第7話:これって、デートかな
帝国の昼は、王国で見るよりも空が広く感じる。
それが気のせいなのか、本当に広く見えるのか私には分からない。
王都と違って、喧騒もなく、どこか懐かしい空気だとも思えてしまう。
良い場所だな。
あの雲、少しノエルさんに似てない?
そう思った私がノエルさんを見たタイミングで、目が合った。
「大丈夫?」
立ち止まって空を見ていた私に、ノエルさんが話しかけていた。
今は中央の人通りの多い場所から離れ、街外れにある小さな店に向かっている。
その途中でぼーっとして空を見ていたのだから、絶対に変だったと思う。
「大丈夫です、少し空を見てて」
「空? 気になる雲でも、あったの?」
「何ですかそれ」
不覚にも笑ってしまい、私はノエルさんに近づいて隣を歩く。
「空を見上げるって事は、そういう事でしょ?」
「そうですね。ノエルさんにそっくりな雲がありました」
「えっ何処――!?」
すごい食いつきようだった。
「ほら、アレですよ。少し崩れちゃいましたけど」
「う~ん、どれかな……ちょっとごめんね」
空を見上げていたノエルさんが私の後ろに回った。そのままノエルさんが一言断りを入れたと思うと、背後から私が指差した場所を確認しようと肩越しに覗き込んで来る。
――待って、えぇ!? 近い近い。
「……ノエルさん、見つかりましたか?」
息が止まりそう。
早く、お願いだから一旦離れて――。
「難しいね、見つけられそうにないかな」
「――そうですよね!」
その一言と共にゆっくりと離れた私は、安堵して息をついた。
「私の見間違いだったかも、すみません。それよりも、早くお店に行きましょうか」
そう言って歩き出した私の歩みは、直ぐに止まるのだった。
「待って」
手を掴まれ、身体が自然と止まってしまう。
「……ノエル、さん?」
どんな戦闘よりも、一秒がこんなにも長いと思った事はなかった。
やばい、ピンチかも。
この世界に来てから、酷い婚約者は居ても、こんなハッピーな展開はなかったから、私に全然免疫が付いてないのは私のせいじゃない。それに加えて、何でこの人はいつもいつもこうなのよ。
「そっちじゃないよ」
優しく手を引かれ、私の身体が流れる。
戦闘だったら止まれるのに、今回ばかりは身体がいう事を効かなかった。
「……すみません」
「すぐそこだから、行こうか」
言われた通り歩くと、すぐに店の前に辿り着く。
気づかなかったのか私の手は、店に着くまで引かれたままだった。
石造りの外壁には控えめな蔦が張り付き、可愛い三角屋根が見える。
その軒先には『木漏れ日のティーハウス』と柔らかい字が木の看板に刻まれていた。
「良い名前……」
単純にそう思って呟くと、隣でノエルさんが照れた様に笑みを見せる。
「君が気に入ってくれそうな場所を探したけど、当たりだったかな。実は此処、僕もよく使ってるんだけど、同じ場所が気に入ってもらえそうで良かった」
微笑んだノエルさんがゆっくりと扉を開けると、涼しい空気と共に香ばしいパンの匂いがした。
木の床に、魔石を使った静かな照明と室内に置かれた植物。
数組のお客さんたちが、控えめに話している落ち着く場所だった。
「いらっしゃいませ。二名様ですね。どうぞ、こちらへ」
案内された場所は、周りから少し見づらい席だった。
これはノエルさんが居るからなのか、たまたまなのかは分からない。
前を向いた私は、ノエルさんと目が合う。
何だろう、いつもより見られてる気がする。
「どうか、しましたか?」
「君が何を食べるか、ちょっと気になってね」
「え?」
「ごめんね。いつもは戦ってる姿と、お菓子を食べてる姿ばかりだから……そういう、何が好きとか、意外と把握してなかったなって思って」
私は少しだけ言葉に詰まる。
確かに、何が好きかなんて、自分でも良く分かってない。
いつもは持って来てもらうお菓子を、美味しく食べてるだけだから。
あれ、やっぱり私って、そういう人なのかな……。
「でも……甘過ぎない物、ですかね。甘い物を食べ過ぎると、いつか、戦闘に影響しますから」
「それ、完全に軍人の考え方だね」
笑うノエルさんにつられて、私も少しだけ笑ってしまう。
「じゃあ今日は、甘いとか気にせず、美味しい物を。此処の黒パンとチーズは絶品なんだよ。デザートのケーキもね」
「分かりました。それにします」
*
勧められるままに料理を注文すると、暫くして運ばれて来た。
香ばしいパンに、ほんのり塩気のある柔らかいチーズ。そして、不意打ちで運ばれて来た野菜スープはとても温かく、美味しさと相まって、私は泣きそうになっていた。
「……温かくて美味しいです、このスープ」
気づけば私は、呟いていた。
「良かった、少しは落ち着けたみたいだね」
「……はい」
私がこんな思いをして良いのか分からない。
きっと今の私は、少し顔が赤くなっていると思う。
でも、何を言い返す余裕はなかった。
静かに流れる時間。
店内で少しだけ、風の様に空気が流れた。
「君は……どうしてそんなに、誰かを守ろうとするんだろうね」
ふと、ノエルさんが尋ねて来る。
突然の問いに、私は迷った。
でも――思い返せば、すぐに答えはあった。
「他人を見捨てる世界には、したくないじゃないですか」
人は簡単に死ぬ。
私だって前世ではそうだった。
誰かが助けてくれる訳でもない。一人で寂しく死んだ。だからって誰かが困っていたら、私は助けられるのなら助けたい。それで私が報われるかどうかは後回しで良い。
「私が人を助ける理由は、それだけです。それで見捨てられるなら、流石に知りませんけど。無関係だった人はそれでも気に掛けます。だから、王国国民がピンチに陥りそうだったら、教えて下さいね」
「分かった。やっぱり、君はすごいな……」
「何ですか?」
真剣な面持ちでノエルさんが、視線をまっすぐ向けて来る。
「皇族である僕が、君の様な人と出会えた事に感謝するよ。ありがとう」
ノエルさんは、それ以上は何も聞いては来なかった。
ただ静かに目の前に置かれたカップに紅茶を注ぎながら、ただ一言。
「君のそういう所が、僕は――」
続く言葉は、店内に響いた音によって遮られてしまう。
それは、お店の開く扉の音と男性の放った声だった。
「此処に、ノエルは居るか」
私とノエルさんは揃って入口に目を向ける。
そこに立っていたのは、ノエルさんに何処か面影のある人だった。
――まさかあの人って……第一王子じゃ、ないよね。