それから……
王宮料理研究会に入り、私は日々充実したーーというより怒涛の生活を送っていた。
まず納豆開発だが、この辺りではなかった大豆も様々な商人に協力してもらい、半年かけてやっと遠い異国から似たような豆を見つけてきた。
それを農家の協力のもと培養し、こっちの国でも生産が可能なことが判明し、マメルーというその豆とお米に近い植物、ライスの藁を使って実験を開始したのだ。しかし、知識はあるのだが、やはり藁の問題や環境の問題で上手くいかず、失敗した時は腐った豆の臭いが納豆造り専用の室内に充満した。
納豆の臭いが苦手な私は本当はやりたくないのだがたまに上手く糸をひく納豆が作れるとその時ばかりは言葉で表せないくらい感激したものだ。
味見ーーは自分も含め誰もやりたがらなかったので、たまたまそこにいたギルバートを犠牲にした。エドワードも殿下が食べたがっている料理に興味があったのか、はじめは様子を見に来ていたがそれが予想以上に強烈な臭いを発する食べ物だと分かると笑顔で退散する。
ーーチッ、こっちは日々その臭いと戦っているのに意外と卑怯者である。
まあ、私もギルバートを犠牲にしてる分、エドワードと負けないくらい卑怯者だろう。
ちなみに、殿下に食べて貰うのに醤油も必要だと思ったのだが、なんとマメルーが見つかった遠い異国では醤油や味噌にそっくりな調味料が作られていた。わざわざ一から作るのも面倒なので、高いお金をかけて輸入し、殿下には炊き立てのライスに異国で作られた醤油を混ぜた納豆を添えて献上する。
しかし彼は臭いや見た目に臆することもなく
「これが、伝説の納豆だね!!」
と瞳をきらきらと輝かせてそれを間近で見つめていた。箸も使い方を教えると問題なく使っており、ネバーと糸をひく納豆ご飯を恐れることなく口にいれる。その姿には流石にギルバートたちも驚いていたが、殿下は顔を輝かせて「なんて美味しいんだ!!」と叫んでおり、とりあえず彼の願いを叶えることが出来て一安心である。
しかし、納豆は寒い季節にしか作れないため生産が難しく醤油も輸入品なためか、本当に殿下だけしか食べることのない貴重な食べ物になってしまった。
どうやら殿下が特殊なだけで、他の人間は苦手そうだから巷に普及することもないだろう。
やはり、伝説の料理は伝説の料理で終わりそうである。
醤油や味噌なんかは長期保存もできる調味料なので異国から麹造りや醤油・味噌造り専門の人を招待し、納豆造りや前世の料理をいくつか教えるかわりにそれらの造り方を教わった。
一応知識として私の頭の中にあるが、こっちの世界で造り方があるならそれに従った方が成功の確立が上がるものだ。それに異国の人たちにもマメルーから作られる納豆や見たことのない料理にいたく感動し、お礼としてライスから作った日本酒のようなお酒を沢山頂いた。
それには私よりも殿下や料理研究会の男性陣の方が喜び、その日の夜は無礼講となったのだがあまりにも私とシェリー夫人の酔い方が酷かったらしくお互いギルバートとエドワードに屋敷に強制連行されたらしい。その後のことは……恥ずかしすぎて、申し訳ないが私の口からはこれ以上言えない。まあ、色々とあったとだけ言っておこう。
それはさて置き、肝心のシェリー夫人の他国の貴族を黙らせるとっておきの作戦だが、ーーそれは何とレシピ本を製作することだった。
確かにレシピ本を普及すれば、他国の貴族もこちらに感心を向けることはなくなるし、料理の水準も上がるだろう。
これなら案外早く終わるかもしれないと思ったが、脳裏に浮かんでくる前世の料理の食材をこの世界の食材で見つけて作るのが大変だった。
納豆の開発も同時進行で行っていた為、日々てんてこ舞いである。
