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劇薬  作者: いのり
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失ったもの

 一人で考え耽っていた。幾度自らの終わりについて考えたことだろう。欲しい物の心当たりもない、逆に自らを求める者の心当たりもない。かつて望んだ将来をつかみ取るにはモチベーションに欠ける。私は手元に何もないというには、天にもらった物が多すぎる人間だろう。それでも本当に、何もかもを失ってしまった感覚であったのだ。

 考え事の中には、言葉の意味を実感することもあった。例えば溺愛といえば、かつては溺れるように夢中で愛すること、と理解はしていた。いざ当事者になった時、それは愛に溺れて沈んでゆくことだと分かった。

 酒の量もずいぶん増えた。もともと落ち着いた飲み方は得意で、体を労わりながら穏やかに酔いを楽しむというのが常だった。しかしスロットルも歯止めも失って、狂ったように酒を煽ることが多くなった。毎日黄昏どきを過ぎたころに、心にどっと憂鬱の雲が湧きだしてくる。これを必死で振り払おうと、酔いに身を任せる。こうなれば高い酒の味も分からない。バーボンをストレートで流しても、絡みついたものはすすげなかった。酩酊すると吐くほど飲む前に寝る性質であったので、酸で体を焼くことをなかったが、震える手の振幅は日を追うごとに大きくなった。

 ほどなくして痛いという言葉が口癖になった。最初は胸が締め付けられるようで、つらいという意識をそのように表していた。しかし時を追うごとにハッキリとした感覚の輪郭が現れ、左手の神経が痛むようになっていた。睡眠の具合もよろしくなくなり、夜が更けてから気絶する日は増えた。2時ごろまで天井を見つめ、すっかり見慣れてしまった広いベッドに横たわっていた。左手は痺れ、夢には追い続けた影が姿を現した。痛い。痛い。うわごとのように繰り返していた。

 眠れない時間には自分自身を説得していた。おまえは正しい手段を取った、悪いことはしていないと。また自分を納得させるために、得意とするところの物理学になぞらえることもあった。熱しやすいのであれば、比熱が大きいので醒めるのも早いのである。また熱力学第二法則より、永久機関の存在は否定されるのである。人間関係も、長く付き合うか否かであり、永遠は存在しないのである。

 最初から、この結末に至ることは条件から証明できるものだったのだ。


 そうして悲しみに暮れているうちに、多くを失ったことに気付いた。ともに楽しんだ娯楽、直接振舞った得意の手料理、長い時間を過ごした景色。どれも心を刺すばかりで、もはや触れることさえできない。煙草も嗜んでいたので、煙るニオイは抱きしめた感触さえ呼び起こした。そして愛した名には、季節の漢字が含まれていた。巡り来る時期ともなれば、外に出ればその文字が溢れる。羅列を見るだけで、脈は乱れ吐く息は震えた。

 失った後には緩やかに回復していくものと楽観的に構えていたが、実際は癒えない傷を抱えて転げまわっていただけであった。思い出は、この首に真綿のように絡みついている。これからの人生で、また機会に恵まれることも少しはあるだろう。その時もきっと、私の独占欲と執着だけが自らを絞め上げ、日々の楽しみを喪失する結果になるに違いない。もしかしたら大人になるということは、そのように1つ1つ大切なものを失っていくことなのではないだろうか。

 今の私はすっかり魂の形が変わってしまっていた。あの時感じていた幸せを恋しく思い、誰かを抱きしめる。そんなことをしても、血の通わなくなった手先では、相手を本当に包み込めるほどの力は入らない。誰を抱きしめようが脳裏では影が踊り、目の前に確かに存在するものに焦点が合わない。どこか遠くを見ているような自分を愛する者はなく、結局最後には一人になる。既に私は、誰も愛せず、誰からも愛されないような人間なのかもしれない。

 大切にされたいという一心で今も昔も生きている。迷惑になるようなことは言わないから、どうかこの手を取ってほしいのだ。手を伸ばしても、その手が引かれることはもうないだろう。震えた手を虚空に伸ばす気力も尽きた。長い人生だろうが、あとは緩やかに死んでいくのみである。

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