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伝説の料理と彼らの決意

 



「これってサトウケンイチさん直筆の日誌ですか!?」


 サラが驚きながら冊子を見る。300年たちだいぶ薄くなってしまったが、表紙には《日本語》で《佐藤 健一の日記》と書かれていた。


「中も見たかったら見ていーよ。対した内容は書かれていないしね。ただし、このことは秘密だよ」


「あ、ありがとうございます」


 ルイスの許可を得て恐る恐るページを開くと佐藤健一の日常に関することが日本語で書かれていた。

 久しぶりに目にする前世の文字にサラは言いようのない懐かしい気持ちが湧き上がる。

 そして、あることに気がついた。



「殿下……日本語読めるのですか?」


 思わず不思議に思って聞いてしまう。

 それもそのはず、この世界の言葉は日本語や英語なんかではないのだ。もちろん文字は見たこのないような綴りをしている。私は異世界補正のおかげで言葉の意味がわかり、難なく読み書きが出来てしまったが逆にこの世界の人が地球の文字を読もうとしたところでそれは読めないだろう。ーー否、絶対に読めない。


「確かに読めないところは多々あるけど、王家の中だけで通じる暗号文に代々《日本語》が使われて来たから《ひらがな》と《カタカナ》に関しては読めるんだよ。《漢字》はちょっとわからないけどね」


 確かに暗号文で使うなら漢字までは覚えなくてよさそうだ。日本語を覚えるだけでも一苦労である。


「それでね、どうやら初代国王はそうとう地球の料理が名残り惜しかったみたいで、この日誌にサラが作った料理の名前が、たくさん出てくるんだよ。例えば《ハンバーグがたべたい》とかね」


 サラは再度日誌を開いて見る。

 すると、そこには確かに


『こんな味気のない料理、もういやだ。あぁ~ハンバーグがたべたい』


 と書かれていた。

 なんだか、切実感いっぱいの文である。王宮で出される料理は流石に見たことがないがそんなに不味かったのだろうか。

 思わず「食べたいなら作ればいいのに……」と呟いてしまった。


「……それがねぇ、初代国王は王としての素質は素晴らしかったんだけど、料理に関してはことさら駄目だったらしいんだ」


 サラの呟きに反応にルイスの残念そうな声が響く。


「地球に住んでたころに料理とかしたことが無かったんですか?」


「どうやらそうらしいよ?彼は20歳の時にこちらに来たけど、日本では実家暮らしで、料理なんかは母親が全て作ってたらしいからね。興味もないから包丁すら持ったことがなかったと口伝で聞いているよ。だから、料理の知識が全くといってなかったんだ。そんな彼が唯一試行錯誤して生み出した料理が《サンド》だよ」


「なるほど、あのサモンの葉(レタスのような野菜)とコロンの実(トマトのような野菜)と焼き玉子を挟んでコロンソースをかけた料理は彼が生み出したんですね」


 一応、故郷の料理を思い出し見よう見真似でやったに違いない。ただ、味付けがバターやマヨネーズじゃなかったのが頂けなかった。きっと、作り方を知らなかったのだろう。

 まあ、そういう自分も恩恵がない限り絶対作れないのだが……。


「当時はパン食だったし画期的な料理だったから瞬く間に広がって、全国民に食べられるようになったんだよ。だけど、それが彼の限界だったみたいだね。僕はそれが唯一地球の料理だと思ってたけど、サラが編み出したサンドイッチを食べてあまりの違いに驚いたよ」


 半ば興奮気味に話すルイス。

 サラは少しだけ身を引きながら相槌をうった。


「それでね、話を聞く限り君は地球の料理を完璧に再現できる訳だ。そうだよね?」


「……は、はい。食材がこの世界に似たような物があればですけど」


 段々と尻窄まりになっていくサラの言葉に、ルイスは並々と笑顔を輝かせた。何故だろう?ーー彼のきらきらと光る瞳に何だか嫌な予感が走る。


「それで、十分だ。ーー実は僕のワガママになっちゃうんだけど、是非ともこの日誌に書かれてている料理で食べてみたいモノがあってね。それを君に作って欲しいんだ」


「食べたい料理、ですか?」


「うん、そうなんだ。それが、しつこいくらい彼の日誌に出てくるのなんだけど、漢字で書かれているから何て読むのかわからなくてね。ほら、これなんだけど君は知ってるかい?」


