白の宮殿と純白の騎士
「ーーはっ、こ、ここは?」
自分は一体何回気絶すれば気が済むのだろう。
張り詰めていた緊張が解けたせいか、ギルバートの腕の中で気を失ったサラは再び見知らぬ場所で目を覚ました。
うわっ、何この豪華な部屋!!
なんだってこんな所にいるのよ!?
視界に映るのは金装飾がされた見事な調度品の数々に壁一面の絵画、自分が横になっているベッドは宿屋のベッドとは違い、質の良いキングサイズのベッド。
まるで王族のような室内が広がっている。
一体あの調度品の数々はいくらくらいするのだろうーーと、サラは様々な疑問を巡らせていると、ドアが開きメイドのような格好をした女性が入ってきた。
「お気づきになられましたか。私、クロカワ様のお給仕をさせて頂きます、王宮侍女長補佐のクレアと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「え!?王宮侍女長補佐ってーーここって王宮ですか!?」
まさかと思ったが、あまりの事態にぽかんと口を開ける。
そんなサラに、30代後半のマダム然としたクレアが穏やかに微笑んだ。
「そうですわクロカワ様。ここはセントルノアール王国にあります白の宮殿の客室に御座います。丸一日お休みになられていましたから、喉が乾きましたでしょう。どうぞ、こちらをお飲み下さい」
侍女が持ってきたワゴンにはとても高そうなティーセットが並べられていた。繊細なカップにコポコポと紅茶が注がれる。
それを、受け取るとそこから立ち上る上品な香りに思わず顔を綻ばせた。
「なんて良い香りなのかしら」
「そう仰って頂けて嬉しいですわ。この紅茶は、アントノール店で作られた王族御用達の高級茶葉ですのよ」
アントノール店の高級茶葉って庶民じゃ手の届かない代物じゃない!?
クレアの言葉にぎょっとしながら紅茶を見つめたが、恐る恐る一口飲むと芳醇な香りが口内に広がる。あまりの美味しさに、しばらく余韻に浸っていると予想通りの反応をしたサラにクレアはくすくすと上品に笑った。
「これは失礼致しましたわ。あまりにもクロカワ様の反応がお可愛らしくて。お腹も空いて来ましたでしょう、ただいま軽食をお持ち致しますね」
クレアがサイドテーブルに置いてあった鈴をチリンチリンと鳴らす。
すると、いつから控えていたのかワゴンを引いた侍女が二人入ってきた。
「こちらで召し上がりますか?それとも、あちらのテーブルで召し上がりますか?」
「あ、あちらのテーブルで頂きます!」
こんな高そうなベッドを汚したら一ー考えるだけで恐ろしい……。
サラは急いでベッドから降りると、ふと自分が今着ている服に目がいった。服は気を失っている間に替えてくれたのだろう、シルクのような滑らかな肌触りのナイトドレスに替わっている。
私が着てた服は一体どこへ……?
そう、考えているとーー
「誠に勝手ながらお召し物は私共の方で替えさせて頂きました。前に着ていらしたお召し物はこちらで洗濯し、あちらのクローゼットに掛けさて頂いております」
こちらの言いたいことにいち早く気がついたクレアが部屋の隅に置いてある白いクローゼットを示してくれた。
「すみません!お洗濯までしてもらって……」
眉を下げて申し訳なさそうに謝ると、クレアは素敵な笑顔で微笑む。
「そんな、お客様がお気になさることではございませんよ?それに、私たち使用人に、敬語を使って頂かなくて大丈夫でございます。さあさ、そのままだと冷えますのでこちらを羽織って下さいまし」
にこにこ微笑みながら、これまた肌ざわりの良いガウンを肩に羽織らせてくれる。
まるで、お姫様のような待遇に思わず気分が舞い上がった。
サラが白いテーブルに着くと、若い侍女たちが黙々とテーブルに料理を並べていった。
「あれ?この料理ってーー」
サラはテーブルに並べられた料理に目を見開く。
ーールコのポタージュに、ベーコンエッグ、様々な具が詰められたサンドイッチにフルーツヨーグルト等、飾り付けは王宮に相応しく華やかにされてるが、どれもサラの知っている料理である。
「ふふ、お気づきになられましたか?こちらはクロカワ様の考案された料理ですよ。クロカワ様が月に二回行っている料理教室に通っている者がおりまして、王宮で出される料理にも取り入れさせて頂きました」
「え!じゃあ王族の方も私の料理を召し上がっているってことですか!?」
「ええ、もちろんでございます」
自分の料理が普及しているのはせいぜい物好きな貴族までだろうと思っていたので、まさか王様が食べているとは思わなかった。
予想斜め上の事実に驚愕である。
さあ、冷める前にぜひ味見して下さいましーーと、半ば笑顔で強要されたサラはスプーンを手に取ってルコのポタージュを口にした。
「うん、ルコの味がしっかり出ててとても美味しいです。…でも、欲を言えばもう少し塩を足したらより一層甘みが増すかしら」
最後は何気無く呟いた言葉だったがふむふむと真剣に聞く声が聞こえてくる。見ると料理を運んで来た若い侍女の一人がメモを片手に何やら書き込んでいた。
