あなただけを見てる
「う、うわわ、遅刻だあぁ!!」
明らかに寝すぎてしまった!
・・・そんな感覚が明確にしたのに。
「あれ」
まだ6時半。早く起きたわけじゃないけど、決して寝過ごしてはいない。
そう、何故こんな感覚に襲われたのかと言えば。
「騒々しいわね。貴女は起床から就寝までずっとそうなのかしら?」
「・・・ごめん、北條さん」
完璧すぎる同居人の影響なのだろう。
「朝食へ行くわ、早くして頂戴中野さん」
「ま、待って。靴が左右逆で・・・」
わたしが玄関であたふたしている間に、北條さんはあっという間に支度を済ませ、玄関の扉に手をかけながらため息をついている。
「貴女、よくその要領の悪さでこの高校の受験に合格したわね」
「あはは。ダメ元で受けたんだけど、本番でいつもの3倍の力が出ちゃって」
「その愛想笑い、やめなさい。貴女の悪い癖よ」
と、このように。
超お嬢様学校に主席で入学した北條さんは絵に描いたような完璧な人。
完全寮制の学園寮で、どういうわけだか同室になってからと言うもの、1日中彼女と生活を共にしている。
そのせいと言うかおかげと言うか、北條さんの生活リズムに引っ張られる形でわたしの1日は信じられないほどキチンとしたものになっていた。
「ごきげんよう北條さん、中野さん」
「ごきげんよう長坂さん」
「ご、ごきげんようっ・・・」
最後の部分、ちょっと噛んじゃった。この挨拶にまだ慣れてないわたし。
(本の中でしか『ごきげんよう』なんて言ってる人、見たことなかったのに)
みんな普通に使ってるもんなあ。
居るところには居るもんだ、"上流階級"の人達って。
「貴女を見てるとイライラするの」
「え? なんで?」
「自覚が無いのかしら。騒々しいしどんくさいし、貴女を見てると家で飼っていた犬を思い出すわ」
「北條さんの家ってワンちゃん飼ってるの? ドーベルマン?」
お金持ちの人が飼ってそうな犬と言えばドーベルマンでしょ!
北條さんは何も言わずに、口元を指差す。
わたしは意味が分からずぽかんとしてしまうが。
「・・・貴女、食事中も品が無いのね」
とため息交じりに言われてしまって、初めて口元が汚れているのに気が付いた。
急いでハンカチで口元を拭う。
北條さんの方をちらりと見ると、もう朝食は摂り終わっていて、これはもう毎日のことなのだけれど、目を瞑ってコーヒーを飲んでいた。勿論ブラック。
以前、
「どうして目を瞑るの?」
と聞いたら
「香りを楽しむためよ」
と真顔で答えられてしまって、どうしたらいいのか分からなくなった事があった。
あれ以来、「ブラック苦くない?」なんて下手な質問は出来なくなってしまったのを思い出す。
「北條さんはすごいね。なんでもできて・・・」
「そんな事ないわ。私は自分に出来ることを努めてるだけ」
「わたしなんか毎日、北條さんに付いていくだけで精一杯だもん」
そう言ってまた笑うけど。
「愛想笑いはやめなさいと言ったはずだけれど」
なんて返されちゃって。
"愛想笑い"、かあ。
「・・・それってそんなにダメな事なのかな」
わたしは知らないうちに自分でも気づかないほど小さな声で呟いていて、そしてそれに気がついた時にはもう遅い。
「今の、どういう意味かしら?」
地獄耳の北條さんに、バッチリ聞かれてしまっていた。
「う、ううんううん! な、なんでもないの!」
「中野さん?」
北條さんは微笑みながら、完全にこちらを威圧してくる。
「う、うう・・・」
そしてわたしはその一睨みで、完全に怯んでしまって。
問に答えるしかなくなってしまうのだ。
「わ、わたし昔っから何の取り得もなくて!」
「そうね」
「うっ・・・」
ただ同意されただけなのに、どすんと重いパンチをもらったよう。
「で、でもっ。昔、おばあちゃんから言われたの。まあちゃんの笑顔見てると不思議と和むわね、って」
わたし、何言ってるんだろう。
「だから、わたし、何もできないから。何もできないけど、笑えばみんなが少しでも和んでくれるならって。そう、思って。それなら笑っていようって・・・」
段々と言葉に自信が無くなって、小さくなっていってしまう。
北條さんは相変わらず目を瞑りながら、その話をノーリアクションで聞いていた。
(バカな子って思われたかな・・・)
北條さんからしたら、こんなのただの誤魔化しだって、そう思うだろう。
だから。
「・・・少し驚いたわ。貴女、ただのバカかと思ってたけど」
「ご、ごめ」
「ちゃんと、自分の芯は持ってる子だったのね」
北條さんがわたしの考えを認めてくれたのには、すごく驚いた。
「くだらないって、言われるかと思った」
「貴女、私のこと冷血サイボーグか何かだとでも思ってるの?」
北條さんはコーヒーのカップを置くと。
「そんなにもしっかりした理由を持っていたなんて、知らなかったわ。ごめんなさい、愛想笑いだなんて言って」
「え、なんで北條さんが謝るの・・・?」
「・・・? 間違った事をしたら謝るのは当然でしょう?」
なんだろう。