 テーブルの上に置いてあった日誌を広げ、ルイスはその部分を指で示した。


 サラは一体どんな料理なんだと、その文字を覗き込む。



 そこにはーー


「なんだ……《納豆》ですか」


「へぇ~これはナットウと読むんだね!!」


「ーー殿下はいったい何故この料理を召し上がりたいのですか?」


「それはもちろん、初代国王がしつこいくらいに食べたいと言った料理だからね!興味があるじゃないか!」


 日本人なら誰もが知っている料理が書かれていた。

 ナットウという読み方を知り、ルイスはとても嬉しそうに笑う。


 どうやら、佐藤健一という人物は和食派のようだ。

 日誌には本当にしつこいくらい、「納豆がたべたい」と書かれていた


 まあ、日本人なら食べたくなるのかもしれないが、如何せんサラは納豆が苦手だった為ーーというよりか洋食派だった為その気持ちが今いちわからない。あの独特な臭いやネバネバに、何で日本人はこんな食べ物を編み出したのだろうと、不思議に思ってしまう。そのため、この世界では日本食はトンカツくらいしか作ったことがなかった。

 サラは本当にこれを作らなければいけないのかと若干顔を引き攣らせながら話した。


「ちなみに納豆は独特の臭いがあり、ネバネバと糸をひく食べ物です。人によって好みがかなり別れる料理ですね」


 それでも食べますか?と目線で問いかける。

 しかし、ルイスはさらに顔をきらきらと破顔させた。


「独特の香りがあってネバネバする食べ物か。並々興味が湧いてきたよ!」


 ーーう、何だか余計に食いついてきた気がする。

 やめて!そんなキラキラした目で私を見ないで!!


 どうしてだろうか、彼のきらきら王子スマイルはどこか断れない迫力があった。助けを求めるようにギルバートたちを見るも、二人とも諦めろとでも言うように首を降っている。


 ーーうぅ、これは、受け入れるしかないのだろうか……。



「わ、わかりました。頑張って納豆を作ってみます。ただ、大豆という納豆の元になる植物は今だ見たことがないなので、それを探すことから 始まると思いますが……」


「本当かい!?君が引き受けてくれて良かったよ。勿論、経費は王宮料理研究会から全部出すから君は気にしなくていいよ!」


 サラはルイスの笑顔に負けて開発を受け入れたが彼の言葉にそっと目を伏せた。

 《王宮料理研究会で働く》という殿下の提案はとてもありがたかったが、宿屋から離れたくなかったのだ。他国の者から自身の身を守るためには王宮という絶対安全地帯にいた方がいいのだろう。

 けれど、それはマイホームとも言える宿屋を手放すということだ。宿屋を経営しながら王宮内にある研究所に出仕することは到底出来ない。

 それに、私の料理を気に入って宿屋に通ってくれるダンチェスさん達のことを思い出すと、胸がちりりっと痛んだ。



「ーーその、王宮料理研究会なんですけど、確かに私もこの世界の料理の水準を上げたいと思いますし、それに関しては協力は惜しみません。けど、私ーー宿屋から離れたくないんです。小さくてみすぼらしい宿屋ですけど、私の料理を気に入ってくれた常連客の方々にも申し訳ないですし、あそこはこの世界に来て一人ぼっちだった私を暖かく受け入れてくれた唯一の場所なので……。もちろん納豆は宿屋と両立させながら開発していこうと思います!!だからーー私に宿屋を続けさせてくれないでしょうか」


「それが、君にとってどんなに危険なことかわかってるのかい?ギルバートだって常に君と一緒に入られるわけじゃないんだ。それはもちろんシェリー夫人も同じだ。昨日のような事がいつ起きたとしてもおかしくないんだよ?」


