忘国の兵と亡国の姫
今年もよろしくお願いします。
燃え上がる爆炎をぼうっと見つめる。
離れているここからもその熱さが分かる炎、黒い煙、そして何かが焼ける臭い・・・。
わたしは携帯に話しかける。
「こちらM-49、任務完了。軍施設の破壊を確認」
『声明を出す。ルート4から離脱しろ』
「了解」
この爆発させた施設が何なのかはよく分からない。
わたしは傭兵。傭兵は考えることはしない。与えられた戦地で、生き残ることが全て。
その時。
「まずい、通信を終了する」
悪寒がした。明確な殺気を感じたのだ。
気づくとわたしは、地面に叩きつけられて頭を踏み潰されていた。
「こいつだ! 俺の弟を殺ったのは! 間違いねえ!」
どこの誰とも分からないような男。
もしかしたらどこかの戦場ですれ違ったかもしれない。
でも、覚えていないのだ。それ以上でも、以下でもなく。
「ぶっ殺してやる!」
その男は持っていた酒瓶をコンクリートの地面で叩き割って、それを振りかぶった。
「やめてください!!」
激昂した男が右腕を振り下ろそうとしたところに、誰かが仲裁に入る。
その人物は彼の身体に組み付くと、梃子でも動かないと言った様子で彼を止めた。
「離せ! こいつが、こいつが俺の弟を・・・!」
気づくと、周りに人だかりができている。
これを利用しない手はない。
「ひ、人違いですっ。どうしてこんな事をするんですか!?」
上半身だけ起き上がると、頬を手で押さえながら泣いたふりをする。
ちょろいもんで、群衆は男を捕まえ、勝手に警察がやってきて男を連れて行った。
(30分ほど無駄にしたな。さっさと逃げるか)
わたしがこっそりとその場を離れようとしていると。
「待ってください」
右手が誰かに掴まれていた。
ちっ。心の中で舌打ちする。
「あ、あの。わたし、急ぎの用が・・・」
「・・・私とお話していただけないでしょうか?」
「ごめんなさい。本当に急いでいるの」
女か。めんどくさいから手を振り解いて逃げようとしたが。
(なっ・・・!?)
どんな怪力だ。右手がぴくりとも動かない。
「お願いします。話し合いをするだけで結構ですから」
「・・・あなた、何者?」
「私はエゼミスタン王国の第一皇女、アルエと言います」
「エゼミスタン・・・!?」
その名を聞いて驚いた。何故なら。
「3日前に解体された国の王族がどうしてここに・・・」
そんな国はもう、世界地図に存在しないからだ。
「お話を、していただけますか?」
彼女はそれしか言わない。さっきからずっとだ。そして引き下がる様子もない。
「・・・わかった」
だから、わたしが折れるしかなかったのだ。
◆
話し合いの場所に選んだのは破壊した軍施設から少し離れた繁華街にある、ファストフード店。
ここならいくらでも逃げようはある。最悪、客を人質にとればどうとでも。
「さっきはありがとう。顔は見えなかったけどアンタだろ、あの男を止めてくれたの」
記憶にある外見と、彼女が一致している。
「止めなければ貴女に危険が及ぶと思ったからです」
「ここのお代くらいは奢らせてくれよ。こんな礼しかできないが、家が貧乏でね」
「・・・お家のこと、お聞きしても良いですか?」
彼女は言いづらそうにその事を聞いてきた。
「語るほどの中身もない。内戦中の国だ、大抵の家は貧乏だろ。わたしがこの年まで生きてこられたのは単に運が良かったからだ」
「・・・疑うようで申し訳ないのですが」
わたしが流暢に嘘八百の設定をくっちゃべっていると。
「貴女は東の出身ではないですか?」
彼女は思いもしないことを差し込んできた。
「・・・なんでそう思う?」
「言葉のイントネーションが、その、独特でしたので」
痛いところを突かれた。こんな事なら標準語をもう少し上手くしゃべれるようになっておくんだった。
「当たり。わたしはモノロの出身なんだ」
「・・・モノロ共和国ですか」
その名前を口にした途端、彼女は下をうつむいた。
「その昔エゼミスタン王国に敗戦して、併合された国さ。今はもう、モノロって名前も残ってないんじゃないのか」
「・・・」
彼女は沈痛な面持ちで黙ってしまった。
そりゃそうだろう。自分の国が植民地にした国の人間なんかと話したくないに決まってる。
「なあ、もう帰っても良いか」
「・・・」
「わたしだってエゼミスタンが戦争を始めなかったらもっと違う人生を歩めてたかもしれないんだ。アンタとは、これ以上話したくないね」
これも嘘。逃げる口実を作っているだけ。
わたしは消滅した母国の事なんてどうでもいい。さっさと帰りたいだけなんだよ。
「もう少し、お話をさせてください」
「アンタなあ」
「お代は結構ですから・・・」
その時の彼女の表情はあまりに悲痛なものだった。
わたしの嘘泣きとは次元が違う。彼女が大粒の涙を流しているのを見て、そう思った。
・・・今後の泣き演技の参考になるかもしれない。自分をそうやって納得させる。
「かつて私たちが貴女の国を滅ぼしたように、私たちの国もまた、より大きな力によって滅ぼされました・・・」
