或る百合の群青
「あー。あたし、何やってんだろ・・・」
だいぶ弱くなってきたとはいえ、初秋の陽射しはキツイ。ジリジリと弱弱弱火で焼かれているようだ。
分厚い作業服に帽子を被り軍手をしているので焼かれると言っても顔まわりの肌くらいのものなのだが、それでも自分の顔が焦げていくと思うとあまり良い気分ではなかった。
(ホント、何やってんだかねぇ・・・)
華の17歳の思春期終盤少女が炎天下でひたすら草むしりと言うのは、もやしだ軟弱だと、いわれのない非難を浴びている現代の若者像にはまったく当てはまっていない。
夏が終わってこれから枯れていくだけの青い雑草を掴み、むしり取る。これだけの作業だ。
だけど、直射日光と温度と、そして単純作業からくる飽きがあたしの首を絞めて仕方が無かった。
でも。
自業自得だと言われればそれまで。
ここは俗に言う『少年院』。犯罪をやってしまった未成年がぶち込まれる、塀の中なのだから。
(また色の薄い食事だな)
ここに来てからと言うもの、味の濃いものを食べた覚えが無い。
こういうのを「しょーじんりょーり」と言うんだろうか。出家する修行僧が食うような食事を毎日毎日出されれば、こう思うのも仕方がない。
外に居た頃は、夏は水と塩分だ!とバカみたいに連呼された覚えがあるのに、これは塩分が明らかに足りてなくないか。それとも、こんなところに居る輩は熱中症で死んでも構わないのか。
「あーねきっ」
その時、随分とフレンドリーに声をかけられた。
「あ゛ぁ?」
瞬時にそれが癪に障り、昔特訓した"怖い顔"を思いっきり披露する。
「おー、怖っ。隣いいッスか?」
振り向いた先に居たのは嫌味なくらいニコニコの作り笑いを浮かべた女だった。背格好は同じくらい、年齢も多分そう違わない。
なんか、こういうの居たな昔。誰にでも良い顔して取り入ろうとする太鼓持ち。悪の組織の幹部ヅラ。
その女はあたしの隣にズカッと座り、自分の夕食を摂りはじめる。
「いやあ、ウチ、実は新入りで。みなさんに聞いたらここのボスは姉貴だって言うんで、ご挨拶に来ましたッス」
「はあ?」
「ウチは前田というチンケな輩ッス。以後、お見知りおきを」
「聞いてねーし」
なんだこいつ。言いようのない気持ち悪さを感じたあたしは残っていた食事を全て口に入れると。
「もう二度と話しかけんな。ぶち殺されてーのか」
「やだなあ。ここでそれやったら隔離施設行きッスよ」
なめくさりやがって。
いつか絶対ぶん殴る。そう誓いながら、あたしはその場を去った。
「うわっ、姉貴、身体エロっ! これで未成年とか犯罪ッスよ!」
だから人がゆっくりシャワーを浴びていたところに、そんな台詞が飛んできたのには我慢できなかった。
「てめえ、ぶち殺」
彼女に目をやったその瞬間。ひと時だけ、言葉が止まる。
(―――ッ!)
その左腹部にある、えげつない大きさの傷跡を見てしまったからだ。
(なんだこれ? 刺し傷・・・じゃねぇし)
まるで腹に穴が空いて、それを無理矢理ふさいだかのような禍々しい傷痕。
どう考えても、普通の女の子の腹にこんなものがあるはずがなかった。
「いやん。姉貴がウチの裸体を凝視してるッスー」
「はあ!?」
「姉貴ぃ、こんなムショで悶々としてないッスかぁ?」
意識が傷痕にいっていた一瞬の間に、彼女の両手はあたしの両手首をしっかりと掴んでいた。万歳のように手を挙げられ、そのままシャワー室のタイル壁に背中から押し付けられる。
「ウチ、スタイルには自信あるんスよぉ」
その言葉と共に、今まで意識していなかった腹部の上下に視線がいく。
確かに・・・。
「いやいや確かにじゃねぇし!!」
そう言葉に出して、ぶんぶんと顔を振った。
「今夜、どうッスか一発だけ。後腐れないワンナイトラブ・・・」
「あ、あたしはそっちの趣味はねえ!!」
「え? 姉貴、ノンケなんスか?」
前田が一瞬だけ引いたその瞬間、あたしは彼女を突き飛ばして脱衣所へ走って行った。
あいつはヤバイ。ヤバすぎる。色々こじらせすぎてる。
そりゃ少年院なんてこじらせてる連中しか居ない施設だけど、その中でもあいつの異常性は半端無い。あたしは恐怖にも似た感情を覚えていた。
その夜。
悪いことが起きる時はトコトンまで悪いことが起きる。
なかなか寝付けず、本当に悶々としてきた。
(あー、ムシャクシャするぅ・・・っ!)
