監視
校舎から順子が出てきた。研究室で見たジーパンとシャツ。デートへ行くとは思えない服装だ。まあ、理学部の女などそういうものだろう。そういうところも昔と変わってないかな。信二は苦笑した。
「よう、順子。」
信二は手を挙げた。
「信二!」
順子は駆け寄ってきた。
「久しぶりに一緒に夕食でもどうかと思って。」
断られるのを承知で言った。
「あっ。ごめんなさい。今日は予定が入っているの。」
「なんの予定?」
「あの・・・彼氏と会うから・・・。」
「ほう。彼氏か。」
ちょっと胸が痛んだ。分かってはいたが、少し切ない。
「どこで会うの?」
「駅前のグランってファミレス。」
「何時に?」
「えっと、8時。」
「じゃ、ちょっと時間あるよね。お茶しようよ。」
「・・・」
少し強引に誘ったら、順子は立ち止まって、困ったように信二を見上げた。
「どうしたの?」
「彼以外の人と二人でお茶飲むなんて・・」
信二は吹きだした。そんなことまで気にするなんて、天然記念物ものだ。
「友達としてだよ。いいだろ?友達なんだから。」
順子はコクンと頷いた。信二は近くの珈琲店に順子と入り、カウンターの奥に座らせた。信二は狙っている女の子と一緒のときは、隣同士になれるカウンターに座る癖がある。今回も無意識にそれをした。信二はとりとめの無い世間話を交えながら、溝口達也について聞いた。
「彼氏とは、いつ知り合ったの?」
「3ヶ月くらい前かな。勤務帰りにたまたま知り合ってね。」
3ヶ月前か。ちょうど一回目の倦怠期がある時期だな・・・と違う違う。溝口の捜査が終わって1ヶ月ちょいたったころか。
「何やってる人?」
M不動産社長(名ばかり)なんだが、どこまで知っているのか。
「T不動産の会社員だって言ってたけど。」
なるほど。ある程度は自分の会社と関連づけたか。
「で、彼とは上手くいってるの?」
順子は訝しげに信二を見た。
「・・・なんか尋問みたいね。」
やば。さすがに聞き過ぎたか。
「や、やっぱり、幼なじみとしては、心配でさ。」
「ふーん」
順子は信二をジロジロ見た。
「っと、時間だからもう行くね。」
「待てよ。」
信二は呼び止めた。
「これ、お前にやるよ。」
信二は鞄からプレゼント用に包まれた小さな箱を出した。
「えっ。」
受け取った順子は少し戸惑った。
「開けてみろよ。」
信二は少しぶっきらぼうに言った。順子が丁寧に開けると中にはクローバーのネックレスがあった。
「これ・・・。」
順子が手に取ったネックレスを信二はそっと取り、順子の首に付けた。
「今朝あった時から胸元が寂しいな。なんて思っていたからさ。昼に買っておいた。」
嘘だ。同僚の鈴木千鶴から受け渡された盗聴器&小型カメラ付きのネックレス。信二は自分の嘘に嫌気がさした。
「でも・・・。」
順子は申し訳なさそうに信二を見た。
「いいから付けとけよ。友達としての親切なんだ。彼氏に会うんだろ?」
「うん。」
「絶対つけとけよ。その方が可愛いから。友達として言ってるんだぞ。」
順子が去ったあと、信二はメールで先輩の森本に順子の行く店と時間を伝え、また座って珈琲を飲んだ。
友達として・・か。これを言わなければ、順子はネックレスを外してしまうだろう。以前からそうだった。友達として男の子と接する時は、女子と変わらなく接するのに、友達から恋人に上がろうとすると、必要以上に警戒する。彼女にするには、なかなか難しい相手だった。それをいとも簡単に物にできるなんてな。さすが溝口達也といったとこか。
信二は席を立とうとして伝票が無いのに気が付いた。店に聞くと順子が払っていったらしい。相変わらず律儀だ。おそらく年上だからとか、働いてるからとか、ネックレスのお礼とか、いろいろ気を使ったのだろう。この分じゃ、俺の事も溝口に報告するな。信二は携帯を取り出した。
「森本さんですか?至急K大にも俺のニセ生徒情報入れて置いてください。多分、調べられると思います。」
「分かった。本部に頼んでおく。お前もこっちに来い。例のファミレスの近くでお前は私とお前のつけた盗聴器とカメラで監視だ。」
