表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

一章 出会いの果ての結成の

だいぶ時間かかってしまいました……


「くんくん」


「おい、何してんだよ」


「すんすん」


「聞こえているのか。おーい」


「もぞもぞ」


「おい……、お兄ちゃんの制服から離れなさい、九音」


「なーッ! これは!」


 

 時刻は二十一時二十三分、場所は自宅


 色々あって疲れた俺は、二十時半にやっとの思いで帰宅した。スラックスについた砂埃と、腕にあった擦り傷の詳細を妹に問い詰められ、それを適当にあしらって入浴。ゆっくりと湯舟に浸かって疲れを癒し、長い髪をゆっくりと乾かしているうちに、すっかりこんな時間になっていたわけだが、風呂場から廊下へ一歩出てみると、何故だか、妹が俺の制服を嗅ぎ毟っていた。


「お兄様! 九音はお兄様に訊きたいことがございます!」


「なんだよ。……いや、質問の内容というより、兄の制服を嗅ぎまくって出てくる質問ってなんだよ。それ自体がなんなんだよ」


「お兄様。先程、この九音に言いましたよね。怪我と汚れの原因は、ただ転んだこと、転んだだけだと」


「はい、言いました。それがどうかしたのか?」


「お兄様、ちょっとここに座ってください」


 なんのつもりかは分からないが、妹の九音が、自身の座っている前を指す。……どうやら「そこに正座しろ」ということみたいだ。


「はい。座りましたけど、なんの御用でしょうか、九音さん」


「ただいま九音は三十分近くもの間、お兄様の制服を嗅がせて頂きました」


「まず、三十分近くも肉親の衣服を嗅ぐな」


「仕方ないではないですか……、九音の血縁者はお兄様しかいらっしゃらないのですから」


「その言い方だと、前提として、お前は肉親の衣服を嗅がなければ、生命活動に異常が生じる病気ということになる。そうでないとおかしい。だけどな……お前は至って無病息災だろうが!」


「べつに、嗅がなければいけなかったという事実だけを認識して頂ければそれでいいのです」


「だから、まずそんな事実が存在しないんだよ!」


 ほぼ二人暮らしの俺たちだが、普段からこの妹に家事を任せっきりで、それにより、九音は俺にとって、すっかり頭が上がらない存在となった。しかし、如何せん九音の兄妹愛の異常さには、戸惑うことばかりだ。育ってきた環境が環境だったために、それは仕方のないことだとは理解しているが、できるだけ早く兄離れしてほしいというのが、俺の切なる願いだ。まあ、俺のほうは九音がいなければ生きていけないんだけどな。このジレンマには、名前とかついてないんだろうか。


「こほん。このままでは水掛け論になるだけなので……、本題にいかせてもらいますね」


 有耶無耶のままで、議論を闇に葬る気か。……さてはこいつ、再犯するつもりだな。


「お兄様、いったいどういうことなのですか⁉ 本日の制服からは、嗅いだことのない女の匂いがします!」


「え、女? 気のせいじゃないか? あと、本日のってどういうことだよ……お前、毎日嗅いでんじゃないだろうな」


「ありえません! この匂いは確実に、深く触れ合わないと……それこそ、ハグでもしないと、こんなに染みつかないのです! 他は騙せても、この日高九音ひだかくおんだけは騙せませんから!」


「勢いで誤魔化しても、明日からはお兄ちゃん、自分の服は自分で洗濯するからな」


「あヒュッ……、あ……、あの……あの女、雨宮とかいう女以外の匂いは初めてだったんです! ほんとです! お兄様は何か隠してます! 絶対にお兄様の衣服は九音が洗濯します!」


 本当に引き下がらないなこいつ……、いったい、なにが俺の妹をこうも頑固にしているんだ。


「だから気のせいだって言ってるだろ。……それと、あの要注意人物の名前は二度と出すな」

 あの要注意人物以外の女性の匂い……か、心当たり、牧原……は抱き合ったりはしていないはずだけれどな。それでも女の子同士のノリ……みたいなもので、一回間違えて抱き着かれそうにはなったが……他に誰かいたか? ——今日


「——あっ」


 そういえばそうだった。あの時間に体験した出来事の情報量が多すぎて、すっかり忘れていた。今日の十八時半ごろに接触した女子が一人、いたんだった。


「お兄様! 『あっ』とはなんですか! なにか思い出したんですか⁉ 九音に教えてくださいませんか!」


……気を抜いて驚きを口に出したのはまずかったな、九音が察知して早口で捲し立ててきた。


 ここは適当な言い訳でどうにか誤魔化して……、最悪、有耶無耶にしてこの話は流そう。


「いや……、お兄ちゃんの好きな漫画、新巻が出たのを思い出してな。あとでコンビニに行こうと思って」


「本当ですか? 適当な事を言っても、血のつながっている九音はお見通しなんですからね?」


 こいつ……鋭いな、流石は血のつながった兄妹だ。


 九音は、互いの鼻がぶつかりそうな距離まで顔を近付けて、俺の瞳を覗き込んできた。まるで着ぐるみに隠れて、恐ろしいモンスターの追跡から逃れるような、命の危機に瀕した気分になりながら、実妹による無音の尋問を耐え忍ぶ。



三分間ぐらい睨まれた……だろうか。九音が少し不満そうに俺から離れると、


「アイス買ってきてください。しろくまのやつ。それで不問とします」


「ああ、わかったよ」


 ふう、なんとも恐ろしく、そして、お兄ちゃんに甘い妹だ。


 

 ドライヤーで長い髪を入念に乾かし、それを束ねたらジャージに着替えて伊達メガネをかける。一応こんな見た目をしているから、夜間の外出では、できるだけ地味な格好をすることにしている。といっても、気休めではあるが……。まあ、それでも、妹の用意したもこもこの部屋着よりかは、厄介ごとに巻き込まれる可能性は低い。最近治安が悪くなっているらしいからな、できるだけ用心を、ということだ。全く面倒な話だが。


「お兄様、いってらっしゃいませ。携帯端末は常に110ですからね。気をつけてくださいね」


「おう、わかってる。行ってきます」


 果たして誤魔化す必要があったのかは分からないが、そうだな。さすがに、自殺衝動のことは黙っておこう。最近はほとんど出なかった症状だし、今日のようなことがなければ大丈夫だ。それに、九音にいらない心配をさせたくない。取り敢えず、漫画は売り切れていた、とでも言っておこう。


