その195 ヒーロー参上
月夜。
ライトアップされた地区を抜けて、人気のない商店街を歩きつつ。
車椅子を押しながら、私は於保多さんの身の上話を聞いています。
どうもこの人、なかなかソーゼツな経験をしてきたらしく。
彼の失われた手足は、なんと困窮した避難民によってぶった切られ、カニバル系料理の材料にされてしまったのだとか。
「あんときゃー、さすがにダメかと思ったわい」
「へぇー……」
めっちゃこわいじゃん。
「そーいう映画みたいなことって、ホントに起こるんですねー」
「それまでも、厄介なコミュニティは色々あったぞ。拳銃もった警察官が中心になってるところで、……あそこも酷かった。”ゾンビ”どもよりよっぽど人間の方が危ない、という有様でな。ほうほうの体で逃げ出したものよ」
怪物より人間が、ねえ。
物語の中ではわりとありがちなテーマですけど。
「だがな。渡る世間に鬼はない、というか。そこで出会ったのが、銀色の鎧をまとった青年じゃった」
「……ほう」
「彼は、わしにとっての救世主、といったところでな。ずいぶんと助けられたものよ」
「と、いうことは彼もその、”プレイヤー”というやつなのですか?」
「”プレイヤー”?」
「ええと、……私も詳しく知らないんですけど、世界がこうなってから、魔法みたいな力を使える人々が現れたと言うじゃないですか」
「ああ。――”怪人”とか”ミュータント”とか呼ばれとる連中か」
「はい」
「それは……恐らくそうなんじゃろうが。どーも彼の場合は、ちょっと違う気がするんじゃよなあ」
「と、いうと?」
「わし、色々考えたんじゃが、どーも彼は、我々と変わらない、普通の人な気がするんよ。確かに不思議な力を使っとったが、アレの秘密は、彼が持ってたヘルメットにあるような……。ちょうど、子供向け番組の変身グッズとか、あるじゃろ」
まあ、言いたいことはなんとなくわかります。
「あの青年はそういう、変身ヒーローの一種なんじゃないかと思う」
「ヒーロー、ですか」
「うむ」
そんな、物語の主人公的なポジションの人がいるんですか。
そう思うとなんだか、胸の中にもやもやとした感情が生まれました。
もし、この世が一篇の物語だというのであれば。
きっとその物語は、この世のどこかに存在する”主人公”に従属する気がするのです。
この世界で起こっている全てのことが、その”主人公”とやらを引き立てるためにあるのであれば、――私たち脇役の立場というのはどういうものになるのでしょうか。
「…………――」
「お嬢さん」
「……………」
「お嬢さん、どうした、ぼーっとして」
「え? ……あ、はい」
「ここは安全だが、あんまり気を張らないのも危険じゃぞ。……何せ、それまでの生活が根っこから壊れてしまって、自暴自棄な者もいるわけで……」
と、於保多さんがフラグとしか思えない発言をした、その時でした。
「ヴァアアアあああああああああああああああああああああああああああああ!」
獣が吠えるような声と、金属と金属がぶつかるような音がしたのは。
二人、はっとしてそちらを見ると、そこにいたのは、ずいぶんと身なりが乱れた中年の男の人でした。
「ああああああああああああああああああああああああああ! 糞糞糞糞糞糞!」
酔っ払っているのでしょうか。
シャッターがしまった金物屋の出入り口に向けて、何度も金属バットを振り下ろしています。
「……とりあえず、野球の練習をしているようには見えませんね」
「うむ」
変な人にはなれています。
私、PS3買うため新宿のヨドバシに並んだことあるもので。
その時、もっとやべー感じのおっさんをダース単位で見かけたことがあります。
「遠回りしましょっか」
於保多さんに耳打ちすると、ご老人は困ったように言いました。
「それがその……ちょうど、あそこがわしに割り当てられた家、なんじゃが」
「げ」
金属バットマンは、今もシャッターにバットをぶつけています。
「彼がなんで怒ってるか、心当たりあります?」