 ピリッとした空気が辺りを支配する。

 サラが俯けていた顔を上げ、思いの丈を述べると、今まで穏やかに微笑んでいたルイスが真剣な表情に変わり、彼の一言一言がサラの胸に重く深く突き刺さった。

 しかし、サラは負けじと返す。


「危険は承知です。自分がいかに無鉄砲なことを言っているのかわかっています。それでも私は私に暖かい居場所を提供してくれた宿屋と常連客の人たちを手放したくはないんです」


「ーーなるほど、サラ嬢の気持ちはわかったよ。でも、君が彼らを思うように彼らだって君のことを心から案じているんだ」


「ーーーーえ?」


「君が攫われた日、宿屋に泊まっていた人たちが、説明と他の宿屋への手引きをしにいった騎士に「サラちゃんは無事なのか!?どういうことか説明してくれ!」って詰め寄って来てね。その話を聞きつけた街の人々も心配して君の宿屋に押しかけてきたんだよ。あの時、君の宿屋は相当大パニックになっていたらしい。


 ーーつまり、君が危険な目にあって哀しむ人はたくさんいるんだよ。確かに、君の手料理を食べれなくなるのは哀しいかもしれないけど、皆それ以上に君の安全を願っているんだ」


「!!!」



 それは、思ってもない言葉だった。

 まさか、自分のことをそんなに思ってくれる人がたくさんいたなんてーーその事実に、気づかされたサラは脳裏でダンチェスさんたちや街の人々の哀しむ顔を思い浮かべた。


「何も宿屋を手放せとは言っていないんだ。シェリー夫人が他国を黙らせる良い案を考えてくれててね、その為に王宮料理研究会の力と君の力が必要不可欠になってくる。だから事態が落ち着くまで君には安全な場所で過ごしてもらいたいんだよ。その間、宿屋は休業してもらう形になるけどね」


「それでは、私はまた元の場所に戻れるということですか?ーーでも何でそこまでして私を……」


「特に理由はないよ。ただね、僕は神から与えられた恩恵は皆それぞれ役割があると思っているんだ。もちろんその恩恵を間違った方向に使う人や神の道具になるのは嫌だと放棄する人も中には存在するから、役割が神によって決して強要されているわけではないし、どのように生きるかは個人の自由だと思う。

 ーーでも、さっき君の口からも《世界の料理の水準を上げたいと思っている》て言ってたよね?それは、薄々君自身も己に与えられた役割に気づいててそれに向って頑張りたいと思っているんじゃないかな?」


「!!」


 確かに料理教室を始めて、段々の自分の考案した料理が庶民の間で普及されていって思ったのだ。

 ーー徐々にで良いからこの世界の料理を変えたい。皆にもっと美味しい料理があることを知ってほしいと。


 ルイスに指摘され、自分でも知らないうちにそれが自身の目標みたいなものになっていることに今気がついた。

 サラがしばらく唖然としていると、ルイスが真剣味の帯びた表情を消しさり再び朗らかに微笑みながらサラを見つめた。


「誤解のないよう言っておくけど、何も国の発展の為に君を保護したいわけじゃない。僕たちは異世界から来たサラ・クロカワという人間をただ純粋な気持ちで護りたいだけなんだ。君の料理がもっと普及していけば他国の料理の水準も上がる。そうすれば、君に向く目も少なくなる。シェリー夫人はそう考えてその両方を叶えることが出来るとっておきの案を考えてくれたんだよ。それが、上手くいけば1年か2年で君は宿屋を経営する生活に戻れるよ」


「ほ、本当ですか!?」


 ルイスの言葉にサラ目を見開く。まさか、1~2年で帰れるとは思っていなかったので思わず身を乗り出した。


「だから、サラ嬢。ぜひ王宮料理研究会で働いてもらえないだろうか?」


 朗らかに微笑むルイスの顔を見て、サラの鈍っていた気持ちもしっかりとしたものに変わる。

 そして、エメラルド色の瞳に強い決意を宿し、はっきりと応えた。


「ーー承知致しました。ご迷惑おかけ致しますが宜しくお願い致します!」


「うん、良かった!サラ嬢なら絶対そう決断してくれると信じてたよ!