 そんなことを考えながら靴を履いて俺たち兄妹の部屋から出ると——ちょうど、隣の部屋の扉が音を立てる。そして、隣の部屋から、今となっては見覚えのある、栗毛の少女が出てきたのであった。


「お前は……織原雪華おりはらせつかじゃないか!」




「いて……なんだ、我は……死んだのか」


「ううん、死んでないよ。危なかったけどね」


「え、誰?」


 

 時刻は十八時二十四分


 つい先ほど、屋上からの転落で、我は死んだ。


 筈だったのだが、どうも生きているらしい。


 つまり、頬に触れるコンクリートの感触は、ここが、日高天ノ丘学園の屋上だということを示している。


「フフフッ、わたしの名を知りたいか? 悪魔辺境伯!」


「…………」


 え、何? 何が起きたんだ? 誰に誰が話しかけている……いや、俺と今喋っている少女しかいないけど……


「謎が謎を呼ぶんだが……何の話なんだ? というか、どっちも誰だよ」


「…………」


 いや、お前も黙るんかい。


「そんなことより、君。なんであんなことしたの?」


「いや、誤魔化せねぇよ。何の時間だったんだよ。存在を抹消された悪魔辺境伯には同情を禁じ得ないぞ!」


 この名も知らない少女……、の姿は——そう、さっきまで屋上の端に座っていた栗毛の女子生徒、飛び降りようとしていたんじゃないのか? でも、今倒れているのは俺で……ということは、つまり、助けられたのは俺のほうだということになるのか?


 女子生徒は頬を赤らめ、両手の人差し指どうしをくっつけたり離したりと繰り返しながら、なんだかもぞもぞしている。俺は右腕に痛みと擦り傷があるが、女子生徒のほうには怪我はないようだ。よかった。


「もしかして、俺を助けてくれたのか」


「もちろん、わたしは『絶対助ける』ヒーローだからね」


 そう言って女子生徒は珍妙なポーズをとって見せる。スーパーヒーローでも意識しているのだろうか、ヒーローといえばこのポーズ、というのは分かるのだが、改めてみると漁師の網引きのポーズに似ているな。ソーラン節の振り付けのやつ。


(絶対守る……か。そしてこのポーズ。嫌な既視感だ)


 なんだか、昔を思い出す。アイツを思い出す。俺が精神を患う原因になったあの男を。

 とてつもない既視感だ。違っていることといえば、膝より上の丈のスカートを履いて大股開きをすると、うつ伏せの俺からは、下着が丸見えだということだ。


「パンツ見えてるぞ、今後はそのポーズを制服でしないことだな」


「にゃにぃー! 見ないでよ! ——うう……、まさか、男の人に下着を見られるなんて……」


 下着が丸見えであることを指摘すると、女子生徒は涙目になりながら足を閉じ内股になってスカートを抑える。


「…………」


「…………」


「ん? どうした?」


「——って! 男ォォォ⁉」


 なんだ。よく驚かれはするからもう慣れたものだが、ここまで理解が遅いのは初めてだ。会話をしているうちに、声で気づいているものだと思っていた。

「そうだぞ。よく間違えられるけどな」


「えー、夕焼け空に身を投げ出す美少女を助けるヒーローのつもりだったのに」

「それはまた随分と詩的な救出劇だな。——よっと」


 身体を起こすと、数年ぶりに二本足で立ったような気分になる。寝転んでいるほうが楽だったが、やはり人類は二足歩行をするように進化してきたのだ。空間の認識や三半規管の安定が全然違う。それと、ずっと見上げていた少女を見下ろすのは、なんだか新感覚だな。


「つまり、男女逆転劇だったってこと」


「悪かったな、美少女でなくて」


「ううん、問題はないよ。だってヒーローは助ける相手を選ばないからね」

 女子生徒は決め台詞と共に親指を立てる。というか、そもそも女が女を助ける想定だったのなら、男女逆転劇も何もないと思うのだが。


「それで、悪魔辺境伯ってのは何だったんだ?」


「あぅ……、悪役キャラ、です……」


「……ああ、なるほどな」


 堂々としていた少女が、急に自信なさげになる。ちょっと面白い。


「ん? なんで助けた相手を悪役キャラの名前で呼ぶんだよ」


「だって……一人称『我』だったから、ヒーローのロールプレイだと思って」


「う……、それはいいだろべつに、気が動転していたんだよ。——というか急なロールプレイはありえないだろ。早とちりとかいうものを逸脱しているぞ……」


 最悪だ……昔の一人称が出てしまっていたのか。あれだけ……会話を避けてまで対策していたのに……、まあ、こんな状況じゃあ仕方がないか。うん。今はどうにか誤魔化して、もう二度と使わないようにしよう。


「はあ……、まあいいよ。俺は日高天鐘。命を助けられるのは人生で三度目だ。ありがとう」


 そう言って俺は右手を差し出すと、女子生徒はすぐさま、その右手を握り返す。俺史上、最も厚い握手だ。


「わたしは織原雪華。男の人を抱き寄せたのも、男の人にパンツを見られたのも初めてです」


 なんつう責任の重い挨拶だよ……、抱き寄せた……ってのは助けただけだろ。

 ん? 織原……どこかで聞いたような名前だな。そういえば、今日……

「あ、織原って、うちのクラスの不登校児か」


「え⁉ 天鐘って同じクラスなの⁉ わたし、明日から普通に通えるんだー学校。だからクラスにも行くことになるよ! よろしく! あと保健室登校児だから、不登校児じゃないから」


 そう訂正すると、織原は自信満々の顔で自らの胸を叩いて見せる。


 保健室登校……、やはりなにか事情があったのか。まあでも、今聞くことでもないな。明日からクラスに来るなら、いつかは風の噂で詳細も分かるだろうし。


「なるほど明日からか。織原、よろしくな」


「あー! 雪華でいいよー、雪華で」


「いや、べつにどっちでもいいだろ。どっちも立派なお前の名前だぞ」


「いやだ! せ つ か!」


「でもだな……織原」


「雪華だって言ってるでしょ——」




——雪華だよ! 雪華って呼んでと言ったでしょ!


