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宿屋の日常

 


  宿屋の朝は決まって早い。

 それはニワトリが日の出とともに鳴くより早い。


 なぜなら宿泊客が起きてくるまでに朝食を作っていなければいけないからだ。


 宿屋は小さい為、宿泊客は4名しかいないが、それでも女一人での切り盛りは大変だ。

 朝から料理に洗濯に掃除とやることがたくさんある。

 そうこうしているうちに時計の針が7時を指すと一人二人と二階から客が降りてきて空いてる席に座り始めた。



「今日はサラダとルコのポタージュとサンドイッチよ。ポタージュはおかわりあるから言ってちょうだい」


 ルコとはカボチャに似た野菜でスープにするととても美味しい。ポタージュはこの世界にない料理だったが、サラが前の世界の知識を生かしそれっぽく作ってみた。


「お、お嬢ちゃん特製のルコのポタージュか!そりゃ良かった!どの料理も絶品だが、私は一番それが好きなんだ」


「それは良かったわ。今朝野菜売りのマルクが畑で取れたばかりの新鮮なルコの実を持ってきてくれたのよ。後で、マルクにお礼しなくちゃね」


 サラは客の前に手際良く料理を並べて行く。

 宿泊客の一人でサラが宿屋を引き継ぐより前から来てた商人のダンチェスはまだ湯気の立つ黄色いスープを見て、でっぷりと出た腹をさすり嬉しそうに破顔した。


「ふぅ~、ご馳走さま。とても美味しかったよ。次にこの町に来たらまたここを使わせてもらうから」


 朝食を食べ終わったダンチェスは満足そうにあごひげを撫でながら席を立った。

 他の客も朝食を食べ終わると、それぞれ旅に出る準備をしたり、ギルドから依頼を貰うため外に出かけ始める。


「今度はどの国に行くの?隣国のディエス?」


「いいや、今度は海を渡った先にあるルドンと言う国に行こうと思ってるよ。ちょっと長旅になるがね、その国ではシエラという虫の糸を紡いで作った布が有名らしいんだ。素晴らしく肌触りが良いと評判でね。夜着にするのにぴったりだよ。手に入れたらお嬢ちゃんにも分けてあげるさ」


「まあ、それは楽しみだわ。魔物や盗賊にはくれぐれも気をつけてくださいね」


 サラはにこりと微笑み空いた皿を洗う。

 ダンチェスは朗らかに笑いながら席を立つと馬屋に預けてある馬と貨車の様子を見に外へと出て行った。





 実はこの世界、人間以外に魔物が存在する。


 そのため冒険者ギルドとというものが存在し、主に魔物退治やその他に初心者や子どもでも小遣い稼ぎが出来そうな簡単な依頼を冒険者や国民等に凱旋している。

 私はそこで、ここの宿屋の手伝い依頼を発見したのだ。


 ちなみにこの世界は魔法はなかったが、人間は神から恩恵を一つ授かっており、例えば誰よりも足が速かったり誰よりも力持ちなど、際立った特性や能力を生まれながら身につけていた。

 12歳になると能力に自ずと気づくことができ、それぞれ特性を活かした職に進むことが出来る、というわけだ。

 そんな私も前世の全てにおける料理の知識と一流シェフの料理の腕前といった、ちょっと説明するのが恥ずかしいが役に立つ恩恵をなんと二つ持っていたため、私の作る料理は瞬く間に巷に広がり、あっという間に宿屋の看板娘になったのである。

 まあ、看板娘になったからといって、特にちやほやされることはなかったが……。


 二つ以上恩恵を授かっているのは、とても珍しく、この国を建国した英雄やその子孫で現在、王太子のルイス殿下が3つ恩恵を持つと言われているらしい。


 なので、私は二つ恩恵を持っていることを誰にも言わず秘密にしていた。


 カチカチカチ。ゴーンゴーン。

 時計の針が12時を指し、鐘の音のような音が鳴り響く。


「あら、もうそんな時間?早く食材を買いに行かなきゃ間に合わないじゃない」


 後片付けや掃除をしていたら、あっという間にお昼になっていた。急いでエプロンを外し、食材を入れるバスケットを手にとる。


 その時ーー


ガランガラン


 勢いよく開いたドアとともに一人の見知らぬ男が入ってきた。


「嬢ちゃんはこの店のもんかい?ここで、うんまいもんが食えるって聞いたんだが」


 中肉中背で身なりはなんだが小汚く、容姿も珍しく醜い(前の世界じゃ平凡の部類)男がニタニタとヤニで染まった黄色い歯を見せながらいやらしい目でこちらを見てくる。

 この世界にもこんな醜い男がいたんだなと(ちなみな商人のダンチェスさんは太っているが痩せればイケメン)若干珍しくかんじたが、こちらを舐め回すように見てくる視線がいやらしく、一歩男から距離をとった。