 ーーそれで、当分君が泊まる部屋なんだけど、今寮に空きがなくてね……。先ほどサラ嬢が使っていた客室にしようかと思ってるんだけどどうかな?」


「ーーえ?客室って、あの客室ですか!?無理です無理です!!私には勿体無いです!小屋でも何でもいいんで、出来れば質素な部屋に変えてください!」


「そう言われてもねぇ、客室ならたくさん空きがあるけど寮は今改装中もあって共同部屋さえ満員なんだよ。小屋は流石に無理だしねぇ……」


 サラの返事に嬉しそうに微笑んだルイスは困ったように苦笑しながら爆弾を投下する。

 てっきり侍女と同じ寮に住むのかと思っていたサラはまさかの客室暮らしを提案され、青褪めながら首を横に降った。

 ……あれは庶民が暮らせるような部屋ではない。貴族、もしくは他国の姫君専用の客室だ。

 そんなところに1年でもいてみろ、噂は広がりエドワード以上の注目と非難と嫉妬の視線に晒されるのは確実である。そんな針地獄のような生活、絶対にお断りだ。


「嫌です嫌です、お願い致します、違う部屋に変えて下さい」


 あまりの必死の訴えに、ルイスが困ったようにため息つき考えこむ。

 すると、


「待て、ルイス。サラは俺の家に泊まればいい」


「ーーえ?何言ってるんだい、ギルバート」


 沈黙を切り裂き、ギルバートが突然割り込んだ。

 その内容にルイスが訝しみながら聞き返すと、ギルバートはふっと一瞬だけ口角を上げる。


「俺の家ならば王宮に近いし、馬車で片道20分程で着く。ちなみに、使用人も俺が認めた奴らばかりだから俺が任務で居ない日も安全だ。そこは、お前も知っているだろう?」


「いや、確かにギルバートの家は安全だと思うけど……、それなら別に王宮の客室でもいいじゃないか」


「あそこは貴族が泊まる来賓用の客室だろ。そんなところに庶民の女性を一年以上も住まわせてみろ、サラは貴族の反感を買うばかりか王太子妃や側室の座を狙う輩からサラが寵姫と勘違いされ暴動を起こすぞ」


「あ~なるほどね~。それは確かに面倒だね……」


「だろ?なら尚更サラは俺の家に来た方がいい」


「ちょっと待って!寵姫って何?何で私がギルの家に行かなきゃいけないの!?」


 客室の問題点を指摘してくれたのは嬉しいが、黙って聞いていれば何だか話しが変な方向に行っている気がする。慌てて、話に入るとルイスが優しく説明してくれた。


「サラ嬢、寵姫というのは言わば王の愛人だよ。まあ、僕はそのようなものは一切作る気がないけどね。そしてギルバートは君と同じ庶民なんだけど、身分は偵察部隊の隊長だから王都の貴族街に屋敷を持っているんだよ。もちろん彼一人の他に使用人しか住んでいないから空き部屋もたくさんあると思うし、君が住んでも問題ないんじゃないかな?」


「いやいや、問題大有りでしょ!?

 彼が庶民なのは初耳ですが、そんな事よりも、独身の若い男女が同じ屋根の下に住むのはどうかと思います!!」


 相手が殿下だということも忘れて、ズバッと切り返す。

 至極全うな突っ込みをしたのに、何故かルイスは苦笑しており、エドワードに至っては「いやはや、初心かと思ったらなかなか強引なことをしますねぇーー」としたり顔で呟いていた。


「そんなことを言ったらサラは複数の男性と常に同じ屋根の下で生活しているではないか」


「ちょっとギル!誤解を生む言い方やめてくれる!?宿屋なんだから仕方がないじゃない!しかもたまに女性客だっているし、そんな下心を持った客なんか居ないわよ!」


「なんだ、俺がサラに何かすると勘ぐっているのか?ーー大丈夫だ、恐らくそのようなことは…ない……と思う」


「いや、…と思うって何よ!全然大丈夫じゃないじゃない!そこははっきり否定して!」



 くそ!どいつもこいつも!!


