これまでも、これからも、ずっと
ふと、目の前が暗転する。
すべての景色が裏返り、ぐにゃりと曲がったかと思えば次に見えたのはどこまでも続く暗闇。
「何が起きてる・・・?」
自分では理解できなかった。
こんなことになったのは初めてだ。今まで一度の失敗もしたことはなかったのに。
(・・・違う、これは)
失敗とかそういう問題じゃない。
私の力が衰えたわけでもない。これは明らかに外部からの干渉があったのだ。
「ようやく見つけた・・・」
「誰だ? この真っ暗な空間は何だ?」
何もない空間において、彼女の声だけが聞こえる。
「その能力がアンタのものだけだと思ったら大間違いだよ」
「・・・ときわたりの能力を持つ者が、私の他にもっ・・・!?」
そんな話は聞いたことが無い。
瞬間、自分のまわり数メートルだけが上からスポットライトが当てられたように明るくなり、相手が近くに居るのも見えるようになった。
相手は私の首を思い切り掴むと、躊躇なく絞めてきた。
「ッ、こんな事をしでも・・・!」
「アンタは死なない、そんなこと分かってる。でも!」
手を離した瞬間、私は一瞬よろめく。
その瞬間に、顔が割れるんじゃないかというくらいの右ストレートが飛んできた。
痛いと言う感覚もなく、何もない黒の床にたたきつけられる。
「ゲホッ、ゲホッ・・・」
絞め付けられた首が苦しくて、言葉が出てこない。
「わたしの能力でアンタのときわたりの力は停止してる。わたしとアンタは、文字通り永遠にこの空間で生き続けるんだ」
「正気か!?」
「わたしは本気だ。ここは無間地獄・・・終わりは来ない。それに付き合ってもらうぞ・・・!」
立ち上がり、目の前に居る女を屈服させようとするが。
身体能力が違い過ぎる。生身の殴り合いでは勝てそうにない。
「最凶の神も能力を封じられたら形無しか。能力だけに頼り切ってるからこんな隙が生まれるんだ」
「ば、バカにしやがってこのクソアマァ!」
何度やっても結果は同じだった。
一切の武器も、能力も持ち込めない―――。ここは0と1との狭間。無と有の間に存在する虚数空間だから。
◆
家族の仇とも言うべき相手は意外な姿をしていた。
白いマントのようなものをくるむように着た女の子。
真っ黒な髪に、白い肌。背格好は小さく、わたしを殴りに来たその力は貧弱そのもの。歳にして5つくらいは下に見える。この子が・・・。
(悪神・・・。世界の歪みの中心・・・)
様々な世界、様々な宇宙に存在する悪の根源。根本。
「アンタはわたしの家族を殺したな」
「ふっ。いつ、どこでの話だ」
「神聖歴3025年、東京で起きた大規模テロのことだよ。主導者はアンタの配下の悪魔だろ」
「覚えてないね・・・」
そりゃそうだ。こいつは無限に存在する世界で無限に災厄をばらまいていた。覚えているわけがない。
「そんなことのために私を追ってこの空間へ来たのか」
「ああ。アンタをここに閉じ込めておけば、世界に災厄がばらまかれることもない」
「本気でそう思うのかい?」
彼女は腕を広げる。
「私が直接手を下さなくなっても、悪は無くならない。私ひとりを封じたところで、世界が平和になると本気で思ってるのか?」
「なに・・・?」
「もはやそんな次元じゃないんだよ。人間は放っておいても勝手に殺し合いを始めるし、それを止めようともしない。私はその背中を少しだけ押してやったに過ぎないんだ」
悪神は嗤った。
「こんな事をしても無駄なんだよ。分かったらさっさとここから出せ!」
「・・・やだね」
わたしはその場に座り込んだ。
「確かにこんなことしても何も変わらないのかもしれない。だけど、それでもやらないよりやった方が良いんだ」
「お前・・・」
「並大抵の覚悟でこんなところまで来られるかよ」
これから永遠にここでこの女と過ごすんだ。
こんな無為な会話は早く終わらせたい。
「わかった。お前の家族を生き返らせてやろう」
悪魔のささやきが聞こえる。
「お前の家族だけじゃない。お前の世界に存在したあらゆる悪を取り払ってやる。そしてその世界には二度と手出ししない。どうだ、悪い条件じゃないだろう」
「・・・ッ!」
正直。心が揺らいだ。
こいつが万能の力を持つ神であることは分かっている。
ただ、その力の使い方が常にマイナスであるだけで、神は神。その能力は確かなものなのだ。
だから、こいつの言っていることは恐らく、本当で・・・。
「・・・その手には乗らない」
「おいおい。私はお前を騙す気は無いぞ」
「それが傲慢だと言うんだ!!」
わたしはその場から一歩も動かず、下の黒い空間を見ながら言う。
「どんな悪いことをしても、何をしても後からやり直すことが出来る。お前はそうやって人間を見下してるからあんなひどいことが出来るんだ! 人間なんていくらでも生き返らせれば良いし、建物も直せば良い。壊れた世界も指先一つで元に戻せる・・・」
「だからなんだ。私にはその力があるんだよ」
「お前のその力に頼ったら・・・わたしもお前と同じじゃないか」
ぽろぽろと、額から涙が零れてきた。
「家族が死んで思ったこと、考えたこと、そこでわたしの為に動いてくれた人たち・・・。それを全て、お前は自分の裁量1つで全部無駄にしようとしてるんだ」
「それを全て消して救ってやろうと言っているのに」