こういう時はアレだ。壁ドンに限る。
あたしの考案した画期的なストレス解消方法"壁ドン"。
壁を思いきり蹴飛ばす事でストレスが解消されるというシンプルかつ効果的な方法だ。左隣の部屋の女は年下で更に気が弱い。だからそいつの部屋と接している壁を蹴れば何も問題が起きず、ストレスだけが解消される。
・・・はずだったのに。
部屋と部屋を仕切っていたコンクリの壁がガラガラと崩れた時は、さすがに腰を抜かしそうになった。
「あれ、姉貴じゃないッスか」
しかも左隣の部屋の住人がすっかり入れ替わっていることに全く気づいていなかったのだ。
「お前、次やったら例の部屋行きだからな。あと壊した壁の代金は全額弁償だバカヤロー」
「ええ!? そんな殺生な!」
壁の代金は請求されたが、看守に2時間説教を食らってとりあえず今日は許してもらえた。
ふらふらと重い足取りで部屋に帰る。そこにあったのは崩れた壁、崩れたコンクリの破片が残っている部屋。そして。
「ふぁああ・・・。姉貴、お勤めご苦労さんッス」
壁が崩壊したせいで隣から侵入してきた異常者だった。
彼女は大きなあくびをして、上半身だけ布団から身体を起こしながらあたしに手を振った。
「なんなんだよお前・・・」
「?」
「お前に会ってから調子が狂いっぱなしだ。どうしてくれんだよ」
ぽかんと空を見上げる彼女とは対照的に、あたしはへなへなと部屋のフローリングに腰から崩れ落ちた。
「おお、強キャラの姉貴がデレた」
「誰がデレただ。ダルいだけだよバーカ」
力なく言って、仰向けになる。暗い天井が、あたしの頭上には広がっていた。
鉛色の空を見つめていたら、自然と言葉が漏れてくる。
「なあ、お前、なんで少年院なんか入ったんだよ」
「へ?」
前田の素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「お、おお。ウチに興味持ってくれたんスか?」
「寝られねぇから暇潰ししてるだけ。他意はねーよ」
あたしは天井に手を翳す。
「ただ、風呂で見たお前の傷・・・ありゃどう見ても尋常じゃなかった。なんなんだあの傷は」
眠れないから暇つぶしに聞くレベルの事じゃないのは分かってるつもりだ。
だけど、あたしは不思議とこいつに興味を持った。
その結果、口から出てきた言葉がそれだったんだ。
「・・・実は、前田ってのは偽名でして」
「ムショで偽名使ってんのかよ」
あたしは笑い飛ばしたつもりだった。
「ウチはある一族に生まれたんス。信じられないかもしれないッスけど、その家は一族内で殺し合いが未だ続いているような時代錯誤な家で・・・。ウチは小さい頃に父親を亡くしてるんス。顔も覚えてない父親ッスけどね。誰に殺されたと思います? 実の兄に、らしいんスよこれが」
なんだ? これはどっちだ。そんなわけあるか、と突っ込めばいいのか。
「ウチもその血みどろの殺し合いに巻き込まれて、その結果がこれッス。いやあ、しんどかったなさすがに。コンクリの柱って分かります? 鉄柱くらいの。あれが腹に刺さったらさすがに痛いッス」
でも、どうしてだろう。
彼女の言葉には、リアリティがあった。
「血は出てくるし、意識はすぐに遠のくし、それから数日間は三途の川を行ったり来たり。死んだ父親が対岸で手を振ってるかと思いきや、顔を覚えてないからなんでしょうねえ。そんな事なくて」
そこから明らかに、彼女の声のトーンが低くなる。
「ただ、死ぬのが怖かった。それだけなんスよ」
彼女は声を震わせながら言う。泣いてるのか、その区別すら分からないほど弱弱しい声。
あたしは起き上がった。
そして、すぐ傍で布団にくるまりながら体操座りで泣いていた彼女を、後ろからぎゅっと抱きしめる。
「あね、き・・・?」
「悪い。怖いこと思い出させた。安心しろ、アンタは生きてる。あたしの体温・・・分かるだろ」
大粒の涙で濡れていた彼女の両手を掴んで、自らの手と絡ませた。
「あたしもホントの事話すよ。あたしがここに来たのは、妹の代わりなんだ」
今は誰も起きていない時間だ。この子だけに、真実を明かす。
「妹はあたしよりずっとずっと出来た子だった。昔から天才の妹と、出来の悪いあたしはよく比べられて、笑われたりなんかしてさ。でも、あたしはそれでいいと思ってたんだ」
「姉貴・・・」
「だけど、そんな妹がおふくろに手を挙げてさ、当たり所が悪くてそのまんまサヨナラだ。妹はホントに錯乱してて。そんな妹を、見てられなくて・・・」
あたしは一つ、息を吐く。
「だから、あたしが妹の罪を被ることにした。こんなポンコツが出来るのなんて、それくらいだったから。あたしは家庭裁判所に送られて、妹は一流大学に進学。随分立場が変わっちまったけど、妹が幸せならあたしは何でも良いんだ」
「あ、あの・・・」
前田(仮名)はしばらく絶句していると。
「ガチのシスコンじゃないッスか」
と、それだけぽつりと呟く。
そして。あたしは次の瞬間、名前も知らない女の子を押し倒していた。
「そうだよ。だから正直、姉貴とか言われるとたまんねぇんだよ」
背中に冷たいものが伝った感覚がした後、全身が震えてゾクゾクする。
「あ、姉貴っ。ちょっと落ち着いて欲しいッス。ウチ、女でして。姉貴も女、でしょ?」
「だからなんだよ」
この一言で、彼女の表情から余裕と不敵な笑みが消えた。
「あとこれからあたしの事は"姉貴"じゃなくて"お姉ちゃん"と呼ぶようにっ!」
「ははっ・・・、これもう諦めないとダメなパターンみたいッスね・・・」
気づくとあたしはこの夜だけでいろんな性癖の扉を開けまくってしまっていた。
・・・シャバがかなり遠のいたのを、明確に感じたほどに。