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Chapter:2.0 テニスのお姫様

「みんな、お疲れ様。・・・なんて、観客席で見てただけのわたしが言うのもなんだけど」


 部員全員を見渡す。

 このインターハイの舞台で団体戦は早々に負け、個人戦でもベスト16に入る選手は居なかった。

 当然だ。この学校のこのチームは、『わたしありき』のチーム。3年間そう言う風にやってきたのだから、今年の初めになって急に戦術を変えても、それはまさに付け焼刃に過ぎなかった。


 そんな選手たちの前に、わたしは立っている。松葉杖をついて。


「わたしは良い部長じゃなかった。良い先輩でもなかったと思う。それに、最後の最後でみんなに迷惑をかけた。ごめんなさい」


 わたしはそう言って頭を下げた。

 松葉杖ではなく、隣に居る副部長、彼女に肩を貸してもらいながら。

 部員に頭を下げたことなんて、絶対の自信を持って言えるけどこれが初めてだった。許してもらおうとは思わないし、思えない。

 だけど、わたしは頭を下げ続けた。数秒、十数秒と沈黙が流れていく。


 顔を上げてください、だとか。そんな反応を期待したわけではない。わたしにそんな人徳が無い事くらいは理解しているつもりだ。


 その時。

 ぱちぱちぱち、と。一人の部員が拍手をする音が聞こえてきた。

 それにつられもう一人、二人と拍手の音が大きくなっていき、それは波状に拡散して部員たち全員が、わたしに拍手を送ってくれていたのだ。

 ・・・信じられない事だった。


「部長、ありがとうございました」


 とんでもない練習量を課した。


「部長は私たちの目標で、憧れで」


 とんでもなく嫌な奴に徹してきた。


「私たちなんかじゃなれっこないって分かってても」


 背中で引っ張るなんて器用なことは絶対に出来ていなかった。


「ここに居る部員は全員、」


 それでも。


「貴女みたいになりたかった」


 その言葉を聞いて、わたしは溢れてくる涙を堪えることが、どうしてもできなかった。


「ありがとう・・・」


 涙と共に、そんな言葉が漏れてくる。


「みんな、ありがとう・・・。わたしに着いてきてくれて、信じてくれて・・・」


 こんな人目の集まる場所なのに、みっともなく号泣することしかできない。

 でも、これがわたしの本当の気持ちだったのだろう。


「わたしの我が侭に、付き合ってくれて、本当に・・・感謝してもっ、しきれない・・・」


 少なくとも、わたしが高校テニス界でトップに近い位置へ上がれたのは、わたし一人の力じゃない。わたしはこの日、初めてそう、心の底から思うことができた。





「分かりました。前向きに検討します。今は怪我のリハビリに専念したいので、それからの事は完治してから決めようと思います」


 何度も頭を下げていく黒スーツの男性。

 手元の名刺に目を落としてみる。誰でも知っているような有名スポーツメーカーのそれなりに偉い人の名前が書いてあった。


「またですか? 追い返せばいいのに」


 席を外していた桜ちゃんが、水を換え終えた花瓶と共に病室へ入ってくる。


「これからの事を考えると邪険に扱えないレベルの人だよ」

「むっ・・・」


 こういう風な話し方をすると、桜ちゃんは少しだけ不機嫌になる。だから。


「桜ちゃん、嫉妬?」

「嫉妬じゃありませんっ!」

「心配しなくても桜ちゃんはわたしの中で別格だから。何よりも大切で、愛おしいのは桜ちゃんだよ」


 わたしはあえて本当の気持ちをど直球で言葉にすることがある。


「も、もう! なら、良いんですけどっ・・・」


 そうすると、桜ちゃんは露骨に嬉しそうに表情を緩めるからだ。

 彼女は窓際に花瓶を置き、ベッド脇の椅子へと腰を掛ける。


「プロに、なるんですよね」


 そうして桜ちゃんは感慨深げに言う。


「テニス始めた時から、なるつもりだったからね」

「でも、まだ何の実績も無いのにスポンサーのオファーがこんなに来るなんて」


 夏休み以降、暑中見舞いや残暑見舞い、粗品という名の"大人からのプレゼント"がどんどん増えていき、わたし1人では処理しきれない量になっていた。

 本当はやってはいけない事なのだろうけど、食べ物の類は桜ちゃんや、入院中に仲良くなった患者さん達と一緒に食べている。なかなか高級なもの揃いで、体重管理的にも良くなかった、というのもあるのだけれど。


