その46 名も知れぬ彼女
――規定の条件が達成されました。
――現時刻を以って、フェイズ1を終了します。
「…………ふう」
懐中時計を眺めながら、少女は小さくため息をつく。
「予定より二日遅れか。……“規定の条件”って、結局なんなんだろ」
街全体が見渡せる鉄塔に座り込み、足をぶらぶらさせつつ、
――……人外生命体への変身が可能になりました。
――全てのプレイヤーは、実績“フェイズ1終了”を獲得します。
アナウンスを聞き終える。
特に目新しい情報はなかったな。
ぼんやりそう思いながら、頬杖をつく。
さて。これからどうしたものか。
思索に耽っていると、遠くから、数匹の飛竜がこちらに向かっているのが見えた。
『ぐぁ――。ぐぁ――ッ』
「一、二、三……あれ」
目を細める。
「また一匹殺られてる。どっかに、やたら強いプレイヤーでもいるのかな」
しかもそいつは、きっと自分を目の敵にしている。
誰だ? わからない。見当もつかない。
フェイズ1の時点では、他のプレイヤーと敵対するメリットは少ないはず。
「うーん……」
なんとなく嫌な気持ちになりながら、目の前に降りてきた飛竜の頭を撫でた。
『ぐる、ぐるるるるるるる……』
「よしよし。頑張ったね。ありがと」
飛竜たちは、どこか照れたように首を傾げる。
「可愛いやつめ。んじゃ、――《共有》よろしく」
そう唱えると、飛竜たちの記憶が頭の中に流れ込んできた。
「うーん。……やっぱりいないなぁ……」
偵察に出ていた彼らの記憶には、手がかりになりそうなものもない。
さすがに、少し焦り始めていた。
予定では、もうこの時点では“彼女”を見つけているつもりだったのだ。
「まあ、いいや。ありがと、お前たち」
その時だった。
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
――おめでとうございます! あなたのレベルが上がりました!
「おや?」
首を傾げる。
何もしていないのにレベルが上がったということは、自分の使い魔、……殺されたと思っていた飛竜のうち一匹が、敵意ある何者かを始末した、ということだ。
「どうしたんだろ?」
まあ、いい。考えても仕方ない。
この世の中は、そんなことばかりで構成されている。
「スキルは《時空魔法Ⅳ》、《獣使役Ⅲ》と《Ⅳ》でお願い。……あ、それと、“フェイズ1終了”の報酬は“エルフの飲み薬”でね」
――では、アイテムを支給します。
ぽよんと手渡される、小さな瓶。
さらに、
――では、スキル効果を反映します。
これでよし。
レベル上げは順調だ。
ポケットの中のメモ帳(“攻略本”と彼女は呼んでいる)を眺めながら、少女はふっと笑みを浮かべる。
スキル効果や、取得するアイテムを吟味する必要もない。
調べるまでもなく、最初からわかっていることだ。
それも当然のこと。
彼女は、今の状況を一度“経験”しているのだから。
《時空魔法Ⅹ》。
この魔法は“人生のやり直し”を可能にする。
“人生のやり直し”とはつまり、精神のみ自分のまま、肉体は別人となって生まれ変わることを意味していた。
――そう。
彼女は“転生者”なのである。
「…………ふう」
雲一つない青空を眺めながら、少女は小さく鼻を鳴らした。
そして、少しだけ躊躇した後、……手に入れたばかりの“エルフの飲み薬”を一気に飲み干す。
くそう。
なんか知らないけどこれ、すっごく美味しい。りんご味。
同時に、少女の身体に異変が起こり始めた。
耳は長く、尖り始め。
長い黒髪は、美しい金色に。
肌は、コーカソイド系の透き通った白色。
人外生命体への変身である。
見た目が変わるのは少し怖かったけど、なんてことはなかったな。
と、少女はシンプルに考える。
なんにせよ、これで魔力が大幅に強化されるはずだった。
「そんじゃ……そろそろ、ボク自ら、動くとしますか」
そして、ふわっと、鉄塔から足を下ろす。
瞬間、重力に引っ張られた少女は、地面に向けて真っ直ぐに落下した。
数百匹の“ゾンビ”が両手を伸ばす地上へと。
……と。
着地の間際、
「――《一時停止》」
少女が魔法を唱える。
瞬間、唸り声を上げる“ゾンビ”はおろか、自由落下中の少女の肉体まで、宙空でピタリと止まった。
「んで、――《再生》、っと」
もう一度唱えると、“ゾンビ”たちは動きを止めたまま、少女だけが無事、地面へと着地する。
「飛竜のみんなは、引き続き“あの娘”の探索とレベル上げをお願い。頼んだよ」
すると、彼女が使役する三匹の飛竜は、大きく唸り声を上げて応えた。
「あんまりのんびりしていられないからね……」
少女は、チョコバーを囓って魔力の補給を行いながら、呟く。
「こっから先は、少し飛ばしていくよ。――《早送り》だ」
そう。
わかってる。
鍵を握っているのは、“あの娘”だ。
赤いジャージを身にまとい、刀持った“あの娘”。
“名も知れぬ彼女”。
一刻も早く“あの娘”を見つけて、伝えなければ。
――“終わるセカイの救い方”を。
次の瞬間、少女は疾風のように姿を消していた。
残されたのは、彫像のように動かないでいる“ゾンビ”の群れだけだった。




