その335 消えない傷痕
『ああ、そうだ。あとは手筈通りに』
――……………ガガッ。
『細工は流流。あとは仕上げを御覧じろ、だ』
――……………ピー、ガガッ。
『そうだな。永遠に終わらない夜勤のような時間だったよ』
――…………ガガガッ。ガガガガガガ。
『……ああ。救出は不要だ。そもそもあんた、それができる能力でもないだろ』
――…………ガッ、ガッ、ガガガ。
『そうだな。俺はここで死ぬ』
――……………ピピ、ガガガッ。
『うん。計画に問題はない。”勇者”の逃げ道はある……』
――…………ガガガッ。
『いいんだ。何もかも、あんたの言うとおりだった。失敗した俺にはちょうどいい結末だよ』
――…………ガガガガガ。
『あんたはたった一言、死者たちに命ずれば良い。「やれ」と』
――…………ガガッ。
『いや。そうはならん。短い間だったが、彼と接してきたからわかる。陳腐な表現だが、彼はたぶん、どのような障害を前にしても決してくじけない心を持つから』
――…………ピピッ。ガガガッ。
『ふーん。趣味が悪いな。……まあいい』
――………………ガガ。
『では、あとのことは頼んだよ』
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やるべきことを済ませ、最後の心残りも消えた。
これでようやく終わりの時が来たな、と、自嘲気味に思う。
ただ、それはまあ、いい。
もちろんベストは”勇者”に、この地で飼い猫のようになってもらうことだったが。
とはいえ、最初からそれが、ほぼ不可能な任務だということはわかっていた。
――”勇者”を留めておくことはできない。決して。
ある者の意見はこうだ。
”勇者”と”魔王”はやがて、相見える運命にある。
その運命は恐らく、神とか仏とか、そういう連中の手のひらの上にあることだから、こちらでどうこうできる問題ではないのだ、と。
――ただ、少しくらい遅らせることはできる。
健介は今、その”少し”のために命を賭けていた。
この行動が、彼の主の理想に通じると信じて。
死は、これっぽっちも恐ろしくなかった。
何せ彼にとってそれは、すでに経験済みのこと。
なんてことのない、真っ暗闇の終焉に過ぎない。
ただ、そんな彼にも絶対に許容できないことがあった。
消えること。
誰の心にも残らず、誰一人として思い出されず、その存在が”透明”になってしまうこと。
生き物に備わった、あらゆる欲望から解放された彼の望みはある意味、純粋だった。
名を残すこと。
誰かの心に、決定的な傷跡を残すこと。
そしてそれをするのに、”不死”の人間ほどふさわしい者はいない。
「光音、――さっさとこの辺、綺麗にするぞッ」
銀色の剣が振るわれ、血の雨がモール内に降り注ぐ。
それを頭から浴びて、健介は内心で笑っていた。
――血が身体に入っても怖くないことだけが救いだな。
歩く死者たちの中に紛れつつ、右に左に”勇者”の視界を躱していく。
全身ひどいダメージを負っているお陰で、”ゾンビ”に紛れるのは容易かった。
不意を打てば殺すことも不可能じゃない位置にいて、健介は彼をじっと観察している。
一つ、確信を持って言えることがあった。
もはや、このモールにいる全ての者は詰んでいるということ。
生きて現実世界の土を踏むことはないということ。
ただ一人の例外、”勇者”を除いて。
直接の処刑執行人が自分ではないことだけが心残りだったが、……もともと、殺しは彼の仕事の範疇ではない。
浜田健介に与えられた仕事はむしろ、”勇者”の保護。
最後に彼を逃がすことによって、この仕事は完全に決着する。
『ヴォェ、ア……ッ』
『…………――』
すぐ真横にいた死人が”勇者”の剣で真っ二つに引き裂かれるのを横目に、浜田健介は好機を見計らっていた。
”勇者”に与えるダメージは、大きすぎても小さすぎてもいけない。
ただ、強烈にストレスを与えるものでなければならない。
他人のことなど、どうでも良くなるように。
この場から、逃げ出したくなるように。
人間には神経が通っており、そこには微弱な電気が流れている。
健介は、そのうち三叉神経という箇所を《雷系魔法Ⅲ》で刺激してやるつもりだった。
三叉神経というのは顔の感覚を司る箇所で、ここを刺激された際に起こる痛みは言語を絶するという。
――痛みを。人が狂うには十分な痛みを。
そこに加えて、あの者の攻撃が加われば。
人間の思考を読むことは難しい。
だが、痛みに苦しむ猿の行動を読むことは、それほど難しくはない。
『ゲェ、ア……』
”勇者”によって、近くの”ゾンビ”が次々と切り裂かれていく。
健介は、死を恐れぬ植物のような心だ。
――とはいえそれには、この手を直接、あのヘルメットに当てる必要がある。
だが、一度触れさえすれば、もはや《治癒魔法》でも取り除けないダメージになるだろう。健介が操作するのは、体内に流れる電気の流れ。生命活動に必要なそれを取り除けるほど《治癒魔法》は万能ではないのだ。
もちろん、その時の反撃で自分は死ぬ。
だが、それでいい。神経に受けたダメージはしばらく彼を苛み、――……やがて、この男が為さねばならないことを為すだろう。
彼の感傷は、世界救済の前では些細なことだからだ。
「よーし! これで決めるぞ……! 必殺! 《セイント……」
”勇者”が剣を構え、天に掲げる。
今だッ!
内心そう叫びながら、浜田健介は”勇者”に飛びかかった。