「仕方がない。だから人間は法律やらを作って、それを最小限に抑えているんだ。わたしが今、アンタを殺せないのは法の縛りがあるからなんだよ」
「貴女はそれが無くなったら私を殺しているのですか?」
「ああ、そうだ。アンタを殺したくてうずうずしてる奴と話してても仕方ないだろ」
だからさっさと諦めてくれ。わたしはそんなニュアンスを込めてみるが。
「先ほどの男性も、貴女と同じ気持ちだったと思います。でも、貴女は彼のように無理矢理それを行わない。何故ですか?」
全然諦めない。なんだこの女。段々物珍しさを通り越して腹が立ってきた。
「・・・あいつほど憎しみが強く無いからじゃないかな」
「強くない?」
「モノロが敗戦したのはわたしが物心つく前。それに肉親を目の前でアンタに殺されたわけでもないしね」
半分イライラしながら話を続ける。
「達観してらっしゃるんですね」
「怒っても国が元に戻るわけじゃないから」
わたしが言った瞬間だった。
いきなり店の入り口から軍隊が入ってきて、わたし達が座っているテーブルを囲む。
全員がこちらに銃口を向けていた。
「国際テロ集団"ビヨンド"の実行犯、マリイ・エクスだな。貴様には射殺命令が出ている!」
・・・やってしまった。
「アンタ、わたしを引き留めておくために一芝居打ったな」
ギロリ、と皇女と名乗る女を睨みつけた。
しかし。
「やめてください! この方を殺してはダメです!」
彼女はわたしの前に出ると、両手を広げた。まるでわたしを守るように。
「なんだ貴様!? マリイ・エクスの仲間か!?」
「私はアルエ、旧エゼミスタン王国の第一皇女です!」
彼女が名乗った途端、軍隊がざわめき始める。
「行方不明のアルエ皇女・・・!?」
「嘘に決まっている! それに」
軍人の一人が銃口を彼女に向けた。
「敗戦国の王族など、殺しても構わん」
ダメだ。こいつらは止まらない。
元々殺人ありきで来ている連中だ。こんな奴らに説得は通用しない。
「もういいっ! アンタだけでも逃げろ!」
彼女の背中に叫ぶ。
「わたしは殺されても仕方がない人間だ。でも、アンタは違う!」
だって。
「アンタはわたしなんかの命を助けてくれた! 憎しみと恐怖が連鎖するこんな場所で、他人の意見を聞いて話し合いが出来る人間だ! これからの世界に必要とされるのはアンタみたいな人間なんだ!」
だから・・・。
「だから、もう少し自分の命を大切にしろっ!」
必死で叫んだ。語り掛けた。説得した。
「・・・ようやく、貴女の本音が聞けた気がします」
でも、彼女は振り向かない。
「それでも、ここで貴女を見捨てたら、私は今までの自分の言葉すべてを否定することになる」
「屁理屈を言ってる場合か! 死ぬんだぞ!?」
「大丈夫です」
そこで彼女は。
アルエは初めてわたしの方に振り返った。
「貴女を独りで死なせない・・・。その為に、私は自分の命を使います」
この時のアルエの笑った顔。
それを見て、わたしは生まれて初めて、天使に触れた。明確にそう思えたのだ。
アルエは覆いかぶさるようにわたしを抱きしめる。
初めてだった。誰かに抱きしめられたのなんて。愛という気持ちを、感じたのなんて。
一発。耳に入ってきた銃声は一発だけ。
「ぐっ・・・」
前を見ると、一番前でこちらに銃を向けていた軍人が、よろめいている。
―――これが最後のチャンスだ!
わたしは左手ポケットから催涙弾を放り投げると、右手のハンドガンでそれを撃ち抜いた。
◆
「はあ、はあ・・・」
右も左も分からず、ただ走り続けた。
離脱ルートなんてとっくに見当もつかないような見知らぬ場所に居たのだ。
わたしは膝に手をついて、息を整えた。
(誰かを抱えて走るのがこんなに疲れるとは、思わなかったっ・・・!)
でも、守ったんだ。
わたしはこの腕の中に居るアルエを守った。
「マリイさん・・・」
「はは。"マリイさん"か」
コードネームにさんを付けらるなんて、少しくすぐったい。
「なあアルエ。約束して欲しいことがあるんだ」
でも、それも良い。
マリイさん。それがわたしの名前だ。
「もう、絶対にわたしと一緒に死ぬなんて言わないでくれ」
「ですが・・・」
わたしは嘘が上手いと思う。
アルエはそれを全て見抜いたのだ。
―――嬉しくないわけがない。
「アルエはわたしが絶対に守る。一生、誰にも殺させない」
―――初めてだったんだ。独りで死ぬ怖さから解放されたのなんて。
そうか、この優しくて暖かい気持ち。これが愛なんだ。
愛なんてまるで縁の無い、戦災孤児の傭兵がそれを分かるんだよ。それほどまでに、確かな気持ちだった。
「・・・でも、これから先、大変だよ。わたしは国際指名手配犯なんだ。日影の道を歩く覚悟はあるか?」
わたしが歩いてきた冷たく、暗い道。
彼女にそこを歩かせると思うと、後ろめたさで押し潰されそうになる。
―――だけど、
―――もう、放す気なんて無いけどね。
「はい。どこへ行こうと私のやることは変わりませんから」
わたしはこんなにもアルエを愛してしまったんだから。




