BEGINNERS
「左ひざの半月板損傷・・・」
医師の診断を聞いて、愕然とした。
何も、本当に何も考えられない。今、何が起きているのかも。
「それで、全治は?」
「・・・半年はかかるでしょう」
半年。つまり、7月。
わたしの高校最後のインターハイ予選が、とっくに終わっている頃だ。
インハイの予選は6月から始まる。
つまり、夏の予選出場は絶望的になった。
「起きてしまったことは仕方ない。問題はこれからどうするか、だ」
我が校は全国でも屈指のテニス強豪校。
そこでわたしは、2年生からずっとエースの座を守り続けてきた。
2年生の時点で、先輩含め、わたしに勝てる選手はうちには居なかった。
いや、全国を見回しても、ほとんど居ない。良い勝負が出来そうな選手は何人か居たが。
・・・これはわたしの驕りでも何でもなく、れっきとした事実である。
「わたしは、インハイに出ます」
それでも、この強豪校で半年のブランクは大きすぎる。
他の部員が今のわたしより強くなるとは思えない。
だけど、わたしが。半年後までに自分のコンディションを現状に戻すのは不可能だろう。
そして何より、半年もチームを離れていた"わたし"に、自分たちの3年間の集大成を預ける気には、なってくれないだろう。
わたしはみんなに恨まれるような事を多々してきた。
高圧的な態度をとったり、とんでもない練習量を課したり。
それも、全てはチームの事を考えてしたことだ。
(ここに来て、それが裏目に出るなんてね・・・)
もう面会時間ギリギリなのに、まだ病室に残っていたコーチはわたしに語りかける。
「お前のやり方は正直、手放しで褒められるものじゃなかった。スポーツの本質は勝つことじゃない。特に高校で行う部活というものは、そこでスポーツを通して健全な精神を育むというのが1番の目的だ」
「わたしはそうは思いません」
それを一蹴する。
「勝つことが全てですよ。わたしは部員たちに勝つことで全てを示そうとしてきました。負けても得るものがあるとか、試合に負けて勝負に勝つとか、そんなの負け惜しみじゃないですか。負ければ今までしてきたことが全て否定される。勝てば、勝ちさえすればみんなが自分の事を認めてくれる。それを、身を持って示そうとしようとした、それだけだったんです。実際、わたしは1年生のあの試合を最後に、1試合たりとも負けてない」
ぎゅっと、自らの拳を強く握りしめた。
「それじゃあ、私が言いたいことも分かるな」
コーチは目を瞑る。
「勝てないわたしに用はない、ですか」
「・・・そうだ」
ぐっ、と。歯を食いしばった。
今、唇を噛んだら食いちぎってしまいそうだったから。
「お前が出られるとするなら個人戦だけだ。団体にお前の席は無い。そしてこれは私がコーチとして言ってやれる最後の助言だ」
彼女は、そこで一拍を置くと。
「夏は諦めろ。ゆっくりリハビリをして治していけば、選手生命に関わるような怪我じゃない。お前の実力があれば、その後の事なんぞどうにでもなるだろ」
「それが、わたしを団体から外すと言った本当の理由ですか」
「さあな」
団体には入れないと最初に言っておけば、わたしがチームを背負うことなく、自分だけの問題としてこの怪我と向き合える。
コーチはそう思ったんだろう。
だけど、わたしはそんな事を言っているんじゃない。
「今だけなんですよ」
「ん?」
「わたしの高3の夏は、今を逃したらもう二度と戻ってこないんです」
だって、わたしは。
―――日本一の、本物の負けず嫌いだから。
◆
「こほっ、こほっ」
カラカラと点滴を引きずりながら、病院内を散策する。
私の病気は先天性・・・、お母さんからの遺伝らしい。
そして、お母さんは私を産んだ時に死んでしまったと、昔お父さんが言っていた。
でも、お父さんは最近、その話をしなくなった。
きっと、わたしの病状がだんだん悪くなってきてるからなんだろうな、と。
なんとなくだけど分かっていたんだ。
(いつ、死ぬのかなあ)
そんな事をぼんやり考える。
死ぬのは怖いとか、嫌だとか。そういうのはもうだいぶ前に通り越してきた。
別にやりたいこともないし、あったとしてもこの身体じゃ出来ないし。
そこまで生きることに執着したいわけじゃない。
どうせ人間なんて100年弱でみんな死んじゃうんだ。私が20で死んでも、70年違うだけじゃないか。
そんな事を考えながら、春の心地いい陽気に押されてリハビリ室の前を通り過ぎた時の事だった。
がしゃん、と。
中で、何かが倒れる音がした。
(またあのおじいちゃんかなぁ)
