Chapter:2.0 ユリサクラ
「・・・ん」
何だろう、こんな夜中に。
いつもなら真っ暗なはずの六畳くらいしかない部屋に、ぼやっとした灯りが点いている。
わたしが寝ていたと言う事は、つまり。
「なあにい? 眩しいんだけど」
同居人である、あがりの仕業なのだ。
「ああ、起こしちゃったね。ごめんごめん」
そこで少し、おかしいと思った。
いつも『大人の余裕~』とか言ってひょうひょうとしている雰囲気が、今のあがりには無い。
こんなに寒いのに汗をかきながら、彼女の瞳は一心不乱に何かを追っていた。
そしてわたしは気づく。明日は、いや今日は。
「センター試験か・・・」
不思議なことに。
寝起きなのに頭が妙にクリアで、すぐにそのことを飲みこめた。
「そうだよ。これで決まるんだ・・・」
勉強をしている時のあがりは"少しだけ"カッコいい。
そりゃそうだよ。だってこいつ、
(東大合格が目標だもんなあ)
普段、家ではかけない縁が太い眼鏡をかけている事から、あがりの心情は大体わかった。
「ねえ、寝た方が良いんじゃないの? 今から起きてたら絶対疲れるよ」
「疲れるのなんて分かりきってる。でも眠れないんだ。ここまで来たらランナーズハイ理論で、極限まで自分を追い込めば・・・」
ああ、ダメだ。
こいつ今、冷静じゃない。
「なに焦ってんの?」
「・・・」
「今更付け焼刃したところでどうにもならないでしょ?」
あがりはガンッ、と蛍光電気スタンドが乗っているちゃぶ台に拳を叩きつけると。
「焦らずにいられるか!」
と、珍しく声を荒げた。
「あたしだってわかってる・・・いや、わかってるから焦るんだよっ」
あがりはノートに何かを猛スピードで書き写しながら続ける。
「なんか、今までやってきた事なんて何も意味が無くて、全然足りない気がしてくるんだよ! やらずに後悔するより、やって後悔した方がマシだ。ほっといてくれ!」
・・・わたしはこういう人間を知っている。
追い込まれた時の人間だ。いや、正確には追い込まれたと錯覚している時の人間。
ちょうど、駅のホームから身を投げようとしていた時のわたしのよう。
「ねえ、あがり。アンタさ」
「・・・」
彼女はもう返事もしてこない。
「アンタがどれだけ頑張ってきたかなんてアンタにしか分からないし、だから焦るのも分かるけど。そんなに自分がやってきた事が信用できない?」
「・・・」
「アンタが今まで頑張ってやってきた事は、こんな間際の数時間で補完できるものなの?」
あがりの走らせていた手が止まる。
「アンタがどんだけ努力してきたかは想像もできないけど、でもさ。わたし、見てたよ。アンタがずっと頑張ってたの。一緒に住んでるんだもん、アンタ、十分頑張ってたよ」
「・・・」
「だから、アンタには万全の状態で試験に臨んでほしいよ」
わたしは後ろからぎゅっと、あがりに抱き着く。
「自分が信じられなくなったら、わたしのことを信じて。信用の外付けHDDくらいにはなるでしょ」
「早希・・・」
「はは、どんだけ緊張してんのよ。心臓バクバク言い過ぎ」
「え・・・、う、うわああ! おっぱい揉むなこのバカ!」
揉むっていうか、掴んでるくらいの感覚なんだけどね。
「びってんじゃねーよ。わたし、アンタのメンタル強いとこに惚れたんだから」
「・・・うう、び、びってねーし」
あがりは眼鏡をかけ直しながら、必死に強がってそっぽを向いた。
「くそっ、早希に怯んでるところを見らるなんて、一生の不覚っ」
「怯んでるっていうか、脅えてたからね」
「これは武者震いって言うんだよ!」
あはは、ホントだ震えてる震えてる。
そりゃこんなに寒いし、目の前の敵はデカイし、怖いし、ビビるよね。
「・・・ごめん、もう少しこのまま」
「うん。いくらでも付き合うよ」
後ろから抱き着いて、胸を鷲掴みにしたままの体勢を続けるなんて、どんなプレイだ。
そんなことも思ったりするけれど。
(今日くらいはいいや)
普段は絶対に見られない、こいつの弱ってる姿は、それはそれで可愛かったし、なんかそそる。
「・・・今、変な事考えてただろ」
「え、なんでわかったの!?」
「分かるよ! お前いっつも・・・」
そこまで言って。
「ぷ」
「ははは」
おかしさに気づいたのか、2人でしばらく大笑いしてしまった。
「ま、やるのはアンタだからね。誰も結果に責任なんか取ってくれないよ」
「ここに来て急に突き放すのやめてくれる!?」
なんだかこそばゆい雰囲気だったので、一応毒を飛ばしておく。
「こんな良い嫁が居るんだから、成功しないわけないじゃん」
「ここに来てすげぇ運命論ぶち込んできたな・・・」
「運命論だろうと、気休めだろうと、ゲン担ぎだろうとなんでもいい。わたしが居る事を適当に理由づけして、成功するって信じてみなよ」
むすっとした顔のあがりの頬に、わたしの頬をこすり付ける。
「わたし、アンタが居なかったら死んでたんだよ。これが運命じゃないわけないじゃん」
それを聞いた彼女の頬が熱くなったのを直に感じる。
「・・・ちょっとムラッと来ちゃった。これ以上はまずい」
「あはは、それはまずいね」
余計に体力使っちゃいそうな事態は避けよう。
「ありがと、早希。君が居てくれて本当によかった。ひと眠りするよ」
「うん。寝な寝な。わたしは起きてるから。時間になったらバッチリ目覚まししてあげる」
「じゃ、お言葉に甘えて。ふわぁあ、なんか急に眠くなっちゃった」
あがりは布団にもぐりこんで3分もしないうちに寝てしまった。
(超眠かったんじゃん・・・)
ああ、よかった。あのまま行かせてたら大変なことになってたかもしれない。
「ぶちかましてやれ、あがり」
アンタになら出来るよ。
心の中で呟きながら、寝ている彼女のおでこにキスをした。
◆
「よし! 忘れ物無し! いける!!」
あがりはガッツポーズをするが。
「バカ、アンタこれ! 受験票!」
こいつのどうしようもなくバカなところが出た。
1番大切なものを忘れるなんてどういう神経をしてるんだろう。
「うわー、危ない危ない。サンキュー早希」
やれやれ、と汗を拭うジェスチャーをして笑うあがり。
・・・いつもの彼女だ。こういう致命的なポカをやる点も含めて。
何より、こんな事をやったのに取り乱していない。あがりの鋼のメンタルが、通常に作動している。
「ねえ、あがり」
「ん?」
いそいそと靴を履くあがりに、話しかける。
「アンタの人生はここで終わりじゃないんだ。何回でもチャンスはある。アンタが諦めない限りはさ」
「早希にそれを言われるとはね」
あがりは肩をすくめて笑う。
あの日、あの時。絶望に暮れた顔をして駅のホームに突っ立っていたわたしを思い出していたのだろうか。
「このボロアパートもそろそろ飽きてきたし・・・。早いとこ、でけーマンションのてっぺん、住ませてよね」
わたしはそう言って握り拳を作り、前に突き出す。
「おーらい。んじゃ、いってくるわ」
あがりの作った握り拳が、こつんと当たったのを確認すると。
「いってらっしゃい」
あの日、あの時。
あがりが助けてくれた、早希の手が。
ぽん、とあがりの背中を押した。
ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。
(TVアニメ「交響詩篇エウレカセブン」第35話より抜粋)