王宮料理研究会に所属している侍女さんが本来の業務そっちのけ(殿下の許可を得た)で手伝ってくれ、何だか申し訳ない気がしたが彼女たちも喜々として取り組んでくれた。
中でも、シェリー夫人なんかは「なんかやっと本格的に始動した感じね!これは制服を作らねば!!」と張り切ってなんと、料理研究会の制服を全員分用意したのである。所々に青と金の装飾が入った襟詰めの白いワンピースにスチュワーデスのような帽子をつけた衣装は清楚でとても綺麗だった。ちなみに男性陣は牧師のような裾の長い服に同じ色で揃えたデザインである。
そんなこんなで今までサークルのような存在だった王宮料理研究会が本格的に始動すると、いつの間にか私は副会長という立場に立ち、頻繁に来れないシェリー夫人に代わってみんなを纏めていた。
レシピ本もやっとこ作り終えると、瞬く間に印刷され、国内に出版される。《セントルノアール王国 王宮料理研究会》の名を盾に使ったためか、ページの最後にサラ・クロカワと記名しても深く詮索されることもなく無事、近隣諸国にも広まっていった。レシピ本をもとに他国の王宮でも料理研究会と似たようなものが作られたらしく、殿下の協力のもと近隣諸国の王宮料理人を招き入れた大規模な料理教室も何度か行われ、徐々に料理の水準が上がってきた気がする。
また、レシピ本を使った料理を販売することも禁止されていない為、私の考案した料理を取り扱った料理店が自国や他国を含め、どんどん増えてきていた。
あれから2年ーー
カランカランーー
「いらっしゃいませ~!」
王宮料理研究会での仕事も徐々に落ち着き、時間ができた私はレシピ本の収入で得たお金を使って宿屋を改装し、小さいな料理屋を経営していた。
まあ、戻ると言っても王宮での仕事が残っているため、週に3回料理を作りに来ているだけである。
宿屋を経営することは難しいが料理屋を開店することで、商人のダンチェスさんなど、馴染みの常連客に久々に手料理を振る舞うことが出来た。
「 こんにちは、嬢ちゃん。今日もルコのポタージュを頂きに来たよ」
でっぷりとしたお腹をさすったダンチェスが朗らかな笑みをたたえながら来店し、お馴染みのカウンター席に腰掛けた。
「いやはや、2年前嬢ちゃんが宿屋を休業すると言伝で聞いた時は焦ったよ。宿屋は無くなってしまったが、またこうして嬢ちゃんの手料理を頂く事が出来て本当に嬉しいねぇ」
「それは光栄ですわ。あ、エミリーこの料理をあちらのお客さんに運んでちょうだい」
「はい!了解です、サラさん!」
サラは商人のダンチェスさんに微笑みかけながら、エミリーに料理を手渡す。
実は、王宮料理研究会にいたエミリーは副会長であるサラの補佐役をしており、彼女が店を開くと言った時も「ぜひ、自分にも手伝わせてください!」と名乗り出てくれたのだ。そんな彼女にはウェイトレスをしてもらい、自らのポケットマネーで月々のお給料を支払った。「こんなにいただけません!」と言っていたが、高給取りの侍女職を辞めて着いてきてくれたのだから当たり前である。
また、彼女は見かけによらず護身術が扱えるようで、シェリー夫人が身分を隠して料理教室に通っていた時も護衛兼付き人という立場でついてきていたらしい。なんとも頼もしい助っ人である。
サラは最近王都に腰を落ち着かせているダンチェスさんと、たわいもない世間話をしていると、また扉のベルの音がなり来客が入ってきた。
「やっほー!サラ姉、こんにちは!頼まれてた野菜持ってきたよー」
柔らかな蜂蜜色の金髪をふわりとなびかせ、若草色のワンピースを着た少女がバスケットを片手に持ち元気良く入ってくる。
サラはその少女を視界に入れ、朗らかに微笑んだ。
