30 祝 【最終話】
深い夜のような濃紺のドレスに散りばめられているのは、この国では珍しいが、ラーン伯爵領の特産でもある真珠の砕けたものだ。
商品にならない真珠を使っているのだが、ドレスに散りばめると最高の輝きを放っていた。
「あのドレスの色素敵……どうやって染めているのかしら?」
「なぜ、ドレスが光っているのかしら?」
「羨ましいわ」
これはドレスを作ってくれた親方から聞いた話だが、これまでラーン伯爵家から社交界でドレスを披露する機会は何年もなかった。
なぜなら、社交界に出席するリカルドの母はリカルドを生んですぐに亡くなった。
だからこそ、ラーン伯爵領内に、これまでどんなに優れた技術や物があっても社交界で噂になることなかったのだ。
社交界で、話題になるのは男性の衣装ではなく女性の衣装のことが多い。
つまり私には、数十年ぶりにラーン伯爵領の宣伝をするという使命を与えられていた。
(胸を張って、背筋を伸ばせ、私は今日はマネキン。ラーン伯爵領を宣伝するマネキン!!)
私は恥ずかしさを押さえ込んで、堂々と胸元と背中の少し開いたドレスで歩いた。
リカルドが『本当は見せたくないが、これくらいなら……』と親方と交渉したらしい。
「この度はご活躍でしたな」
「ええ、とても素晴らしい船ですわ」
私はリカルドの隣に立って伯爵夫人としてにこやかに立っていた。
「船が必要になりましたら、お申しつけください」
リカルドは堂々と社交をこなしていた。
(さすがはリカルド、完璧な貴族だわ……)
普段のリカルドも素敵だが、貴族モードも滅多に見れないのでレアだし、上品さが際立って素敵だ。
人が途切れずににこやかに立っていると、隣に立つリカルドから殺気を感じて思わず彼を見上げた。
(リカルド、どうしたの?)
不思議に思っていると、とても上質な服に身を包んだ。銀の長髪の男性が現われた。
男性はリカルドに無遠慮に近づき、私を見下すような視線を向けた。
「おや、リカルド……また婚姻を継続していたのだな……ああ、そうか、この国では1年は離婚はできないからな」
(あ、この人、レッグナードだ!!)
一瞬で私はこの人がピルオン公爵家のレッグナードだと理解した。
サイモンと髪色は違うが話し方はそっくりだ。語尾の嫌味な感じがかなり似てる。目を閉じるとサイモンが話をしているようでイライラするレベルでそっくりだ。
そしてレッグナードは私を見て片側だけ口角を上げて顔を近づけて囁いた。
「別れたら、愛人として囲ってやってもいい」
ぞわぞわと鳥肌が立って、腕を押さえているとリカルドが私の前に立ってレッグナードを見上げた。
「そうそう、お礼が遅れました。閣下からいただきました黒いバラは、我がラーン伯爵領邸で健やかに育っております」
レッグナードはリカルドを見て、ピクリと眉を動かした。
「何?」
リカルドは、レッグナードを見て楽しそうに言った。
「それに、あのバラは大変珍しいそうで、我が家はあのバラをトレードして巨額の富を得ることができそうです。素晴らしい贈り物に心から感謝いたします」
「あのバラを欲しがっている者などいるものか!! あのバラの花を焼けば、辺り一帯の土が侵されるはずだ」
レッグナードが眉を寄せながら言った。
(え!? あのバラ、そんな危険なバラだったの!? 焼かなくてよかった……)
リカルドは眉を下げて演技力抜群な様子で言った。
「焼くだなんて、あんな貴重で珍しいバラ。それに、あのバラのおかげでこちらは、琥珀を得られますので」
「……琥珀だと?」
リカルドは笑って「はい」と答えた。
すると周囲から声が上がった。
「琥珀だって」
「琥珀?」
「今度交渉してみよう」
「(今度もっと資金を上げて分配を増やしてもらおう)」
「(琥珀はいくらほど資金を提供すればいいのだ?)」
周囲の貴族がリカルドの『琥珀』という言葉に食いついた。
リカルドの事業を知っている人々は提供資金を上げる話をしている。
まさか、宣伝効果まであったなんて!!
