その358 持ち逃げ野郎
欧風チーズカレー味のスープをごくごくと飲み干し、まろやかな辛みが舌の上に残っているうちに、だんだん味が麻痺してきたチョコバーをもしゃり。
まだまだ物足りないですが、”魔力”が回復してきた感じがします。
私は、《水系》の一番で出した水のペットボトル詰めを犬咬くんに渡して、
「これ、もしもの時に」
「えっ」
「魔力回復に役立つんですよ」
「でも、……いいんっすか?」
「どうぞ」
今のところ、”魔力”は私の方が余裕ありますし。
ここで死なれても困りますから。
……とか思っていると、彼が躊躇しているのは、遠慮してるからとか、そういうんじゃなさそう。
「”名無し”さんが出した水ってこれ、ちょっとエッチな気がするんだけど」
性に目覚めたての中学生かなんかか、こいつ。
「――それで。話を戻しますけど」
「あっ、……はい……」
「その、アリスさんという方が”終末”を引き起こしたっていうのは、――」
「間違いないっすね。”勇者”と”魔王”だけがアクセス可能な情報があるんで」
「アクセス……?」
「《プレイング・チュートリアル》というスキルがあって、俺たちはある程度、他の”プレイヤー”よりも情報を多く得ることができる」
「へえ……」
それで、アリスさんについての情報を得た、と。
「彼女は、――何故、そんな真似を?」
「それは不明だ。俺がアリスと話したのは、たった一度だけ。それも、ほんの短い時間だったから」
「会話の内容は?」
「それはすまない。秘密で」
……ふむ。
「では、そのアリスさんの容姿はまったくわからないのですか?」
「ええ。ただ、”プレイヤー”なら必ずアリスの存在を認知できるはず」
「どうやって?」
「声です」
声……?
「俺たちがレベルアップする時に聞こえてくる声。アリスはあの声の持ち主なんだ」
へえ。
頭の中の声の担当声優さんってことですか。そりゃすぐわかりますわ。
「その、アリスとかいう女性とは、どこで会えるんです?」
「会う方向では考えない方が良いと思う。”魔王”とかと一緒で、下手に拘わらない方が賢明だ」
「でも、アリスさんはこの状況、――”終末”を作りだした張本人なんでしょう?」
「ええ」
「それなら、蹴ったり殴ったりして屈服させた方がよくない?」
私の言葉に、犬咬くんはぎょっとしてこちらを見て、
「それは、そうかもしれない、けど……」
ちょっと鼻を掻こうとしたのか、無意味に兜をぽりぽり。
「……いまさら彼女と戦っても仕方がない、というか」
「これだけのことを起こす力があるんです。当然、何もかも元通りにする方法もあるのでは?」
例えば、時間を巻き戻して何もなかったことにする、とか。
突飛な話ですが、何でもアリな魔法があれば不可能には思えません。
「そうかもしれませんが、……きっと言うことを聞かないでしょう。彼女、まともではないので」
まともでない人に、そこまで強力な力があるんですか。
私の頭に浮かんでいるのは、――痴呆気味の孫悟空が幻覚に苛まれ、世界中の人にテレパシーで妄言を吐き散らしながらかめはめ波を撃ちまくるという……そういう絵面。
そしてそれは事実、今、この世界で起こっていることの本質を言い当てているのかも知れず。
ちょっとだけぶるぶるっ。
「では、……とにかくその、”アリス”には気をつけるようにしましょう」
「ああ。彼女には喧嘩を売らないのがベストだ」
「それで?」
「え?」
「”魔女”に気をつけろ、と。――それだけが、あなたの話す”有益な情報”の全てなのですか?」
「ええ、……いや、まあ。ひょっとして、足りない?」
「うん」
きょうび、得体の知れない危ない奴なんて、街を歩けば気軽にエンカウントしますし。
「結構、とっておきの情報だったんすけど」
「そうなの?」
「ええ。――今のところ彼女、ほとんど誰にもコンタクトとってないっぽいんで」
じゃ、ちょっとしたレアキャラってことだ。
「それでも、”名無し”さんくらいの腕の”プレイヤー”だと、向こうから絡んでくるかもしれない」
「……わかりました。心に留めておきましょう」
そこで我々は、例の巨体”ゾンビ”がいよいよ近づきつつあるのに気付いて、
「最後にもう一つ、聞いても良いですか」
「……内容にもよります」
「數多光音さんは、――今、どちらに?」
すると彼、しばらくロボットのようにピタリと動きを止めました。
やがて、
「……どうしてそんなことを?」
私、ちょっとだけ嫌な予感がしたので、先回りして言い訳しておきます。
「彼女とは、以前に顔を合わせたことがあるのです。――その時、ちゃんと話し合いもできずに別れちゃったので」
「それは、――ええ。きいてます」
「それでその時、仲間の一人が光音さんに襲いかかってしまって」
「……どうしてそんなことに?」
「それは、――」
私は一瞬、言葉に詰まりました。
果たして彼、――《不死》についての情報、どこまで把握しているのだろうか、と。
”勇者”と”魔王”の命は繋がっている。
どちらか片方だけを殺すことはできない。
殺すのであれば、――両方でなければ。
もし世界を救うのに、自分の命を捨てなければならないとして、――どういう精神性の持ち主がそれに納得できるというのでしょう。
どう話すかぐずぐず迷っていると、――その時でした。
「え? ……どうした? ……いや、待てよ! 」
という一言。
私が眉を段違いにしていると、
「さすがに今はまだ――おい、光音……ッ!?」
そんな台詞と共に犬咬くんの全身が光の粒子に包まれ、……そして、ずぎゅーんと、一本の光線となって”異界の扉”に向かって飛んで行ってしまったのです。
あまりにも唐突な出来事に、私は目を丸くしていることしかできず。
「ええっと……なにこの……なに?」
とりあえずわかったのは、彼をあっさりと取り逃がしてしまった、ということ。
あと、魔力入りの水を持ち逃げされたこと。
さすがの私も、あまりの急展開に、
「えええええええええええええええええ、……ないわー」
と、嘆くしかないのでした。