「エミリー!お客様の前で無作法にも程がありますよ!」
クレアが厳しい口調で注意すると、エミリーと呼ばれた眼鏡の少女は「ひ!申し訳ありません、クレア様!」と謝罪した。
「謝罪するのは私ではなくクロカワ様にです」
クレアは飽きれながらもピシャリと言い放つ。
エミリーはあわあわとメモをポケットにしまうと、私に向き直って深々と頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした!クロカワ様!」
「い、いえ、私は全く気にしてませんから。
ーーあれ、てかもしかして貴女……いつも料理教室に通って下さってるエミリーさんですか?」
「は、はい!覚えていて下さって光栄です!料理教室ではいつもお世話になっております!」
顔上げてにこりと微笑む彼女はいつもサラの料理教室に欠かさず来てくれる女の子だった。
マダムが多いなか、年頃の近い若い女の子は新鮮でずり落ちてくる眼鏡をちょいちょい上げながら一生懸命メモを取っている姿がとても印象的だったのを覚えている。
そうか、この子が王宮に私の料理を広めたんだ。
サラは、そう確信した。
知らないところでどんどん広がっていると思うと何だか恥ずかしい気分である。
出された軽食を残さず綺麗に完食すると、こちらを期待した目で見てくるエミリーににこりと微笑んだ。
「どれも、とても美味しかったです。ベーコンはカリッと焼けていて、ちょうど良いですし、フルーツヨーグルトは中身が少し工夫されていてとても良かったと思いますよ」
少し先生口調になってしまったが、エミリーはきらきらとした瞳で「ありがとうございます!」とお礼をいった。そして食器を下げた彼女たちは深々と礼をすると、静かに退出した。
ーーコンコン。
「どちら様ですか?」
「食後の休憩中に失礼致します。ゴートン医師がお見えになりました」
「承知致しました。お通し下さい」
食後のティータイムを楽しんでいると、来客を知らせる声が聞こえる。
どうやらお医者様が来たようで、重厚な扉が開かれると真っ白な長い髭を蓄えた老人が杖をついて入ってきた。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、調子はどうかの?ーーおお!これは眼福、眼福」
あろうことか老人は来て早々サラのV字に開いたナイトドレスの胸元を凝視した。そこには、はち切れんばかりの立派なお山が二つ並んでいる。
「ーーゴートン様……。殿下に言いつけますわよ?」
サラの隣から、地を這うような低い声が聞こえてきた。
見ればクレアがそれは恐ろしい程の綺麗な笑みで老人に微笑みかけている。
「まあまあ、クレアもそういきり立つんじゃない。こんな狭苦しい王宮に閉じ込められて、むさ苦しい男共を毎日診察しているのじゃ。少しばかりご褒美があったっていいじゃろう。ほれ、お嬢さん脈を測るから右手を出してごらんなさい」
老人はサラの右手をとると、ブリザードのようなクレアの冷たい視線をものともしないで診察を始めた。
「脈も正常だし、動いても問題なかろう。後はそうじゃな、気絶させられた際殴られたみぞおちはもう痛くないかの?」
「あ、全く痛くないです」
ゴートン医師の言葉に昨日キリキリと痛かったみぞおちを摩ると確かに痛みが消えている。
「普通だったら一週間は痛みや腫れが続くがな、わしが作った特製の軟膏を塗っておいたのじゃ。これを毎晩塗り続ければ、明後日には痣も消えてるじゃろう」
そう言って渡された銀の丸いケースはリップバームくらいの大きさだった。蓋を開けると緑色をした軟膏とともにすーっとしたミントのような良い香りが漂ってくる。
「高そうな軟膏まで頂いてありがとうございます」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。良いのじゃ良いのじゃ。どれ、では最後にみぞおちの様子でも見ていくとするかの」
「ーーえ?」
先ほどの好好爺は何処へ行ったのか、目尻を下げながらわきわきと指を動かすエロじじいに何故か貞操の危機を感じた。
みぞおちの痣を見せるということ上半身を晒すということだ。
サラは身を引いて青ざめていると、目の前に立ちはだかるようにクレアが視界を遮った。
「ゴートン様、良い加減になさいませ。みぞおちの確認はこちらで行います。ですので、あなた様は早くこの部屋から退出して下さいまし」
ゴオオオと青い炎が燃えているかのような気迫に、思わず椅子ごと後ろに一歩下がる。
ゴートン医師はと言うと、「相変わらずケチくさいのう、冗談じゃよ!」とぶつぶつ小言を言いながら部屋を出て行った。
「申し訳ございません、クロカワ様。アレは中身はあんな変態エロじじいですが、この国の王族専務医師なのです。医師としてのあの方の腕は王国一ですよ」
ーーえ!?王族専務医師って、かなりの名誉職じゃないですか!
