ある国のお姫様と近衛騎士。
その日は珍しく王都に雨が降った日だった。
お母さまと一緒に庭へ出られると思った矢先、空が曇りだして雨が降った時の事。
泣きわめく世とは対照的に、まわりの人間はたいそう喜んでいた。
何せ、雨だ。
当時干ばつに喘いでいた我が国にとって、その雨は喉から手が出るなどと言う言葉では表せられないほど待ちわびたもの。
だから、皆、世に気づかれないように隠れて喜んでいた。
しかし子供と言うのは意外にその辺、分かったりする。気づいていたりする。
世はやるせない気持ちで1人、窓の外を打ち付ける雨音に耳を傾けていた。
その時。
「殿下。今日より殿下の身の回りのお世話をさせていただきます、我が娘にございます」
気づくと後ろから、この国の国防大臣の声が聞こえてきた。
お父さまと随分仲の良い男。世はそう、認識してる。
そんな男の後ろから、我が国の軍服を纏った女の子が顔を見せた。
「で、殿下・・・、泣いてらっしゃる、のですか?」
そんなにも世が怖いのだろうか。彼女の声が震えていることが、一発で分かった。
でも、そうではなかった。
「殿下が泣いてらっしゃるのは、悲しい・・・です」
はっと、世は後ろを振り向く。
背丈もほとんど変わらない、同世代の女の子が涙を必死に堪えながら、世を見ていた。
「・・・どうしてじゃ?」
一言、世は問う。
「あなたが悲しいと・・・私も悲しいのですっ」
彼女は涙を必死に拭いながら、しゃくり上げながら言った。
「あなたには・・・笑っていて、欲しい。だから、悲しいです・・・っ。おかしいですか!?」
初対面の人間に、こんなことを言われて不自然に思わないわけがない。
でも、どういうわけだか世は彼女の言動に何一つ疑問を抱かなかった。
「そなた、名前は?」
「クリスティア・ノイン・・・」
「では、クリスじゃな。よろしく頼む」
泣きじゃくっている彼女を見ていたら、なんだか自分が泣いてる場合じゃない・・・そう思った。
そう思い、彼女に向かって手を差し出したのだ。
◆
「よし、今日も良い天気じゃ」
すっと、手を天にかざす。雨季の終わりを告げる陽射しが眩しい。
「陛下」
「うん?」
隣を見ると、クリスがすっと前に出て。
「お召し物に乱れがございます」
世の首元、そこで少しばかり曲がっていたリボンを正してくれる。
「うむむ・・。いつになっても慣れんのう、このドレスは」
「陛下の御意向ならば、デザイナーを雇い新調させますが」
「そういうわけにはいかぬ。母上が遺してくれたものじゃ」
そう言って、こうべを垂れた彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。
この十年で、クリスは随分大きくなった。背は世より一回り大きく、胸は二回りも三回りも大きい。
しかし世の背丈が伸びぬうちに、我が国は随分大きくなった。
この王都の下に眠る大量の高濃度メタンハイドレート。我が国はそれを魔法の力、魔力に転用する画期的技術の開発と共にこの十年で世界三大国家と呼ばれるようにもなった。
戦いと呼べるほど大きな武力衝突もなく・・・、今日もこうして庭でお茶会とも呼べるささいなパーティを開く。
それは病死なさった父上、母上に代わり皇帝に即位した、世の最大の役目でもある。
「のう、クリス」
「はい」
世が他国の遣いと茶を飲んでいる時も、クリスは世の隣に立って、世を守ってくれている。
そんな彼女に、何ともなしに話しかける。
「外の世界とはどういうものなのじゃ?」
そう。世は一度も、この城の外へ出たことが無い。
あの正面の門を抜け、大きな壁の外へ出て、その外に何があるのか。それすらも知らないのだ。
「陛下、この城こそが世界の中心です」
「それは知っておる。じゃが、他に比べるものが無ければそれも分からぬ」
世はメイドが淹れてくれた茶をすすりながら、ぼやーっと見とれるように城壁を見やる。
「クリスの見た世界を、世も見てみたいのう」
◆
「陛下と女王殿下が!?」
「連合軍は副都まで攻めてきている、このままでは!」
・・・うるさい。城内が随分とうるさい。
「静まれ!!」
私は雑音に対して、そう一喝した。
「貴様、ノインの忘れ形見が未だ後見人を気取るか!?」
父と随分仲の悪かった軍閥の男が、私に近寄ろうとする。
私は彼の一撃をかわし、身体を地面に叩きつけると腰から一本、剣を抜いて彼の頭部付近へと突き刺した。
威嚇だ。剣は彼を傷つけず、謁見室の床へと突き刺さった。
「問おう! 我らのなすべきことは何だ!?」
あらん限りの大声で叫ぶ。
「己が保身か!? 国を守る事か!? 民を守る事か!?」
場が静まり返る。雑音が消えたのを感じた。
「否! 我らがなすべきはシャーロット様を守る事だ!!」
「この期に及んで王族を守ると!? ノイン家のエゴで国を潰すのか!」
その声を初めに、次々と罵声が飛んでくる。
私は腰から今度は銃を取り出すと、それを天井に向けて撃つ。
「そんなことは関係ない・・・!」