「申し訳ありませんが、こちらは宿屋でして泊まる方以外に料理を提供しておりませんの。お客様は宿泊希望の方でしょうか?」


 視線を気にしないように毅然と答えると、男はさらにニヤリと口元を歪ませる。


「いいや?実はなぁ俺のとこで今度デッカい店を開くんだがな、腕の立つ料理人が欲しくてよぉ。報酬は充分やるから、こんなちんけな店を経営するより俺んとこで雇われてみないかと思って来たんだ。どうだ?悪い話じゃないだろ?」


 男はこれが月収金だと金貨が20枚入った袋を開けて見せた。確かにそれは遠目から見ても本物の金貨である。これだけの大金だと半年暮らしていけるだろう。


「確かに20万ベルは破格の収入ですわね。でも、私この店を手放す気にはなりませんの。この話、お断り致します」


「おいおい嬢ちゃん、こんな機会滅多にあるもんじゃないぜ?そんな地味な服よりもっと華やかで流行りのドレスを買うことも出来るんだぞ?」


 その言葉にサラはカチンと頭にきた。

 今着てる服は胸元が広く空いた白いブラウスに焦げ茶色の皮のコルセット、深緑のベロアスカートと確かに一見地味目だが、この世界で初めて出来た親友の店で買った服だ。

 若干胸元が開き過ぎている気がするが、汚れは目立たないし、よく見ると所々に繊細な刺繍が入っていてお出かけ用にもできるため、とても重宝していた。


 サラは顎を軽く上げ男を身下すように言い放った。


「だからですわ。良い話には必ず裏があるとね。それに私この服気に入っておりますの。料理人に華やかな服は必要ありませんでしょ?これから用事があるので良い加減帰ってくださいな」


「なんだと!?このアマ!!こっちが下手に出てりゃあ調子に乗りやがって!」


 男は馬鹿にされたと思ったのか、顔を耳まで真っ赤に染め上げ怒鳴った。

 これくらいでキレるとは程度が知れるが、やはり男女の差と言うか、女一人では男に太刀打ちできない。そのため、裏口から逃げて街の警備隊を呼ぼうとしたがーー


「おいおい、どこに行こうってんだ、ねーちゃんよぉ」


「ーーくっ!」


 男の方が早かったか、右腕を取られ逃げられないように後ろから羽交い締めにされた。


「ちょっと!離しなさいよ!警備隊呼ぶわよ!」


 サラは身体を捻って離れようとするが、男は「うへへ」と下卑た笑い声を耳元で漏らす。その口臭があまりにも臭く、サラはうっと一瞬呻くと反射的に男の足を思い切り踏みつけた。


「ぎゃっ!なにすんだ、この野郎!!」


「きゃあ!!」


 男は一瞬怯んだのか手を緩めその瞬間に逃げようとするものの、今度は怒り狂った男にカウンターに突き飛ばされる。

 振り仰ぐと男が顔を真っ赤にして拳を振り上げていた。


 ーーこれは逃げ切れないな。


 目をつむり歯を食いしばるものの、いっこうに頬に衝撃が来ない。

 すっと目を開けると、さっきまで顔を真っ赤にして怒ってた男が今度は半べそをかいたような情けない顔で固まっていた。


「いてぇ!!いてててて!!なにすんだこの野郎!!」


「ーーほう、女一人に暴力を振るうとは見過ごせないな」


 聞き覚えのあるバリトンボイスが室内に響く。

 視線を上げると醜い男の腕を後ろに捻りあげるようにして、背の高い男が立っていた。


「く!イテェだろ!手を離せ!!」


「手を離してもいいが、それは目の前の女性に詫びてからだ」


 男は艶やかで薄い唇に今まで見たことないような、ぞくっとするような冷たい笑みを浮かべた。

 その冷ややかな殺気に気圧されたのか、今度は顔を真っ青にすると「お、俺が悪かった!だから良い加減離してくれ!」と男は叫ぶ。その後、背の高い男がパッと手を離すとチャンスだとばかりにダッシュでその場から離れ店を出て行った。


