14.変わりゆく関係(5)
しばらく呆然とソファに座ったままでした。
だってどうしても王妃様のお言葉の意味が分からなくて。
でも、そんな姿をメイド達に晒していることに気付き、慌てて居住まいを正しました。
少し気分を変えたくて、庭園の散歩を願い出ました。
「いい香り……」
風に乗って甘やかな花々の香りが運ばれてきます。
あら?あの方は──
「サージェント様」
「ミュアヘッド嬢?お一人ですか?」
「あなたこそ」
ディーン様と一緒ではないのですね。そう言おうとして止めました。何となく、彼の名前を呼びたくなかったのてす。
「そうですね、よければ一緒に歩きませんか」
「……いいですよ」
いつもなら、婚約者がいる身なのに他の男性と二人きりなんて良くないとお断りするのですが、今の私は少々拗ねているのです。良くないことをしてしまいたい。いい子でいたくない。そんな気分でした。
しばらくは無言で歩きました。いいとは言ったものの、婚約者でもない男性と何を話せばいいのか分かりません。
「……どうやら困らせていますね」
バレています。
「ごめんなさい、気の利いた話ができなくて」
「いえ。ただ、顔見知りなのに一度もちゃんと話したことが無なかったなと思って誘っただけで。では、学園の話でもしますか?」
「学園の?」
「はい。そうですね……タナー先生がカツラなのではないか、とか」
「えっ?!」
「男子生徒の間では実しやかに語られていますよ」
「まぁ!酷いわ」
酷いと言いつつも、つい笑ってしまいました。
「笑いましたね?これであなたも共犯だ」
「あら、狡いわっ」
それからは二人でクスクスと笑い合いました。
「普段もそうやって笑えばいいのに」
「それは」
「はしたないですか?女性は大変だな」
馬鹿にすることなく、当たり前のように言われた言葉は何となくくすぐったく、もう少し話していたいと思える言葉でした。
「サージェント様はディーン様と仲が良いですよね」
結局、私達の間での共通の話題はディーン様です。
「ありがたいことに、友人だと言っていただけておりますよ」
「……どうやって仲良くなったのですか?」
まるで幼子のような質問です。ですが、私にとって切実な悩みなのです。
「私がディーン様と出会ったのは7歳でしたからね。王子だとは聞いていましたが、遊び始めたら自分と変わらない子どもだとしか思いませんでした。それに男同士だから、あなたとはまた違うと思います。
それに、子どもの頃のディーン様は今よりもクールだったから」
「まあ、ディーン様が?」
「そうですよ。まあ、その辺りはご本人に聞いてください」
「……そんなこと聞けないわ」
「どうしてです?あなたが知りたいと言えば教えてくれるでしょう。もし、教えてくれなければ、意地悪だと拗ねて見せればいい」
……何という難易度の高い技を求めるのかしら!
「そんなことが気軽にできるなら、とっくに仲良くなっています」
「ああ、あなたは存外臆病なのですね」
……せっかく楽しかったのに。どうして見逃してくださらないのかしら。
「申し訳ございません」
「なぜ謝るのです?」
「だって、こんな臆病者がディーン様の婚約者だなんて情けないでしょう」
「そうですか?私は圧が強い女性よりはあなたのような控え目な方のほうが好ましいですよ」
「え」
「私には姉が二人いるのですが、もう本当に気が強くて!彼女達の前では、私はいつも召使いと化すのです」
「まあ、サージェント様が?」
「こう見えてお茶を淹れるのは上手いですよ」
「ふふっ」
臆病で堅苦しいばかりの私を肯定してくださるなんて、サージェント様はお優しいわ。
さっきは好ましいと言われて慌ててしまったけれど、社交辞令だとしても嬉しかったな。
「ほら。笑っているミュアヘッド嬢は可愛らしい」
「……もう、お世辞は結構よ」
「本気です。もっと自信を持ってください」
「……自信ですか」
持てるなら持ちたいわ。でも……
「もし本当に嫌なら、今ならまだ逃げられますよ」
「……何を」
「今ならまだ婚約だけです。結婚したら逃げられません。あなたが、王子妃の立場を重荷だと感じているなら」
私は慌てて彼の口を塞ごうと手を当てました。
……人の唇に触れるなんて!
「ごめんなさい!」
慌てて引こうとした手を逆に掴まれ、
「私は本気です。あなたが本当に逃げたいなら、私を利用してください」
「……そんな、誰かを利用するだなんて」
「違いますよ。私の恋心を利用してくれと言っているのです。だってそれは、私にとって最大のチャンスだ。
私はあなたを諦めたくない……」
真っ直ぐに私を見つめたまま手のひらに唇を寄せ、彼はそう告白したのです。
恋心……まさかサージェント様が?
それはいつから……いえ、そうではなくて、
「……許されません。あなたはディーン様の側近になるのでしょう?主の婚約者に手を出すなんて!」
「私が嫌だから、とは仰らないのですね」
そんなに嬉しそうに言わないで。こんな、恋の告白など、生まれて初めてですのに……。
「ずっと前からあなたのことが好きだった。
ディーン様のために頑張っている姿が健気だと思ったし、そんなにも思われているディーン様が正直羨ましかった。
あなたが幸せならそれでよかったんです。ですが、あなたはずっと辛そうだ。
王子妃じゃないと駄目ですか?普通の貴族のまま、普通に恋をして……。そんな平凡な暮らしでは駄目でしょうか。
私はあなたと、ちょっとしたことでも二人で話しあって、笑い合って、小さな日常を大切にできる、そんな未来を望んでいます」
……ああ、なぜこれがディーン様からではないのかしら。
「……私はディーン様の婚約者です」
「知っています」
「こんなこと本当に困るのです」
「それでも、このまま諦めて後悔したくありません!だって彼の視線はムーア嬢に向かっているじゃないかっ!」
……どうして?なぜ私が見ないように、気付かないようにしていたことを突き付けるの!
「やめてっ!」
もう帰ろう、ここにいては駄目よ!
「っ、はなして!」
「嫌だっ。好きです、好きなんです!どうか私の手を取ってくださいっ!!」
私の手に額を当て懇願するサージェント様に、動揺しつつも仄かな喜びを感じました。
──愛されるってこんな気持ちなの?
ずっと欲しくて欲しくて仕方のなかった愛。
でもそれはディーン様からでは無く。
どうしたら……だってディーン様にはフィリス様がいる。私はディーン様に愛されることはないのだろう。
愛されたい。愛されたいだけなのにっ!
「……ごめんなさいっ」
私はサージェント様を振り切って、今度こそその場を離れました。




