出戻り聖女ですので、好きにさせてもらいます
「貴様とは今日で婚約破棄だ!」
「……は?」
王子から婚約破棄されてしまった。
聖女なのに。
王都を追放されてしまった。
聖女なのに。
この国唯一の聖女の私は、十五歳にして聖女をクビになってしまった。
私は田舎の農家の娘だったが、八歳の時に「聖女の聖痕」と言われる蔦の模様が右手の甲に現れたせいで、地元の教会の神官様に聖女と認められて王都に送られた。
聖女の仕事は、神のメッセージを受け取る事。
夜明け前に起きて、神殿の地下にある湧き水の泉に薄衣の衣装で浸ってひたすら祈る。それは真冬でも変わらない。
身体の感覚が無くなり、無我となって、遠くの牧場の牛のげっぷすら聞こえる状態になった時に、神のメッセージが脳裏に映される。
メッセージは毎日あるとは限らない。だが、行かなかった日に重要なメッセージがあったら大変なので、毎日行かないわけにいかない。
泉から上がり、身体を拭いて洗いざらしの灰色のワンピースに着替えて部屋を出ると、神官が待っている。
「アストル山の山道で崖崩れがあります。どの道か分かりませんが、大きな杉の木が三本並んでるのが見えました」
「わかりました。すぐに通信を送ります」
神殿と各教会の間には、瞬時に連絡できる通信機が備えられている。これで、誰かが崖崩れに巻き込まれる事は防げたはずだ。
メッセージを受け取ってから行動する時間を出来るだけ早くするため、お務めは夜明けになる。
ささやかな朝食を食べたら、国について勉強だ。
神がメッセージを与えてくださっても、私が読み取れなかったら意味が無い。また、神殿に来る貴族や国賓に「教養が無い」と思われたら国の恥だ。どんなメッセージでも理解できるよう、誰とでも話を合わせられるよう、各地の風土や文化や歴史など覚える事はたくさんある。
そしてささやかな昼食を食べたら、町の治癒院に行って治癒に当たる。
聖女によって発現する能力はそれぞれだが、私には軽い治癒能力が現れた。あくまでも「軽い」レベルなので、熱を下げるとか、体内の出来物を消すとかしかできないが、「聖女が治癒した」というプラスアルファで患者さんには喜んでもらえてる。
そして時々王宮へ行く。
王家には姉王女・王子・妹王女の三人の子がいるが、私は十二歳の時に二歳年上の王子の婚約者に決められた。私の意見など聞かれていないのに決まってしまった。
おかげで、定期的に王宮に行って王子と茶をしばかないといけない。めんどくさ。
でもって、何故か王宮に行くと王子の他に姉王女と妹王女が一緒にいる。
私の一張羅の灰色のワンピースを嘲笑い、私が平民であることを嘲笑い、王子の心を射止めていないことを「女の魅力が無い」と嘲笑う。王子も私の心を射止めてませんがね?
人の容姿について言っちゃ悪いと分かっているが、ぶくぶくに太ってお肉の中に顔がある脂ギッシュなまん丸姉王女や、がりがりで髪も肌もパサつき目つきの悪いソバカスだらけの妹王女に「女の魅力」と言われてもなぁ、としか思えない。
肝心の王子は、顔だけはいい。終了。
そんなわけで、王宮行きは王子や姉王女や妹王女や、尻馬に乗った侍女やメイドたちの嫌がらせを受け流す疲れるイベントでしかなかった。
ある秋の日、そんな忍耐の日々が唐突に終わりを告げた。
「お前とは婚約破棄だ!」
と、王子に宣言されたのだ。喜びを顔に出さず、殊勝な表情で俯く。
「お前など、聖女では無い!」
ん?
「隣国の聖女は、どんな重篤の患者も治せる治癒力があるそうだ」
隣国とは宗教が違うって知らないの?
「それに比べてお前の無能さは何だ!」
そりゃあ、神様が違えば聖女の役割も違いますから。って、私が神様のメッセージを受け取ってるのを知らない?
「そんな役立たずなど」
神様の選んだ聖女を悪く言っちゃダメ!