 それを見届けると、すっと殺気を消し彼はこちらに振り向いた。


「怪我はないか?」


 さっきまでの冷たく凍えるような殺気がなくなり、こちらを気遣うような声が投げかけられる。

 サラは内心ほっと息をつき、彼に向き直った。


「大丈夫よ、助けてくれてありがとう。ギルバートさん」


「ギルだ、サラ」


 色々突っ込みたいところがあるけど、それはこの際無視しよう。


 さっきの凍えるような冷たい殺気の彼はどこに行ったのか、毎度のごとく愛称を呼ばせようとする男にサラは疲れたように溜息を吐いた。


「それで?ギル、何か用かしら?」


 改めて相手を見やると、ギルバートは切れ長の目をふっと細めサラを見つめた。


「いや、サラの手料理が久々に食べたいと思って来ただけだ」


「久々って、一週間前にも来たじゃない」


 青みがかった黒髪にアメジスト色の瞳を持った超絶イケメンに対しげんなりとした眼差しを送る。

 彼は三ヶ月前にこの宿に泊まってからサラの作る料理が気にいり、宿泊者にしか料理を提供しないからか、わざわざ宿泊をしていく変わり者だった。

 最近では一番の常連客かもしれないが、常に無表情で口数も少ないため何を考えてるかわからない。

 まあ、贔屓にしてくれるならこちらとしても嬉しいが、暇なのか泊まった日は半ば強引に宿屋の手伝いをしようとするため、はっきり言って邪魔なことこの上なかった。


「今回は何泊するの?」


「そうだな、一泊二日で宜しく頼む」


「わかったわ、ちょうど204号室が空いたから、そこを使ってちょうだい」


 サラはダンチェスが使っていた部屋の鍵をギルバートに渡す。

 しかし、ギルバートは鍵を受けとると何を思ったのか、急にサラの右腕を掴んだ。


「ちょっ、何をするのよ!」


「やはり、怪我をしているな」


 咄嗟のことに息を飲むサラを無視して遠慮なく白いブラウスの袖を捲ったギルバートは、細くて今にも折れそうな手首に浮かぶ痛々しい痕を目にし、眉間に皺を寄せる。


「大丈夫よこのくらい。ほおっておけば治るわ」


「駄目だ。治療しなければ仕事に支障をきたす」


 治療を渋るサラを無理に椅子に座らせ薬箱の在り処を聞くと、彼はテキパキと軟膏を塗り包帯を巻いていく。

 その手慣れた動作に思わず目を見張り、自分よりも上手なんじゃないかと内心思った。


「今日は料理教室がある日だろう?買い出しなら俺もついて行こう」


 治療が終わり、お礼を言ったサラの耳にやはりというか、ギルバートのいつもの言葉が響いた。

 サラは月に二回、宿屋で女性限定の料理教室を開いているのだ。その料理教室は奥様方に大人気でいつも予約が殺到していたのだが、どこでその情報を聞きつけたのか何故かギルバートも参加しており、女性限定だから料理をする訳でもなく壁に寄りかかって、その様子を始終見ていた。


「え?大丈夫よ、それくらい一人でーーって、何やってるのよ!」


 サラの言葉を無視し、ギルバートはいつも買い出しに使うバスケットをひょいっととる。そして彼女の怪我をしていない方の手をとり、すたすたと店外に出た。


 歩幅が違う彼にサラは小走りでついて行きながら、抗議の声を上げた。


「ちょっと手を離してよ!それとバスケットを返しなさい!食材の買い出しくらい一人で出来るわ!」


 ムキーっとなりながら手を振り解くも、大事なお財布が入ったバスケットを中々返してくれない彼に段々イライラが募る。

 手を伸ばして奪い取ろうとするが、彼が高く上げてしまい、上手く取ることができない。

 終いにはジャンプをして取ろうとしたが、彼の言葉によりピタッとその動きをとめた。


「俺にじゃれついてくれるのは嬉しいが、それだと視線を集めるだけだぞ」


 はっとなったが、時すでに遅し。

 周りを見るといつの間にか人通りの多い町中に来ており、道行く人が若干痛々しい目つきで遠回しにこちらを見ている。


 まずい、これじゃ唯のバカップルみたいだ。


 バスケットを取り返すことに無我夢中になっていたため気づかなかったが、サラはギルバートの厚い胸板に縋りつくような形で密着しており、はたから見れば完全に町中でじゃれあう恋人同士だった。