レッグナードがリカルドに顔が付くほど近づいた。
「言え、どこと取引するつもりだ?」
リカルドは眉を下げた。
「さぁ、私には何とも……全て父に任せておりますので……私は領政だけで手いっぱいです」
「ふざけたことを……」
レッグナードがガリッと奥歯を噛んだが、周囲は「ラーン伯爵領には借金があるから」とか「確かに大変そうだ」と事情を知らない人々の同情を集めている。
この空気、みんながリカルドの味方だ。
「ふん。これで勝ったと思うな」
レッグナードは、典型的な負け犬の言葉を残して、離れて行った。
「(はぁ、はなっからお前と勝負なんざしてねぇっつ~~の!!)」
リカルドが小声で呟くと、私を見て笑った。
「あっぶねぇ~~。あのバラ、焼かなくてよかったな」
「そうですね!!」
「帰ったら、あのバラについて調べる必要があるな」
「はい、お手伝いします!!」
私たちは顔を見合せうなずいた。すると、ファンファーレが聞こえた。
「そろそろ始まるな」
「はい」
そろそろ王族の方々が登場するのだろう。
私たちは、船の端に移動して静かに王族の登場を待つことにした。
三人の王族が登場して陛下のお言葉を賜った。
(やっぱり昨日会った方とは別人よね……)
陛下はやはり威厳に満ち溢れており、昨日の謁見での陛下が夢ではないかと思えた。
そして、陛下は祭壇の上に残られたが、王太子殿下と、レイモンド殿下は、皆と話をするために壇上から降りた。
船の上には、陛下にあいさつをする人の列と、王太子殿下を囲む集団。レイモンド殿下を囲む集団に分かれた。
「リカルド、私たちはここにいていいのですか?」
「そうだな……それよりも、せっかくみんな他に夢中なことだし……イリスさんと二人でこの船を眺めていてぇかな……」
リカルドが照れたように顔を赤くして、言うので私まで赤くなった。
私も恥ずかしくなってリカルドから視線を逸らして、船を見た。
この船はとてもいい船だ。
「本当に素敵な船ですね」
思わず呟くと、リカルドも小さな声で言った。
「ああ。そうだな……」
私たちは寄り添って、しばらくこの船の様子を眺めていた。
◇
しばらくして、陛下へのあいさつの列が途切れた頃。
陛下と台座の間にレッドカーペットが引かれ、みんながその場を開けた。
またしてもファンファーレが鳴り響いた。そして、よく声の通る文官が陛下の近くに立った。
「これより、中央の台座に陛下の紋章を掲げる儀式を行います」
そして陛下が椅子から立ち上った。
ゆっくりと台座を降りた時、悪夢が再び蘇る。
(え!? サイモン!?)
信じられないことに陛下の紋章を持っていたのはサイモンだった。
辺りを見回すと、やっぱり運営だと思われる人々は眉をしかめたり、青い顔をしたり、怒りを見せていた。
(あ……また、段取り無視したんだ……あの人……)
リカルドが、サイモンを見て眉をしかめた。
「なんか、エンブレムが揺れてねぇか? あぶねぇな……あの持ち方で合ってるのか??」
リカルドの言う通り、ふかふかのクッションのようなものの上に乗せられたエンブレムのガラスの箱が揺れていた。
「たぶん、本来は手袋をしてガラスケースを持つのだと思います」
「あいつ、手袋してねぇけど……」
「だから、指紋がつかないように、あのクッションで運ぼうと思ったのかもしれません……なんて浅はかなことを!!」
あのクッションはあくまで、ガラスケースに傷がつかないように一時的に置いていたに過ぎない。
それを何も知らずにそのまま持ってくるなんて!!
こんなの文官試験を受けたなら誰でも知ってる初歩的なことだ。
「落としたら、最悪だ。陛下が今度こそ引きこもる!! そうなると面倒だが……俺たちじゃ近づけないからな……」
そう、王道と呼ばれるレッドカーペットが敷かれた空間に入れるのは陛下の許可が下りた者のみ。
おそらくサイモンは「陛下、私が務めてもいいでしょうか?」と聞いて、陛下は段取り通り許可を出したのだろう。陛下は誰が担当かなど知らない。聞かれたら答えるはずだ。
私は必死で考えて、リカルドを見た。
「リカルド、陛下とレイモンド殿下を仲直りさせて、なおかつあの金のエンブレムを守る手立てがあります!!」
リカルドは私を見て、驚いた後にニヤリと笑った。
「聞かせてくれるか?」
「はい」
私はリカルドの耳元に顔を寄せてヒソヒソと内容を伝えた。
「わかった、任せろ」
「私は室長を探します」
「ああ」
リカルドと顔を見合わせて、うなずくと私たちはそれぞれの配置についたのだった。
私は船の入り口付近に移動した。
絶対にこの辺りに室長たちはいるはずだ。
(あ……いた!)