威嚇射撃。弾は入っていない。
「シャーロット様は今、泣いてらっしゃる! 陛下と王女殿下が臥され、1番悲しんでらっしゃるのはシャーロット様だ。貴様らでも、私でもない・・・!」
「泣いてらっしゃるから何だ!? 貴様こそ、シャーロット殿下に肩入れするのは私情からだろう!」
「それの何が悪い! あの方はこの国そのものだ。シャーロット様が悲しむような事が、この国の為であってなるものか!」
私は床に突き刺していた剣を抜き、先ほど地面に倒した男に向ける。
「今から国防軍は私の下に降りてもらう。拒否するならこの男を殺す・・・!」
その瞬間、この場に居たすべての者が息を飲んだ。
「貴様、正気か!?」
私を刺激しないように、言葉が柔らかくなる。
余程、この男を殺されると不都合があるようだ。
「私を王都防衛の絶対防衛ライン、精鋭部隊の隊長にしろ」
そう、あの部隊はかつてノイン家の庇護にあった人間だけで固められた部隊。
あそこなら、私は自分自身の力を最大限に利用できる。
「お前はシャーロット様の側近だろう。あの方から・・・、離れるのか?」
「だからこんな強硬手段を取っている。私が帰ってくるまでシャーロット様の私室には誰も入るな。要求はその2点だ。それを約束するのならこの男は帰す」
周囲はあっけにとられている。
・・・と言うより、呆れてものも言えないのだろう。
「連合軍と我が軍の戦力差は10倍以上だぞ。貴様、戦地に赴いて帰ってくる気か?」
真正面からあの戦力と戦って、勝てるわけがない。ここに居る、私以外の全員がそう思っている。
「面白い。貴様が帰ってくるまでシャーロット様には手は出さない。だが、貴様が死んだら・・・」
「その約束は失効で良い」
「ふん。やってみろ、お前のような人間を命知らずと言うのだ」
本物の戦争をするのはこれが初めて。
暴徒の鎮圧とはレベルが違う。帰って来られる可能性がほぼ無いことも、分かっているつもりだ。
・・・だが。
私がこの城を離れる僅かな間だけだとしても。
この城は多少なりとも静かになるはずだ。シャーロット様の耳に、これ以上の雑音を入れることもなくなるはずだ。
静かに、陛下と王女殿下の死を、受け止められるはずだ。
そのわずかな時間を稼げるだけで良い。
それだけで、私は生きていた意味があったと言うもの。
(この命の最期の時まで、あなたと共に。・・・守ってみせる。我が家がすべてを賭けて求めた、あなたの笑顔を)
城を出る前、私は深々と王宮に頭を下げた。
もう恐らくここには戻って来られない。人生の最期をあなたの隣で迎えられないことは悲しい。
・・・でも、そんなことより何百倍も何千倍も。
(あなたが泣いているのだけは、耐えられない―――)
私はもう、泣いている事だけしかできない少女じゃない。
行動を起こせる、強い人間になれた。それだけで、嬉しくて嬉しくて。
頬に一筋の泪が伝ったのを、私は知らなかった。
◆
むにゅ。手に柔らかい弾力を感じる。
「相変わらず大きいのう・・・。なんなのじゃこの差は」
もう片方の手で、自らの全く起伏の無い胸を触る。
「昔は同じくらいじゃったと言うに」
世は湯船に鼻まで浸かり、息を吐いて水面にぶくぶくと泡を立てた。
幼少の頃、みっともないからやめなさい・・・と母上によく叱られたものだ。
「陛下」
「うん?」
「私は陛下ならつるぺたでも全く構いません」
だから、そんなことを真顔で言うクリスの顔を見て、たまらなく恥ずかしくなってしまう。
「う、うう・・・」
赤面して目を背けようとしたその時。
彼女の"古傷"を目にしてしまう。
喉元の右から腰の左側にかけてある、大きな傷。これは第2次王都決戦で負ったものらしい。
世はその時のことをあまり覚えていない。
父上、母上が亡くなったショックで記憶が消えているのか、はたまた何らかの意図で記憶が飛ばされているのか、それは未だに分からない。
クリスの傷跡を、人差し指でなぞっていく。
「すまぬな。このような傷、一生消えまい」
件の魔法を使っても、きっとこの傷はどうにもならない。
女が身体にこんな傷を残したまま生きなければならないとは・・・。
「陛下。私は陛下以外に肌を露出する事など一生ありませんので、何の問題も無いかと」
そんな世の弱音を、クリスは一蹴する。
「ふふ、分かっておる。言ってみただけじゃ」
そして自然に、顔から笑みがこぼれてしまう。
―――世は知っている。
「この傷をなぞると、あのクリスが一瞬でこれじゃからなあ。便利なものよ」
そして身を預けるように倒れてくるクリスの身体を小さな世の身体で受け止めた。
―――この傷はクリスにとって"性感帯"であると。
「・・・陛下」
「うん?」
「今夜は、優しく・・・」
「さあて。どうしたものかのう」
この城は世界の中心だ。ここには、世のすべてがある。
守られているだけの姫。それで良いのだ。それで喜んでくれる人が、世の腕の中には居る。
それだけで、生きていた意味があるというものなのだから。




