最強のチカラ
「歌ちゃん、ただいま」
「明日香」
いつも通りにドアを開ける。すぐに歌ちゃんが反応してくれた。
「おお、明日香ちゃん」
「こんにちわ。歌ちゃん、変わったところはありませんでしたか?」
「異常はないよ。それじゃあ年寄りはお暇しようかね」
歌ちゃんのベッドの隣に座っていた看護師さんが折れた腰を上げる。
随分ベテランな看護師さんで、見た目はもうおばあちゃん。一見したら、この人がベッドで寝てた方が良いんじゃないかと思うくらいの。
頭を下げて看護師さんを見送る。
夕暮れの病室で、2人。いつも通りの時間がやってきた。
「これお見舞い? 誰か来たの?」
「私は寝てたから会えなかったんだけど、親戚の人が来てたみたい」
ベッドの脇に置いてあった果物の詰め合わせを見ながら、やいやい会話をする。
「よし、じゃあリンゴ剥くね。一緒に食べよう」
「明日香が食べたいだけでしょ?」
「へへ、ばれたか」
だって早く食べないと傷んじゃうよ、と真っ赤なリンゴを手に取る。
リンゴの皮剥きも慣れたものだ。最初のうちは剥いたら不恰好になっていたリンゴが、今では赤い皮が一切なく、ほとんど球体の形に剥けてしまう。
でも、それじゃ面白くない。ただリンゴを剥くだけじゃ楽しくない。
「じゃーん」
「わあ」
お皿に乗っていたのは6羽のウサギさん。
「上手だねー。明日香は何やってもすぐ覚えられるし、上手くなるんだもん。すごいよ」
「えへへ、もっと褒めてちょ」
そう言いながら、ウサギ型りんごを爪楊枝に刺し。
「あーん」
と言って、歌ちゃんの口の近くへ持っていく。
「あーん」
歌ちゃんはぱくっとウサギ型りんごを頬張り、しゃりしゃりと音を立てながら美味しそうに眉をひそめてくれる。
ああ、そうだ。わたしはこの顔が見たくて、生きてるんだ。
リンゴの皮剥きを上手くなろうと思ったのも、ウサギ型の切り方を覚えたのも、全部歌ちゃんのためなんだよ。前にそう言った事があるけれど。
「そんな事、知ってるし伝わってきてるよ」
と、そう言い返された。
「あーん」
「え、もう2羽目?」
「あ~~ん」
まったくわがままなお姫様。
でも、わたしはお姫様の従者になっても良いと思っている。それくらい、歌ちゃんの事が好きだから。
「それじゃあ、行くね」
だからこの瞬間だけは本当に辛い。
病院に面会時間なんてものが無ければいいのに。ここに住んでいいって言われたら、住むのに。
「後は私に任せなさい!」
「豊田さんは信じられないっ」
「なんで!?」
「わたしの歌ちゃんに手を出しそうで・・・」
この看護師さんは新人さんで、注射とかする時も何か危なっかしい。わたしがやった方が上手くやれるんじゃないかと思ってはいるけど、それは勿論ダメだから・・・。
(もどかしいな)
歌ちゃんの身の回りのお世話は全部わたしがやりたい。だってお風呂とか、絶対あの看護師さんじゃ上手くできてないはず。それに堂々と歌ちゃんの裸見られるし、良いことずくめじゃない。
(早く大人にならなきゃ)
その思いは日に日に大きくなってきている。
でも、この間の模試は北高の判定Aだったし、やれることはやれるだけやっているはずだ。
わたしの夢は医者になること。
今の医療技術では歌ちゃんの病気は治せない。だから、わたしが絶対に治して見せる。その為だけに医者になれるように毎日勉強してるんだし。
翌日。今日は朝からどんよりと曇天模様で、何か陰鬱な気分になってくる。
(こういう日は歌ちゃんに会って、歌ちゃん成分を摂取するに限る!)