「ああ、悪い。雪華」 


「織原雪華なんてフルネームで呼んだところで、セーフにはならないんだからね」

「それにしても……俺たち、同じアパートに住んでいたんだな」


「うん。わたしもびっくりした。隣には超美人姉妹が住んでいるって聞いてたけど、まさか天鐘のことだとは……、こういうことってあるんだね」


「俺もお隣さんの情報なんて知らなかったからな。それにしても、この二ヶ月間、よく出くわさなかったものだ」


「ふふふっ、ほんとだねー。——それで? 天鐘は今からどこかにお出かけ?」


「ん? ああ、近くのコンビニ。ちょっとおつかいにな」


「奇遇だね。わたしもちょっとコンビニに用があって——ところで、お嬢さん。夜道の護衛はいりませんか?」


「お嬢さんってな……、はあ。まあ、じゃあ一緒に行くか。あと、普通は逆だからな。俺の見た目をいいことに、庇護欲を満たそうとするな」


 

 俺たちの自宅から最寄りのコンビニは、だいたい、歩いて十分くらいの場所にある。コンビニまでは住宅街を通るのだが、ここら辺は外灯が少なく、夜に女性が一人で歩き回るのは、あまりお勧めできない。


となると、夏はいいが、冬の日が落ちるのが早いため、下校時間には今と同じで真っ暗闇だ。俺はまあいいとして、九音はひ弱な女の子だ。外灯が少ないのは、ここらへんで暮らす懸念の一つになる。


九音も中等部の三年生として、日高天ノ丘学園に在籍しているから、冬は、できるだけ俺も一緒に下校しようとは思っているのだが……、隣の部屋に住んでいるのなら、どうしても一緒に帰れない時は雪華に頼めるな……。あとで連絡先でも交換しておくか。……というか、普段から雪華も誘って一緒に帰ったほうがいいのでは? たとえヒーローであっても、雪華だって女の子だしな。


「そういえば天鐘、家ではおさげなんだね。でも、天鐘は、綺麗で可愛くて髪も長いから、なんだかおさげってよりツインテールって感じだよ」


「おさげとツインテールって何か違うのか? 髪型のことはあまり知らなくてな」

「ぜんぜん違うよ! もう、もったいない。天鐘だったら色んな髪形ができるのに。髪も綺麗だしきっとどんな髪形も似合うよ」


 そういうのは九音に任せっきりだからな。今度、色々見てみるのもいいか? この長い髪が邪魔にならない髪形でもあればと、以前から思っていたし。


「そういうお前は……、しっぽの位置が変わったな」


「へへへっ、雪華ちゃんのポニーテールは激レアだぜぃ。今のおうちにたっぷり拝んどきな」


 そう言うと雪華はポニーテールをゆらゆらと揺らし、時々キメ顔でこっちを振り返る。

いったい何の顔だよ。途中で電柱かなんかにぶつかってくれないかな……


「おいおい、ほら、もうコンビニに着いたぜ。そんなに頭を動かしてると危ないぞ」


「あらあら、いつの間に。よし、突入だ!」


「小学生なのかお前は」



「いらっしゃいませー」


 特徴的な音楽と共に、自動ドアをくぐると、さっきまでの暗闇と相まって、眩しい程明るい空間が、視界に広がる。


ここはありふれたコンビニエンスストアだが……、そう、ありふれているからこそ、身近で唯一、二十一時以降も開店しているありがたい店だ。前述の通り、ここら辺では、この時間、他の店が開いていないので、普通に他の客もいる。


 そんな店内で、どこかのサッカーチームのユニホームを着た子供が一人、天を仰ぐようにして両腕を掲げながら、店内を駆けまわっている。この時間にも子連れの客は来るんだな。


「ふふっ、(商品を)一点獲れたみたいね」


 やかましい……とツッコミを入れようと思ったが、他の人もいるし、羞恥心で踏みとどまった。雪華はどんな空間にいても変わらないな。


「じゃあ、ここはそんなに広くはないけど、一旦別れて、それぞれ目的のものを買うか」

「え、どうしたの? 天鐘ったら何かやましいものでも買うの?」


「うるせぇ、良いから行け」


「らじゃー」


 と雪華は敬礼して、奥の棚のほうへ消えて行った。


 さて、邪魔者はいなくなったし、何を買おうか……


 まずは九音のアイスだな。たしか冷凍ショーケースは入り口から一番遠いところ……だったよな。


 入り口から一番遠いと言っても、ここはコンビニなので、その距離は十数歩程度だ。奥に行くほど冷房が効いていて涼しく、夏においては冷凍ショーケースの周りは天国だと断言しよう。そして、冬とは違い、ショーケースの中に手を伸ばしても苦痛じゃない。これはこの天国だけに許された現象なのだ。


 それにしても、アイスクリームの種類って、ものすごく多いな。俺は甘いものがそんなに好きってわけでもないから、今回も、自分の分は購入しないつもりだが、これだけ種類が多いと、この中にある全種類のアイスクリームを食べたことのある人間なんて、ほとんどいないんじゃないだろうか。やっぱりみんな、九音と同じで好きなアイスクリームの種類があって、そればかり食べるんだろうか? だとしたら、視界にこれだけいっぱいのアイスクリームがあるのにも関わらず、その殆どが、一生縁のないものだということになる。九音も、ラーメン屋とかファミレスとかだと、毎回違うものを頼んでみたりするタイプなんだけどな。


 取り敢えず俺は、種類の豊富にあるアイスクリームの中から、見慣れたしろくまのイラストが描かれたパッケージのものを手に取り、ショーケースの蓋を閉じる。


 そうだ、言い訳のネタってだけだったが、念のため漫画も見ておこう。



(うん。分かってはいたが、あまり俺の好きなジャンルのものはないな)


 ちなみに俺は純恋愛ものが好きだ。ヒロインがいっぱい出てくるものとか、SFチックなものはあまり読まない。少年誌には少ないジャンルだな。逆に九音のほうは、異能力バトルものが大好きで、俺も勧められて、いくつか回し読みしている。


 ふと、隣の雑誌コーナーに目をやると、九音の大好きな『月刊PSIコウ』という名前の雑誌が目に入る。たしか、今月のはまだ買ってなかったはずだから、買って帰ってやろう。


これで少しは機嫌が良くなるはずだ。


「やっぱり、天鐘も男の子だからいかがわしいものに興味あるんだ」


 背後から、雪華の上擦った声が聞こえる。弱みでも握ったつもりみたいだ。

「男なのは否定しないが、これは妹の好きなオカルト雑誌だ。俺は雑誌自体読まないからな」


「なんだ、つまんないの。わたしも雑誌はあんまり読んだことないわ」


「そうか? ここにお前の好きそうな雑誌があるぞ」


 そう言いながら俺が指さした雑誌は、小学生向けのスーパー戦隊特集だ。ターゲット年齢層の低い雑誌を指さしたことに、皮肉めいた意味はない。だってこいつは本当にこういうの好きそうだし。


「フフフッ、甘いわね。わたしは、日曜午前に毎年やっているような、特撮もののヒーローはあまり見ないわ……わたしが見るのは、こっちよ」


 などと雪華が得意気に持ち上げた雑誌の表紙には、『激闘、天ノ丘市のご当地ヒーロー、アマノシルバー!』と書かれている。なんだこれ、知らなかった。もしかして……俺は天ノ丘の市民権を失うのか?