わたし、今、ちょっと北條さんのこと、好きになったかもしれない。
◆
「はあ。あの冷血サイボーグも人の子なんですねえ」
「ミヤちゃん、北條さんのこと悪く言わないで」
その日のお昼休み。昼食のお弁当を友達のミヤちゃんと食べていた時のこと。
「中間テストの結果聞きました? 5科目で497点ですよ。はあ~、世の中、ああいう天才ってのがホントに居るもんなんですねえ」
「北條さん、いつも部屋でも勉強頑張ってるし」
部屋ではほとんどの時間を机に向かって過ごしている北條さんの姿を思い出す。
「いやいや、それが天才の証ですよ。普通、365日そんな生活したら疲れちゃいません?」
「・・・疲れちゃうね」
苦笑いを浮かべながら答える。
「かー! もうやんなっちゃいますよ。あたしのルームメイトもドが付く真面目ちゃんで。中ちゃんみたいな子がルームメイトだったらねえ」
「それはそれで疲れそうだけど」
「なにおう!」
こんな風にふざけ合える相手は確かにこの学校では少ない。
でも、北條さんと一緒の部屋で、わたしは良かったと思ってる。
北條さんくらいしっかりした人に見ててもらわないと、なんだかだらけてしまいそうで。
高校に進学してから勉強が少し得意になったのも、北條さんのおかげだと思ってるんだけど。
(わたしからは北條さんに、何も返せてないんだもん・・・)
なんかちょっと、寂しいな。
そんな事を考えてしまう。
◆
(・・・あれ)
珍しいこともあるもんだ。
部屋に戻ると、北條さんが机に伏して寝ていた。
「北條さん、そろそろ夕食の時間だよ、食堂行かなきゃ」
北條さんの肩を揺らす。
・・・意外と肩幅小さいな、なんてことを少し考えていると。
「ん・・・」
北條さんが顔を上げる。覗き込むように顔を見ると。
「リリ・・・?」
北條さんの目から大粒の涙が溢れてきていた。
"リリ"って何だろう。そんな事を考える前に。
「北條、さん・・・」
普段では絶対見られない北條さんの弱った泣き顔に、きゅんとしてしまった自分が居た。
胸を縄か何かできつく締め付けられたよう。
「ごめんなさい、驚かせてしまったわね」
北條さんは人差し指ですっと、自分の目元を1回だけ拭う。
「夢を見ていたの」
「夢・・・?」
「昔、家で飼っていた犬のことよ。リリっていうのだけれど」
そうなんだ、と軽い返事をして、彼女の言葉を待つ。
・・・なんか、いつもと様子が違う気がして。
「私が中学に上がった時くらい、だったかしら。死んでしまったの」
「病気?」
「いいえ、交通事故よ。ペットの交通事故だもの。誰に責任が、なんて事はわからないし・・・」
北條さんは一瞬、目を泳がせた。
「ただ、貴女を見てるとたまにリリの事を思い出すの。貴女のように騒々しくて、ものわかりは悪いし、部屋の中を走り回って、ホント迷惑で」
「・・・好きだったんだね、リリのこと」
わたしがそう言うと、北條さんはこくりと頷いた。
「気分を悪くしたのならごめんなさい。犬に似てるだなんて、失礼よね」
「ううん。そんな事ないよ」
わたしは北條さんの手を握って、ゆっくりと起こしてあげる。
「わたしの事、かわいいって思ってくれてるって事・・・だよね」
その時。少しの間だけ、北條さんは顔を赤くしていた。それはもう、間違いなく真っ赤に。
「・・・貴女、本当におめでたいわね。そんなわけないでしょう」
「あはは」
でも、次の瞬間にはいつもの冷静な北條さんと、笑みを浮かべるわたしに戻っている。
・・・これで、良かったのかな。
「リリの事とは全く別の話で、私、貴女のこと好きよ」
・・・はい?
「え、えっと。わたしも北條さんのこと好きだよ」
「そう」
北條さんはそういうと、わたしの頬にやさしく触れ。
―――ファーストキスを、奪っていった。
顔が真っ赤になる。頭がぐるぐるまわって、何が何だか分からない。
え? なに? どういうこと? 今、何が起きたの?
「こんなにドキドキするとは思わなかったわ。これが恋をするって事なのね」
「ほ、ほーじょーさん!!」
言葉とは裏腹に冷静過ぎる北條さんの肩をぽかぽかと叩く。
「どういう事なの!?」
「お互い好き同士なら、特段変わったことでもないのではなくて?」
「そ、そうだけど! いいの北條さん!?」
「何が?」
この朴念仁! 北條さんは分かってるようで何も分かってないじゃない!
「わ、わたしなんかが北條さんとキスして良いのって、こと・・・」
それを言葉にすると、不思議と落ち着いてきた。
「貴女、何か勘違いしてない?」
「え、なに・・・?」
"キスしたくらいでなに発情しているの?"、"勘違いしないで頂戴"、そう言われると思った。
「私、貴女にべた惚れしてるの」
「ふえ・・・?」
嘘みたい。
「貴女がどう思っているのか知らないけど、私は貴女にくびったけだもの。誰にも渡すつもりはないから、覚悟してね」
好きな人と両想いだって思うのが、こんなに幸せなことだなんて。
今まで知らなかった感情が、わたしの中で広がっていき、満たされていくのが分かった。




