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ダブルエー 【急】

「バッターアウト! ゲームセット!」


 マウンド上で小さくガッツポーズをして、駆け寄ってくる先輩たちとハイタッチする。

 試合に勝ったのだ。嬉しくないはずがない。


 案の定、長谷田は全国大会で優勝した。

 わたしは1年生ながら背番号1を背負い、エースとしてフル回転し、優勝の原動力になった。


 だけど、それが何になるって言うの?


(考えるだけ無駄だよね・・・)


 もうそんな事で悩んでる場合じゃないんだ。


 ここまで来ると、自分が全国ネットのニュース番組で取り上げられるくらい有名になっているのには気づいていた。


 女子野球界に颯爽と現れた天才美少女投手。女子野球の星。

 わたしはこういう扱いをされる"もの"を1つしか知らない。


 ―――救世主(ヒーロー)


 わたしはヒーローになりたかった。そして今、わたしは間違いなくヒーローになっている。

 ヒーローに戦う理由なんてない。

 "人助けに理由が要るのか。"

 困っている人が居るから、敵が居るから、まわりがそう望んでいるから。

 それを叶える記号が、ヒーローなんだ。





 それはわたしが2年生の、夏の大会での事。

 時は唐突に訪れる。


「まさか3回戦で武蔵とぶつかる事になるなんて」


 動揺する先輩たちに。


「大丈夫です。わたしが投げる限り、長谷田(うち)に黒星はつけさせません」


 そう言うと、先輩たちは顔を合わせ。


「まあ、逢沢がそこまで言うなら・・・」


 と声を揃える。


 武蔵女子・・・、普通に投げれば打たれない自信はある。

 問題は、たった1つ。

 わたしはホワイトボードに書かれている5番打者の名前を一瞥した。


(れんちゃん)


 胸にこみ上げてくる想い。これはもう、恋じゃない。

 貴女はわたしを受け入れてくれなかった。認めてくれなかった。

 じゃあこの心を揺さぶる想い、これはもう憎しみ以外の何物でも無いじゃないか。

 今のわたしを突き動かすもの。それはれんちゃんへの・・・、自分の過去への執着だ。


 次の日、マウンドに立つ。

 2回表。5番のれんちゃんに打順がまわる。


(れんちゃん・・・)


 わたしは全力のストレートを厳しいコースに投げ込んだ。

 リリースの感触はすこぶる良い。完璧なストレートを投げられたはず。


(打てるもんなら、打ってみろ!)


 その刹那。夏空に金属音が響き渡る。

 反射的に振り向きながら、わたしはあの時のことを思い出していた。

 初めて自分の投げたボールをいとも簡単に打ち返された時。あの河川敷での出来事を。


 打球はセンターの頭を超え、外野を転々としている。

 れんちゃんは快足を飛ばし、一気にホームへ滑り込んだ。


(―――ッ!)


 わたしはぐっと帽子を深く被り直す。

 マウンドを蹴り飛ばしたい衝動を、必死に我慢したのだ。


 あの時とは状況が違う。

 何も知らないままに、遊び半分で野球をやっていたあの時とは、何もかもが違い過ぎる。


 れんちゃんの弱点は付いたはず。投げたボールも悪くなかった。コースだって良いところにいっていた。

 じゃあ、なんで打たれた?


 "さいきょう"の投手が、打たれるわけなんて無いのに―――


 とにかく、まだ1点だ。

 たかが1点。味方がすぐに取り返してくれるはず。


 だけど、こんな日に限って武蔵の投手がすこぶる調子が良い。

 れんちゃんの的確なリードも相まって、塁にランナーが出ても点が入らない。


 そんな状況で迎えた、れんちゃんとの2回目の勝負。


「フォアボール!」


 力んでしまった。こんなにボールが言うこときかないのなんて、初めて。


(落ち着け。何を焦ってるの。これより強い相手となんて、今までいくらでも戦ってきたじゃない)


 思い出せ、U-12でアメリカと戦った時のこと、去年の全国大会決勝のことを。

 武蔵は強豪とはいえ、所詮都大会レベルだ。


「アンタが1人のバッターにこんな苦戦するの、初めて見たよ」

「すみません。1打席目のイメージが消えなくて」


 わたしが言うと、先輩は随分驚いた顔をする。


「それこそ初めて見たよ。アンタが過ぎたことを引きずるなんてさ。らしくない」


 らしくない・・・って。

 わたしはずっと、過ぎたことを引きずってる人間ですよ。


 いつまで経っても忘れられない。

 何度忘れようとしても、諦めようとしても、そうするたびにれんちゃんと過ごした思い出が溢れてきて、消しゴムをかけたその上を再度塗りつぶしていく。


(だから、その想いを憎しみに変えようとしたのに・・・。どうして。どうしてそれが通用しないの!?)