私の予想通り、すべてが見渡せる場所に、室長たちは立っていた。
しかも、別の部署の幹部も揃っていて、みんな青い顔でサイモンを見ていた。
「室長!!」
私が室長に声をかけると、室長が私を見て目を大きく開けた。
「君、来ていたのか。ああ、そうか、今回はラーン伯爵領で作られた船のお披露目会だ。いて当然か……どうだ、大切にしてもらっているか?」
室長が私を見て笑うので私は「ありがとうございます、大切にしていただいています」と答えて室長に向かって行った。
「サイモン殿の対処はとある方にお任せしたので、問題ありません」
私が報告すると室長が「とある方?」と言って首をかたむけた。すると、こちらを見ていなかった他の幹部の方も小声で言った。
「どういうことだ?」
「何か手立てがあるのか?」
私は室長たち幹部の皆様に作戦を報告した。
「なるほど……そんなことが可能なら、それは助かるが……」
私は皆を見て真剣な顔をした。
「お願いです。サイモン殿はどうして、ここに配属されたのか、知っている方がいたら教えてください。今後、もっと大きな問題が起こってからでは対処ができません!」
幹部の皆は顔を見合わせると、一人が気まずそうに口を開いた。
「実は……」
そして私は、内容を聞いて必死でメモを取った。
「なるほど、ありがとうございます!! 後は任せてください!!」
私は室長たちから聞き取ったメモを持ってリカルドを探した。
リカルドはすぐに見つかった。リカルドと目が合うと、リカルドが私の方に来て手を取った。
「イリスさん、こっちは話がついた」
「ふふふ、さすがリカルド。私も話聞けました! これです」
リカルドは私のメモを受け取るとうなずいた。
「よし、これでいい。後はあの人が動くまで高みの見物と行こうぜ」
「はい」
リカルドと並んで、私はじっと見ていた。
その時だ。
「おい、そんなぞんざいな扱いをするな! 陛下の紋章が揺れているだろう!?」
「レイモンド殿下!?」
レイモンド殿下は、文官が貴重な物に触れる時の滑りにくい素材の手袋をつけて、サイモンの持っていたガラスケースを両手で持っていた。
驚く、サイモンを横目にレイモンド殿下は大きな声を上げた。
「王の紋章をこれほど不安定な持ち方をするなど、王に対する無礼だ。我が国の王は、いかなる時も揺らがぬ」
レイモンド殿下はガラスケースを持って堂々と声を上げた。
すると周囲から大きな歓声と、拍手が巻き起こった。
『レイモンド殿下は陛下を憎んでいたのではないのか?』
『憎んでいたら、このようなことはしないだろう。ピルオン公爵家を敵に回すことになる』
『そうだな、王位簒奪を目論んでいるのなら、ピルオン公爵家から奪うことなどしない』
そして、陛下が小声で呟いた。私とリカルドは何かあった時にフォローできるように陛下に近づけるギリギリまで移動していので聞こえた。
「レイモンド……そなた……」
陛下は、レイモンド殿下を見て唖然としていた。
レイモンド殿下は丁寧な手付きで王の紋章の入ったエンブレムを陛下の前まで持って行った。
そして陛下の前に跪いて紋章を掲げた。
「陛下、どうぞ」
陛下は驚いて目を大きく開けていた。
「ああ……」
陛下はエンブレムを受け取ると、紋章を皆の前に掲げた。
「おおお!!」
皆から感嘆の声が溢れた。
そして陛下は、中央の台座にエンブレムを埋め込んだ。
大きな拍手と共に、皆ほっとして、サイモンは青い顔でその場を離れようとしていた。
その時だ。
レイモンド殿下が口を開いた。
「なぜ、このように物の扱いを知らぬ者が、陛下の大切な紋章を持っていたのだ!?」
サイモンが青い顔で立ち尽くした。
そして彼は大きな声で叫んだ。
「私は、やれと言われたのでやったに過ぎません、私を教育しなかった者の責任です!! 私は知らなかっただけです!!」
元々彼は、この役目など任されていないだろう。
それを無理やり奪っておいて、都合が悪くなったら教育を受けていない、知らなかったと言う。
本当に……
(あの時と同じ言い訳だな……あれから、4ヵ月も経ったのに……)
それにあの時だけのことだとは思えない。
きっと私のいなくなった後も何度か同じようなことがあったのだろう。
何度も同じ失敗をしても学ばず、都合が悪くなると人のせい……それで仕事などできるようになるはずがない。
誰かのせいにした時……人の成長は、止まる。
「ほう、それは誠か? 誰か!!」
「はっ!」
そしてリカルドと私は、頭を下げてレイモンド殿下の隣に立った。
「ここに文官より、聞き取った内容がございます」