 聞き捨てならない発言を繰り返すギルバートに何がツボに嵌ったのかサラたちのやり取りに腹を抱えて笑うエドワードたち。サラは荒くなった呼吸を整え、彼らを睨んだ。


「ーーサラ」


 再び呼ばれて降り向く。怪しく輝くアメジスト色の瞳がこちらをじっと見ていた。


「ーーなによ、ギル」


 見つめられ、少しだけドキッと心臓が高鳴る。



「サラに選択肢をやる。王宮の客室に住むことにより貴族から要らぬ注目や嫉妬を受けながら王宮生活を送るのと、俺の屋敷から通い極力目立たずに安全な暮らしを送る……、どちらがいい?」


 にやり……と上がる口角。何か企むように笑うギルバートが究極の選択肢を突きつけてきた。

 なんだか上から目線なのが無性にむかつくが、王宮の客室に住んで肩身の狭い思いはしたくない。



 よってーー





「……ギルの、家にします」



 ここは渋々後者を選ぶことにした。


 何だか上手いこと、彼らの手のひらの上で転がされたような気がする……。


 賭けに成功したかのように微笑むギルバートの笑顔は、言葉に表せないほど、とても美しかった。







 無事、殿下の謁見ーーという名のある意味サプライズの連続だった話し合いが終わりサラは王宮の送迎馬車に乗って帰路についていた。

 宿屋にいったん帰ったら店を当分休業する為色々と準備をしなければならない。もちろん近所の人への挨拶も欠かせないため、引越しの準備は想像するだけで大変そうだ。

 その為、護衛兼引越しの手伝いとしてギルバートも一緒に着いて来ているのだが……


「………」


「………」


 馬車の中は何故か気まずい雰囲気が流れていた。


 ギルバートは基本口数が少ないからお互い無言の時があっても以前はそこまで気まずくはなかった。が、今は何故かその状況が気まずい。


 いや、原因はわかっている。

 ギルバートが無言でこちらをじっと見つめているのだ。

 何か話すべきなのか…とは思うものの、この密接した空間の中でいざ二人きりになると何も話題が浮かんでこないし、こうも見つめられると何だか気まずい。サラは視線を外し、ひたすら窓の外の風景を眺めているとーー


「ーーサラ」


 名を呼ばれた。


 静寂を切り開くようにギルバートの声が響く。

 サラは、いきなりのことにビクっと肩を震わせながらギルバートを振りかえると、彼は珍しく困ったような表情を浮かべており、次の瞬間申し訳なさそうに謝った。


「ーーすまなかった」


「え?一体なんのことよ」


 いきなり謝られるとは思っていなかったため、ぱちぱちと目を瞬く。


「サラが人買いによって攫われた日のことだ。俺が目を離したばかりに危険な目に合わせてしまった。……本当に申し訳なかった」


 ギルバートは長い睫毛を伏せて、頭を下げると、その拍子に青みがかった黒髪がさらさらと頬にかかる。ランプの光を浴びてオレンジ色にきらきらと輝いた。



「ーーなんだ、そんなこと。それならギルバートがちゃんと助けてくれたじゃない。それに、数人だけど、前に捕まった人たちも助かったんでしょ?」


 少しだけ緊張が解れたサラは、ほっと息をつき答えた。


 帰り際、内緒話をするようにエドワードが教えてくれたのだ。

 サラやマルクが捕まって入れられていた場所は王都の地下にあった古い独房で、他にも部屋がありそこに前に王都で捕まったと思われる女性や子どもが数名入っていた。

どうやら、その人たちも同じ日に買われる予定だったらしく、ギルバートのおかげでその前に見つけることができたのだ。敵は10人以上いたが彼が意図も簡単に一人で全員を気絶させたらしく、後から駆けつけた王宮騎士団は伸びている敵を片っ端から縛り上げ、人を買いにきた他国の貴族たちを捕まえることしかやることがなかったらしい。