「・・・お姉さんって、有名人だったんですね」


 桜ちゃんはずっと病院暮らしで、テレビも見なければネットもやらない子だった。勿論テニス、スポーツの知識なんて無いに等しい。

 だから退院して以降、わたしの名前をインターネットで検索してみて相当驚いたらしい。


「まあ、そこそこね」


 別に知らなくても全然良いんだけれど、彼女は知っているだろうか。わたしは一応、オリンピックに出たことがあると。


「お姉さんも、四大大会・・・グランドスラムっていうの、出るんですか?」

「もちろん出るつもりだよ。出られる自信もある」


 お見舞いの品、どこかの名物である和菓子を食べながら会話をする。


「・・・でも、それって」


 その時、桜ちゃんの声のトーンが下がった。


「活動の場を海外に移す、って事ですよね・・・」


 和菓子を手元に置き、顔を上げると、桜ちゃんは泣き出してしまいそうなくらい落ち込んでいた。

 その俯いて弱気な表情は昔の彼女を見ているようで。


「私、怖いんです。調べれば調べるほど、お姉さんが遠くの人に見えていって・・・。それに加えて離ればなれになるなんて、本当に、怖い・・・」


 ―――わたしには耐え切れなかった。


「ダメですよね、こんなの。お姉さんはテニスプレイヤーで、世界で活躍するべきで、もっともっと、日本を背負っていく人なのに。私、自分のわがままでお姉さんを縛ろうとしてる」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう言い捨てると。


「だから、私がお姉さんにとって邪魔になったら、いつでも言ってください」


 そう言って、笑う。

 その笑顔は乾いているなどというものではなかった。

 泣いてるんじゃないかと思うほど、暗く黒い表情をしている。


「桜ちゃん」


 わたしはぽんぽん、と自分が座っているベッドの布団を叩く。

 彼女はいぶかしげな表情をしながら椅子から立ち上がると、わたしが叩いたところへと腰を落ち着かせた。


 言葉にしなくても、こっちへ来て、というわたしの意思は伝わったようだった。


(それだけで、十分だよ)


 心の中でそう思うと。わたしは思い切り桜ちゃんを抱きしめた。


「わたしがどこへ行っても、いつまで経っても、1番大切なのは桜ちゃんだから」


 ぎゅっと、腕に力を込める。

 桜ちゃんの表情は見えないが、放心しているのか、わたしを抱きしめてくれない。


「そんなの・・・っ、嘘ですよ。距離を置けば心も離れていくんです。どんなに言葉で取り繕っても・・・」

「離れないよ」

「嘘ですよっ! お姉さんは私の思ってたよりずっとずっとすごい人だったんです! きっと、これからとんでもない数の人達が寄ってくるし、お姉さんは引き寄せる力を持ってる!」


 桜ちゃんの声からして、泣いてない。

 きっと、泣かないよう気丈に振る舞っているんだろう。そんな事が出来る状態じゃないのに。


「それに比べて、私は・・・っ、ただの中学生じゃないですか!」

「違う、全然違うよ。桜ちゃんは」

「違いま」


 何か叫ぼうとした桜ちゃんの口に、自分の口をつけて塞いだ。

 最初は抵抗しようとした小さな女の子は、やがてその全身から力が抜けたかのように、無抵抗となった。


「わたしにとって、桜ちゃんは違うの。テニスとも、お金とも、地位とも名誉とも、違う。世界にたった一人の、わたしの大好きな人。だから、絶対に貴女を1人になんてしない」

「そんなの、何とでも言えるじゃないですか・・・」

「うん。だから何とでも言うよ。たとえ世界の裏側に居ても、桜ちゃんに会いたくなったら会いに行くし、桜ちゃんが言ってくれればすぐにでも帰ってくる。試合中だって」


 そう、言った時。

 彼女の瞳から一筋の雫が零れ落ちたと同時に。


「お姉さん、嘘、下手過ぎ・・・」


 その表情に、笑みが戻った。


 そう、彼女は泣いたり俯いたり呆けたりする顔より。

 笑顔がかわいい。それをわたしは誰よりも知っている。


「桜ちゃんはわたしにとってたった一つの希望なんだよ」


 その夜。

 車いすに座り、彼女はそれを押し、病院の屋上へと来ていた。


 今日はスーパームーン。大きく輝く光る月が見られると言う、一大天体ショーの日だ。


「わたしを月だとするなら、桜ちゃんは太陽。月は太陽が無ければただの衛星、光る事なんて出来ない。わたしが世界中の人に見てもらえる日が来たら、それは桜ちゃんのおかげなんだ」

「私はそんな大したもんじゃありませんよ」

「それで良いの。桜ちゃんはただ、居てくれるだけで良いんだ。だって」


 あの日、桜ちゃんがわたしを止めてくれなかったら、わたしはもうこうして夢を抱きながら月を見上げることなんて無かっただろう。

 自分が無理なリハビリをして、テニス選手として再起不能になっていた事をただ、悔いていたと思う。


 ―――わたしの人生に光をくれたのは、他の誰でもない、貴女だから。


 さすがにそれを言うと、桜ちゃんはぷいっと顔を背けてしまった。

 素直じゃないなあ。このムードなら、その真っ赤になった顔も、見せてくれればいいのに。


「わたしは欲張りだから。負けるのが、諦めるのが本当は大嫌いなの」

「・・・うん」


 桜ちゃんは、今度はこちらに顔を向けて、微笑みながらゆっくり頷いた。


「わたしは世界一のテニスプレイヤーになる。四大大会だって、制覇してみせる。毎日毎日テレビに出て、日本の話題を独占して・・・。そんで、その全てを手土産にして」


 大きな大きな月に照らされた、誰よりも大切な彼女を見つめ。


「桜ちゃんと一緒に笑うんだ。それが、わたしの夢だよ」


 どちらかでもなく、自然に。

 わたし達は顔を近づけると、もう一度唇を重ねた。

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