リカルドの声を聞いてレイモンド殿下が陛下を見た。
すると陛下が「ふむ。申してみよ」とおしゃった。
「はっ」
リカルドは堂々と私の聞き取った内容を読み上げた。
「この、サイモンという者。文官資格を有する者ではありません」
周囲からざわざわと「なんだって」「ありえない」との声が聞こえて来た。
「さらにピルオン公爵家からの命で、現在の部署に配属するようにと命が下ったとのことです。そして、先ほどは、本来は別の訓練を受けた者が紋章をお持ちするはずでしたが、この者がピルオン公爵家の名前を出して、役目を奪ったとのことです」
陛下が「誠か?」と尋ねた。
陛下の命は絶対だ。
サイモンはすがるように周りを見て、ある一点で視線を止めて叫んだ。
「兄上!!」
皆が一斉に、レッグナードを見た。
レッグナードは冷たい視線をサイモンに投げながら、陛下に向かった言った。
「我がピルオン公爵家は関係ありません」
「そんな!! 兄上!」
ただの子爵にそんなことが出来るわけがない。絶対にレッグナードが絡んでいるのは明確だ。
陛下は威厳のある声で静かに言った。
「今宵は、祝いの席ゆえ、改めて話を聞く。衛兵、この者を捕えよ」
「はっ!!」
兵が動き、サイモンを連行した、サイモンはずっとレッグナードを見ていたが、彼の瞳がサイモンを映すことはなかった。
兄弟が完全に袂を分けた瞬間を……見た気がした。
その後、お披露目式が終わり、リカルドと私は陛下に船の中の謁見室に呼ばれた。
中に入ると、陛下と王太子殿下、レイモンド殿下と王族が全て揃っていた。
(全員集合……すごい迫力……)
あまりの圧で倒れそうになったが、リカルドは怯むこともなく、いつも通りの余裕で三人の前まで歩いた。
「リカルド、今回は何から何まで世話になったな」
陛下がにこやかな表情で言った。
これまで陛下のこんなに、にこやかな表情は見たことがない。
リカルドもまた穏やかな顔で言った。
「仲直り、されたのですね」
すると、陛下とレイモンド殿下ではなく、王太子殿下が声を上げた。
「ああ、そうだ。リカルド、本当によくやってくれた。これでようやく面倒事が減る。今回のことで、派閥を作ろうとしていたピルオン公爵家を押さえた。我々が協力体勢をとれば、三つの派閥などすぐに解体するだろう」
王太子殿下の言葉で、陛下が「すなまかったな」と言った。
そして、王太子殿下は困ったように言った。
「これを機会に婚活してください。女性王族が私の妃しかいないので、彼女の公務が忙し過ぎて、私は妃とゆっくりと、新婚旅行も行けていない。今日だって、まだご婦人たちの輪から抜け出せないのだから……」
陛下は少し考えた後に言った。
「そうだな、リカルド。――協力しろ」
「なぜ私が!?」
リカルドが本気で迷惑そうな顔をした。
するとレイモンド殿下もリカルドに詰め寄りながら言った。
「お前、全く結婚しそうもなかったくせに、すぐに結婚したではないか!! 今、お前には恋愛運がある。いいから協力しろ、王子命令だ」
「は?」
リカルドが声を上げると、王太子殿下がくすくすと笑って言った。
「リカルド、悪いけど協力してくれ。王太子命令」
「はぁぁ?」
そして陛下がにっこりと笑った。
「私も伴侶とイチャイチャラブラブしたいのだ。リカルドなんとかしろ、王命だ」
「はぁ~~あ?」
リカルドは肩を落しながら「横暴だ……」と呟いた。
そして顔を上げると、困ったように言った。
「では、出来る限り、協力します……」
リカルドだけが、大変な任を負ったが……多くの問題を解決したのだった。
◇
そして……月日は流れ……
「おめでとう、若、イリスさん!!」
「若~~イリスさん!! お幸せに~~!!」
私たちは多くの人が見守ってくれる中、たった今、教会での結婚式を終えた。
「みんな用意はいいか~~?」
リカルドの声でみんなが集まった。
「せ~~の~~」
教会を出て、リカルドの声でブーケを投げると、紺色の花のブーケが空高く舞い上がった。
私がブーケを見ていると、リカルドが私の耳に口を寄せた。
「今夜からはよろしくな」
私はリカルドを見て笑った。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
そして、リカルドの顔が近づいて来てみんなの見守る前で唇を合わせたのだった。
【完】
最後まで読んでいただきましてありがとうございます。
それでは、またどこかで皆様にお会いできますことを楽しみにしております。
たぬきち25番