お年寄りの介護は大変だろうな、と思いながらリハビリ室を覗くと。
「えっ―――」
文字通り、絶句してしまった。
「星村さん!まだ無理です。今日はここまでに」
「大丈夫です。これくらいの事で諦めてたら、6月には絶対間に合わないッ・・・!」
そこに居たのは床に崩れ落ちている、年上くらいの女の子と、それを気遣う看護師さんの姿だった。
患者の女の人は、一所懸命に身体を立てなおし、再び歩行のリハビリを再開する。
何度転んでも、彼女は日が暮れるまで、ずっとリハビリ室から出ようとしなかった。
「・・・」
なんというか、とんでもないものを見てしまったような気がする。
私は言いようのない気分になって、そこから逃げ出した。
―――なんかあの人、怖い。
それが正直な感想だった。
「あなた」
だからある日突然、廊下を歩いている時に、あの女の人に話しかけられたのにはびっくりした。
「これ、落としたよ」
女の人はゆっくりとしゃがみ、立ち上がってそれを手渡してくれた。
杖をついた、痛々しい姿なのに。
他人であるわたしの落とし物を自力で拾ったのだ。
手のひらを見る。
そこにあったのは、いつも首から下げているロケットだった。
紐が切れてしまっていたらしい。
「それじゃ、わたし行くから」
女の人が後ろを振り向こうとした、その時。
「待ってください!」
私は、そう叫んでいた。
「どうして毎日、あんなムチャクチャなリハビリしてるんですか?私、病院暮らし長いから知ってるんです。あなたの怪我はこじらせたら一生のモノになるんですよ!時間なんていくらでもあるんだから、ゆっくり治せばいいじゃないですか!」
どうしてだろう。
なんで私は、こんな他人に大声を出しているんだろう。
「・・・わたしの一生を賭ける価値が、あと三か月の間にはある。それだけだよ」
真っ直ぐに私を見つめて、そう言った。
「~~~」
私はパニックになってしまう。
この人は何を言っているんだ。そんな短い期間に、人生を棒に振る価値があるわけがない。
この人を止めなきゃ。どうしたら止まってくれる?
必死に考えた結果。
「私、手術受けます!失敗したら、多分死ぬくらい、大きな!それに成功したら、私の言うこと聞いてくれますか!?」
なぜだか、そんな事を言っていた。
女の人は数秒間、考えると。
「・・・分かった。約束する」
そう言って、力強く頷いた。
◆
「優勝、大阪代表・山神遊里」
わたしはぱちぱちと、手を叩いた。
「もう、お姉さん!今、"本当ならあそこに居たのは自分だ"って思ったでしょ!」
わたしの車椅子を押してくれるのは、黒髪ロングの小さな女の子だ。
中学2年生で、最近ようやく進路について考え始めたらしい。
いや、違う。
この子は最近になって、『生きること』を考え始めたんだ。
「ふふ、桜ちゃんに隠し事はできないね」
彼女は重度の病気を患っていたらしいが、超一流の医師による10時間を超える大手術を受けて、その病気はほぼ完治した。
これは聞いた話だけど、手術を受けるのがあと3か月遅ければ、桜ちゃんの体力は手術に耐えられるものではなくなってしまっていたらしい。
桜ちゃんは夏休みを前に無事、退院した。
学校に初めて通うことになった彼女の話は、新鮮で面白い。
わたしはと言うと、今現在はゆっくりと上半身の体力を保ちつつ、ようやく足の曲げ伸ばしを行うようになっていた。
医師によると、今年の暮れには完治するとのこと。
「だってあいつ、去年の夏の大会でわたしにストレート負けした奴だよ」
「過去の栄光を自慢するんですか?」
「はは、なかなか手厳しいね」
なんだか手術を受ける前と後で、この子の印象はまったく変わった。
以前は弱弱しい病人みたいな顔をしていたのに、今ではこんな風にわたしを叱りつけるくらいだ。
退院した後も学校終わってすぐ病院に来て、それが役目のようにわたしを監視してるし。
「・・・お姉さん」
そんな彼女が、わたしに目も合わせず。
「後悔してますか?夏の大会に出ればよかった、って」
その言葉は、儚げで、少しだけ罪の意識を感じているようだった。
わたしの返答なんて、最初から決まってる。
「ううん。全然。桜ちゃんと居られるだけで、今は幸せだから」
あの日を思い出す。
桜ちゃんの手術が終わり、『成功』の言葉を聞いて、大粒の涙を流し崩れ落ちたあの日の事を。
「この選択が正しかったかどうか、一緒に見つけて行こうね」
そう言って、桜ちゃんの手を握る。
「はいっ」
彼女の笑顔を見られるようになった。
それで十分じゃないか。
―――焦る必要なんて、もう無いんだから。