「初めて……見るな。ここ、ご当地ヒーローとかいたのか」


「フフフッ、通しか知らない、コアなヒーローだからね。ちなみにわたしは、現在配信されている公式、非公式、考察動画はすべてチェックしているわよ」


 マイナーであることをここまで誇らしげに言うとは……、もしかしてこいつ、これで同担拒否とかするタイプなのか?


「シルバーってことはレッドとかブルーとか、あと三人ぐらいは、いるんだよな?」


「ううん、アマノシルバーは孤高のヒーローなの。他のメンバーはいないわ」


「え、シルバーなんてあとからやってきて共闘することになりそうなカラーなのに?」


「流石、勘が鋭いわね天鐘。アマノシルバ―は公式178話で、天ノ丘市ご当地キャラクターの天モンと共闘しているのよ」


「いや、そういう方向で勘を働かせた覚えはないが——というか、ご当地キャラクターもいたのか。それにしても……178話って、かなり頑張ってるな公式」


 ただ、公式を追っていた勢からすれば、178話でなんだろうけど、俺の中ではたった二言目で孤高の称号を失ったぞ、アマノシルバー。


あと、俺たちは流石と言い合えるほどの交友期間を持ってないぞ。


「なるほど。つまりその、孤高のアマノシルバ―てやつと、悪魔の貴族や王族みたいなやつらと戦うってコンテンツなのか」


「悪魔の王族? 貴族?」


「え、辺境伯がいるなら、王族、貴族階級の概念は勿論あるよな?」


「ううん、敵は大ボスの悪魔辺境伯と戦闘員だけだよ」


【悲報】天ノ丘市、辺境。


 もう少し昇進してから攻めて来いよ、悪魔辺境伯。というか、たったそれだけの敵と三桁以上の話数を戦ってきたのか……


「なんだか、俺もアマノシルバー……もとい、天ノ丘市を応援したくなったな」

 

 俺は何だか虚しい気持ちになりながら、雑誌とアイスをレジに持っていき、会計を済ませる。そしてコンビニを出て、再び暗い住宅地の中へ。


 行きの相乗効果とは逆で、帰りは少し道が暗すぎるようにも感じる。


「そういえばさ……、店員さん、すごく驚いてたね。天鐘が男の子だって気づいて」


「まあ、毎度ああなるから、もうそれが常識まであるけどな」


「…………」


 コンビニを出てからなんだか雪華のテンションが低い。だが、この数秒で思いつめるようなことって何なんだ? 全く思い当たらない。単純に俺の勘違いなのだろうか。


「どうしたんだ雪華? なにか気になることでもあるのか?」


「そういえば、有耶無耶になって聞き忘れていたんだけどさ、天鐘はなんで飛び降りなんてしたの?」


 ああ、なるほど。いずれは詳しく聞かれると思っていたが……、どうだろう? ヒーローを名乗るぐらいなのだから、勿論、お節介な性格なのだろう。なら余計な心配をさせないよう、自殺衝動のことは伏せて、他は本当のことを言おう。


「あれは飛び降りたわけじゃない。足が滑ったんだ。ちょっと屋上を覗いたら飛び降りようとしているように見える人影があってな、止めないとって必死だったから、足元の注意がおろそかだった。反省だ」


「あ、じゃあ……あれはわたしのせいだったんだ……、ごめん。あのときの天鐘、何だか『安心したような』顔してたから」


 そんな顔……、してたか、そりゃ。それが、俺の本心だったもんな。


「べつに気にすることはないぞ。結果的に俺は助かったわけだし」


「うん。……わかった。……それにしても、飛び降りだと思ったからって、必死に助けようとしてくれたわけだよね?」


「う……、なにが言いたいんだ……」


「天鐘も案外、ヒーローの素質あるんじゃない?」


 絶対言われると思った。……こいつ、人をヒーロー関連の物事でしか判断していないのか? 途中まで俺は完全ヒロイン扱いだったし。仲間だと思われたら面倒なのは目に見えているからな……


「仲間にはならないぞ」


「なななっ! なんでわかったの⁉」


「そういうことしか言ってないからだろ、お前」


「えーっ。でも、もう友達だよね。天鐘とわたし、お隣さんだし」


「……ああ。まあ、それはそれでいいよ。そこは譲ってやるけど、一緒にレンジャーなんてやらないからな」


「にゃ……、で、でも……協力ぐらいは……それぐらいはしてくれるよね……二ヶ月遅れの高校生活はふあんだよぉー」


 嘘だろこいつ、本当にナントカレンジャーをするつもりだったのか? もう十五だぞ、俺たち。


「わ、わかったから、学園で何かあったら協力ぐらいはしてやるから。いいから、俺の服から手を放せ」


 俺は想像以上に厄介なものに捕まったらしい。はぁ、これからの高校生活が楽しみだよ……ほんと……


「じゃ、じゃあな。もう家だから……、お前もう、早めに寝ろよな」


 いつの間にか自宅に着いていたので、入隊勧誘に必死過ぎるヒーローを振りほどき、早々に部屋へ戻って、玄関で一息。ふう……なんだかんだ、今日だけで半年分ぐらいの言葉を発したんじゃないだろうか。長い間会話を避けていたから、今日は本当に疲れたな。

「ただいま」


「お帰りなさいませ、お兄様」


 扉を開く音に反応して、九音が玄関まで出迎えに来る。


 普段から色々世話を——いや、介護をされてはいるが、べつに使用人ってわけではないんだし、玄関に出迎えなんて、そこまで俺に尽くす必要もないだろうに。この妹だけは、怖いぐらいの兄思いだ。


