その259 実は私は
”姫”たちとのお風呂場トークが一区切りついた頃だろうか。
「じゃ、そろそろボクは上がるよ~」
と、別の浴槽でぼんやりしていた恋河内百花が立ち上がる。
「あ。百花さん、ちょっと待って!」
明日香が声を張り上げた。
そもそも二人は、彼女に用があってここまで来たのである。
「センパイの容態は、大丈夫、……なんですよね?」
「もちろんだとも。さっき話した通り、”彼女”の無事は、そのままボクたちの生活の無事なんだから。今だって護衛がついているし、万全の状況で眠っている。我が命を賭けてでも、彼女の安全は保障するよ」
少なくともその言葉に、嘘やごまかしの雰囲気は感じられない。
「いつ、目を覚ますんです?」
「わからない。ただ、長くて丸一日くらいだったかな? ボクも驚いたよ。まさか、彼女が記憶喪失で、しかも他ならぬボクを探していたなんてね……」
悪びれず話す金髪碧眼のエルフに、思わず綴里は苦い顔を作る。
――なんだろう。この……この人から感じる、違和感のようなものは……。
まあ彼女、見た目相応の精神年齢ではないようだから、感覚が若干違うのは当然のことかもしれない。
「私からも一つ、質問よろしいですか?」
「なんだい?」
「”彼女”にかけた術。……《時空魔法Ⅷ》だとかおっしゃってましたけど、具体的にはどういう効果なんです?」
「そりゃあ……”記憶喪失を治す”効果さ」
それ、果たして本当だろうか?
ずっと喉の奥に引っかかっていた、小骨のような感覚があった。
《時空魔法》が、かなりとんでもない力をもつことはわかっている。
しかしそれにしては少々、効果が限定されすぎている、ような……。
例えば、《治癒魔法Ⅱ》と比べてみるとわかりやすい。
《治癒魔法Ⅱ》は、風邪や毒物の摂取による内臓へのダメージ、食中毒、インフルエンザなどを初めとする感染症など、幅広い”病気”を癒やす力を持っている。
それに対して、あの「人生のやり直し」をも可能にする《時空魔法》、……しかもその八番目に覚える術が「記憶喪失の治癒」程度の効果なのは……どうなんだろうか。
とはいえ、「それはそういうものだ」と断ぜられて、食い下がる理由もなかった。
それ以上、裸で佇んでいる彼女を呼び止めているわけにも行かず、
「よろしく、お願いしますね」
そう、弱々しく呟くのが精一杯。
一つ、どうしても天宮綴里が恐れてやまない可能性がある。
次に目を覚ました時、”彼女”が、……綴里の知らない何者かに変貌してしまっている、という……。
――単なる杞憂なら、いいのだけれど……。
そうしたモヤモヤには応えることもなく、”転生者”は、気軽な足取りでその場を去るのであった。
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やがて”姫”たちも去り、天宮綴里、君野明日香の二人っきりになったジャグジーの中で。
「……ふーっ! 今日はすっごい収穫でしたねー!」
「うん」
「デビュー動画の方向性も決まったし! コラボ企画も進行中だし! ……あとはセンパイの復活を待つだけ!」
「だね」
「文無しなので、ホテルはすぐ引き払わなきゃいけないですけどー。ま! それは今に始まったことじゃありませんし!」
「うん」
「言っときますけどこれ、けっこうすごいことなんですよ? 普通はこう、知名度のない状態からちょっとずつ人を増やしていかなくちゃいけなくて……下積み期間が一、二年続いたっておかしくない世界なんですから」
「だね」
「こう言うのって案外、新規参入が難しくって。話題性目的で奇抜なコトしても、滑ったときのダメージが大きすぎて……あの、聞いてます?」
「うん」
「今だから言いますけど、実は私、ゲーム実況を投稿してたことあって……シャドバとかLOLとか。でも、当時のゲーム実況ってなんでか、男性だけのものってイメージがあったんですよ。だから、ぜんぜん再生数伸びなくって……」
「だね」
「結局、うまくいってたのって”終末”前だとクドリャフカさんくらいのものじゃないかなー? あ、知らないかもしれませんがあの”日間動画ランキング”の人、世界がおかしくなる前から有名人なんです」
「うん」
「……ま、それはいいや。ところでここでの生活について、詳しく話してませんでしたよね? ちょっといろいろ、細かい決まりがあるので、あとでお時間もらいたい」
「だね」
「……ねえ」
「うん」
「天宮綴里さん?」
「だね」
「ひょっとして、あなた」
「うん」
「私の話、聞き流してません?」
「だね」
「さっきから、返答が2パターンしかないような気がするんですけど」
「うん」
「ほら。つぎは『だね』って言うつもりでしょ?」
「だね」
「んもぉ、そんな風にツレないと私、先に上がっちゃいますよ」
「うん」
「こういう時は一緒に動くのが筋でしょ? ほら、立ちますよ」
「だね。……っていや、ちょ、ちょ。ちょっと待ってほしい」
「え?」
「いま立ち上がるわけにはいかない。なぜならすでに、立ち上がっているからだ」
「は? なんですそれ。なぞなぞですか?」
「私が立ち上がるには、いったん立つのを止めなければいけない」
「うーん。……よくわかんない。答えぷりーず」
「それが、そのままの意味なんだ」
「いい加減にしないと、怒りますよ」
「ああ、――うん。わかった。そうだね。構わない。もうそろそろ、怒ってくれていい。これ以上、仲間に嘘を吐き続けるわけにはいかないし」
「えっと、なんだか怖くなってきたんですけど。……ひょっとして綴里さん、なにか、隠し事のようなものが?」
「うん。……だね」
「なっ。ななな、なん、なんです?」
「実は私は……」
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「ぎええええええ赤ちゃんができてしまうぅうううう」という奇怪な悲鳴と、何か、鈍器がぶつかるような音。
その後、二人が関係を修復するまでは、およそ二日ほどの冷却期間が必要になる。
そしてそれは、ちょうど、――”彼女”が目を覚ますのと、ほぼ同時期だった。




