7 今日の宿
部屋に戻ると、まずは今朝まで使っていた洗面道具を鞄に入れて、部屋着を鞄に入れた。
そして、机の上に置いていた女官記章や、リカルドに借りた指輪やイヤリングの入ったケースを手持ちの鞄に入れた。
「これでよし」
準備は40秒くらいで終わった。
私は忘れ物がないか再び見回して、扉の前に立った。
色々なことがあった。
そんな苦楽を支えてくれた部屋に向かって最後に「ありがとう」と呟いて扉を閉めた。
エントランスに戻ると、リカルドが私を見つけて駆け寄って来た。
「持ちます」
「いえ……これだけですので」
「あ、ほら、鍵を返す必要があるでしょう? 両手が空いていた方が便利ですよ」
悪いと思ったが、確かに彼の言う通りなのでトランクを預けた。
「では、お願いします」
「はい」
身軽になった私はミシェルの部屋をノックし、出て来た彼女に鍵を渡した。
「ありがとうございました。これ、お部屋の鍵です」
「え? もう終わったのかい?」
「はい」
ミシェルは驚いていたが、ゆっくりと受け取ってくれた。
「確かに」
そして私を見て微笑んだ。
「元気でね」
「はい。お世話になりました」
私は頭を下げて、寮を出た。
そして、リカルドと共に馬車に乗り込んだ。
見送ってくれたミシェルさんに手を振って、彼女が見えなくなったらリカルドを見た。
「荷物、ありがとうございました」
「いえ……ただ、あなたはトランク一つで……(いなくなってしまうかもしれないのですね……)」
最後の方は馬車の音もあってよく聞こえなかった。
「すみません、リカルド様。最後の方がよく聞こえなくて……」
「たいしたことではありません、退寮も無事に済みましたね。お疲れ様でした」
優しく微笑むリカルドに私は、女官記章のケースを取り出した。
「あの、リカルド様。こちらを返すのを忘れていました」
リカルドに指輪とイヤリングを見せた。
「これは、あなたに持っていてもらいたいのです」
「え?」
てっきり夜会の間だけ借りたのかと思っていた。
「ああ、でも指輪は少し大きかったですね。領に戻ってあなたの指のサイズに合わせます。それまでは私が預かりましょう」
「お願いします」
リカルドは首からチェーンを外して再び指輪を通して首にかけた。
そして優しい瞳で見つめながら言った。
「イヤリングは……結婚指輪ができるまでイリスさんが付けてくれませんか?」
リカルドはそう言うと自分の左耳を見せた。
こんな高価なイヤリングを普段から身に着けるのは緊張する。
でも結婚指輪の代わりと言われたら、断れない。
それにこのイヤリングはとてもデザインが良く私もとても素敵だと思う。
「わかりました。では……」
私はイヤリングを左耳につけた。
「お揃いですね」
リカルドに微笑まれて、顔に熱が集まる。
私はなんだか恥ずかしくてうなずくことしかできなかった。
またしてもなんだかふわふわとした沈黙の中、私は馬車の外を見ようと思ったが、ガラスに映った自分の耳にリカルドと同じ物が付いていることに気付くと、外の景色など目に入らずにぼんやりと窓ガラスに映ったイヤリングを見つめていたのだった。
◇
「そろそろ着きますよ」
「え?」
リカルドに声をかけられて外の景色を見た。
この辺りは運河の近くでレストランや宿が多い。
城の近くの小高い丘の上の宿は高級な宿が多いが、この辺りは財布に優しい宿も多いので私はほっとした。
財政難のリカルドに負担をかけたくない。
外を見ていると馬車は港に向かい、大きな船の前に停まった。
(え? どうして船??)
もしかして、何か用事があったのだろうか?