「はい」
信二は頷いた。8時10分前。順子はいつも店、グランで溝口達也を待っていた。外は、涼しくなったからか薄手のコートを羽織った恋人達で溢れている。窓から煉瓦道を見ながら、順子は紅茶を一口飲んだ。そんな順子を信二は近くの車から眺めていた。ここで、盗聴器の声と、小型カメラの様子を見る。
信二は携帯を取り出し、妻の美鈴に遅くなるとメールした。すぐ返信が来たが、内容は分かっている。怒りのメールだろう。信二は返信を無視して携帯をしまった。
「奥さんか?」
「ええ。最近遅いんで、機嫌が悪いんですよ。」
「昨日は早く帰れただろ?」
「いやー。帰っても会話ないんで。」
「・・・奥さん、妊娠中だろ?大事にしてやれよ。」
森本は信二をたしなめた。
「妊娠中・・・だからですかね。最近、彼女がブスにみえちゃって。抱く気どころか機嫌取る気にもならなくて。」
森本はプッと吹きだした。
「それで、幼なじみの子が余計気になってるわけかな。」
「えっ、いえ。仕事は仕事。割り切ってますよ。」
とは言ったものの、信二は森本の機嫌を伺うように聞いてみた。
「でも、気にならないは嘘になります。・・・軽蔑しますか?」
「いや。ま。私も人のこと言えた義理じゃない。妻は2ヶ月前に2人目を産んだばかりなんだが、家にいるとどうもな。子育てをしろと期待されているようで。逃げたくなってしまうんだ。妻には申し訳ないが、余計仕事を入れたくなる。」
「それで、鈴木さんに最近ちょっかいだしてるんですね。」
森本は再び吹きだした。
「俺を甘くみないでください。ちゃんと情報にぎってるんですから。」
信二はにやついた。森本はコホンと咳払いをした。
「ほら、仕事。見ろ、溝口の姿が見えた。」
順子の席からも溝口の姿が見えた。どんなに離れていても、順子は溝口をすぐに見つけられる。いや、順子でなくてもすぐ分かるだろう。それ程、溝口にはオーラがあった。
コートを軽く羽織りながら、入り口で順子に挨拶した彼は、他のどの男より、美しかった。テーブルを挟んで向かい合った彼を見るとき、順子はいつも一種の気恥ずかしさを感じる。彼が、綺麗良すぎるのだ。少し色黒の若々しい顔。長くカールしたまつげの下のクールな目。笑い顔から覗く綺麗な歯。上着を脱いだ後にはだける腕は筋肉質でほどよくやせていた。私は彼に釣り合っているのだろうか?順子はいつも心配する。けれど今、順子の心には、一人の青年がいた。
「榊信二君?」
溝口は眉を上げた。
「うん。幼なじみでね。研究室に偶然やってきたの。」
「ふーん。」
順子の嬉しそうな顔を見て溝口は面白くなさそうに言った。
「ねえ、旅行に行かない?」
溝口は聞きたくないというように話題を変えた。
車の中で信二はゴクンとつばを飲み込んだ。きたか。被害者女性に共通する話題・・・旅行。彼女達は皆、溝口の別荘に出向き、ここで初めての夜を明かし子を身ごもっている。
面白いのは、溝口は女を抱く時、必ず自分の別荘に行っている。よほど用心深いのか。他の所、例えば、彼女の家でも絶対抱かない。自分のテリトリーがいいのだろうか。
信二は小型カメラの映像をくいいるように見つめた。カメラは順子に手渡された別荘のリストがあった。その数10個。
「森本さん。」
信二は森本の顔を見つめた。森本はコクンと頷いた。溝口の別荘の所有物件は全部で11個。溝口の本宅を捜査したときには何も出なかったことを考えると、このリストにのっいていない別荘に溝口の秘密がある可能性が高い。問題はどうやってこの別荘内を捜索するかだ。
「俺、溝口に近づいてもいいですかね。」
信二は聞いた。
「上手くできるのか?下手うつことはできんぞ。」
森本は言う。
「ええ。覚悟の上です。」
信二は頷いた。
今回の事件で分かりきっている事がある。誘拐された乳児は溝口の子供。母親も共犯。だが、盗まれた子供はどこにいる?日本か。海外か。海外だとしてもわざわざ盗んだ子供と会わない筈がない。子供が生きている限りなんらかの連絡手段をとるだろう。つまり、証拠は絶対にある。