ガラパゴス・グリーティング
わたしはこの病院から出たことが無い。
呼吸器官がすごく弱いらしくて、ナントカっていう細かい空気上の小さい物質を吸い込むと咳が止まらなくなり、悪いと死んでしまうのだそうだ。
だから無菌状態の病棟でしか生きられない。
わたしはこの小さな病院の中の、更に小さな無菌区域しか見たことが無く、それがわたしの世界全てだった。
そんなある日、病棟に新しい患者さんが入院してきた。
もの珍しさに病室を覗き込むと。
全身包帯で包まれた患者さんが、無菌病棟なのにも関わらずガラスケースのような透明の壁で囲われた病室に入れられていた。
先生や看護師さんは、基本的にそれを外から診るだけ。
たまに中に入る人が宇宙飛行士さんみたいな恰好をしているのには、さすがに驚いた。
「ねえ、お隣さん、大丈夫かな?」
「ここに入ってくるのは今すぐに命が危ない人じゃないから、大丈夫だよ」
いつも通り喉の検査が終わった後、先生に聞いてみたけど、それ以上の事は教えてくれなかった。
(全身包帯でぐるぐる巻きなのに・・・?)
そんな事を思ったけれど、先生が言うって事は大丈夫なんだ。
なら。
(お話・・・出来るかな)
あくる日、隣の病室へ行ってその人に話しかけてみることにした。
「あ、あの。わたし、遠山亜美って言います。ご、ごきげん・・・よう?」
他の病室の人に話しかけるなんて初めての事で、緊張してしまう。
ここに来るのは基本的に大人が多い。だから、なんとなく話しかけづらくて。
包帯でぐるぐる巻きの人は何も言わない。
(寝てるのかな・・・?)
と、思った瞬間。
「寝てないよぉ」
ガラスの向こうで、消えそうな声が響いた。
「包帯ぐるぐる巻きだけど、大丈夫ですかっ?」
返してくれたのが嬉しくて、わたしはそんな事を聞いてしまう。
「ああ、これ。手術痕があるからって言うんだけど、もう治ってるのよね」
「じゃ、じゃあ、お顔、見せてくれないかな?」
わたしはただ嬉しかった。それだけのことで言った台詞だ。
半分無理だと思っていたけど。
「うん、良いよ」
「ほんとう!?」
「でも、先生や看護師さんには内緒だからね」
内緒・・・その言葉に少し、胸の辺りが重くなったけど。
それが逆に、わたしを後押ししてくれた。
「うん・・・っ。内緒!」
誰かと秘密を共有する事なんて、生まれて初めてで。
胸が躍った。
包帯の人は包帯でぐるぐるの手を動かして、頭の包帯を取っていく。
次第に顔が見えてきた。
まんまるで大きい目、小さな鼻と口。まるでお人形さんみたいにかわいらしい顔つき。髪の毛は銀色のウェーブがかかっていて、肩の少し上辺りで切りそろえられている女の子だった。
「かわいい・・・」
わたしは気づくとそんな言葉を口からこぼしていた。
「ふふっ。ありがとう。君もかわいいね。声がかわいいからきっとそうだと思った」
彼女はこちらに笑いかけてくれる。
わたしは嬉しくて、ガラス張りの部屋の透明な扉に手を付け、彼女に近づこうとする。
「亜美、だっけ。私はアリス。私たち、友達になりましょう?」
「うんっ! わ、わたし、友達が出来るなんて初めて!」
「ふふ。あなたの初めてになれて嬉しいな。そろそろ先生が来る時間だから、また明日お話しましょう」
わたしは強く頷くと、急いで自分の病室へと戻った。
◆
翌日。
太陽が1番上に昇った時間に、アリスへ会いに隣の病室へ向かう。
「アリス! 会いに来たよ!」
「ふふ。そんなに慌てなくても、今日は夕方までお話出来るから」
昨日の様に包帯を取って微笑むアリス。
それからわたし達は色々な話をした。
わたしの事、わたしの病気の事、アリスの事、そしてこの病棟の外の事。
「世界は広いわ。亜美の想像もつかないようなものが、この外には広がっているの」
「写真や絵なら見た事あるけど・・・」
「実際に行ってみると全然違うよ。いつか、亜美と一緒にいろんなところへ行ってみたい」
アリスはそんな事を言いながら遠くを見つめる。
「うん! 絶対行こう。今は無理でも、明日。明日が無理なら、明後日。いつか、絶対にいけるよ」
「・・・亜美は、いつか自分が外に出られると思う?」
「当たり前だよ。先生が"医学は日進月歩で進化してる"っていつも言ってるもん。いつか、わたしみたいな子でも世界のどこでも自由に行ける日が来るって!」
それがいつかは分からないけど、きっと行ける。
「生きていれば、絶対にそういう日が来るって、信じてるから」
わたしはそう言って、ぺたんと透明な壁に両手をつけた。
「・・・亜美は、強いね」
アリスは寂しそうな笑いを浮かべながら言う。
「そうね。あなたの未来は希望に溢れている。亜美はそういう未来を生きられる子だよ」
「わたしだけじゃない。アリスも・・・わたしの未来には、アリスも居るよ」
「・・・」
アリスはそれを聞いて、しばらく黙り込んでしまう。
何か、変なこと言ったかな。怒らせちゃったかな。そう思い、焦っていると。
