8.その寂しさは(4)
人々の視線が気になる。
もしや、フィリス様を抱きかかえたディーン様を見かけたのでしょうか。
……いえ、大丈夫よ。あれは彼の優しさだもの。
ただの友情。国王陛下に言われたから仕方なく…そう、ただ仕方なく構っているだけなの。
そう、自分に言い聞かせながら歩いていると、案内された部屋の前にはディーン様が立っていました。
「ディーン様?」
「……ヴァレリー?……すまないっ!君を置いて先に行ってしまうなどっ」
私を見てやっと思い出されたのですね。それほどまでに私は存在感がないのか、それとも、それほどまでにフィリス様が大切なのか。
……駄目ですね。後ろ向きな思考が消えてくれません。
「いえ、緊急事態ですもの。仕方がありません。それでフィリス様は?」
それでも、口からは自然にこんな風にフィリス様を気遣う言葉が出てくるのですから、教育とは恐ろしいものです。
「……まだ診察中だ。髭おじいに邪魔だからと追い出されたんだ。これでも王子なんだが」
どちらかというと、王子だからこそ追い出したのではないでしょうか。お相手はただのクラスメイトですもの。
「ディーンッ!フィリスちゃんは?!」
「ディーン兄様、フィーは?」
王妃様とパトリシア様が走る姿など初めて見ました。
「母上、目立つから走って来ないでください」
「貴方が半端な伝令を送るからでしょう?!」
王妃様が怖いです。それほど心配なのでしょうが、普段はおっとり穏やかな方なので驚いてしまいました。
「王妃様、落ち着いてくださいませ」
「あ……、ヴァレリー?……そうね。食事会のはずだったわ。こんなことになってごめんなさいね」
その反応……。私は自分の存在感の危機に直面している気がいたしますわ。だって王妃様は私がいることに欠片も気付いていなかったようなのですもの。
「私のことはお気になさらず。あの、フィリス様ですが、記憶を取り戻しかけているのかもしれません」
「……何か言っていたの?」
私は馬車の中での会話と、ディーン様を愛称で呼んだことを説明しました。
「エディって懐かしいわ」
「子供の頃の愛称ですか?」
つい気になって質問してしまいました。
「いいえ?兄様ったら私のお友達として来てくれたフィリスといつの間にか仲良しになって。二人だけの呼び名だって!本当にズルいのだから!」
……二人だけの呼び名。そんなにもお二人は仲がよかったの?
「そんな7歳の頃の話をいまさら怒るなよ」
「悔しいから、私はフィーって呼ぶことにしたのよね。私のことはパティって。……フィーは覚えているかしら」
「ふふ、懐かしいわね。早く会いたいわ」
……ヤダな。どうして私はここにいるのかしら。私だけが知らない話を聞いているのは辛いわ。
「おやおや。ずいぶんと廊下が豪勢になっておりますな」
診察が終わったのか、お医者様が扉を開けて呆れ返っていました。
「フィリス嬢は?」
「まだ少し混乱しているようだ。落ち着くまでは面会は止めていただきましょうか」
「……やはり記憶が?」
「一部戻ったようですな。初めて王宮に来た時のことが、丁度今回の気持ちと重なったのでしょう」
そういうものなのね。初めて王宮に招かれたことに対する緊張と興奮。そういったものがリンクしたということのようです。
「まあ、これが引き金になって他のことも思い出す可能性は高いと思われますぞ?」
「それは……」
王妃様が険しい表情になってしまいました。
「母上、彼女を家に帰すのは危険なのでは」
「……そうね。とりあえず今晩は王宮に泊まってもらいましょう。ムーア家に使いを出すわ」
待って。どういうこと?
ディーン様を見ると、小声で理由を教えてくれました。
『誘拐事件の犯人が捕まっていない』
犯人に関する記憶があるかもしれないという事ですか。
「…いや、だがやはり王宮は駄目です」
「どうして?」
パトリシア王女が不満気にしています。
「……彼女は私の友人として招いています。彼女だけを王宮に留めると、あらぬ誤解を受けてしまう可能性が高い」
よかった。ちゃんと考えてくれているわ。
「あ……そうね。困ったわ」
チラリと王妃様の視線が私を捉えました。
それは、どういう意味の目配せでしょうか。
「あ、…の」
どうしよう。心臓がバクバクします。
「では、私も泊めていただいたら、ただの友人のお泊り会になったり……」
ああ、何を言っているの?……自分で自分の首を絞めているわ……。
「あら、それでいきましょ?兄様はどこかへ出掛けて。私が代わりにお二人をもてなすわ。それならいいでしょう?」
「は?どこかって」
「そうね、クリストファーに書状を届けて来て」
「え」
クリストファー様は第二王子殿下のお名前で、現在は視察に向かっていると聞きました。
「遠いですよ、往復で何日かかると…」
「仕方がないでしょう。あなたが言ったのよ?」
「………分かりました。では、父上に報告してから向かいます」
「そうなさい」
お可哀想にと思いつつも、記憶を取り戻した彼女と会えないことにホッとしてしまいました。