そのような方をアレ呼ばわりや変態エロじじいと言い切るなんて、クレアさんいったい何者なんだ!!
サラがクレアのゴートン医師に対する態度を不思議に思っているとーー
「実はあれは私の父方の祖父でしてーー後できつく叱っておきますね」
続けて放たれたクレアの言葉にあっさり解決した。
どうやらクレアはゴートン医師の身内らしい。それより、自分の身内の者がアレだと、クレアさんもなかなか大変だな。
サラは脳内でクレアにこっ酷く叱られるゴートン医師を想像した。
「さて、クロカワ様。ゴートン医師の了承も得たことですし、これから殿下にあって頂きます」
てきぱきと茶器を片付けた彼女が、いつの間にか綺麗な笑みで目の前に立っている。
「はい、わかりました。……て、え?殿下……ですか?」
「ええ、殿下です」
思わず再確認してしまった私に、非常な言葉が突き刺さった。
「そのため、クロカワ様には殿下の御前に出ても恥ずかしくないよう、私共が誠心誠意もって立派な御令嬢ーーいえ!立派な姫君に仕立て上げて見せますわ!」
そう言うが早いか、何処からともなくずらりと並ぶ侍女たち。
どの侍女も獲物を狙う猛禽類のごとく、それはもう素敵な笑みでこちらを見ている。
「いや、ホント、着替えでしたら自分で……い、ぃやぁぁああああ!!」
最後まで言うこと叶わずサラの雄叫びが響き渡った。
問答無用で服を剥かれた彼女は、数人がかりで身体を洗われ、全身にオイルマッサージをされ、数時間後には数あるドレスの中からクレアの見立てたドレスに身を包んでいた。
「うふふふ、クロカワ様、これでやっと仕上がりましたわ!」
メイクを終え嬉々とした表情のクレア。
数人の侍女がさっと立ち鏡をセットする。
こちらは怒涛の勢いに精神がどっと疲れたが、置かれた立ち鏡に映る自身の姿を見て、
ーー思わず溜息を零した。
侍女の手によって磨かれた肌はもちもち艶艶の極上シルク肌になっており、瞳の色に合わせたミントグリーンのドレスはレース使いがとても上品で可愛らしく、ざっくりあいた胸元が小悪魔的雰囲気をランクアップさせている。
さらに、うっすらと化粧を施し、髪をハーフアップにしてところどころ真珠のピンを取り付けることで大人の色気を醸し出していた。
「うわ、何これ、本当に私なの?」
「うふふ、サラ様は元々お美しいですから、とてもやりがいがありましたわ」
「そんな……クレアさんの方が美人じゃないですか」
サラはちらっと侍女たちを見る、やはり美男美女ばかりの世界だけあって、そこにはクレアを筆頭に多種多様の美女が並んでいた。
「そんなことありません。サラ様はサラ様の魅力がおありです。もっと自分の容姿に自信を持つべきですわ。私だってサラ様くらい素敵なお胸があったらと、心底羨ましく思います」
クレアがにこりと素敵な笑顔を浮かべて微笑む。
そんな彼女の胸は絶壁ではないが、明らか私より小さくてーー
うむ、彼女の胸について語るのはやめよう。
段々冷たい空気を纏っていくクレアからぱっと目を逸らすと同時に、扉のノックがなった。
どうやら、殿下の謁見の準備が整ったようだ。
扉が開くと、眩いばかりの美しさを放った一人の騎士が入って来た。騎士は、靴からマントに至るまで純白の騎士服を着ており、まるで絵本の中の王子様のようである。
「お迎えに上がりました、サラ・クロカワ様。私、近衛騎士団長を勤めておりますエドワード・グレン・エルスバークと申します。この度は森の妖精と見紛うばかりの美しき貴女様をエスコートさせて頂くという名誉を頂戴し、このエルスバーク感極まる思いにございます」
きざったらしいセリフとともに近衛騎士団長はさっと跪くとサラの手を取りキスを落とした。
サラはというとーー
え?近衛騎士団長って稀なる美貌と他に追随を許さない剣術を持って、26歳という若さで近衛騎士団長という名誉ある座にまで登り着いたエリート中のエリートだよね!?尚且つその人柄から貴族や庶民の婦女子に絶大なる人気を誇っていて、公爵家の長男で家柄もパーフェクトだとか……。
何でそんな超絶人間がここにいるのよ!!
