11.私の可愛いあの子達は。(王妃)
「ごめんなさい。ヴァレリーを守れないかもしれない」
なんと軽い言葉なのだろうか。それでも、これ以外の言葉など見つからない。
「母上、何があったのです?」
ディーンからは冷静な質問だけ。
「あなたのクラスメイトの家から抗議の手紙が届いたわ」
「では、高位貴族複数ということですね」
普段は優し気な笑みしか見せないディーンだけど、本性はそれだけではない。
「ええ。モンクリーフ侯爵家を筆頭に、ムーア伯爵令嬢の救済を求めているわ」
「ヴェラ嬢が?意外だな」
「フィリスは孤独な者の心を掴むのが上手いもの」
「ああ。確かにそうですが」
こんなにも淡々と話すディーンを知っている者は少ない。たぶん、家族とフィリスだけでしょうね。
「私がフィリスを娶るべき。そんなところかな」
「……ええ。ヴァレリーは少し弱過ぎた」
「そこが彼女の良さなのに」
ヴァレリー・ミュアヘッド侯爵令嬢。
王家との婚姻に申し分のない地位。美貌。学園でもAクラスの学力。全てに置いて問題はなく。
唯一問題があるとすれば、対人関係が不器用で夢見がちな少女だということ。
「ヴァレリーの社交能力の低さを突かれたわ。あの子は義妹になるパトリシアの恩人であるフィリスを蔑ろにしていると……。
王家は被害者である彼女をどこまで貶めるのかとね」
「なるほど。哀れな令嬢の救済のためという名目に混ぜてヴァレリーの問題点を指摘してきたのか」
「……どうやらクラスメイトとも壁があるようね」
「ヴァレリーは少し臆病だから。それを隠すために強気に振る舞っている姿を、王子の婚約者だから気取っていると見られることはあったみたいだけど、そこまでではなかったはずなのに」
王子の婚約者として恥ずかしくない振る舞いをしようとして逆に目に付いてしまったの?
「フィリスという垣根を飛び越えて人の懐に入ってくる令嬢が近付いたのがよくなかったわね。余りにも両極端な二人だから」
「……だけど、フィリスこそ最近の行動はらしくない」
フィリスとディーンは心が近過ぎる。
10年という分かたれた歳月が無意味かのように、今でも性別関係なく無二の親友で有り続ける。
それは、ヴァレリーにはきっと理解できないものなのでしょう。
「……もしかして、フィリスに何かありましたか?」
本当に勘がいいというか。
「記憶が戻ってから悪夢に魘されるらしくて、あまり眠れないのですって」
「……メイのヤツ、どうして先にそれを言わないかな」
「言ってどうするの。あなたが慰めてあげるの?」
「当たり前でしょう。どうせムーア家からもそう催促がきているのでは?当初の約束どおり、責任持って娘を幸せにして欲しいと」
王族とはいえ絶対の存在ではない。
多数の貴族からの意見を無下に扱うような愚行は犯せない。
パトリシアの代わりにフィリスは誘拐された。それは、令嬢を死の危険に晒したのだ。
そして何よりも、10年もの長い間、帰ることもできず平民として暮らしていただなんて。
今、あの子は純潔すらも疑われているのだ。金銭で解決できるものではない。
「……助けて欲しいと」
「私に直接言えばいいのに」
「子供の頃とは違うでしょう」
「違わないですよ。私達はあの頃と変わらず無力なままだ。他人に踊らされ続けるんです。
……もう、こうなっては侯爵はヴァレリーと私の婚約白紙を求めるでしょう。
いや、もしかしたら……モンクリーフ侯爵はミュアヘッド侯爵の友人でしたよね?」
……侯爵がすでに幕引きに動いているというの?
ああ、どうしてこんなことに。
でも、幼い頃から懇意にしていたディーンと結ばれたなら、それは何ともドラマティックであるし、王族に嫁げるのであれば、フィリスの純潔への噂も払拭できるでしょう。
ただ問題はヴァレリーだ。彼女には婚約解消になるような落ち度なんて無いというのに。
侯爵は本当にこんな結末を望んでいるというの?
「母上は思っていることをそのままヴァレリーに伝えればいい。それは彼女を傷付けるでしょうが、その傷は侯爵が大喜びでケアするでしょうし、いつかは気持ちが伝わる日が来るかもしれませんよ」
「……私の思いなど意味はないでしょうに」
きっとあの子には伝わらない。なぜならあの子はどこまでも臣下としての思考しかできないから。
私達がどれほど仲良くしようと歩み寄ろうとしても、畏れ多いと引いてしまう。憧れます、とは言ってくれても、心から私を母として見ることはない。そんな寂しくて不器用な子だもの。
「ヴァレリーは凄いな。母上の心を折ってしまうだなんて。
弱い癖にどこまでも頑固で自分の信念を曲げない。本当にアンバランスな子だよね」
そんなにも優しい顔で彼女のことを語るくせに本当に手放すつもりなの。
「……彼女はエミルに任せようと思います」
「どうやって?」
「ヴァレリーを呼び出して少し厳しめに話してください。きっと傷付いた彼女は真っ直ぐ帰宅はせずに、庭園で散歩でもして気持ちを落ち着けようとする。落ち込んだ時の行動パターンですから。
その辺りでエミルを庭園に向かわせます。たぶん、アイツも我慢の限界だろうから、熱烈に愛の告白でもするんじゃないかな」
友が自分を裏切るだろうと当たり前のように淡々と語るのね。
「……夢みがちなあの子は、蹌踉めいてしまうかしら」
「そこはエミル次第でしょう。まあ、王子であり、友である私を裏切るんだ。一発でモノにしようと必死になるでしょうね。
愛されないと嘆いていたヴァレリーには嬉しいものなんじゃないかな。
そうなれば能力不足で降ろされたとは思われない」
婚約者が心変わりすることすら、この子の中では想定内なのか。それはなんて悲しいことなの。
「では、頑張ってください」
ニッコリと微笑んでから退室してしまった。
私の可愛いあの子は、いつになったらその凍てついた心を溶かしてくれるのだろう。
これで本当にヴァレリーが他の男に靡いたら……また更に拗らせていくのかしら。
分かっていても他に手が無いのが悔しくて仕方がない。
あの子は多くの制約で縛られているから。
王族なんてこんなものなのに。
ヴァレリーの目には、どうしてそんなにも輝かしく映るのかしら。
「あの子を可愛く産み過ぎたのね」
そんなくだらない事を呟いて、自身への苛立ちを誤魔化すことしか出来なかった。
そして、本当にヴァレリーはエミル・サージェントを選んだ。
あの子はディーンを本当に愛してくれていると思ったのに、たった一度の愛の告白で消し去れる程度のものだったの?
それから。パトリシアはラッカムに急遽嫁ぐことになり、ディーンは……
「私は結局、可愛いあの子達を守ることができないのね」
ディーンを守るために与えたはずの毒が私への不信感を植え付け、王子であるゆえに国の犠牲になり続けた。第三王子という立場が丁度良かったから。
パトリシアは王女だからこそ、幼い頃のたった一度の過ちを許しては貰えず、ただ子を孕むためだけの妻になるため他国に渡る。
たとえ王族だろうと、いえ、王族だからこそ国のためという呪いから逃げられないのだ。
「……ヴァレリー。逃げることの許されるあなたが羨ましいなんて……きっと許されない感情なのでしょうね」




