第9話:魔術と心
陽が沈み、すっかり暗くなってしまった。
いつもならダンジョンに居る時間だけど、今日は違った。
「今日はゆっくりしてて」
私が寝泊まりしている帝国軍の施設前で、ノエルさんに見送られる。
「本当に良いですか? ダンジョンに行かなくて」
「大丈夫だよ。今日は、他の皆が対応している。それに、昼に入った者の報告だと、いつもより魔物が少なかったみたいだからね」
私のせいじゃ、ないよね。
確かに、適当に倒しながら進んだけど、そんな倒しては……いない筈。
「分かりました。お言葉に甘えさせていただきますね」
「そうしてくれると、我々も助かるよ」
少しの沈黙の後、私は口を開いた。
この時間も終わりだ。
「ノエルさん。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、君には感謝しているよ。それじゃ、風邪、ひかないようにね」
「はい」
*
部屋に向かって歩いていた私は、途中から方向を変え中庭に向かっていた。
この時間に戻って、眠ろうとするなら自分に魔術をかけないといけない。
そんな事をするぐらいなら、のんびりと魔術の確認をしたかった。
「たまには、しないとだしね」
誰も使わない中庭はいつも静かだ。
なのに、今日に限って誰かが小さな焚火をしている。
こんな時に限って……。
思わず部屋に戻ろうとした私だったが、魔力の波長に覚えがあり足を止めた。
この魔力って、やっぱり昨日助けた子だ。
遠目ではあったが、ルークの横顔を目にして確信する。
私に気づく事もなく、ルークが焚火に向かって手をかざした。
その周囲で僅かに魔力が揺らぐのを、私は目にする。
「魔術か……」
魔術と言うには余りにも未熟だった。
だけど、その姿を目にした私は頬が勝手に緩み、気づくと近づいていた。
焚火に照らされていたルークの横顔は、まだ少年の面影を残している。
整った顔立ちというよりは素朴で、どこか親しみやすそうだった。
髪はくせのある栗色。炎を受けて、ほのかに赤みが差している。それでも焚火を見つめるその目は、何かを探すように揺れているのに、しっかり前を向いていた。
そしてその目が、近づいた私に気づき、ぱっと驚き見開かれる。
「こんばんは。こんな時間に焚火とは、随分と贅沢な時間ね」
「すみません、俺、許可とかも取らずに――!」
慌てて立ち上がったルークが、急いで頭を下げた。
「いや気にしないで。てか、私も此処に来たばっかで、許可とか分かんないしさ。驚かせて、ごめんね」
顔を上げたルークが私を見るなり、もっかい頭を下げる。
「昨日は助けていただき、ありがとうございました!」
物凄い声量で礼を言われ、苦笑いしてしまう。
「しー、ここ案外、声が響くから」
「すみませんっ!」
何をさせても空回りしそうな勢いだった。
「ルーク、さんだったよね。良いから、座ろっか」
「はいっ」
座らせるものの、何を口にするでもない。
数秒もじっとしていたら、焚火がパチッと音を鳴らした。
「あの。昨日はダンジョンで助けていただき、本当にありがとうございます」
「良いって、気にしないで。私が行くまで頑張ってた、ルークさんがえらいだけだよ」
助けたくても、間に合わなかったら意味がない。
私はただ向かっただけだ。
最期まで、戦ってた人が凄いだけだ。
「そんな、ただ諦めが悪いだけですよ」
「だから、魔術の練習もしてるの?」
「……はい。実は俺、魔術師に、なりたかったんですよね。でも、そんな才はなくて……」
「魔術に、そこまでの才は必要じゃないよ」
結局、必要なのは結果を思い浮かべる事と、扱う者の心だ。
必要な才と言えば、術式を覚える記憶力と膨大な魔力量とかになる。
それ以外は、高望みしなければ実は扱えてしまう。
「皆、知らないだけで、魔術って案外簡単なんだよ」
「それは、貴方が凄いだけで、俺なんかには……」
「物は試しだよ。一回、やってみよっか」
「えっ……あっ、はい!」
ルークが慌てて両手を前に突き出す。
その様子に私はどこか、嬉しくなっていた。
「まずは片手。それに指一本だけ、上に向かって伸ばして」
「指ですか?」
「そう。最初から楽しようとしないの。魔術なんて、地味の積み重ねなんだから」
納得してなさそうな顔を浮かべたルークがじっと私を見る。
そんな見ても、魔術に近道はない。
「今から、指先に火を出す、トーチって魔術をしてもらうけど。術式は一応これね」
いつもとは違う魔術書を出現させ、目を通してもらう。
こういうのは、簡単であっても見て覚えた気になってもらうのが一番だ。
「あの……魔術式って、写し一つで、物凄く高価なんじゃ……」
「自分で書けば、お手軽価格よ」
「そういう、ものなんですね……」
渋々と言った様子でルークが納得し、魔術式に目を通す。
二桁の計算式と答えを、覚えるようなものだ。
この程度であれば、苦労はいらない。
「覚えました」
「早いね、流石」
座ったまま私は、静かに焚火を指差した。
「この火を見て、どう思う?」
「どうって言われても」
ルークがじっと炎を見つめてから、ゆっくりと答えた。
何秒経ったのか分からない。
ルークは、かなり考えてから言葉を口にした。
「怖い。と言えば、怖いです。火は、家を焼き、人も殺します」
「だね。でも、今私たちを温めているのも火なんだ。魔術ってね、望む結果と、思っている事が離れてると、なかなか発動しないんだ」
「……知りませんでした」
「公表してる訳じゃ、ないからね」
こんな事を調べようとする者はいない。
だけど、魔術の詠唱を無視しようと思ったら、必要になってくる。
「だからね。簡単に魔術を使おうと思ったら、この火みたいに、人を温める優しい光をイメージして、魔術を使うの。――トーチ」
「人を温める……」
考える様に下を向いていたルークが顔を上げ、私の方を見る。
そしてそのまま、落ち着いた声で呟いた。
「トーチ」
ぼっと青い火が指先に灯り、小さいながらもしっかりと保っている。
「出来ました! 出来ましたクロさん!」
「ほら、出来たでしょ。それで何、考えてたの? 魔術の起動には、それを忘れない事も大事だよ」
「人を温めるって言われて、それで。だったら、助けてもらった代わりとしては弱いですけど、クロさんを温められる炎が良いなって思ってたら、出せました!」
「……そうなんだ。良くやった、凄いよ! うん……凄い……」
どうしよう。
不味い気がする。
誰かを温めようとするのは良い事だよ。
でも、私一人を考えて、起動したのが最初の魔術ってのは、不味い……。
魔術と心は、切っても切り離せないものだ。
それで誰かを思う事は、色んな意味で事故りやすい。
「よし、違う魔術も使ってみた方が良いよ! うん。今度は冷たい水の魔術とか――」
「……なんだか、出来る気がしないんですけど」
「きっと出来るから、何事も挑戦だよ」
――お願いだから、今の成功体験は忘れて。
嬉しい気持ちと同時に焦りを覚えた私は、急いで別の魔術を使わそうとするのだった。