首を傾けていると、リカルドが馬車の扉を開けて、私の荷物を持って外に出ると、「こちらに手向かってを差し出した。
「どうぞ」
「は、はい……」
私はわけもわからないまま、馬車から降りた。
リカルドは私を見て微笑んだ。
「こちらです」
「え?」
そしてリカルドは、私の手を引いて大きな船に向かった。
「お、若、お帰りなさい!!」
「お勤めご苦労様です、若!!」
「おおお!! 若の妄言じゃなかった!! すげぇ~~可愛い~~」
「お~~い、若が空想じゃない本当の姐さんを連れて帰ってきたぞ~~こいつはべっぴんさんだ!!」
若?
姐さん?
妄言?
空想??
(えーと、若ってリカルド様のこと……よね? もしかして、姐さんって……私?)
思わずリカルドを見上げると、彼が額に青筋を立てて、私を見てにっこりと微笑むと「ここで少々お待ちください」と言うと上半身を全く動かさずに、かなり早歩きで、男性たちの元に向かい、彼らの肩を組んで小声で何かを言った。
「(おい、イリスさんの、前で『若って言うな』って言っただろうが!?)」
すると一人の男性が、大きな声で言った。
「あ~~もう、どうせ、取り繕ったって、あっちに戻れば住人もみんな『若』って呼んでますって」
「そーそー。それにいつまでかっこつけてんですかい。どうせすぐに化けの皮は剥がれますって」
「若、自分を良く見せようっても、限界があるってもんです」
彼らの言葉はよく聞こえるが、肝心のリカルドの声は聞こえない。
だから化けの皮が剥がれるや、良く見せるとの不穏な単語が聞こえて不安なった。
「(そんなこと言って、怖がられて嫌われたらどうする!!)」
「その時は、その時!!」
「そうそう、若は若ですって!!」
よくわからないが、何か揉めているようだ。もしかして突然来るのはよくなかったのかもしれない。
段々とここにいてもいいのか不安になって来て、私は気が付けば声を上げていた。
「あの……ご迷惑でしたか? 一度、私はどこか別の宿に……」
そこまで言うと、リカルドが私を見て大きな声を上げた。
「イリスさんが迷惑だなんてことは絶対にありません!!」
そしてクルリと振り返り、私の前に歩いて来ると頭を下げた。
「誤解させてすみません」
すると後ろで、男性たちが声を上げた。
「今のは若が悪い」
「確かに! こそこそ話は誤解の元っていうよな~~」
「そうそう、なにより感じ悪ぃ!! 若、サイテー」
リカルドは、後ろを睨んだ後に私を見た。
「イリスさん、黙っててすみません。実は、私はあまり貴族らしくなく……」
リカルドの言葉の後にまたしても少し離れた場所で男性たちの声が聞こえた。
「若~~あまりっていうか、全然貴族らしくねぇって」
「いや、でもお偉いさんの前では貴族っぽいから全くっていうのは言い過ぎじゃねぇか?」
「なんだか、裏表があるヤツっぽくてうさんくせぇな」
「ガハハハッ。確かに、うさんくせぇ!!」
リカルドはぷるぷると震えて、後ろを向いて大きな声で叫んだ。
「うるせぇな!! おめぇら、ちと黙ってろ!!」
リカルドは息を整えると、私を見てつらそうな顔をした。
「イリスさん……すまねぇ。だますつもりはなかったんだが……普段の《《俺》》は、粗雑なヤツで……城にいるような上品で優雅な貴族ってのとは、正反対なんだ……でも、イリスさんを大切にするって言ったのは嘘じゃねぇし。嫌がることも絶対にしねぇ。だから……その……こんな俺だが、一緒に来てくれるか?」
出会ってすぐから違和感はあった。
冷静に考えると、王太子殿下主催のパーティーで素を見せる人の方が少ない。
それに出会ってすぐに結婚すると決めたのは、他ならぬ私だ。
同情と使命感で結婚したことは否定しないが、それでも自分で決断した。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
笑顔でリカルドを見上げると、リカルドが泣きそうな顔で私の手を握った。
「本当か? こんな俺でもいいのか? ありがとう、本当にありがとう」
泣きそうな顔で笑うリカルドを見て、私は心臓が早くなったのだった。