 その話を聞いたとき、みな無事に終わって本当に良かったとサラは心からギルバートに感謝したのだ。


「お礼を言うのが遅くなっちゃったけど、あの時助けてくれて本当にありがとう。ギルがきっと助けてくれるって信じてたからーー私、ちっとも怖くなかったわ」


「!!」


 サラの思いがけない一言にギルバートは驚いたように目を見開く。

 私、そんなに変なこと言ったか?と首を傾げたはサラは、よくよく思い返すとなかなか大胆な己の発言に気づき、ぼっと顔を赤くした。


「ほ、ほら!これはあれよ!宿屋で絶対護ってみせるとか何とか言ってたじゃないーーだから、あぁ~もうこの話はお終い!」


 何だか墓穴を掘ったような気がしてより一層頬を赤らめながら話を中断する。

 火照る頬を抑えながら顔を背けていると、くすくすと笑う声が聞こえた。


「ふ、本当にサラは可愛いな」


「!!ーーもう、からかわないでちょうだい!」


「いいや、からかってなどいない。そういえば普段着に着替えたんだな。ドレス姿はとても美しかった」


「!!!」



 ギルバートのストレートな褒め言葉にさらに赤面してしまう。

 実は帰る際にドレス姿から普段着へと着替えたのだ。ルイスが「全部あげるのに」とか何とか言っていたが丁重にお断りしドレス、及び装飾品は返してきた。


「ギルバートだってなんで普段着に着替えてるのよ。あの、騎士様みたいな格好はしないの?」


 何だか自分ばかりからかわれているようで悔しい。

 彼の黒シャツ、黒ズボンに黒い外套のいつもの装いを見てサラも負けじと言い返した。


「俺は貴族ではないからああいう堅苦しい服が苦手なだけだ、それに偵察では動きやすい服装が良いしな。王宮でも普段は着ないが、あの時はルイスに頼まれて着ていただけだ」


「ふーん、そうなの。闇の帝王みたいでカッコ良かったんだけどなぁ」


「……それは、褒めてるのか?」


 嫌がるように顔を顰めるギルバートを見るのは新鮮で思わずにやける。飽きれたようなため息が聞こえたが、何だか普段通りの会話に戻ったようで、ここぞとばかり以前から気になっていたことを話題に出した。


「そういえば、ギルバートはどんな恩恵をもっているの?偵察部隊をやっているくらいだから、気配を消すのが上手いのも関係してくるのかしら?」


 興味津々な様子で聞いてくるサラにギルバートは片眉を器用に上げて見返す。


「…あぁ、言ってなかったか。俺は《隠密行動のスペシャリスト》という恩恵を持っているんだ。よって、自分の気配は自由自在に消せるし、相手の気配を読んだりするのが人より断然優れている」


「何その厨二病みたいな名前。ていうかまさに偵察部隊に持ってこいの恩恵ね」


「厨二病?ーー何だそれは。まあ、確かにそうだな。孤児院で王太子に出会っていなければ、恐らくどこかの暗殺部隊にでも入っていたかもしれん」


 なんだか、思っていたよりも暗い話だ。「あ、暗殺部隊って……」と引いていると、ギルバートがにやりと笑った。


「暗殺部隊は冗談だ。だが、孤児院の話は本当だ。ーー俺は5歳の頃に両親を流行病で亡くして、代わりに育ててくれるような親戚もいなかったから孤児院に入ったんだ。小さい頃は恩恵の影響からか隠れ遊びが得意で、たまたま視察に来ていたルイスを悪戯半分で驚かしたら逆に俺の恩恵を見破られてな、偵察部隊に入るよう勧誘されたんだ。まあ、孤児院は14歳までだし、正直将来の夢も決まってなかったから俺は迷わず王宮に行ったよ」


 いくら子どもの遊びとはいえ、視察に来た殿下を驚かすとはよく首がはねなかったと思う。

 まあ、相手も子どもだしあの殿下だから大丈夫だったのかもしれないが……。


「そうだったの。殿下って人の恩恵を見破るのが得意なのね」


「それがあいつの恩恵だからな。ルイスは王になる者としての条件ーー《カリスマ王の素質》と《真実を映す眼》を持っている」


 か、カリスマ王の素質って……。何となく思っていたが、恩恵の名称が若干痛々しいのは何故だろう。

 もしや神様のネーミングセンスが悪いのか?