そう思い、病院のエレベーター前でエレベーターを待っていると。
「豊田さん、こんにちわ」
隣に豊田さんが来たので、頭を下げておく。
「あ、明日香さん・・・」
この時、何か嫌な予感がした。
いつも明るい豊田さんに覇気が無いのが、分かってしまったからだ。
「何かあったんですか?」
それでも、聞かないわけにはいかない。
「今日ね、住野さんが階段から落ちちゃって」
「えっ・・・」
住野さん。あのおばあちゃん看護師さんだ。
「大丈夫だったんですか?」
「ええ。でも当分歩くことはできないみたい。住野さん、階段から落ちた時に気絶しちゃってね。その・・・」
まるで死んじゃったみたいだった、と。豊田さんは零した。
「しかもね、悪いことに・・・。その場を偶々、歌ちゃんが見ちゃってたみたいで」
取り乱しこそしなかったものの、精神的に相当なダメージを受けてしまって、それから今日1日不安定だったらしい、という話を聞かされた。
病室の前、わたしは一瞬だけ、そこに入るのを躊躇してしまう。
どうやって話しかけたらいいんだろうって。少しだけ、不安になる。でも。
「歌ちゃん、ただいま」
わたしに出来るのは、笑顔で、いつも通り歌ちゃんと楽しい時間を過ごすことだけだ。
「明日香・・・」
一目見て分かった。確かに、歌ちゃんはかなり疲れてるみたいだと。
「豊田さんから聞いたよ、住野さんのこと。・・・怖かった?」
「・・・明日香には隠し事、出来ないなあ」
歌ちゃんはうつむきながら、そう呟いた。
「住野さんはただ気絶しただけだって、分かってるんだけど。私もいつか、この病気がこのまま治らなかったら」
「治らないなんて絶対にありえないよ!」
よくない事を言おうとする歌ちゃんの言葉を思い切り遮る。
「だって、わたしが治すもん! 歌ちゃん、わたしね、またテストで100点取ったんだよ。5科目中、4科目が100点だったの。わたし、めちゃくちゃ頭良いから。だから、絶対歌ちゃんの病気も治せるよ」
「明日香・・・」
歌ちゃんはさらに顔をうつむけてしまう。
「どうしたの歌ちゃんっ。歌ちゃんらしくないよ、そんな弱気なの」
「明日香がそう言ってくれるのは分かってた。だって、明日香はすごく優しいから。だから、私なんかの為に・・・」
「歌ちゃん!」
「時々思うの。私、明日香を縛り付けてるんじゃないかって。明日香は部活とか、お友達と遊びたいのに、勉強なんてしたくないのに、私のせいで・・・」
違う。違うよ。どうしてそんな勘違いするの。
わたしにとっては。
「私が明日香の前から居なくなれば・・・」
「歌ちゃん!!」
わたしは歌ちゃんの両頬をばっと掴み、一瞬だけ瞳を見ると。
そのまま押し付けるようにキスをした。
頭が蕩けるくらいの快感に麻痺しないように、ゆっくりと舌を絡めて、歌ちゃんの口を開かせる。そしてそのまま、時間を忘れるくらいお互いをむさぼり続けた。
「・・・ぁはあ、はあ、はあ、はあぁ・・・」
自分の息が絶え絶えになっている事で、歌ちゃんは大丈夫かと、その時初めて気づいた。
歌ちゃんの顔を見る。
真っ赤な頬にとろんとした目をしていたけど、ちゃんと息はしてる。
・・・良かった。
「歌ちゃんのこと、殺しちゃったかと思った」
半べそをかきながらそう漏らすと。
「ふふ・・・っ。何それ」
歌ちゃんは、ようやく笑ってくれた。
その瞬間、わたしは天にも昇る気分になる。
そう、この顔。この笑顔を守るためだけに、わたしは生きているんだ。
「ごめんなさい明日香。私、少し混乱してて」
「ううん。もういいの。辛いことは思い出さなくても」
「明日香、私には生きる権利があるんだよね」
歌ちゃんのその問いに。
「権利じゃないよ。歌ちゃんには、生きる義務がある」
しっかりと彼女の手を、ぎゅっと握って。
「人間には生きる義務しかない。だから、変な事考えないで? 歌ちゃんはずっとずっと、わたしと一緒に居るんだから」
まっすぐに歌ちゃんを見つめて、一つ一つ確認するように言う。
「ありがとう、明日香」
歌ちゃんは目を瞑って顔を突き出した。わたしはそれに答えて、重ねるだけのキスをする。
・・・今は、これで十分だ。
「わたしは、歌ちゃんとずっと一緒に居たい。だから、部活動とか、友達とか、そういうのはどうでもいいんだ。だってそこには歌ちゃんが居ないんだもん。そんなの、興味ないよ」
「本当?」
「本当!」
「ホントに本当?」
「ホントに本当!」
胸を張って、Vサインをする。
歌ちゃんはそれを見て、笑いが堪え切れなくなったようで。
ずっとずっと、笑っていた。
(何もしなくても歌ちゃんが笑ってくれるなんて)
―――わたしは最強の能力を手に入れたみたいだ。
「歌ちゃんはあんまりテレビとか漫画とか、見ないと思うんだけどさ」
「この病室、テレビ無いしね」
歌ちゃんははにかみながら答える。
「世の中にはいろんな子が居るんだよ。学生なのに魔女と戦ったり、宇宙人と戦ったり、空から落ちてきた女の子と生活することになったり、超能力が使えたり、ロボットに乗ったり、戦争に巻き込まれたり」
「うん」
「でもね。その子たち全員に共通することがあるの」
「共通すること?」
頭にはてなマークを浮かべる歌ちゃん。少しだけ歌ちゃんの知らないことを知っているようで、いい気になる。
「みんな、学校へ行くんだ」
だからわたしは、元気いっぱいにそう言った。
「学校へ、行く・・・? どうして?」
「それは分かんない。でもね、みんな、絶対学校をやめたりしないの。みんな学校に通い続けながら、戦ったり、怪我したり、死にかけたり、悩んだり、泣いたり。でも、絶対に学校へ行き続ける」
歌ちゃんは何が何だか分からない、という様子で目をぱちくりとさせながら。
「学校って、そんなに楽しいところなの?」
気づけばそんな事をこぼしていた。
わたしはそれを聞き逃さない。
「もちろん!! 学校は楽しいよ!」
そして、重ねていた歌ちゃんの手、その指と指との間に、わたしの指を絡めるように入れる。
「それに、わたしが居るもん。歌ちゃんの通う学校は、それよりずっとずっと、ずっと楽しい!」
「・・・!」
歌ちゃんの顔が、今よりもっと赤くなった。
「そうだね。楽しい学校に、明日香が居たら、楽しくないわけがない。私も、学校通えるかな」
「当たり前だよ!」
叫ぶように言うと、歌ちゃんはまたお腹を抱えて笑ってくれた。
うん。わたしの能力は、間違いなく最強だ。




