永遠の孤独から
突然ですが、わたしは神です。
正しく言えば神の遣い、天使ちゃんです。
「天使ちゃんおはよう」
「おはようございます、藤野さん」
呼びかけてきたクラスメイトの藤野さんに笑いかけて頭を下げる。
「天使ちゃん、俺の名前覚えててくれたの!?」
「はい。クラスメイトですから。藤野泰人さん」
そう言うと、彼はガッツポーズして走っていき、随分遠くで友人たちと嬉しそうに談笑を始めた。
(彼と直接会話をするのは初めてなのに、随分と嬉しそう。わたしに気があるんですかね)
思春期の多感な時期だ。仕方ない。
人間も生物である以上、種を後世に残さなければならない。彼の反応はある意味当たり前なのかもしれない。
「山田天使ってさ、キラキラネームだよね」
その日の昼休み中、クラスメイトにそう話しかけられた。
「そうでしょうか?」
「いや天使はキラキラでしょ」
前任者は別の名称で呼ばれていた・・・そうだ、DQNネームと。
たった数年間で天使という名前の認識に違いが出始めるとは、やはり。
(この国の人間はどこかおかしい)
そんな事を考えながら空を・・・天元を見つめた。
(地球からは天元が青く見える。宇宙から地球は青く見える。でも、その実どちらとも青くはない)
大気と豊富な水資源、そして適正な恒星からの距離に恵まれたこの星らしい特徴とも言えるかな。
知的生命体がここまで高度な文明を持つことは非常に珍しい。
わたしも長い間、天使というものをやっているけれどこれは本当に驚かされることだ。
大抵の生物は時間を止める。
二足歩行に至った生物はいくらでもあるが、そこから高度な知性を宿した生物になるのは本当に一握りだけである。
だが、その一握りのほとんども高度な文明を持つことは無い。
そこで形成される社会構造もルールも、全ては種を後世に残すことが目的である。
「その中で、この地球文明は第4の時代に至った希少な種・・・、今後も要監視、と」
Wordにそう打ち込んで、ファイルを保存する。
地球人類はそういった生物の種の保存という枠から突出しつつある。単純に自分たちの子供や孫を生み出すことが幸福であるという価値観から出つつあるのだ。
(これは第4の時代が終わる兆しなのか、それとも地球人類そのものが終わりつつあるのか)
そこまではわたしにも分からない。
パソコンをシャットダウンするとベッドにもぐりこんだ。
どちらでも良い。
人類が第4の時代を乗り越えようというのなら、それはそれで歓迎だし、滅ぶというのならわたしはさっさとこの星から出ていけばいいだけのこと。結局は他人事なのだ。
◆
「天使先輩おはようございますっ!」
「今日も元気ね、渡辺さん」
最近、やたらすり寄ってくる後輩の女の子に挨拶をする。
「渡辺はやめてくださいよー! あたしは小悪魔琥亜ちゃんですよぉ」
「あなたは悪魔には見えないけれど」
「あーもう、先輩は堅いんだから! 言い回しですよ。小悪魔っぽいでしょ?」
言うと、彼女は八重歯を見せて爪を立てるポーズを見せる。
「それは悪魔ではなく、肉食獣じゃ?」
「先輩の重箱の隅をつつくような突っ込み、そこも好きです!」
きゃー、と嬉しそうに頬に手を当てて身体をくねらせる琥亜ちゃん。
・・・なるほどね。
(わたしに甘える自分の可愛さをアピールしてる、と)
若いころの女性に見られる傾向だ。
より良い男性を捕まえる為のポーズ。これも血の継承を目的とする生物にとっては当然の事なのだろう。
「琥亜ちゃん、そういうのは他の人にやってみたら?」
わたしでは相手に出来そうにない。
だから、他の女の子・・・同級生でも良いので、それを相手にしてほしい。そう言うつもりだったのだけれど。
「ぐすん・・・」
ここで彼女に泣きだされるのは想定外だった。
「こ、琥亜ちゃん?」
「ぜんばいは、あだじのごど、ぎらいなんでづか・・・?」
「嫌いじゃないよ。でも、その、そういう事じゃなくて」
対応に困る。この子は要するに対処がめんどくさい人間なのだろうか。
「わたし、ノリ悪いし、琥亜ちゃんが望むような対応はできないと思うの。だから、こんなわたしの相手をしても疲れるだけだと思うよ?」
「なんでそんな事言うんですか・・・」
彼女はうつむきながらわたしの手を握る。
「こんなこと、他の誰かにやれるわけないでしょう!? あたしは先輩だから、先輩が好きだから、先輩に振り向いて欲しいから・・・」
「・・・!」
その独白は至って真剣なものだった。
そこに不純なものは何も混じっていないことが感じられる。
これは天使として相手に踏み込んだ結果じゃない、人間である「山田天使」として、琥亜の想いを受け取り感じた事だ。
「わ、わかったよ琥亜ちゃん。無神経なこと言ってごめんね」
「・・・」
「わたしもあなたの事、好きだよ」
「ホント、ですか?」
そこで彼女は頭を上げる。
「うん。本当」
彼女の顔に少しだけど、笑顔が戻った。
その後は手を繋いで、学校まで歩く。
