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Phantom  作者: ゆいまる
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Overture #3

偶数日更新

 振り返り、足をそろえ、彼女の顔を見てしまう前に頭を下げた。

 下げた頭に彼女の困ったような、そして少し寂しそうな笑い声が降ってくる。

「顔を、みせて? リュート」

「……はい」

 言われるままに従う。しかし、視線を合わせることはできず、皇女の足元を見つめた。真っ白な靴は小さくてか弱い。

 そこに一人分の靴しか見えないのに気がついて、リュートはそのまま訊ねる。

「あの、ビオラ様は?」

「用事を頼んでいるのです……一人に、なりたかったから……」

「あぁ。それでは、自分も」

 役立たずの未熟者。自分がそんなの一番良くわかっている。どれだけ同世代より資質や実力が抜けていようと、結局は見習いの中だけの話。自分が目指すもの。そう、自分が果たしたい夢にはまだ程遠い。

 目の前の靴を見つめる。

 自分の夢。そうだ、自分の夢はこの小さな靴と軽やかな口笛を守ることだ。今はまだとても叶わない夢。ならば、せめて邪魔にはならないようにしなければ。

 リュートは気づかれないようにそっと小さな吐息を逃がし、道を譲ろうとした。

 影が、重なった。小さな靴が一歩距離を縮めたのだ。

「一人で、貴方を探したかったのです」

「え?」

 思わず顔を跳ね上げる。

「やっと、目を見てくれましたね」

 夕暮れに輝く瞳がこちらを真っ直ぐに見つめていた。

「あ、すみません」

「お昼間のことが、気になって……」

 目を合わせたクラウディアは自らがリュートを探しに来たはずなのに、少し戸惑うような表情を見せた。

 僅かに揺れる声で、リュートはその言動よりもハッキリと彼女の迷いを感じた。

 ついこの間までは、アジェンだけではない、彼女とだって毎日気軽に会って、話をして、時に二人だけの時間すら作れた。

 その時間はかけがえのないものであり、同時に留めておくことのできない幻のようなものだと、ずっと自分に言い聞かせてきていた。少しでも、あの時間が幻と掻き消えてしまうのが先であればいいのにと、どれほど神に祈っただろう。

 しかし、時は無常に流れ、今や幻は優しい季節の中に消え去り、ここにあるのは抗いようのない現実なのだ。

 自分たちは、もう、大人にならないといけない。

「久しぶりに、一緒に歩きませんか?」

 リュートの指先にクラウディアの指先が触れようとした。

 そよ風が当たるほどの頼りない感触なのに、リュートは思わずその手を跳ね除け、一歩後ずさってしまった。

「あ、あの」

 目を丸める彼女の顔に言いようのない罪悪感を感じ、さらには失態への恥ずかしさもあいまって、慌てて俯いた。

 無礼をわびなければ。思わずしてしまった行動だとしても、これは失礼極まりない事だ。自分を心の中できつく叱責し、慌てて床に膝まづく。

「……リュート。私……」

 自分に降ってくる視線で、今、彼女がどんな顔をしているのかわかる。わかってしまう。そう、どんな時もアジェンと、そして彼女を見ていた。

 自分でもいつからかわからないくらい、ずっと前から。そう、自分は己の身もわきまえず。ずっとずっと……。

 こんな感情は不躾だと思う。恥ずべきことだし、もっとも戒めるべきことだと思う。臣下が皇女をそんな目で見ること自体、愚かで下卑でいるのだ。

 もう、子どもではいられない。いてはいけない。

 誰よりも、アジェンと彼女のために。

 リュートは自分の心に鞭を打ち、じっと彼女の小さな靴を見つめる。

「失礼しました。お話ならここで伺います」

「どう、して?」

 声が震えている。泣きそうになっている。

 こうやって顔を見なくてもわかる。彼女の顔が今、泉に浸した絹のようにゆらゆらと揺れ、あの愛らしい花弁のような唇が戦慄き、いつもは聡明に輝く宝石のような瞳が哀しみに潤んでいるのが。

 それでも、もう、自分にはその涙を拭う資格もない。

 触れていはいけない。

 この気持ちの存在も肯定してはいけない。

 過去は過去にし、これからの彼女の道を守らねば、ならないのだ。

「もしかして、リュートは知っているの? だから、最近、アジェンや私に冷たいの?」

「え?」

 知っている? 何の話か見えず、彼女の顔を見る。予想通りの表情がそこにあり、予想以上の悲痛な胸の叫びをその瞳が訴えていた。

「私が、私が……」

「クラウディア様が、どうかなさったのですか?」

 自分の知識を高速でかき回す。しかし、そのどこにも彼女に関するこれといった事項が見当たらなかった。

 彼女は自分よりも2つ年上で、成人の儀はとっくに済ませている。後継者についての名言は、まだアジェンが成人していないという理由からされていないが、おおくの宮廷内の人間の見方では、嫡男であるアジェンだろうという暗黙の了解もなされている。

 確かに、気になる動きがないわけではない。

 クラウディアの母、もう十年以上前になくなった前妃ホルンは隣国メロデの王族だ。一方、アジェンの母で現妃ルーテはこの大陸にあるもう一つの国リズミドの生まれであり、この国の主宗教シガソン教との親交が深い。

 穿った見方をすれば、メロデとの盟約を重視する大臣一派と、リズミドやシガソン教との繋がりを重視する教会一派とでそれぞれ、クラウディアとアジェンを擁立し、対立する形も見えなくはない。

 だが、それはしがらみの一環。前妃の存在を立てる意味でのものでしかないのではないか。リュートはそう楽観していた。

 だから、やはりどう考えてもクラウディアの懸念する言葉の意味がわからなかった。

「知らないのならいいのです。立ってください。そして、どうか、お願い。少しの時間でいいの、リュート」

 急に口調が昔に戻る。

 世の中のルールに囚われず、自由に駆け回っていた季節のそれに。

「傍にいて。昔のように」

 切実な色の瞳は、何かを隠していた。その何かはわからない。でも、普段はわがまま一つ言わず、控えめな彼女が、こんな風に自分に会いに来たのだ。

 応えるべきなのだろう。

「わかりました」

 立ち上がる。いっそう暗くなった空に、影の縁だけが僅かに重なる。

 そう、応えるべきなんだ。

 一、家臣として。

 リュートは顎を引くと、あくまで彼女に付き従うと伝えるように、彼女に道を開けた。

 耳に聞こえた彼女の小さな吐息が、迫り来る夜空にそっと落ちる。


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