「王都から追放だ!」
……あーあ。
婚約者でもなく聖女でもなくなった私は、王都から追放された。
神殿からお小遣い程度のお金をもらって、田舎に帰される。
乗り合い馬車を乗り継ぎ、親切な農家の人にジャガイモの入ったたくさんの籠の間に入れてもらって荷馬車に揺られて村から近い町のバザールまで着いた。
後は、なんとか村へ行く人を見つけて……と、人混みを見渡していたら、記憶より少し老けた母と、母より大きくなった弟がこっちを見て驚いてる。
私は卒倒しそうになってる母に飛びついて、思いっきり泣いた。
その夜、国中に暴風雨が吹き荒れてかなりの農作物にダメージがあったらしい。
次の日に落ち葉を掃除していたら村長にそう言われた。
「へー、そうなんですか」
「この村は被害が無いようだ。聖女のおかげかな」
「私には何の力もありませんよ。きっと神様が守ってくれたんです」
笑って話した。
その冬は豪雪だったそうだ。
雪かきをしていたら、隣の村長にそう言われた。
「この村以外は雪に埋もれてしまいそうだ。どうか、うちの村も守ってくれ」
「私にそんな力はありませんが、神様にお願いしてみますね」
春、大量の雪解け水で川の氾濫が相次いでいるそうだ。
畑を耕していたらやって来た反対側の隣の村の村長に言われた。
「なんとか川が氾濫しないようにしてくれ」
「神様にお願いしてみます」
夏、国中が日照りで草も生えない状況だそうだ。この村の周辺以外は。
草むしりをしていたら、馬車に乗った王都からの使者に言われた。
「あなたを王都に連れて来いとの仰せです」
「いいですよ」
「王都に行ってくるね」
と家族に伝え、サクサクと荷物を纏めて馬車に乗る私に、使者の人たちは逆に戸惑ったようだ。
「よ、よろしいのですか?」
「どうせあのバカ王子に『何としても連れて来い』って言われたんでしょ? だったらさっさと行きましょう」
「助かります……」
どんだけ人に迷惑をかけてんだバカ王子。
王都に着いた頃には、既に日照りは治まって気持ちのいい晴天だった。私は、神殿ではなく王宮に連れて行かれた。
問答無用で聖女の衣装に着替えさせられて、案内された部屋には王子と二人の王女がいた。来た早々嫌な物を見てしまった。
「今、父上と母上が演説している」
と、王子が示した先には、バルコニーに立って何か話している国王と王妃が。下を民衆が埋め尽くしている。ここはバルコニーの控えの間か。
「よく出戻れたわね。平民は恥を知らないわ」
「あんたの謝罪の場を用意してあげたわ。自分の力不足で異常気象を招いてごめんなさい、って言うのよ」
王女たちが嬉しそうだ。
「私を聖女と認めるんですね?」
ただの農民の娘なら謝る必要無いですもんね?
「いいから!」
演説が終わったようで、歓声が上がる中、王子たちにバルコニーに引っ張って行かれる。
王族と聖女がバルコニーに勢ぞろいした所で
「ほら!」
ドン!と押し出され、一人で前に出る。
すーっと息を吸って、遠くにも届くよう言葉を風に乗せて話し出した。
「皆さん、辛い時期を良く耐えてくれました。苦しくても争わず、奪い合わなかった皆さんに、神様はとても喜んでいます。苦難の時期は終わりました。これからの豊作を神様は約束してくださいました」
うーん、反応が鈍い。そりゃあ簡単には信じられないよね。
私は、右手を高く上げた。
やがて、空から小さな光の粒が広場中に降って来る。
「これは、祝福の光だ!」
「教会の宗教画で見た光だ!」
「私たちを神様が見てたんだ!」
一気に広場が盛り上がる。
「上手い事ごまかしたわね」
という声が後ろから聞こえるが。
私が手を横にすると、一瞬で静まる。
「ここで喜ばしいお知らせです。二人の王女様が、東の国の後宮と南の国のハーレムに嫁ぐ事が決まりました。両国から、支度金の代わりに食糧の支援が届きます」
おおっ!と地鳴りのような歓声が上がる。相変わらず後ろから何か声が聞こえるが。
「さらに、お二人はそれに伴いご自分のドレスと宝石を全て売って、そのお金を洪水で受けた被害の修復に寄付するそうです」
わああっと喜びの声に、後ろの声もかき消される。
謁見は大盛り上がりで終わった。
「ふざけんじゃないわよ!」
「誰がハーレムなんて!」
控えの間に戻った二人はお怒りのようだ。
「本当に東の国と南の国に嫁げるのか?」
「まああ! あの大国に縁を繋ぎたい者は多いから、家柄や美貌だけじゃ選ばれないというのに」
国王と王妃はご満悦だ。