(琥亜ちゃんは憧れや博愛を恋愛と勘違いしてる。この子くらいの女性には珍しくないことだけれど)
可愛いものや綺麗なものに憧れや過剰な反応を示す傾向。
その気持ちは嘘ではないのかもしれないけれど、大抵、その先には何もない。
人生などその何もないことの繰り返しだという事を前提として言うけれど、彼女のこの気持ちは結局、後の思い出になるだけだ。
(自分を目立たせるために他者との関係を利用する。人間の狡さ故の賢さ、か)
これが人間が第4の時代を抜けられない理由の1つでもある。
そんな小手先の策を弄しても、その先には何もない事に気付いてほしい。それはあなた達が第4の時代に置いていかなければならないことだ。
「先輩好きです」
「夏休みは一緒に海行きましょう海、泊まりで!」
「今日は先輩の家へ行ってご両親に挨拶をば!」
「じゃーん。バレンタインということで愛を込めてチョコ作っちゃいました」
琥亜と出会って1年が過ぎようとしていた。
飽きないな、この子。なかなかわたしから離れようとしない。
どうするんだろう。あと1年でわたしは高校を卒業する。そうしたら。
わたしは天元に還るというのに。
「ねえ、琥亜ちゃん」
「なんですかぁ?」
ある日。ファミレスで内容の無い会話をしていた時のこと。
「わたしが卒業したらどうするの?」
「うーん。そりゃあ学校はつまんなくなっちゃうかもですけど・・・。でも、放課後になれば会えますし、問題ないのでは?」
「あのね、琥亜ちゃん」
県外の大学に進学するとか、適当な事を言って別れを切り出すしかないだろう。
これ以上一緒に居ても。
互いに辛いだけだ。
「・・・わかってます。別れたいんですよね」
「えっ・・・」
こちらが言う前に、言われた。
「良いんです。分かってました。先輩はあたしの事、懐いてる後輩くらいにしか思ってくれていないんだって。でも、それでもいい。それでもいいから近くに居たい。先輩と一緒に過ごしたいって、あたしが勝手にやってたことですから・・・」
「・・・ごめんなさい」
「謝らないでくださいよ。あたし、もっと惨めになるじゃないですか」
琥亜ちゃんは立ち上がると、財布だけを残して席を立って行ってしまった。
わたしはそれを追いかけられない。立ち上がることが出来なかったのだ。
(どうして、琥亜ちゃん。わたしに恋愛なんてしても、その先には何もない。わたしと付き合うなんて無駄なんだ。いくらわたしと愛し合っても、そこに血の継承は無い。生物の使命である種の保存は無いんだよ)
・・・じゃあ、どうして。
どうして、わたしは天使としての使命を逸脱して彼女の好意を受け続けたんだ。
どうして彼女が泣きだしたあの時、切り捨てることが出来なかった。突き放して、わたしには付き合ってる人がいるからごめん、くらいの嘘がつけなかったんだ。
それは。
(わたしが、琥亜ちゃんの事を・・・愛してしまったから)
天使であるはずのわたしが、1人の女の子の人生を大きく曲げてしまった。
意識するより前に、わたしはその場から駆け出した。
レストランから出ると、真っ暗な夜道で泣きながらぽつぽつと歩いている女の子を見つける。
「琥亜ちゃん!」
わたしは叫んで、彼女を後ろから抱きしめた。
「先輩・・・」
「わたしはあなたの事が好き!」
「優しいんですね、先輩は。でも、もういいんです」
「良くない!!」
わたしはお腹の底から声を出して言う。
「琥亜ちゃんがよくてもわたしが嫌なの! わたしはあなたのことが好き。だからわがままも言うし、あなたを手に入れるためなら何でもするわ!」
「せんぱい・・・?」
「この世界や人間がどうなっても、そんな事はどうでもいい。わたしは琥亜ちゃん、あなたと一緒に居たい。あなたを愛していたい・・・、自分の使命や地球の未来より、わたしにはあなたが大切だって、気づいたから。だから、だから」
そう。天使として生きてきて、ずっと抱いていたもの。
「わたしを、独りにしないで・・・」
人との間に壁を作り、決して相容れなかった。
知らず知らずに他者を見下し、人間を理解しても"自分"をさらけ出し分かり合おうとは思わなかった。
それが己を、天使を特別だと思い込んでいた、わたしの限界だったのだ。
「先輩、ようやくホントのこと、話してくれましたね」
「うん・・・」
「でも、あたしはそれでも良かったんです。先輩があたしのことを好きじゃなくても、あたしが先輩を好きな気持ちは変わらないから。だから、先輩の1番近くに居られれば、それで」
腕の中の少女はとても小さく、とても温かい。
「これからは、その何倍も、わたしがあなたの事を愛するわ」
この温かさこそが、人の本質なんだ。
神が何のためにわたしを人間界で生活させたのかは分からない。
だけど、この温かさを知ることが天使の役目だったのだと、今は思いたい。
「それじゃあ、あたしはその十倍、先輩のことが好きって言い続けます」
ようやく手にしたこの温もりは、絶対の絶対に嘘じゃないから。