「あら、ルルちゃんこんちには!今日は早いのね」
「お父さんが早く持っていけってうるさくてーーこれどうかな?今度はサラ姉の言ってた野菜に近いものが出来たと思うんだけど……」
ルルがカウンターにバスケットを置くと、中から黄色や赤の色をしたピーマンのような形の野菜を取り出す。
それを手に取り、サラは嬉しそうに顔を輝かせた。
「うん、すごい!まさに見た目はこんな感じよ!味はピールのままなのかしら?」
ピールとはピーマンのような野菜である。味も見た目もピーマンそっくりでこれならこの世界にないパプリカもどきも作れるんじゃないかとサラは考えた。
「うーん、どちらかっていうとこっちの方が苦味がなくて甘いかも。生で食べれるから食べてみる?」
ルルに促されて、サラはかぷりと赤いパプリカもどきにかぶりつく。
その瞬間、採れたて野菜の瑞々しさと、ほのかな甘味が口の中に広がった。
「とっても美味しいわ!味も私が求めていたのと全く同じね!ありがとう、ルルちゃん」
サラは嬉しさのあまり、ルルに抱きつく。
ルルは15歳という年齢の割には小柄な為かサラの豊満な胸に顔を埋めることになりあわあわと腕を動かした。
「う!苦し!サラ姉死ぬ!」
慌てたように抵抗する姿が誰かに似ていてとても可愛い。だが、これ以上すると本当に窒息死してしまう為しぶしぶ腕を離した。
膝に手をつきゼエゼエと荒く息をつく少女を羨ましそうに周りの男性客が見ている。
「サラ姉の胸……ある意味凶器」
「ごめんなさいねぇ、ついつい…」
しゅんとして謝る彼女にルルは焦ったように目の前で手を振った。
「ち、違うから!サラ姉の胸が嫌いって訳じゃないからな!?」
顔を赤く染めて弁明する。そんな彼女を見てると余計に弄りたくなるのだが、きっと彼女は気づいていないのだろう。サラはにこっと微笑み、綿あめのようにふわふわな金髪をくしゃりと撫でた。
「ごめんなさいね、ちょっとからかってみただけよ。そういえば、王宮でマルクに会ったわよ。とても嬉しそうに王宮の庭園で野菜を育てていたわね」
「え!?あの馬鹿兄!ちっともうちらに会いに来ないんだから!でも、元気そうで良かった」
にこりと天使のように笑う顔がマルクと重なる。
ーーそう、ルルはマルクの妹だった。
3歳年の離れた妹は外見こそ似ているものの、性格は良い意味で正反対でルルはハキハキと話す活発な女の子だった。彼女も兄と同じ野菜の品種改良を趣味としており、こちらは兄と違って《まともな食べれる野菜》を作り出すことが天才的に上手だった為、欲しい野菜がない場合はマルクの妹に協力してもらい、新たな野菜を作り出していた。
ちなみに兄はというと、誘拐事件以降、彼の作り出した蛍光色のコロンの実が王宮武具開発研究会の目にとまり、ぜひ新たな武具開発に協力してほしいと勧誘され、今では熱心に王宮で働いている。確かに彼の品種改良する野菜は熱を与えると爆発し辛いガスを発散させるトウガラシもどきなど一歩間違えれば武器になるようなものばかりなので彼にとっては天職かもしれない。マルクも大好きな品種改良が続けられるということで、二つ返事で王宮へ行った。
その為、八百屋は彼の妹のルルが引き継ぐことになったのだが、きっと彼女なら素晴らしい野菜を作り出してくれるだろう。
なんてことを考えていると、彼女の視線がひたとサラのお腹を捉えていることに気がついた。
「サラ姉、最近コルセットしてないみたいだけど……どこか体調悪いの?」
成人した婦女子はコルセットを身につけるのが嗜みだ。サラも衣服の上からつけるコルセットを愛用していたのだが、何故が今は腰紐だけのゆったりとしたワンピースを着ていた。
「うーん、最近なんか気持ち悪いのよねぇ。やっぱ体調悪いのかしら?」