「もちろん本当です。神様が、明日にでも正式な使者が来ると言っています」
「ちょっと! あんたたちも何とか言いなさいよ!」
王女たちが二人の男性を引っ張って来た。王女たちの婚約者の貴族令息だ。
ここに居たのか。影が薄すぎて全然気づかなかった。
「どうしても王女様と添い遂げたいのでしたら、かまいませんわ。真実の愛を貫いたと発表いたします」
にっこりと、婚約者たちに言ったら
「とんでもない!」
「喜んで身を引きます!」
とかぶせ気味に返された。
ショックを受けてる王女たち。何で愛されてると思ってたんだ。
「良かったわ。では、お二人に王女様たちのドレスと宝石を売るのを手伝っていただけないかしら。信用できる店を知らなくて」
「お任せください!」
「助かりますわ。……多少強引な事をしてもいいと、神様はおっしゃっています」
「それは……」
ええ、ケツの毛までむしり取ってかまいませんわ、とアイコンタクト。
「王女様がいなくなったら、侍女とメイドは全員解雇ですわね」
壁際に控えていた侍女たちとメイドがビクッとする。
「かなり人件費が節約できますわよ」
「そうだな!」
「良かったわ~!」
目先の事しか見てない国王と王妃が同意したことで、解雇は決定した。
絶望的な目で睨まれても、国王が決めた事に反対などできませんわ。
「貴様、ずいぶんと調子に乗ってるな」
怒りたいけど、国王が喜んでいるので怒鳴りつけられないのですね、殿下。
「はい。聖女ですので」
「そんな女では私の婚約者に出来んぞ」
「へ? どこかの国の五歳の王女様とご婚約したのでは? 重婚は国際問題ですよ」
王女と婚約したことを隠して、「俺様の婚約者になりたいだろう。うりうり」と私を自由にするつもりでしたか。
思った以上に最低な男で安心しました。徹底的に叩き潰させていただきます。
神殿に戻った私は、
「神様から、食生活を改善せよとの事です」
と、大金を贈呈した。
神官たちだけじゃなく、清貧の生活のはずなのに何故か太っている大神官も大喜び。
それ、あなたが寄付金を中抜きしたり、私を治癒所に派遣した謝礼を溜め込んだお金だけどね。
その後も、神殿や王宮から何故か次々とお金が出てきて民の生活改善に役に立ってもらった。
王女たちは、あっという間に輿入れさせられて姿を消した。
役に立たない侍女たちも一掃された。
そろそろ神殿と王宮以外からもお金を探そうか、と思っていたら、王子からお茶のお誘いが来た。
嫌な予感しかしない。
行ってみたら、案の定踏み入れた部屋には王子の他に近衛兵が五人も待ち構えていた。
後ろに五人従えた王子が歩み寄る。
「聖女よ。神様の名を使って好き放題しているようだな」
「あら殿下ったら八つ当たりですか? 貧民への炊き出し予算をネコババして子爵令嬢にルビーのネックレスを買う予定が駄目になって」
言葉に詰まる王子に、近衛兵たちの王子を見る目が冷たくなる。まともな人たちのようだ。
「皆様、白百合の姫をご存じ?」
返事が無くても表情で分かる。白百合の姫とは、今年デビュタントした可憐な伯爵令嬢の愛称だ。男性なら誰でも気になっているはず。
「その白百合の姫を、殿下は明日殺害しようとしてますのよ。白百合の姫がご友人の所に遊びに行く馬車を襲わせる予定ですの。自分になびかない女は殺すんですって」
皆が驚いている中、
「な、何故その事を!」
と、王子が墓穴を掘った。
「神様と話しているって言ってるでしょう」
「本当だったのか……?」
私が追放されて、神様は怒り狂った。
いい加減見捨てかけていた王家だが、聖女を追放した事で堪忍袋の緒が切れたようだ。
ジャガイモの籠に囲まれながら、雪かきをしながら、畑を耕しながら、草をむしりながら、私と神様は話していた。計画を立てていた。
「あの、顔も頭も性格も最悪の王女たちが、どうして嫁げたと思ってるんです? 神様が向こうの神様にお願いしたからですよ!」
特別な神様枠で入れてもらったのだ。
向こうの王様にはあんなのを受け入れたあげく食糧を提供だなんて迷惑な話だろうけど、後で神様が埋め合わせしてくれるそうだ。(神様の埋め合わせって何だろう?)
ただ、王女たちが幸せになるかは「女の魅力」次第だ。
「だ、だが、殺害だ何だと言うが、まだ何も起こって無いだろう。おまえの妄想だ!」
計画を中止すれば何も起こらず、誰も王子を責められない。
「そうですよ、まだ起こってませんよ。起こってからでは遅いんですよ!」
白百合の姫が殺されてから責めたんじゃ遅過ぎる!