「わからん。ただ、怒りたいから怒ってるんじゃなかろうか」
なるほどさすが年の功。真理をついておられる。
私がフムフムと感心したその時です。
獣が獲物を発見するように、男性のギラついた目がこちらを向いたのは。
「…………………あ?」
「あっ」
同時に、目の前の彼の感情が、一気に冷えていくのがわかりました。
私にはそれが、むしろ不気味に思えます。
「あっ、あっ、あっ、あんた……」
彼は、なんだか薄ら笑いを私に向けて、よろよろと近づいてきました。
「ひぇ、ひっ、な、なんです……?」
喉から出たのは、自分でもびっくりするほどか細い声。
「あんた、見たことがある。たしか探索班と仲良かったよな?」
「え」
「探索班の、あの、た、田中? た……、なんだっけ」
「多田理津子さん?」
「そいつだよ、そいつ。理津子。そいつにほら、あんた、声かけてもらってくれねえか」
「声を?」
「わかってるだろ? おっ、おっ、おっ、俺も、探索班に加えてくれって。俺、こんなところで燻ってる人じゃなくてさ。もっとイイオモイしたいからさ」
「はあ……」
正直、こういう情緒不安定な人が誰かと協力できるとは思えませんが……。
とりあえずここは、相づち売っとくのが正解ですね。
「わかりました。伝えておきます」
「あっ、あっ、あっ、あっ。だから、だからさ。俺、これ、俺持ってきたから。これ、渡しといてくれよ」
そして彼が、胸ポケットから取りだしたのは、――なんということでしょうか。
ハンカチにくるまれた、人間の小指だったのです。
「――ぅわあキモっ!」
私はそれを反射的に取り落としました。
そこで始めて、彼の小指が一本、なくなっていることに気付きます。どうやらこれ、自分でぶった切ったものらしく。
「おい! 落とすなよ!」
「そ、……そう言われても……」
「これ、俺の覚悟なんだぞ! ……これで、俺も魔法使いになれるんだろーが? おい!」
「し、知りませんって」
「んだよ……こっちは知ってるんだぞ! お前等だけでイイオモイしてるってよぉ!」
同時に、彼の金属バットが於保多さんの車椅子に叩き付けられます。
金属質の音が辺りに響いて、車椅子のホイールが一部、歪んでしまいました。
イイオモイって何? 具体的になんなの?
私は眉を八の字にして、於保多さんを庇うように立ちます。
逃げ出してしまおうとも思いましたが、――足を喰われるような思いをした老人を放っては置けないという、我ながららしくない正義漢を発揮していました。
「だから、これ、俺の覚悟……渡してくれって! 俺、ちゃんとやるからよぉ!」
「いやいやいや! 理津子さんだって絶対、こんなの受け取ってもドン引きするだけですよ!」
「なんで言うこと聞けねえのオマエ!?」
男性は、私の肩をどんと強く押します。
あまりの恐怖に、私はその場でぺたりと座り込んでしまいました。
そしてもう一度、於保多さんの車椅子をがつん。
「ウグッ……」
直に殴られた訳ではないとは言え、その衝撃は老骨に響くのでしょう。於保多さんが辛そうに顔を歪めました。
うう。
どうしよ、どうしよ。
こういう時に現れるのが、――主人公の役目じゃないの?
そう思った次の瞬間です。
「ヒーロー参上。なんてな」
私たちの間に割って入るように、ベージュ色のコートがはためきました。
マスクで素顔を隠したその姿には、見覚えがあって。
「あなたは、――」
「よォ、嬢ちゃん」
「夜久さん……」
彼は、軽々バットを受け止めて、私を見下ろしています。
「月が明るい、いい夜だな」
まるで、自身がたった今暴力に晒されていることなど二の次のような、――そんな何気ない挨拶を口にしながら。
「こういう夜は決まって、――外道が沸きやがる」
「な……ッ! なんだお前!」
「覚悟しろ。俺のパンチは光より速いぜ」
私は彼を見上げながら、こう思っていました。
――絶対この人、事前に台本決めてから現れたな。
と。
あとマジで光より速いパンチ繰り出した場合、この辺一体が消し飛んで地球がヤバいので止めていただきたい。