「亜美、これからここで起きること、絶対に誰にも言わないって誓える?」
「うん。ちか」
わたしが言いかけた瞬間。
「絶対の、ぜったい、だよ?」
今までと違う声色で、アリスはこちらを一点に見つめながら言う。
どうしてだろう。
わたしはそれを、怖いと感じてしまったのだ。
「うん・・・」
それでもそう言ったのは、アリスが友達だから。
友達の約束は絶対だもん。わたしはそう言って、頷いた。
「分かった。私も亜美のこと、信じるね」
アリスがそう言った瞬間。
彼女の左腕の包帯が、引きちぎられた。
と言うより、中からの力で破裂した。
「―――」
なにも言えなかった。
だって、アリスの左腕が・・・銀色で、大きくて、ギザギザしていて・・・ガラス部屋の左半分を埋めてしまいそうなほど、大きくなって。
その大半は、透明な壁に張り付いていたから。
「わたしはね、宇宙人と一つになったの」
「宇宙・・・じん・・・?」
「宇宙人は言語によるコミュニケーションと言う概念が無い存在。だから、わたしの身体に入り込んでわたしの一部になったの。そうすればわたしが、この子の言葉を人間に伝えることができるから」
「な、なに言ってるのアリス・・・? 分かんない、わたし、分かんないよ・・・!」
げんごによる、とか。がいねん、とか。一部になった・・・とか。
わたしには分からない言葉だった。
「驚かせてごめんなさい。わたしの中にいる宇宙人が、亜美に挨拶がしたいからって」
「その・・・、腕が銀色になって大きくなるのが、うちゅうじんさんの挨拶なの?」
「これが自分たちの存在を亜美に1番強く伝えることが出来る手段だから。宇宙人も亜美のこと、良い子だって思ってるから、嬉しくなっちゃったみたい」
わたしはごくり、とつばを飲み込む。
目の前にある光景は、今までの写真や絵じゃ見たことが無い光景だ。
でも、これがアリスの言う"外の世界"では普通の事なのかもしれない。アリスは実際に行ってみなければ分からないこともあると言っていた。
「う、宇宙人、さん・・・」
わたしは怖いと言う気持ちを必死に堪えながら。
「わたし、遠山亜美・・・です。お友達に、なってくれますか?」
涙を精一杯我慢して、アリスの顔を見つめながら言った。
すると。
アリスの左腕から膨れ上がり、透明な部屋の左半分に張り付いていた銀色が、一瞬のうちに小さくなっていき。
次の瞬間にはアリスの左腕は白い肌に華奢な、普通の女の子の手に戻っていて。
その指先では、親指と人差し指を使ってOKマークを作っていた。
「ふふ、是非。だって」
アリスはそう言って、噴き出すように笑ってわたしの方を見た。
「少しリアクションがオーバーな子なの。これからも怖がらせちゃうかもしれないけど・・・許してね?」
「ううん。ごめんなさい、わたしもちょっと驚いちゃって、涙が・・・」
怖くて怖くて泣いてしまった涙を、必死にふき取る。
「私たち地球人がこうやって言葉や仕草で自分の気持ちを伝えるように、この宇宙人たちには宇宙人たちなりの気持ちの伝え方があるの。それが地球人のものとは少し違っていて」
「・・・それで、うちゅうじんさんと一つになったの?」
「この子たちに悪意は無いの。地球人と仲良くなりたい・・・、でも、相手に気持ちを伝える方法が無い。だから、わたしはこの子たちの気持ちを地球に生きる人みんなに伝えられるような、そんな人間になりたいって、そう思って」
わたしはそのような存在に、心当たりがあった。
「そういうのって、"翻訳者"さんって言うんだよね?」
「翻訳者・・・?」
それを聞いたアリスは。
「そう・・・かも、しれない・・・わね」
噛み締めるように、うんうんと頷き。
「宇宙人と1つになることが翻訳者だなんて、考えたことも無かった。やっぱり亜美、あなたってすごいわ」
アリスは心底嬉しそうに、ぶんぶんと手を振りながらわたしに笑いかけてくれた。
「亜美・・・わたし、あなたの事が好きみたい」
「友達ってこと?」
「ううん。違うわ。これは・・・恋」
こ、恋!?
「愛と言っても良いんじゃないかしら」
愛!?
「ねえ亜美、私たち、将来は結婚しましょう」
「ひゃううう、け、結婚・・・っ」
どうしよう。でも、友達になれたんだから・・・。
恋人にもなれるし、結婚だって、できる・・・よね?
「うん。大人になったらアリスのお嫁さんに・・・なりたい」
「ふふ、亜美がお嫁さん・・・ね。あなたがウェディングドレスを着るのなら、私はタキシードを着こなせるような素敵なレディになりたいわ」
「ああっ、でも!」
わたしはその瞬間、決定的な事に気づいてしまった。
「アリスのウェディングドレスも見たい・・・!」
でも、わたしも勿論ドレスは着たいし!
「ドレスもタキシードも、両方着ましょう。この子も、そう言ってるわ」
「えっ、宇宙人さんもドレス着たいの!?」
わたしが驚いたように言うが。
「当たり前よ。この子も女の子だもの」
アリスは平然とした顔でそう言って、少し頬を赤くさせた。