 12歳になった時から自身の持つ恩恵は何か脳裏に問いかけると名称がぱっと浮かんで来るのだが、周りの人の恩恵を聞く限りどれもこれも名称がいまいちだった気がする。


 それより、ギルバートは2つしか恩恵を言っていなかったが確か殿下には3つ恩恵がなかっただろうか……?

 この国に美形が多いのも彼の恩恵が原因だと前に言っていたし、何だか無性にもう一つの恩恵の名称が気になった。


「確か殿下にはもう一つ恩恵があったわよね?」


「…………」


「何ていうのかしら?」


 何故か無言を貫くギルバートにサラは目を細めて再度問いかける。

 まるで蛇に睨まれたカエルのように動かないギルバートだったが、とうとう無言の圧力に屈したのか瞼の上に手を置き、深い溜息を吐いた。


「すまんがルイスが嫌がるんだ。奴は人にこの恩恵の話をされるのがあまり好きじゃない」



「え~、そうなの。なら、仕方ないわね」


 心の中では少しだけ気になってしまうが、それならば深く突っ込むのも無粋だろう。

 どうやらギルバートの話ではルイスは己の持つ恩恵のせいで、自国での誘拐事件が後を立たないと思っており、その恩恵があまり好きではないようだった。

 うむ、確かに王になる者としたらあまり関係ない恩恵である。よくて、美形ハーレムが構成されるくらいだ。



 そんなことをつらつらと考えながらくだらない話をしていると、馬車は見たことのある街道を走っていた。

 あと30分くらいで、小さくて愛しい私の宿屋に着く。


 だが、そこにいられるのも後少しだ。これから私には新しい生活が、待っている。

 それを考えると、不安でもあり、またまだ見ぬ世界に対する高揚感も少しだけあった。


「大丈夫だ。1~2年辛抱すれば、きっと前と同じ生活が送れるようになる」


 まるでこちらの心を見抜いているかのようにギルバートが語りかけてくる。

 サラはぴたっと持たれかかっていた窓から視線を外すも先ほどから感じていた眠気に「くぁ…」と小さく欠伸をした。

 こんな所で寝ちゃ駄目だーーと思いつつも、瞼がゆっくり落ちてきて……


「眠いのか?」


 こちらを気遣うように聞いてくる声にうつらうつらと船を漕ぎながらこくんと頷く。


 その様子が可笑しかったのかクスッと笑う声が聞こえ同時に人が動く気配がした。

 気づいた頃にはくっと力強い腕に肩を引き寄せられていて、傾いていた頭が窓から離れる。あがらえない眠気に揺らいだ頭がこてんと硬いものに当たると、そっと温もりのある掌が自身の頭の上に乗せられた。

 もう半分夢の中に入りかけていたせいか、背中に回された腕の温もりが心地よい。

 思わず縋るように身を寄せるとーー


「安心して眠るがいい。ーー俺が、ずっと側にいる……」



 耳朶をくすぐるように囁かれる声に、サラはすっと眠りについた。



 ギルバートは自分の腕の中で、すやすやと気持ち良さそうに眠る少女の横顔を愛おしそうに見つめながら何度も指通りの良い黒髪を長い指ですく。


「ーーお前の為なら、俺はどんな手を使ってでも、お前を護ると誓おう」


 囁かれた言葉は蜜のように甘くーー


 肩に持たれかかる小さな頭にそっと静かな口づけが落とされた。




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