「お兄様、漫画のほうは見つかりましたか?」


「それが残念なことに、コンビニには置いてなかった」


 そうだった……、漫画を買いに行くなんて、しょうもない嘘をついて家を飛び出して来たんだ……俺。だが、出すならこのタイミングだ。俺には、このときのために買っておいたものがある。


「でも、いいものが売っていたぜ……」


「ややっ⁉ それは月刊PSIコウの六月号ではありませんかー!」


 俺がレジ袋から件の雑誌を取り出すと、九音は目を輝かせながら、大事にそれを受け取る。


「おうおー……今月は、町中に突如現れた氷塊と、項欄市集団昏睡事件の謎ですって、お兄様! これはみどころ満載ですっ!」


「そうか……、それはよかった」


 とても喜んでいる。俺は超能力の実在なんて迷信を信じちゃいないが、九音は本気であると思っているらしい。だが、べつに悪いことだとは思っていない。二年前までの九音には、趣味など許されていなかったから、これだけ熱中できるものを九音が持っていること自体が俺にはとても嬉しいのだ。


こういうところを見ていると、ちゃんと年相応の幼さを持った可愛い妹なんだけどな。たまには俺も料理とか洗濯とかやって、九音を休ませてあげるべきかな。

「アイス、冷凍庫に入れておくぞ」


「ありがとうございます。お兄様!」


 さて、目的も達成したし、今日は寝るか。


 あくびと睡魔に誘われ、自室のふすまを開けると、もうすでに布団が敷かれていた。しかも、滅茶苦茶綺麗に。


 ほんと……九音には頭が上がらない。




——翌日、いつものように俺の目の前には制服が置いてあり、髪はセットされ、あとはもこもこのパジャマを脱いで……と、気付けば、いつも通り着替えるだけでいい状態になっていた。といっても、制服をすべて着たあとの、胸のリボンを結ぶ役割は、九音が、どうあっても、誰にも譲る気はないらしいが。


 今日はクラスに初めて雪華が来る日だ。少なからず、クラス内では何かのイベントとして、今日一日、話題は持ち切りになるだろう。


さて、クラスメイトたちはどういった反応を示すのだろうか?

 

 考え事をしながら、いつもより少し早めに学校に着いた俺は、いつものように扉を開けて、自分の席に通学鞄だけ置いて、開智の元へ向かう。


「おはよう開智、今日もいい朝だな」


「おはようございますー……今日はとても気持よく昼寝ができそうですー」


 相変わらず開智は常に眠そうな態度をとっている。こいつとの会話は正直、会話と呼んでいいものか怪しいが、昨日は初めて話す女子とばかり会話をしたからな。開智にはまるで実家で談笑でもしているかのような安心感がある。


「そういえばー……あまねし……、きょうは……挨拶、されない……ですね」


「そうだな。でも、理由は分かってんだろ? あの人だかりだ。まあ、たまには誰にも声をかけられない日があっていいじゃないか」


 ある程度予想はしていたが、昨日まで空っぽだった雪華の席の周りには、大勢の生徒が集まった、人だかりができている。もはや、本当に雪華がクラスにやってきたのかどうかも、観測不能なレベルだ。


「おはよーっ! 天鐘ちゃん。今日もいい朝だね」


 …………


 久しぶりに静かな朝を堪能している俺たちに、暑苦しいほどの挨拶が飛び込んでくる。


もしかして、俺の、開智への態度はこんな感じなのか? もう『いい朝だね』を使うのはやめておこう……


「おはようございます。牧原さん」


 俺はいつも通りの笑顔で、牧原に手をふる。


「え、なにその間……、てか、あたしには新バージョンの挨拶を見せてくれてもいいじゃん。お友達でしょー、もう仲良しなんでしょー。天鐘ちゃーん」


 うるさい、近寄るな。二日連続で知らない女の匂いが付いたら、九音に何をされるか分からないんだ。


「嘘だって、牧原。お、おはー……ははは、」


 九音に凶行をさせないためとはとはいえ……、なんだこの挨拶、屈辱だ。


「おー。天鐘ちゃん。おはーおはー」


 今ので開智がツボにはまったのか、後ろから声を殺して悶えているのが分かる。帰り道でこいつに隕石とか落ちないかな。


「そーいえば、なになに? なーんか人が集まってない?」


「ああ、あれは、昨日話したあいつだ。織原雪華」


「えっ、えっ! ついに登校⁉ あたし、気になる! ちょっと行ってきます!」


 などと言いながら、牧原は人混みの中まで入っていってしまった。


 なんだかんだで牧原もミーハーだな。いや、これはこれで、ちゃんと女子高生をしていると言えるか。


 まあ取り敢えず、雪華の周りにはあれだけ人がいるんだ。きっとあの中の誰かと仲良くなって、そのうちもしかすると、色が飽和するぐらい、レンジャーが増えるんじゃないだろうか。協力するという約束は取り付けられたが、俺はお役御免みたいだな。よかったよかった。


 などと、このときは楽観していた。しかし——



「天鐘! ご飯、一緒に食べよう!」


 まだ四時間目終了のチャイムが鳴っている途中だというのに、役目を果たせというお達しがきた。


 まさか、初日からこっちに来るとは。


教室中の視線が、俺の立っている位置の、一点に集中する。こんなに視られながらの食事なんて、どう考えても地獄だ。それと牧原、なんか驚いてるけど、お前、俺の隣に来てから弁当を広げるの早すぎないか? いつからいたんだよ。というか、なんでもう食い始めてるんだ。


「え? なになに? ……なにこれ」


 教室内では、テレビのロケでピクニックに来た、有名人の一団を一般人が眺めているかの如く、俺たちが好奇の視線に晒された状態での、昼休みが始まった。


 なるほど、まあこの二人か。そりゃあ雪華だって視線を集める容姿だと思っていたが、その上、今日から登校の、所謂、時の人だもんな。ここの三人に対する視線が厚いわけだ。


 九音が勧める異能力バトル系の漫画の中には、たびたび、美女二人に囲まれて昼食を摂る冴えない主人公が、教室中から「何者だ」とか言われて、嫉妬や僻みの視線を向けられる……という感じの描写があるのだが、翌々考えてみると、俺はこのクラスではマスコット的扱いを受けている存在だ。つまり、この場合は、周りの反応っていったいどうなるんだろうか?


