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「......はい、これで全部だ。やる事は終わったよ」
語る必要もない想いを巡らしながら、俺は全ての作品に銘を刻んだ。
「ありがとうございます」
「......それで、いきなり金の話をするのもさもしいとは思うんだけどさ、時間が限られてるんでいいかな?」
兄ちゃんが、黙って頷いて立ち上がる。
「あっ、ちょっと」
ひとつ言い忘れた。
「はい?」
「金は二つに分けて持って来てくれるかな?」
「承知しました」
ここが大事なんだ。謝礼を用意し忘れてはいけないからね。
再びソファーに身を沈めた俺の元に、しばらくの間を置いて、兄ちゃんが二つの袋を持って戻って来る。
「では、代金になります」
「確かに」
テーブルに置かれたその二つのうちの一つを取り上げて、空間の歪みへと転送する。
「で、残った方はこのお姉さんの取り分な」
俺はその気になれば見なくたって中の貨幣の材質くらい感じ取れる。......金貨だよな、これ。値段の事にはこだわる気はないけど、結構な額じゃないのか? それだけ評価してくれたのはそりゃ嬉しいけど......大丈夫なのかな? ここの店。
しかし、これでこの姉さんが、俺をもう一度呼び出した事に価値を見出してくれればいいけど。
「――じゃあ、俺そろそろ帰るわ」
そう、片手を上げた俺を、彼は慌てて手で制した。
「ま、待って下さいっ! まだ時間はあるのでしょう?」
確かに、先日巫女の像を彫り上げたあの時間に比べれば、まだ半分も経ってはいない。
「......うん。しばらくは平気なはずだけど」
でもほら、嫌がる女性に無理強いしてはいけないでしょう。
「時間があるのなら、そんなに急がなくてもいいでしょう?――そう。お茶を一杯。そのくらいの時間、私にくださいませんか?」
......
んー......しょうがないなあ。
――なんで、そんなに一生懸命になってくれるんだろ。
「――じゃ、一杯だけ」
交わす他愛のない会話。
......と、言っても、話題は彫刻に関する事ばかり。俺にとってそれは本当に貴重なもので......
もうすっかり冷めてしまった紅茶の最後の一口を飲み干すと、澄んだ上品な白磁のティーカップの底の白さが目に飛び込んで来た。
――時間ってヤツはいつもいつも、俺の背中を押して下さる。
「......もう、帰らないとな」
「そうですか......これ以上は引き止める訳にもいきませんよね......」
兄ちゃんも理解しているんだろう。
幾ら気が合ったところで、俺たちがもう一度逢える事はないってのを......
「――仕方ないさ、そういう存在だからね。――だから......いや、だからって接続は変だけど、名前を教えてくれないかな。――俺は、シェ=アード。そう名乗っている。これは俺を縛る名じゃなくて、俺を表現する為の名前だ」
力ある名前じゃないけど、大事にしている名を、俺はそう彼に告げる。
「ありがとう、シェ=アード。私はクリストファー。クリストファー=ラインス......」
......別れって、辛いな。
「それじゃ――あっ、しまった! ひとつ、やり忘れた事があったよ」
思い出せて良かった!
「これにも銘を入れないと」
これと言ったのは、先日俺が造った石灰石の像。
近寄って銘を刻み、それから――
『我が親友、クリストファーに捧ぐ』
そんな言葉も刻み込む。
これは、共通語の文字。彼なら、気付いてくれるだろう。
「――それじゃあ、ありがとうな。クリス」
そう告げた俺に、クリスが黙って手を差し出してきた。
その手を、俺も無言のまま握り返す。
「さようなら」
改まった別れなんて、余計に悲しいだけだけど。
――ほんの短い時間の友人。
さみしいけど......こういうのも悪くない。