自分を裁けまいとニヤニヤ顔の王子に、一番端にいた赤い髪の近衛兵が自分の剣を鞘から抜き、剣を横にしてうやうやしく王子に差し出した。
あれで私を殺せという事か。
王子が剣の柄を握った時、赤い髪の男が叫んだ。
「王子が聖女を殺害しようとしているぞ!!」
あっけにとられる私と違って、意を汲み取った近衛兵たちが王子を取り押さえる。
王子と聖女に何かあったと扉を開けて飛び込んで来た護衛や、廊下で騒ぎを聞いて集まって来た人たちも、王子が剣で聖女を殺そうとしたとしか見えない状況に大騒ぎになった。
念のため、私は「あれぇ」と皆の前で倒れてダメ押ししといた。
王子は自室に監禁された。監視が厳しく目を光らせ、計画中止の連絡が出来ないようにする。
翌日、白百合の姫の代わりに屈強な騎士たちが乗った馬車が襲われて、捕えられた犯人たちは王子の計画を自供した。
そこからは芋づる式だった。
王家は叩けばいくらでも埃が出た。もう「埃」とは言えないレベルで。
クーデターが起こって王家は倒され、新しい国王が選出された。
王族の三人は処刑されるはずだったが、隙を見て逃げた。いや、わざと隙を作って逃がした。
親切心ではなく、「少しは、いや、たっぷり苦労しやがれ」という気持ちからだった。
だが、それっきり三人の消息は絶えてしまった。
どうやら苦労する前に恨みを持つ誰かに見つかったようだ。自分たちが恨まれているなんて自覚の無い人たちだったからなぁ……。
神様に聞けば詳しく教えてくれるのだろうけど、どうでもいい。
「気がつけば、私が神殿に出戻ってから十年も経っているのね。早いものだわ」
「昔は大変だったのですね。前の王様が困った方だったとは、聞いた事があります」
時は流れ、私は二十六歳になっていた。
話し相手をしてくれてるのは、新しく聖女の聖痕が発現した九歳の少女。
もちろん、彼女の聖女の制服は灰色なんかじゃ無く、私がデザインして色違いで何着も作った物だ。
王都の花屋の娘なので、正式な聖女になるまでは、朝のお務めの後に聖女の勉強をしてお昼ごはんを食べたら家に帰っていい事にしている。
家で夕ご飯を食べたら神殿に戻って眠り、朝、私に起こされて一緒に朝のお務めをする。
日を重ねるごとに、彼女は神様のメッセージを読み解くのが上手くなった。私との答え合わせもほとんど違わない。まだ詳しい地名や単語が分からないのは、神官に相談すればいい。安心の後継者だ。
花屋の娘のせいか、植物に加護を与える能力があり、今は種や苗に加護を与える訓練をしているので最近の神殿の裏の畑は豊作だ。
「白百合の姫は、神殿に来ることがあるのですか?」
そんな綺麗な女性なら気になるよね。
「残念ながら、ショックで領地に戻ったの。二度と王都には来ないそうよ」
「えー、残念」
王子が白百合の姫を殺そうとした本当の理由は、姫との間に子供が出来たから。
この事は一生言わない。王子も、自分の罪が重くならないようだんまりを貫いてくれたし。
「私も、いつか神様とお話しがしたいです」
「今の国王陛下は立派な方だから、神様が口を出す必要がないのよ。良い事だわ」
私にも、神様の声は随分前から聞こえない。
そして私は間も無く聖女を辞める。
「次の聖女が現れたのに、不思議と聖痕は薄くならないのよね」
能力が無くならないようなので、引退後は旅の治癒士として各地を旅する予定だ。今まで王都を離れられなかったから、メッセージでしか知らない世界を自分で見てみたい。
「力が無くならないなら、聖女を辞めなくてもいいじゃないですか」
さみしそうな少女の顔に絆されそうになるが、
「でもねぇ、彼がちゃんと結婚したいって言うのよ」
ドヤ顔で私の後ろに控える赤髪の護衛に目をやる。
見覚えのある赤い髪の近衛兵が、いつの間にか神殿の守護騎士に混ざっているのを見た時は
「信仰心に目覚めたのかな?」
としか思っていなかったのだけど、数年後に聖女の護衛になった彼は一気に私を口説いてきた。
恋愛免疫の無い私にいきなり春が来た。
聖女は恋愛禁止では無い。
ちゃんと務めを果たしていれば、個人の幸せを求めてかまわない。
ただ、「務めを果たす」ためには神殿以外に住むわけにいかないし、妊娠するわけにいかない。なので、結婚する時は聖女を引退することになる。
王子が私と婚約したのは、好きな人が出来て聖女を引退すると言わせないためだった。
恋人が出来ただけでも奇跡だと思ってた私は聖女の生活に不満では無かったのだが、新しい聖女が発現して、私は大手を振って引退できることになった。
なんか、上手く行きすぎてませんか、神様?
聖女を辞めて王都を離れる日は、王都に出戻って来た日のような晴天だった。
私は、今は夫となった彼と旅立つ。
幸せであれ
久しぶりの声が聞こえた。