 辺りを見渡し、よーく耳を澄ませると、男子からは


「あそこだけ顔面偏差値めっちゃ高いな」「俺も美少女に生まれたかった」


 などの感心めいた会話が聞こえる。後半は知らん。


 女子のほうは……


「なに……牧原あいつ。いったい何者なのよ」「牧原だけずるい」「調子に乗ってんじゃない? 牧原の奴」


 などと、本人にも聞こえるであろう大きさの陰口が行われていた。


 牧原、友達がいないって……、お前、そんな不憫なポジションだったんだな。……男子からは人気あるのに。


「天鐘ちゃん。お弁当おいしそうだね。誰が作ったの?」


 俺と牧原は弁当、雪華はメロンパンとパックジュース(マンゴー)を、三つ繋げた机の上にそれぞれ並べ、仲良く食卓として展開している。


「妹だ。毎日朝早くから準備してくれている。朝に弱い俺には到底真似できない」


「わわわ。妹ちゃん、少なくとも中学生以下なんでしょ? わたしが中学生の時は、朝起きてお弁当を作るなんてこと、できなかったよ」


 まるで今ならできるような言い草だな。


「いいな、あたしも欲しーよ。そんな妹ちゃん」


「やらないぞ、自慢の妹だからな。なにより、いなくなったら俺が生きていけない」


 俺が確固たる意志を見せると牧原は「ちぇーっ」と不満をもらす。


 そういえば、さっき、昨日ぶりに雪華の姿を見たのだが、もう夏だというのに、白いマフラーを装着している。食事の間にも拘わらずだ。俺の記憶では、昨日はこんなもの着けていなかったはずだ。


「雪華、そのマフラーって——」


 俺が質問を終える前に、『バン!』という音を立てて、雪華が立ち上がる。


「うん! よく聞いてくれたね天鐘!」


 あ、やってしまった。なんか今日はおとなしいな、とか思っていたけど、この質問を待っていたのか。というか、恥ずかしいから座ってくれ。


「うん。まだ聞けてないけどな」


「フフフッ、よく気づいたわね。わたしが昨日、コンビニで買っていたものはこれなの」

「うん。ぜんぜん気づかなかった」


「やっぱり、ヒーローと言えばマフラーだからね、あのコンビニにあった夏用マフラーには、以前から目を付けていたわけなのよ」


「はあ……、ヒーローだからマフラーを後ろ側に流しているわけなのか」


 続けるだけ危険しかない話題だが、この話を始めたのは俺なので、取り敢えず相槌くらいはうっておこう。お、やっぱり九音の作る卵焼きは最高に美味いな。


「なんだ、あたしはてっきり雪華って名前だから、冬っぽいキャラ付けかと思ってた」


 なるほど。雪華のことを何も知らない牧原からは、夏にマフラーなんて奇行は、そう見えるよな。まあ、クラスに顔を出すってことが決まってから買ったマフラーだから、『高校デビューのキャラ付け』という意味では、同じようなものだろうけどな。


「でも、ヒーローのマフラーは大概赤色なんじゃないのか? 赤色は売ってなかったのか?」


「そんなもの! わたしの推し色がシルバーだからに決まっているじゃない!」

 よし、『推し色』ね。今後頻発する新単語かもしれないからメモしておこう。あと、はやく座れ。


「それに……、赤は兄の……」


「ん? 兄のなに?」


「ううん。なんでもない」


 今一瞬、表情に影のようなものが見えた気がする。昨日のコンビニの帰り道でも似たような顔をしてたよな。あのときは暗かったからよく見えなかったけど、時々こういう顔を見せられると、普段とテンションの高低差が激しくて心配になる。


「それにしても、天鐘ちゃんと雪華ちゃんってどういう仲なの? お付き合いでもしてるの」


 あ、座った。


「なななっ、お付き合いなんて……していないよ。大事な仲間ってだけよ」


 あれ? 仲間になるのは拒否したはずでは?


「だって名前で呼び合ってるし、今だって雪華ちゃんは内股でモジモジして、図星に見えるけど?」


 牧原こいつ……、最初の反応を見て雪華で遊んでいるな。こいつには余計な隙をみせないようにしよう。


「なななっ、亥羅ちゃん……、だよね、さっき自己紹介してくれた……。その、亥羅ちゃんはいったい何を考えているの⁉ 昨日知り合ったばかりでそんなこと、あるわけないじゃん! どんな状態だったらそんな血迷った見解になるのよ!」


 お、また立った。


「うーん。強いて言うなら、声だけ聞いたら男女なのに、どうみても美少女同士のイチャイチャにしか見えなくて困惑してる……かな」


 困惑しながら脳死で雪華をからかっていたのか? 牧原、お前に友達がいない理由の一端がわかった気がする。



「「「ごちそうさまでした」」」


 食事を終えた俺たちは、それぞれ広げていた昼食のゴミや容器を片付ける。俺もしっかりこの弁当を作ってくれた九音の顔……、と、あと卵を産んで唐揚げになった鶏の顔、弁当箱の製造工場で働く見知らぬおじさんの顔、を思い浮かべて感謝しながら、弁当箱を巾着に収める。


 実を言うと、九音の作る弁当は美味しいから、昼休みは俺にとっては、すっかり毎日の楽しみとなっている。この二年間、色々なことがあったが、俺は今、現実に満足できている。だからこそ、これ以上何か面倒なことは起きないで欲しいものだ。


「ねえ、日高天鐘ってさ。日に高に天に鐘って書くんだよね」


「ん? そうだけど、それがどうした?」


 俺が質問を返すと、雪華はそれを無視して、鞄から取り出したプリントに何かを書きだす。そしてそのまま廊下に出ると、どこかへ行ってしまった。


 いったい何をやっているんだろうか。微妙に嫌な予感がするのだが……、あ、帰ってきた。


「あれ? 雪華ちゃんなにやってたの?」


「え、ちょっと担任の先生のとこ行って、部活動の申請を出して来たの」


「どこか部活に入るの?」


「ううん。新しい部活を立ち上げるの」


「ん? 一応訊くが、どんな部活なんだ?」


「フフフッ、ヒーロー活動をする部活だよ。わたしと天鐘のね」


 おい待て、今なんて言ったんだこいつ。


「雪華ちゃんと天鐘ちゃんの?」


「そうだよ、わたしと天鐘の。亥羅ちゃんも来る?」


「お誘いは嬉しいけど……あたしにはバスケがあるから、ごめんね」


「おい待て、俺は何も知らされていないのだが……」


「え、でも昨日協力するって。言ってくれてたよね」


「いや、協力って、サポートメンバーになるとか、そういう意味じゃないからな。というか、報連相はしような?」


 あんな一言、「協力する」という発言が、強力な意味と執行能力を持って、返ってくるとは……いや、誰も思わねぇよ!