ーーと、宿屋で客から聞いた情報を思い浮かべ激しく動揺していた。
「まさか、近衛騎士団長様自らお出迎えになられるなど、そのようなお話伺っておりませんわよ」
クレアも予想外の人物のお出ましに若干驚いているようで目を見張っており、目の前のうねるようなプラチナブロンドを一つに縛った超絶美形騎士は金色の瞳を楽しそうに細めて微笑む。
「ちょっと、私の心友が虜になったかの女性を見てみたくてね。殿下には内緒で本来エスコートする予定だった私の部下と替わってもらったんだ」
「………」
それは果たして良いのだろうか、まあ名誉ある近衛騎士団の団長という立場なのだから許されるのだろう。イタズラが成功したかのようにくすくすと笑う彼にクレアは呆れたような表情で見ていた。
「それにしても本当に美しい女性だ。彼が夢中になるのもわかるよ」
彼が自然な動作で肩にかかったサラの髪を一房すくい、キスをする。
サラはあまりの恥ずかしさに顔を首まで赤く染めるとそういえば自己紹介を忘れていたと慌てて淑女の礼をとった。
「じ、自己紹介が遅くなり申し訳ありません。お初にお目にかかります、サラ・クロカワと申します」
果たしてこれでいいのだろうか?
いつか前に、「淑女たるもの如何なる時も恥をかかない為に公衆のマナーは必然です!!」とシェリー夫人にマナーを叩き込まれたことがあり、サラはそこで習った礼を出来るだけ優雅にこなした。
エドワードはにこりと微笑みながら、胸に手を当てる。
「いえいえ良いのですよ。貴女様を垣間見るだけでなく、こうしてお話出来る機会が与えられただけ私は幸せ者です。どうか私のことはエドワードとお呼び下さい、サラ様」
「そんな、近衛騎士団長様をお名前でお呼びするなど恐れおおいです!」
「いえ、サラ様からお名前を呼んで頂けることは私にとってとても嬉しいことなので」
男女問わず魅了してしまうような素敵な笑みを浮かべ、さりげなく名前を呼ぶことを強要させるところは誰かさんに似ている、気がする。
しぶしぶサラが「ーー承知致しましたわ、エドワード様」と言うと、目の前の美丈夫はそれは嬉しそうに微笑んだ。
「さあサラ様、殿下がお待ちです。私と共に参りましょう」
エドワードは慣れた動作ですっと手を差し出した。
サラは初めてのことばかりに戸惑いながら手を乗せると、エドワードはにこりと微笑みながら手慣れた動作でエスコートをする。
白い扉が開かれると、初めて目の当たりにする客室以外の宮殿内の景色にサラは瞳を輝かせた。
すごい!!
なんて綺麗なの!!さすが王宮!!
ーー道中、不躾ながらもキョロキョロと辺りを見回す。
白の宮殿と言われる所以の白い大理石が惜しげも無く使われた宮殿内は、所々飾ってある見事なシャンデリアや彫像、絵画がセンス良く配置されておりとても豪華だった。
渡り廊下から見える庭園は様々な花々が咲き乱れていて、まるで幻想世界のような美しさである。
サラが思わず感嘆の溜息をついていると、隣からクスクスと笑う声が聞こえた。
「これは失礼。サラ様が想像通りの可愛らしい女性でしたので……。先ほどの庭園は王妃様が自ら手入れをされている庭園でして、王族の憩いの場所なのですよ。そこでたまに王妃様がお茶会を開かれるのですが、気に入った人物しかご招待しない特別な場所なのです」
「そうなのですか。王妃様は花々に愛されてるお方なのですね。言葉で表すのが勿体無いほど美しい庭園ですわ」
サラは今まで一番生き生きとした表情で微笑む。
それを見たエドワードは軽く目を見開くと、穏やかに微笑み返した。
「なるほど……。私はあの者が貴女に惹かれた理由がいま解った気が致します」
「ーーあの、先ほどから心友とか彼とかあの者とか、話がよくわからないのですが……?」
ふと、疑問に思ったことを問いかける。
すると、
「ふふ、今にきっとわかりますよ」
エドワードは素敵な笑顔ではぐらかした。
そして、サラの華奢な手をとって繊細な彫刻が施された扉の前へと導くのだった。