7.その寂しさは(3)
ガラガラと馬車が走る音だけが鳴り響いています。
最初は楽しげに話していたフィリス様は、少し前からぼうっと窓の外を眺めているだけになってしまいました。
「……フィリス様、どうかしましたか?」
「えっ、……あ、ごめんなさい」
突然夢から覚めたかのような反応です。
「いえ。問題ないのであれば大丈夫ですよ」
ただ、いつもはお喋りな方が黙っているから気になってしまっただけですもの。
「……もう少しで王宮ですよね?」
「そうですよ。あと5分くらいかしら」
「何だか…この景色に見覚えがある気がしたんです」
……それは、まさか昔の記憶が?
「大丈夫ですか?顔色が悪いわ」
「……ごめんなさい、少し馬車に酔ったのかも。でも、もう少しで着くなら大丈夫です」
「分かりました。無理そうならすぐに教えてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
そう言って笑いながらも、視線はまた外の景色に向けられています。
本当に何か思い出したのでしょうか。もしそうなら、それは喜ばしいことなのですよね?
しばらくして馬車が止まりました。
先に着いていたディーン様が待っていてくださったみたいです。
扉が開き、手を差し出してくれました。
「足元に気を付けて」
「ありがとうございます」
彼の手を取り、ゆっくりと降りる。今日は学園の帰りでお互いに手袋をつけていないので、直に触れる温もりに少し胸がドキドキします。
この程度の触れ合いでときめく自分が情けないわ。
宵闇の中のディーン様は、瞳が黒目がちになって別の魅力があるのですよね。つい、その微笑みに見惚れてしまいます。
ですが、その優しい手はすぐに離れ、視線はまだ馬車の中にいるフィリス様に向けられてしまいました。
ディーン様がフィリス様にも手を貸すのは当たり前のことですが、少し寂しいと感じてしまいます。
「フィリス嬢?」
ディーン様が手を差し伸べてもフィリス様はぼうっとしたままです。
「あの、フィリス様は少し体調が」
馬車の中で具合が悪そうにしていたのを思い出し、お伝えしようとしたその時。
「……エディ?」
──え?
「メイッ、思い出したのか?!」
エディって……メイって、どういう……
「……あ?今、私…何を……」
頭が痛むのか、手でおさえながら何かを呟いている。顔色も悪く──、
「危ないっ!」
フィリス様の体がぐらりと揺れ、馬車から落ちそうになったのをディーン様が支え、ゆっくりと降ろしました。
「大丈夫か?頭が痛むのか」
「……平気……です……」
「そんなに真っ青になってどこが平気なんだ!すぐに医者の準備をっ」
「あっ、はいっ!」
近くに控えていた侍従に命令をし、ディーン様はフィリス様を軽々と抱き上げて歩き始めました。
「なに……駄目です……おろして……」
「すぐに医者に診てもらう。それまで寝ていろ」
本当に限界だったのでしょう。抵抗しようとするも、すぐに意識を手放されたようで、くったりとディーン様の胸に顔を埋めてしまいました。
ディーン様は、そんなフィリス様を心配げに見つめながらも、足早に王宮の中へと入って行かれます。
私には、視線も、言葉も、何もないまま。
……今、何が起きたのかしら?
エディと呼んでいた。それはディーン様のミドルネーム?
『ディーン・エドワード・マクナイト』
それがディーン様の本名。そして、フィリス様の本名は、
『フィリス・メイ・ムーア』
事前に頂いた資料に載っていたから間違いありません。
やはり、お二人は知り合いだったの?
あの時感じた違和感に間違いはなかったのね。
「あの、ミュアヘッド侯爵令嬢」
従僕に声を掛けられて、私は思索に耽ってしまっていたことに気が付きました。
なんてことなの。こんな場所にたった一人取り残されて、何もできずに呆然としていたなんて!
「お荷物をお持ちいたします」
「……ありがとうございます。馬車の中にフィリス様の鞄も残っていると思いますので、そちらもお願いできますか?」
「畏まりました。では、あの者がご案内いたします」
みっともない姿を見せては駄目よ。
淑女としての微笑みを意識して姿勢を正す。ゆっくりと呼吸して。
「分かったわ。ありがとう」
ディーン様の婚約者として、心に余裕を持たなくては。
彼は今、友人を気遣っているだけ。それだけよ。
……きっと、フィリス様を抱きかかえたディーン様を見た人が噂を流すはず。更にその婚約者が無様な姿を晒していただなどと尾ひれを付けるわけにはいきません。
何事もなかったかのように優雅に歩かなくては。
私は何も揺るがない。だってフィリス様の記憶が戻るのはいいことよ。ディーン様とかつてお知り合いだったとして、どんな問題かあるというの?
そう。揺らがないで。……お願いよ。