 まずいぞ、雪華の性格もだいたい判ってきたからな。これから面倒なことになるのは間違いない。何が何でも、部活動設立申請の受理を阻止しなければ……


「おお……、天鐘ちゃん。立ち上がるだけでその気品、麗しさは流石だね」


「どうしたの、天鐘。どこか行っちゃうの?」


「ちょっとトイレ」


 満腹になって心地よさそうに座っている二人に、適当な言い訳を伝えると、俺はすぐ後ろにあった扉から教室を飛び出し、さっき雪華が向かった方向へ小走りする。雪華が教室を出てから帰ってくるまで、さほど時間はかかっていなかった。つまり、それは、先生がまだ近くにいる証拠だ。となれば、まだチャンスはある。


 そう考えた俺は、雪華の行動をヒントに、先生のいたであろう地点から、最短ルートで職員室を目指す。この学校は無駄に広いから、まだ職員室に向かっている途中で、先生を捕まえられるはずだ。ただ、先生が常に職員室へ歩いていると仮定すると、俺も同じ歩行の速度では絶対に追いつけない。危険行為ではあるが、人が少ない場所では全力で走ろう——などと考えていると、曲り角で何か柔らかい感触にぶつかった。


「あ、すみません」


 考え事をして、曲り角での注意を怠った。早く追いつかなければいけないのに、人とぶつかって時間をロスしていれば、元も子もない。


「あら、天鐘くんじゃない。自分がとても可愛いからって、注意散漫で人にぶつかっても、許されるとは思わないで頂戴」


——こ、この声は……まずい、まだ昼休みは三十分以上あるというのに。早く逃げないと、色々詰んでしまう!


 そう、俺が今ぶつかった相手は、普段からその名を伏せている要注意人物。


——雨宮薙輪あめみやなぎり! ……と、その取り巻きだ。


「ごきげんよう天鐘くん。今日はいつにも増して元気ね。そんなに元気なら、公園みたいな広い場所を駆けまわればいいじゃない。そうね、私の家とか……広いわよ」


 雨宮薙輪。一年A組。天ノ丘市で最も広い敷地にドでかいお屋敷を構える、雨宮家で生まれた令嬢だ。この学園に通う者はみんな彼女のことを、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と、美人を形容する有名なことわざを用いて表現する。実際に才色兼備、文武両道が使い古される程の結果を残しているらしい。が……俺はそんな美人で優秀な側面を一度も見たことがない。なぜなら……この女は今の台詞を本心から言っているからだ。


「流石です薙輪様」


「とても本質を突いた、いい皮肉です。薙輪様」


 この二人は、たしか山田と中西。放課後以外は常に雨宮に付いて回る取り巻きで、いつも雨宮の言葉に続いて俺に嫌味を言ってくるが、俺にはこいつらが必要なのだ。だって雨宮は本気で俺を自宅に招こうとしているのだから、皮肉にしてくれないと困る。


「大丈夫だ、最近は自宅でできる無酸素運動にハマっているから。じゃあな雨宮」


「まちなさい」


 会話を早々に切り上げ、雨宮を横切ろうとすると、校内で一、二を争う豊満なボディが、俺の行く手を阻む。


「以前からずっと、私を薙輪と呼ぶように言ってなかったかしら。どうして私の好意を受け取れないのかしら。今日こそはっきりさせましょう」


「そうだそうだ、薙輪様のご厚意を受け取れ」


 おーい取り巻きども、こいつとお前らの、「こうい」の漢字が違うぞ、絶対。


「いや、付き合わないからな。俺はどうしても行かなきゃいけない用事があるんだよ」


「この話のほうが大事だわ、私の沽券に関わるもの」


「いや、この話はいつでもできるじゃないか、俺のは時間制限があるんだよ」


「では一度、ここで薙輪と、そう呼んでみて頂戴。そうすれば道を開けるわ」


 道を開ける……というか、膝から崩れ落ちる気がするんだが


「いや、今は無理だ。じゃ、先を急いでいるから」


「待ちなさい。逃がすわけないじゃない」


 俺が振り返って駆け出した瞬間には、雨宮はもう俺の進行方向へ回り込んでいる。そう、こいつの身体能力は、この学園の男子生徒全員を軽く凌駕している。うん、もうバケモンだろ。


「ですよねー。俺も逃げれるわけがないと思ってた」


 というかこいつ、一言喋る度に、地味に俺との距離を縮めてくるんだが、どれだけ距離を離そうとしても、段々近くなるんだが。一応取り巻きがいる間は大丈夫だと思うけど、なるべく距離を保たないとな。


「早急に観念することをお薦めするわ。あとで拇印も押してもらうから」


「いったいなんの書類にだ!」


「そんな些末なことは気にしなくていいのよ。貴方は何も知らなくても、すべてうまくいくのだから」


「人生で些末なことに拇印を押す機会はねぇよ」


「ふむ、なるほど。そんなに内容が気になるなら、じっくり説明してあげるわ。私の家に来て頂戴。寂しいだろうから、妹さんと二人で」


「妹は極度の人見知りだからな。知らない人が多い場所は遠慮させてもらう」


「つれないのね。でも、安心して、私一人だけだから。なんなら、いずれ二人きりの空間になるのだから」


 雨宮はそう言って舌なめずりをすると、急に表情が変貌し、蕩けた目でにやりと嗤い顔をうかべる。


 こいつ、俺を後退りさせて、取り巻きに声が聞こえない距離になると、急に本性を現しやがった。恍惚とした表情をしやがって。このド変態淑女が。


「安心して。淑女の私から手を出したりはしないから。ただ私は、貴方の細胞と私の細胞を、強酸で溶かしてくっつけて、一つの生命体になりたいと思っているだけだから」


 は? 気持ち悪……シンプルに無理なんだが。……何を言ってるんだこいつは。


「ここまで来たら獲物と狩人よ。貴方はおとなしく、私にその身を差し出すしかないの」


 うわ……本当に何を言っちゃってるんだこいつは、普通に引くわ、恐怖を通り越して虚無だわ。


「うっ……、ハッ! ……ダメよ!」


 完全にスイッチが入ってド変態淑女と化していた雨宮が、唐突に悶え、頭を左右に振り始める。ついに変な病気を発症したか……なんなら、そのまま倒れてくれていいぞ。


「ダメ……最近出会えていないもの……、この機を逃してはダメよ、薙輪」


 はい? 何を言っているんだ? 突然自滅するタイプのキメラなのか? お前は。


「天鐘くん。そんな、きゅるんとしたキュートな上目遣いで私を見つめても、今日こそは逃がさないんだから——うぅ……」


 は? 俺は今、普通に真顔なんだが。当然の如くドン引きしてるだけだが。


「゛あー、もう我慢できないわ!」


 あ、やべ。こいつ、理性が破裂しやがった! 全力で逃げな——


——しまった、いつの間にか背後に柱が!


