」
「そうか……。送別会でも開こうか?」
私は慌てて首を横に振りました。
「必要ありません」
申し訳ありませんが、湿っぽくなる可能性のあるイベントはNG。
すると、がたがたと音を立て、その場に居た大人たちが一斉に立ち上がります。
まず、麻田剛三さんが私の前まで来て、ぎゅっと私の手を握りました。
特に、何か言われることはありません。
ただ、順番に一人ずつ、みんなの手を握る感じになります。
アイドルの握手会かな?
最後、鈴木朝香先生に、ぎゅっと抱きしめられました。
「うまく言えんけども。……負けなや?」
「りょーかいです」
「それと、万一、我々がここを離れることになった場合の連絡先を教えておこう」
麻田さんが提案すると、日比谷紀夫さんと鈴木朝香先生が、住所と簡単な地図が書かれたメモを手渡してくれました。
「滋賀県に日比谷家の実家がある。あそこなら自給自足の生活も不可能じゃないし、立地的に不死者どもの侵入も防げるだろう」
と、紀夫さん。
「アタシの実家は大阪の市内やね。けっこうな豪邸で、地下にはシェルターもある。核戦争になっても大丈夫なくらい頑丈なやつらしい。いつでも頼ってええからな」
と、朝香先生。
私はうなずいて、立ち上がります。
必要なものは、すでにリュックに詰めてきました。
「じゃ、行ってきます」
▼
廊下に出ると、君野明日香さんとばったり出くわしました。
「はろー、センパイ」
「あの、同い年なのにセンパイは……」
「センパイはセンパイです」
もはや決まり言葉になりつつある挨拶。
明日香さんは、ニコニコと笑みを浮かべて、
「行くんですか?」
「あ、やっぱり聞いてました?」
「もちろん。全部盗み聞きしましたよぉ」
彼女は少しも悪びれず、そう言います。
やれやれ。
この手の面倒ごとにならないよう、会合は朝早くにしてもらったのですが。
「それじゃ、みんなにはいい感じで説明しといてください」
「うえー。責任重大だなあ。理津子ちゃんに首を絞められそう」
そんな話をしつつ、、正門までの道へ向かいます。
「あ、そうそう。私の部屋に、“てつのつるぎ”があります。あれ、使ってください」
「おおっ。伝説の剣の継承者!」
「そんな大したものじゃありません。普通の剣です。両刃なので取り扱いには注意するように」
「いやー、思いもよらないプレゼント。早起きは三文の得です!」
まあ、その辺の贈り物は、ちゃんとそれぞれ、書き置きを残してきてはいるんですけどね。
「……それと、鋼鉄製の篭手は康介くんに、“肉焼きセット”は林太郎くんに。……あと、ニンジャが着てる服みたいなのもありますので、あれは理津子さんにでもあげといてください」
「わかりましたぁ」
同時に、
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
おっと。
これはラッキー。
ダメ元でしたが、一応これも人助け判定でしたか。
それ以上、特に話すこともなく、気がつけば正門にたどり着いていました。
「いつごろ戻ってこられるんですか?」
「わかりません。でも、できれば早く帰りたいですね」
そう言って正門を乗り越えようとすると、
「ちょっとだけストップ!」
「……はい?」
「せっかくなのでぇ。なんかこう、お別れにふさわしいトークを少々~」
私は首を傾げました。
「……と、言われても」
明日香さんは少し目を泳がせて、何事か、言うべき言葉を探しているご様子。
待つこと、十数秒。
「死なないでくださいね」
出てきた言葉は、思ったよりもシンプルなものでした。
「もちろんわかってます。死ぬつもりはありません」
胸を張って応えると、明日香さんは首を横に振ります。
「いいえ。センパイはわかってません。私の言う“死なないで”って言葉はぁ、“他の人の命よりも、自分の命を優先してください”って意味です~」
「他人の命?」
「必要なら、誰かを殺してでも生きてくださいねぇ」
微笑みを浮かべたまま、少女は続けます。
「ここにいる人はきっと、この街の生き残りの中でも、まだまともな人たちだと思いますぅ。たぶん外には、頭がおかしくなっちゃった人もいるんじゃないかな? もしそーいう人に襲われるようなことがあったら、考えるより前に殺しちゃってくださいね。私が許しますので」
「“許します”って……」
苦笑します。
「たぶん、きっと、私たちって、こうなる前からずっとそうでした。地球の裏側で何万人死んでいても、親しい誰かの死の方がずっと哀しい。……知らず知らずのうちに、ずっと生命を天秤にかけ続けてたんです。大切なのは、仲間の命だけなんです。それ以外の命なんて、どれだけ失われようと、知ったこっちゃないんです」
明日香さんはどこか、考えた端から想いを口にしているようでした。
「だから」
彼女の目は、どこまでも真摯に見えます。
「どうでもいい百万の生命よりも、あなた一人の生存を望んでいる仲間がいるってこと、忘れないでください。そんだけです」
語り終えると、少女は小さく嘆息しました。
「……と、いうのが。いま、アドリブで一生懸命考えた、別れの言葉でした。でもきっと、他のみんなも同じ気持ちなはずです」
そして、少女はウィンクをして、ぐっと親指を立てます。
「いってら!」
私はうなずいて、正門を一飛びで飛び越えました。
「じゃ、いってきます」
「ちょっとコンビニ行ってくる」くらいの気楽さで。
「あっ。お別れのキス、忘れてたぁ!」
少女の言葉を置き去りに、私は“雅ヶ丘高校”を後にしました。




