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ダブルエー 【序】

「きょうからここは俺たちのもんだからな!」


 あれはもうどれくらい前の事だっただろう。

 わたしが3歳、4歳、5歳・・・? まだ、物心もついていない頃。


 とにかくある日、わたし達は公園から締め出しを食らった。今までみんな仲良く使っていた遊び場が、小学生を中心とする集団に乗っ取られたのだ。


 抗議しようものなら暴力を振るわれそうな雰囲気で、怖くて何もできなかった。


 そんな時だ。


「いくぞ! 公園をとりもどすんだ!!」


 ヒーローは突然やってきた。

 わたしが見たのは大勢の子どもたちが公園に向かって走っていった姿。


 これは大げさな言い方だ。でも。

 その時わたしは、生まれて初めて戦争を見た。


「へっ、おとといきやがれ」


 泣きべそをかきながら公園から出ていく敗者。それを見送るボロボロの勝者。

 戦いを分けたのは1つの水飲み場だった。ホースを使い水を自由自在に扱った、後から来た一団が戦いに勝ったのだ。


「あ、あの!」


 みんなに押されながら、わたしが一団のリーダーの前に立つ。


「あ、ありがとう。・・・あのね」


 分かってる。これが子どもの遊びなんて事は。


「かっこよかった」


 周りからヒューヒューと囃し立てる声が聞こえてきた。


「あいつらがまた来たら、いつでもボクたちを呼んでよ」


 身体中ボロボロになった一団のリーダーは、にかっと笑いながら言う。


「絶対に君を守るから!」


 ああ、ヒーローって、テレビの中の戦隊ヒーローや、変身ヒロインじゃないんだ。


 わたしのヒーローは、ここに居る―――





「わー、麻衣ちゃんはやーい」


 わたしの家はアスリート一家・・・なんて大層なものじゃないけれど、運動一家だった。

 お父さんは陸上の大学日本代表にも選ばれたことのある選手だった。お母さんは高校バスケットボールで全国大会に出場したことがあるらしい。


 当然、わたしにはその血が流れていた。運動でわたしに勝てる子なんて、会ったことが無い。

 女子は勿論、男子にも、わたしより足が速い子なんて見たことが無かった。


 だから、なのか。


「私、佐藤好きだなあ。かっこいい」


 同級生がきゃっきゃ言いながら異性の事を好きだと話すのが、どうも理解できなかった。

 そのことを、1番の親友だと思っている子に話したこともある。


「そりゃ、麻衣に勝てる人なんて居ないよ」


 返ってくるのはそんな言葉だけで。

 わたしの本当に知りたいことは、誰も教えてくれなかった。


「いでっ!」

「おい麻衣、お前手加減しろよ」


 男子が不満そうに言いながら外野へ走っていく。

 わたしの投げるドッジボールは弾丸と呼ばれるほど強力なものだった。

 そのことに気づいたのが、小学校3年生の時。


「嘘だろ・・・」

「あれ、女の投げる球じゃねぇよ」


 わたしは親に奨められて少年野球を始めた。

 でも、ここでも同じことの繰り返しだ。誰もわたしに勝てない。6年生の上手い人が、相手になるかどうかと言うところ。


 4年生に進級する頃には、わたしは少年野球をやめて市の女子野球チームに入っていた。

 入ってすぐ、エースになる。

 ここでも、誰もわたしに勝てない。投げても打っても走っても、わたしが1番上手いんだ。


「4番、ピッチャー逢沢」


 だから隣の市との練習試合で、わたしがエースで4番になるのは当然だった。


(どうして? 何をやっても満たされない。なんでこんなに楽しくないの?)


 練習試合でも黙々とボールを投げ続ける。

 どうせ、誰もわたしの球は打てない。打てるわけがない。

 わたしは"さいきょう"なんだ。みんなとは違う。


 誰も、わたしと一緒には―――


 その瞬間。

 金属バットの音がこんなにうるさく聞こえたのは初めてだった。

 打球はぐんぐんと伸び、センターの頭を超え、グラウンドを転々とする。


(うそ・・・)