 他の打者は難なく抑えられるのに。

 れんちゃんだけは抑えられない。


 ―――わたしはあることに気が付いた。


 他の打者は難なく抑えられるのに。

 れんちゃんだけは抑えられない? こんなのはおかしい。でも、逆に考えられないだろうか。


(他の打者と同じように投げれば、抑えられるんじゃ・・・)


 5番バッターを"れんちゃん"だと思って投げているから、おかしなことになる。

 彼女への執着を捨て、ただの普通の打者だと思い込めば・・・。


 わたしは3打席目の対戦で、それを実行した。

 すると。


「ストライク! バッターアウト!」


 いとも簡単に抑えることが出来た。

 相手バッターの顔を見ず、力を抜いて投げただけで、れんちゃんのバットは面白いように空を切る。


 でも。


 それをやった途端、すべてが色褪せて見えた。


 勿論これはルール違反でもなんでもない。気の持ちようだ。

 それでも。

 れんちゃんに執着しない麻衣(わたし)のピッチング。

 それが途轍もなくつまらないものに感じてしまったのだ。


 まるで心に虚無が出来たよう。

 その先には何もない。嬉しさも、楽しさも、面白さも、辛さも、悲しさも、悔しさも、何もない。


 ただ、結果があるだけ。内容をすっ飛ばして、結果がだけが降ってくる。


(・・・そんなの)


 気づくとわたしはベンチに座って、膝の上で拳を握りしめていた。


(そんなの、わたしが好きな野球じゃない! わたしは、こんな事をやるために)


 あの日、れんちゃんに言ったことを思い出す。

 いつかれんちゃんと離れてもわたしがわたしのまま生きていけるように、わたしは彼女と別の道を選んだはずだ。


 そのゴールが、こんなものなんて認めない。

 わたしはこんな風になりたかったんじゃない。


 こんな結果を得るために、大好きで大好きで大好きなれんちゃんを、突き飛ばしたんじゃない。


「どうした逢沢? どこか痛いとか?」


 わたしはマウンドの上に居た。

 ただならぬ雰囲気を察したのか、キャッチャーの先輩が近寄って声をかけてくれる。


「わたしは・・・、わたしは逢沢麻衣です!!」


 大声で叫んだ。


「わたしは誰かの為に救世主(ヒーロー)を演じることなんてできない! そんなのは、わたしの目指したヒーローじゃない!!」


 自分の思いの丈を、言いたいことを思いっきり叫ぶ。


 確かにさっきのピッチングをすれば"さいきょう"の投手になれるのかもしれない。

 でも、それは同時にわたしがここまでやってきた総てを否定する行為だ。


 極論を言えば、あんなものは誰でもなれる。


 でも、でも。

 逢沢麻衣になれるのはわたしだけ。他の誰かじゃ、絶対になれない。


 みんなが求めるヒーローの座に、わたしが座るんじゃない。

 わたしが、わたしの道を走った結果、その過程を見てヒーローだと認めてもらいたかった。

 

 いつの間にかわたしは、その後先(じゅんじょ)を間違えていたんだ。


 ―――わたしは大きく振りかぶる。


 自分でもフォームが崩れているのが分かった。

 ・・・きちんとした理論で計算されつくされた、理想のフォーム。


(そんな行儀の良いフォーム、こっちから願い下げだわ!!)


 力配分も無茶苦茶。こんな全力投球をしていたら絶対に試合終了まで投げられない。

 でも、それが何なの。


(だったらそれに耐えられるようになるまで走り込めばいい!!)


 わたしはただ、自分の身体が感じるままにボールを投げ続けた。





「あはは! いやー負けた負けた! 覚醒麻衣すご過ぎ!」


 翌日、わたしはれんちゃんを遊びに誘った。

 レストランで笑いながらお茶を飲むれんちゃんの目は、赤く腫れ上がっている。


「最後はマジでボールが目で追えなかったよ」


 れんちゃんが褒めてくれる。

 わたしは、まるで初めて外に出た子供のように顔を真っ赤にさせて俯いていた。・・・彼女の肩に、全身を預けながら。

 どうしよう、嬉しい。嬉しすぎて泣きそう。

 れんちゃんの手を握る力が、指と指の間に絡める指先の力が強くなる。


「わたしはれんちゃんにそう言ってもらう為に、頑張ったんだよ」

「麻衣、そういうの隠さなくなったね」

「うん。だって、そうしなきゃ勿体ないじゃん。折角れんちゃんと一緒に居られるのに」

「あはは・・・」


 彼女は気恥ずかしそうに赤くなった頬をかく。


「今、寮が同室だったらさ」

「そんな事になったらわたし、1秒で理性が壊れる自信あるよ」

「1秒で貞操の危機かよっ」


 れんちゃんが笑いながら語り掛けてくれるだけで、全身がびくっと震える。


「どうして中学時代、1回も襲わなかったんだろ。チャンスなんて24時間ずっとあったのに・・・。逆にどうしたら何もしないと言う選択にいきついたのか」


 ああ、わたしはきっと中学時代どうかしてたんだろう。

 れんちゃんと1つ屋根の下、生活を共にしていたのに。


「あたし達、ずっとすれ違ってばかりだったから。物心つく前に出会って、それからもう10年以上経つのに」


 れんちゃんはその時、わたしからあからさまに視線を逸らした。


「ずっと、あたしだって麻衣のこと好きだったのに、全然気づいてくれないんだもん」


 そして今度は、れんちゃんがわたしの肩にもたれかかる。


「だから・・・、これからは手加減なしでいくから」

「へえ。手加減してくれないんだ」

「リミット外したあたしは、すごいんだからっ・・・」


 それがどういう意味なのか、そんな事は手に取るようにわかった。

 もう、姫と英雄を気取る必要もない。

 最初からそうだった。わたしは逢沢麻衣で、この子は秋山蓮華。

 ただ、それだけの事だったのに。


 ―――そんな簡単なことに気がつくのに、こんなに時間がかかった


 だから恋愛って、難しいんだ。

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