 サラはぱっとギルバートから距離を取るとぱんぱんと恥ずかしさ紛れにスカートの皺を伸ばした。


「からかうのはやめてちょうだい。買い出しくらい一人で出来るって言ったでしょ?」


「怪我をしているのに、どうやって重い荷物を運ぶというのだ。それにさっきの男が君に復讐しにくるとも限らない。俺が側にいた方が安全だぞ」


 確かに、食材の買い出しは沢山の量があって重い。

 野菜売りのマルクや知り合いのおじさんが好意で荷物持ちを手伝ってくれる時があるが、さっきの男がまた襲ってくると考えると怖かった。

 ギルバートは少々強引だが、悪い男ではなさそうだし、腰に帯剣をしていて腕もたちそうだ。

 ここはひとつ彼に頼るのも手かもしれない。


「確かにあいつがまた現れるのは怖いわね。あなた、腕がたつようだし、ここは護衛も兼ねてお願いしちゃおうかしら」


 さっきと違ってころッと態度を変える彼女に、訝しむ様子もギルバートはこくりと頷く。

「うふふふ、平然としていられるのも今のうちよ」とサラは密かに今までのイライラを晴らそうと決意するのだった。



「おじさん、赤の実とナムルの葉とエンド豆とルコルスを20個ずつ下さいな」


「やあ、サラ。今日はまた随分と買うんだね」


「ええ、今日は「荷物持ち」をしてくださる方がいるから、安心して沢山買えるの」


「…お、おおう、そうかい。そりゃあ良かったねぇ」


 ここぞとばかりサラは「荷物持ち」を強調し、満面の笑みを浮かべる。


 そんな彼女に若干引き笑いで受け応えをした八百屋の主は隣にたつ大量の食材を抱えた背の高い美丈夫を憐れみの表情で見た。


 可哀想に男は稀に見る美貌の持ち主だったが、両手に抱える紙袋が如何せん残念な雰囲気を醸し出していた。





「ごめんなさいね~。結局こんなに荷物を持たせることになっちゃって」


「いや、対したことはなかったから大丈夫だ」


 嫌味を込めたつもりなのに、さらりと返し荷物を軽々とカウンターの上に置くギルバート。


 ーーくっ、何よかっこつけちゃって!!


 サラが買い込んだ食材の量はバスケットに収まり切らず、1mほどの大きい紙袋になっていたが、ギルバートは汗一つかかず何食わぬ顔で店に帰る。


 そんな彼に内心ムキー!と憤るサラだった。


 きっと奴は腐ってもイケメンの部類なのだろう。

 そう思い直すことにする。


サラはテキパキとした動作で荷物を片付けると、ポットのお湯を沸かし、ティーセットをカウンターに用意した。

一応あれだけの荷物を持ってくれたのだから、ギルバートに対するサラなりのお礼だった。

 ギルバートはまさかお茶が出てくるとは思わなかったようで軽く目を見開き、カップを手にとった。


「ふむ、なかなか良い香りだ。ローメント王国の茶葉か?」


「あら、良くわかったじゃない。世界中を旅してる商人のダンチェスさんから頂いたのよ。あなたも行ったことがあるの?」


「前に仕事で少しな。あまり他国に普及していない珍しい茶葉だったから覚えていた」


「そうなの?旅は危険と隣合わせだけど、色々な体験ができて羨ましいわ」


 ギルバートの話に軽く目を見張ったサラはカウンター越しに頬ずえをつく。

 何をするわけでもなくぼーっと優雅にお茶を飲む彼を見つめているとふと視線があった。


「なんだ、俺に見惚れてたのか?」


 にやりと口角を上げる彼に、「んなわけないじゃない!!」とサラの怒声が響いたのだった。




 さて、そうこうしているうちに時計は14時半を指していた。

 そろそろ町の奥様方が集まり始める時間だ。ギルバートなんかに付き合っている暇はない。

 サラは無言で準備を始めると、さも当然のように彼も手伝いはじめた。

 2~3回しか参加していないのにすでに内容を把握してるのか、こちらが何も言わなくてもテキパキと準備をしている。

 最近ではいつの間にか空いた部屋のベッドメイキングもしており、その完璧な仕上がりにお前はここの従業員か!!っと叫んでしまいたくなることも一度や二度ではない。


準備が整うとーー



「こんにちは、サラさん!今日も宜しくお願いしますわ」


 カランカランと店の扉を開け、料理教室に通っているご婦人方がぞくぞくと中に入ってきた。生徒は皆庶民ばかりだったが、中には本当に庶民か!?と疑いたくなるような上品なマダムもいた。

 