 わたしの本気の球が外野まで運ばれたのは、初めての事だった。

 呆然と外野を見つめるわたしの視界。その端に映ったのは。


 ホームベースに滑り込んでガッツポーズをする、


「よっしゃあ!!」


 ヒーローの姿だった。


 3回を投げて、6失点。

 わたしが運動で負けたのは、間違いなく初めて。


「ねえ!」


 居てもたってもいられず、わたしは相手ベンチへ向かい、彼女に話しかけた。


「あなた、峯山アパートに住んでたでしょ!?」

「・・・え? う、うん」


 分かる。わたしには分かる。

 さっき、わたしの打球を外野まで運んだこの子は。


「わたし、"まいひめ"だよ・・・!」


 幼かったあの日。わたしの前に現れた、


「"まいひめ"って、あの!?」

「そうだよ。公園でよく遊んだよね、わたし達」

「ホントに・・・?」


 "ヒーロー"その人だった。


「うわあ、懐かしい! そっかそっか。君かぁ・・・」


 彼女は帽子を脱ぐと、すぐにベンチを立ち上がってわたしの近くへ寄ってくると。


「ずっっっと、会いたかった!」


 思いっきり抱き着いてきた。


「なっ、ちょ・・・!?」


 あまりに予想外な行動に、顔が真っ赤になる。

 なに、なになに?この気持ち。

 身体中が熱くなって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、何も考えられなくなって。


「あたしね。いつか"まいひめ"と運命の再会をするんだって、ずっと思ってたの! 夢が叶ったよぉ~」

「うー、離れなさいよ暑苦しい!」

「やーだよー」


 心臓がすごくドキドキするこの気持ちは、何なの。


「驚いたよぉ。あの逢沢さんが"まいひめ"だったなんて」


 夕焼けの河川敷を2人で歩く。

 いつも1人で歩く道とは、景色が、ううん。何もかもが、まったく違って見えた。


「"あの"逢沢さん?」

「知らないの? 麻衣は有名人なんだよ。隣街にとんでもない逸材が居るって!」

「大げさだよ」


 わたしなんて。


「貴女に、打たれちゃったし」


 わたしなんて、貴女に比べたら。


「まあねー。ま、あたしを抑えられるピッチャーなんて居ないっしょ」


 ヒーローの貴女に比べたら、わたしはただの人。ただの1人の、小学生の女の子。

 そう、思った瞬間。


 どくん、と。心臓が高鳴ったのを感じた。


「なに? あたしの顔になんか付いてる?」

「う、ううん・・・」


 なんとなくわかった。みんなが言う、人を好きになるって感覚が。

 この気持ちが、恋―――


 (そうか、わたしはただ・・・)


 普通で居たかっただけなんだ。


 "さいきょう"のわたしを、普通の子として見てくれる人を、探してたんだ。





「勝てば県大会出場だ。いつも通りの野球をしよう!」


 監督の言葉に大声で返事し、散っていく。

 小学校6年生の、7月。このチームで戦うのはこの大会まで。

 負ければそこで終わり、勝てば県大会出場。


 わたしはこの2年半で全日本の代表になり、世界大会にも出場した。

 そんなわたしにとって県大会なんてものは、規模の小さな大会でしかなかったと思う。

 でも。


(相手がれんちゃんなら、話は別―――)


 秋山蓮華。それがヒーローの名前だった。

 れんちゃんはお金が無くて日本代表には入ったことが無い。

 そして日本代表には確かにれんちゃんより打てるバッターは何人もいた。


 でも。


(れんちゃんより才能のある選手は、1人だって居なかった)


 本気で練習をしたら、れんちゃんはきっとすごい選手になる。

 世界最強のバッターにだってなれる。


 ―――でも


 わたしの投げたストレートに、れんちゃんのバットは掠りもしなかった。


 ―――今の段階では、負ける気がしない


 3打席連続三振。それがれんちゃんの小学校最後の試合の成績。

 結局わたしは1人のランナーも出すことなく、試合はコールド勝ち。結果として、県大会への切符を手に入れた。


「すごいね麻衣。これが世界レベルかあ、はは・・・」


 わたしの前では気丈に振る舞っていたけれど、


 試合直後、れんちゃんは大泣きしていた。


 わたしは彼女が泣いている姿を、初めて見た。

 公園で小学生相手にどれだけ殴られても泣かなかったれんちゃんを。


(わたしが泣かせたんだ)


 なに。なんなのこの気持ち。

 色々な感情がごちゃごちゃになって、自分ではこれが何なのか分からない。

 分かることは、勝ったのに全っ然嬉しくないと言うことだけ。

 今まで、相手がどんなに弱かったとしても、勝てば達成感があった。充実感があったのに。


 今は、何もない。


「れんちゃんのばかっ!」


 気づくとわたしは激昂していた。


「悔しくないの!? わたしにこんなにボロ負けして、なんでそんな風にへらへらしてられるのよ!」


 どうして。


「覚えてる? 2年前、わたし、れんちゃんに全然歯が立たなかったんだよ!?」


 どうして勝ったわたしの目から、涙が出てくるんだろう。


「あれが悔しくて、悔しくて悔しくて! わたしは死に物狂いで練習した! なのに!!」


 こんな事を言うのは筋違いだ。そんなのは分かってる。

 でも、でも。

 れんちゃんだけは、れんちゃんの事に関してだけは、冷静でいられなくなる。いつもの自分を保っていられなくなる。まわりが見えなくなって、他人なんかどうでもよくなってくる。


「れんちゃんはこの2年間、何してたの!?」


 この気持ちが恋じゃないとしたら、何だっていうの。


「ねえ、答えてよ!!」


 ・・・しまった。

 今のはいくらなんでも言い過ぎた。

 れんちゃんはわたしみたいに、望めば何でも手に入るわけじゃない。思うようにならないことだってたくさんある。それを、誰よりも分かっていたはずなのに。


「麻衣、ごめん」


 突き放されるのも当然だ。

 れんちゃんの人生はわたしのものじゃない。それをどうにかしようなんて、独りよがりでしかないじゃない。


 でも、でも・・・。

 それでもわたしは、れんちゃんには、れんちゃんにだけは。


 ―――ヒーローで、居て欲しかった





「三崎小出身、逢沢麻衣です。よろしくお願いします」


 頭を下げる。

 つまらない。みんな、つまらない顔をしている。


(これから3年間、こんなところで過ごすのか)


 それが億劫で仕方が無い。


「篠浦小から来ました。秋山蓮華です」


 気づくとわたしは、後ろを振り返っていた。


 ――― 一目、その姿を見た瞬間。


「目標は女子野球部で、全国制覇をすること!」


 わたしの世界は(いろどり)を変えた。

 その一瞬で。間違いなくわたしの日常(せかい)は、崩壊したんだ。

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