「ーーえ?それってもしかして……」
顎に手を当てて、首を傾げるサラに、ルルは何か思い当たったのか訝しみながらお腹を見る。
すると、突然サラの背後からぬっと黒い大きな影が現れルルは「わっ!」と驚き後ずさった。
「ーーサラ、皿洗いが終わったぞ」
大きな影が喋る。
それは、白いエプロンを身につけたギルバートだった。
「ギルバートさん、びっくりさせないでくださいよ!てゆーか、いたんですね!」
「……ルルか、久しぶりだな。俺は始めからここにいたぞ。今日は非番だからサラの手伝いをしていたんだ」
よほど吃驚したのか心臓を抑えて抗議するルルにギルバートが無表情で答える。
サラはそんな彼に微笑みかけると、てきぱきと次の指示を出した。
「あら、ありがとう。それじゃあ、食材の買い出しをお願いしてもいいかしら?」
すらすらとメモ用紙に何かを書き、ギルバートに手渡す。
「うむ、心得た」
ギルバートは短く返事をすると、さっと彼女のバスケットを手にとった。
ーーうん、どこからどう見ても完璧なパシリである。
常に仏頂面で威圧感のある同居人の彼を顎でこき使えるのはきっとサラだけだろう。
今日も非番だというのに、体調の悪い彼女を気遣って……というのもあるが、主に彼女に群がる虫を牽制するために店で働く姿はさながら忠犬のようである。いや、番犬か?
そんなことはどうでもいいが、サラは若くして王宮料理研究会副会長に登りつめたせいかある意味注目の的だった。
美人で料理上手でお金持ちで尚且つあの素敵なお胸だ、独身男共が放っておくはずがない。
男と同居していると聞いて、多くの者は撃沈していたが、中には虎視眈々と隙を狙う奴らもいて、本人は鈍感だから気づいていないようだが、そういう奴らはギルバートとエミリーによってこっそり裏に呼ばれて制裁されていた。
そこから先は、聞かない方が身のためである。
そんなことをルルが思っていると、いつの間にかギルバートは白いエプロンを身につけたまま扉の前に立っていた。
「それでは行ってくる。エミリー、俺がいない間サラを宜しく頼む」
「は!承知致しましたギルバートさん!」
初めは違和感だらけだったお店の白いエプロンも今ではすっかり彼に馴染んでいる。
さっと外に出るギルバートに何故か敬礼するエミリーと、「儂も嬢ちゃんを護るぞー!!」と勢いよく拳を振り上げるダンチェスに店内は早々カオスな状況になっていた。
「……全く、ギルやエミリーにダンチェスさんまで一体何を言っているのかしら。ルルちゃん、せっかくだからご飯を食べていかない?私が奢るわよ?」
「え、ほんと?やったー!!」
「えールルちゃんだけずるいです~!サラさん私にも何か作って下さい!」
「ていうか、嬢ちゃん!儂にはまだ料理が出とらんぞ!?」
呆れたように彼らを見つめた後、サラはルルに向かってにこりと微笑む。それに抗議の声がいくつか上がったが、彼女はさらりとかわしフライパンを手にとった。
「あーはいはい。今作りますよ。ルルちゃんは何か食べたい?」
「うーんとサラ姉特性オムライスが食べたい!!」
「よーし、じゃあちょっと待っててね~!」
ふわりと彼女が微笑むと、周りの空気も一気に明るくなる。
なんだかんだ、この店はいつも賑やかだ。
似たような料理屋は他にもたくさんあるというのに、ここはいつも満席で、常に笑顔が溢れている。
それはきっと、ここが居心地良くて、ここの料理がとても美味しいからだろう。
そしてなによりーー
元は宿屋だったこの料理屋を取り仕切る彼女がとても素敵で魅力溢れる女性だからこそ、ここはこんなにも人々に愛されているに違いない。
暖かな笑いに包まれてる彼らを見て、ルルは密かにそう思うのだった。