サラは営業スマイルでにこやかに出迎えると、皆揃ったところで本日の料理「オムライス」の作り方を説明し始めた。

 基本はサラが厨房にたち、料理の材料を説明して、手順を見せる。

 ご婦人方はそれを見逃さないように事細かにメモを取り、自分たちも厨房にたって彼女の助言を受けながら料理を作っていく。


 そして、いくつか料理が出来るとそれを分け合って試食するのだ。


 その時間が一番楽しいらしく、どのご婦人方も幸せそうに頬を緩ませながら味見をしていた。


「今回もとても素敵な料理でしたわ!特にこのフワフワな玉子!帰ったら早速作ってみますわね!」


 上品な言葉使いで興奮気味に話すのは商家のご婦人だ。本当に庶民か!?と疑いたくなるマダムその人である。

 シェリーさんというその婦人は、白を基調としたお上品なドレスがとても良く似合うマダムでサラの料理の大ファンだった。

 そして、料理教室を開かないかと提案した人物でもあった。


「シェリーさんにそう言って頂けて光栄ですわ。ぜひ、次回の料理教室にも来てくださいね」


「ええ、もちろんですわ!それよりサラさん、最近ここで起きている不穏な事件をご存知?」


「ーー事件ですか?」


「ええ、どうやら王都で最近人攫いが起きているらしいのよ。しかも、狙われるのは身寄りのない若い女性や少年少女ばかり」


「え!そうなのですか!?」


「サラさん、貴女もしっかりしているとはいえ、ひとり身なのだから、気をつけてくださいね」


 心配そうにこちらを見ながら、お店を後にするシェリーさん。

 サラは「ありがとうございます」と笑顔で見送った。


 それにしても、王のお膝元で人攫いが立て続けに起こるとは驚きだ。


 シェリーさんは貴族との繋がりがあり、情報通でもある。そんな彼女だからこそ、その噂は公けにはなっていないものの信憑性があった。


 サラは考え込みながら厨房の後片付けをしていると、何処からともなく声がかかった。


「ーーサラ、あまり考え込むと手が滑るぞ」


「え?ーーあ、きゃあ!」


 ふと、近くからかけられた声に驚いたサラは、言葉通りに手が滑り洗っていた皿を下に落とす。


 しかし、落ちる寸前皿は見事に大きな手にキャッチされており、何とか割れずに済むことができた。


「すまない。驚かせたようだな」


「はぁ~、ビックリした。貴方一体どこにいたのよ。急に現れたから心臓がとまるかと思ったわ」


 サラの文句に再度すまんと謝るギルバート。

 今日も隅で教室の様子を見ていたようだが、綺麗に気配を消していたため、彼がいたことをすっかり忘れていた。

 もしかしたら、気配を消すことが彼の恩恵なのだろうか。


 ますます彼が謎の人物になっていく。


「お皿、ありがとう。それにしても毎度毎度よくばれずに見学できるわね」


 始め、見学の話を持ちだされた時、ミーハー好きなご婦人方に見つかったら彼の類稀なる美貌にキャーキャーと興奮して確実に教室どころではなくなるだろうと危惧していたーーが、全くそのようなことがないため、逆に彼の存在感の無さに感心している。



「気配を消すのは慣れているからな、後はどの女性もサラの作る料理に夢中になってて、こちらなど見向きもしないだけだ」



 一体どうやって気配を消すんだ。と思うものの、それ以上話そうとしない彼に自然と会話が途切れ、その後も話すことなく黙々と後片付けを終わらせた。

 すると、サラはこちらをじっと見つめているアメジスト色の瞳に気がついた。


「怖いのか?」


「何がよ」


「人攫いのことだ。先ほど、生徒の一人から聞いていただろう」


「あたり前じゃない。怖いに決まってるでしょ。そんな事件初めて聞くもの」


 こちらの心を覗くかのように、見つめてくるギルバートに、サラは動揺しながらも強い口調で返す。そんな彼女の態度が予想外だったのか、ギルバートはふっときつい目元を緩ませて穏やかに微笑んだ。


「ーーふ、意外と素直だな」


「な!それはどういう意味よ!」


 初めて見る彼の微笑みにサラは思わず赤面した。

 いつも無表情な美貌の彼が色気を放って微笑むと、それは素晴らしい破壊力を持つ。美形を見慣れたサラでも本当に心臓に悪かった。




 さらに……


「大丈夫だ。ーー何かあった時は必ず俺が護る」


 そっと髪をすきながら耳元で囁かれた言葉は、蕩けそうになるほど甘くて、


「それでは、また夕飯でな」と階段を上がり、二階の部屋に入る音がするまで、暫くフリーズしたのだった。


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