「・・・そんなものが救いであってたまるものか。わたしはこの気持ちを忘れたくない。家族を奪われた悲しみ、痛み、後悔、苦しみ・・・全部わたしのものだ。誰にも奪わせるもんか・・・!」
「ッ! 調子に乗るなよ人間の分際で!」
両手で握り拳を作って、悪神はそれをわたしの脳天に叩き込む。
「出せ、ここから出せ! 私はこんなところに居るべきじゃないんだ。私は神だぞ!?」
がん、がん、がん。何度も叩かれたが、絶対に死ぬことは無い。痛みが残るだけで・・・。
「はあ。はあ。はあ・・・」
やがて殴り疲れて、彼女はその場に倒れ込んでしまった。
「ここには変化なんて無いんだ。わたしもお前も、永遠にここで変わることなく過ごし続けるんだよ」
「くそっ、ふざけるな・・・っ。お前なんかと、こんなところで!」
彼女は何度も何度も外部と連絡を取ろうとしたが、全て無駄だった。
変わることの無い空間。外部から一切干渉不可能な領域。何も起こることがない黒い空間。
そこに閉じ込められたことを、ようやく実感したようだった。
「私は神だぞ、こんな・・・!」
「みっともないね。何が神だ」
「このぉっ!」
彼女は何度も何度もわたしを殴ったが、やがて飽きると、どこかへ立ち去ろうと駆け出す。
しかし空間は動かない。このスポットライトの当たっている場所からは少したりとも外へ出ることは出来ないのだ。
どれだけ走っても、何の意味もない。
時間が経つと・・・この場に時間と言う概念もないけれど、しばらくすると彼女も座り込んで、しまいには横になり、目を瞑った。
「眠れないよ」
「分かっている。目を瞑っているだけだ」
「対して変わらないのに」
「お前の姿が見えるのと見えないのとじゃ大違いだ」
へいへい、と生返事をする。
彼女が目を瞑るに至るまで、一体どれだけかかったろう。時間にすると・・・億年はくだらないんじゃないだろうか。
「おい、人間」
「なんだい悪神」
「・・・話し相手になれ」
彼女にはもう、交渉しようなんて考えはこれっぽちも残ってなかった。
暇だから、相手になって欲しいんだ。
「つまらんな、お前の人生なんて」
「はは。もう怒りすら感じなくなってきたね」
前のわたしなら、わたしの人生がつまらないなんて言われたら激昂しただろう。
「・・・このまま感情が死んでいくのかな」
「さあな」
なんか、やだな。
わたしはきっと、そんな程度にしか考えていなかったのだろう。
「ね、キス・・・しよっか」
「はあ? ついに気がふれたか」
「もう何でもいいよ。生きてるって実感が欲しいんだ」
恐らく永劫に近い時が過ぎただろう。
家族の仇とキスしようなんて、我ながらおかしいことをしていると思う。
「ちゅ・・・」
結局キスしたくらいじゃ何も変わらなかった。ああ、そうだなくらいの気持ち。
「お前、好きでもない相手とこんなことして気持ちいいか?」
「全然・・・」
「私もだよ」
そっか。感情が無かったらキスしても、気持ちよくもなんともないんだ。
感情なんてそんなもの、随分前に忘れてしまったから。
「んん・・・」
「歯を立てるな。痛いだろ」
「アンタも、上手くなったね」
「そりゃずっとこんなことをしていれば上手くもなる」
結局その後、いろんなことを試したけど同じだった。
きっと身体は何か感じているのだろうけど、それを感じてもどうも思わなくなってしまった。
胸を揉まれても、噛み付かれても、殴られても、抓られても、何も。
(そっか。これが―――)
これが―――永遠―――
「哀れだな、人間。所詮人間では永遠には辿りつけない・・・。こうなる事は分かっていた」
悪神はそう言って、わたしの身体に触れる。
「勝手に逝くな。貴様が無間に付き合えと言ったんだろう」
彼女が触ったところだけが、暖かい。
「この世界はどこの世界とも繋がっていないがすべての世界と繋がっている。私がお前とここでこうしている限り、全ての世界は私たちの下に置かれる・・・」
「終わりが・・・こない・・・って事?」
「今のところはな。そしてこの世界の下に置かれた世界は・・・そうだな。きっと」
彼女はぎゅっと、わたしを抱きしめる。
「私とお前の願ったようになるさ」
「願ったように・・・?」
「私たちが今、お互いを必要として、求めあっているように。イヴとイヴが結ばれる世界になる」
「なにそれ」
わたしはそれに、少しだけ笑みを浮かべた。
薄れながらも、しっかりとした意識の中で、そのことだけが温かく感じたのだ。
「しっかりしろ。私を永遠に捕まえておくんだろう」
「うん・・・。そうだね」
1人じゃない。
この永遠の世界でも、2人なら生きていける。
無限に近い時間の中で、わたしは彼女を、彼女はわたしを必要だと思うようになったのだから。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
如何に短編集と言えども、どこかで終わりを設定しなくてはと思っていたところ、そろそろこの短編集を書き始めて1年になるという事を1話の日付を見て思い出し、キリの良い50話を1つの区切りにしよう、と考えた次第です。
「いろんな百合が書きたい」と思い書き始めた短編集でしたが、今までに書いたことがないような設定を使うことで新しい発見がいくつもあり、とても楽しく女の子同士の恋愛を書くことが出来ました。たぶん自己満足です。
50の短編のうち、1つでも読者の方に刺さるものがあったのなら本望です。
それでは、また。