 気付いたら、俺はそのまま組み伏せられるようにして、身体を柱に押し付けられ、そこに雨宮の身体が圧し掛かる。


まずい……俺の身長が160センチメートルなのに対して、雨宮の身長は170センチメートル以上ある。加えて筋力の乏しい俺と、普段から道場で鍛えている雨宮では、力に差があり過ぎるのだ。もはや、力業で逃げ出すのは不可能。もう、目的を果たすどころの問題じゃない。


今の状況を客観的に言い表すなら、それは『密閉』だろう。感触も柔らかくて、不思議と不快感はないのに、身動きは全く取れない。それと、クッソ湿度が高い。このド変態淑女の周りだけ湿地帯にでもなっているのか? 


 雨宮は俺に被さったまま声にならない唸り声をあげている。


 早くこの状況から抜け出したい俺は、唯一自由に動かせる両腕で(あ、唯二か)、なるべく強めに雨宮の背中を叩くが、すぐに雨宮の腕で俺の両腕は押さえられ、壁に押し付けられる。というかおい、ついでとばかりに指と指を絡めるなやめろ。


 まずい。非常にまずい。だから要注意人物なんだこいつは。感情の制御くらいはできるようになってくれよ……,特にその危険な感情は!


しかし、俺はこの状況を切り抜けられる方法、こいつを退けられる方法を一つ知っている。本当は使いたくない方法なんだが、こうなった以上、背に腹は代えられない。そして、覚悟を決めている余裕があるのも、今のうちだけだろう……、仕方ない。


 俺は、自身の顎を上げると、雨宮の肩から頭だけ抜け出し、雨宮の頬を目掛けて、全力で顔から跳び込む。


「へっ———?」


俺の行動に、雨宮は少しづつ後退っていき、拘束が段々と解除されていく。


やっとの思いで解放された俺は地面に崩れ落ち、余りに高い湿度からの解放感で安堵する。


そして、雨宮のほうはというと……、しばらく頬を手で覆って


「〝あ〝う〝あーーーーーー」


 という奇声と共にどこかへ駆け抜けていった。


「え⁉ ど、どこへ行くんですか薙輪様!」


「まってください、薙輪様ぁ!」


 そして取り巻きの二人も、そんな雨宮を追って、俺の視界から消えて行った。

「はあ……ふう」


 やっと一息つける。


 雨宮薙輪は隙があれば、俺に婚約を迫ってくる上に、全く遠慮なしで俺に性的な劣情を向けては来るが……、反面、めっぽう押しに弱く、俺からのアクションですぐに逃げ出してしまうのだ。しかし、日に日に許容量が増加しているのか、同じ手は二度と使えない適応能力も持っている。そのため、今日は頬に口づけをするくらいで済んだが、今度からはそれ以上のことをしなければ、かえって興奮させてしまうだけ……ということになってしまう。


(今思えば、俺が不用意に握手を交わしたせいで、あんな風になってしまったんだったな)


 簡単に説明すると、男性に触れたことのなかった雨宮が、女性と勘違いして、握手で俺に触れてしまったことで、性癖の歪んだド変態になってしまった……、ということだ。……変態なのは絶対本人の素質だと思うけどな。



はあ……、帰ったら九音になんと言って詰められるんだろうな……俺は。




「ふぅ——やっとついた……先生! 真中先生いらっしゃいますか!」


 先生を追いかけ、教室を飛び出してきたはいいものの、しっかりと雨宮薙輪に足止めを喰らい、まだ部活動設立申請書が担任の手元にあることに最後の望みを賭け、やっとの思いで職員室へやってきた。


「ハーイ。あら、天鐘っちじゃないの。ちょうどワタシも天鐘っちと話したいことがあったのよー。良かったわ」


 うん? 俺にも話がある……とは、なんだろうか?


 俺は真中先生に手招きされて、そのまま職員室の奥にある応接間に歩んでいく。


応接間に入ると、そこに備えてある、ソファーへ座るよう指示されたため、そこに腰を下ろして、その向かいに座った真中先生に視線を向ける。


「真中先生。話とはいったい、何についてのことですか」


「あら、やーね、天鐘っち。ワタシのことは『イオちゃん』って呼んでと、いつも言っているじゃない?」 


 この人は真中郁夫まなかいくお。一年D組の担任で、担当教科は英語。声を聞いて分かる通りのニューハーフだが、見た目は綺麗なお姉さんという感じに見える。……らしい。女の見た目をした男という点で、俺のことを仲間だと思い込んでいるみたいで、よく気にかけてくれる。ジェンダー面でもとても気を使ってくれていて、人通りの少ない多目的トイレや、件のいつでも使える空き教室などを提供してくれたのもこの先生だ。俺はべつに性同一性障害とか、自身の性別で悩んでいるわけではないが……それでも、男子トイレに入ったり、男子に混ざって着替えたりすると、大騒ぎになるので(かといって女子に混ざるのは論外)、真中先生の用意してくれた環境にはとても助けられた。


 ちなみに真中先生の年齢はというと……学園の、どんなデータベース上にも存在していない、という噂だ。勿論、本人に訊いても濁すだけで一切答えない。


「そうそう、お話というのはこれのことなんだけどね——」


 真中先生はそう言うと、一枚のプリントを机に置いて、俺に差し出した。


 これは……部活動設立申請書だ! ちゃんと俺たちの名前が書いてある。


 よかった。あとはこれを……、あとは、どうするんだ? 呼ばれてまでこの書類を見せられたってことは……不備でもあったのだろうか? それとも、保健室登校を続けていた雪華の話でもされるのだろうか。……ん? まてよ……、この紙——


「この紙、判子押されてますけど……」


「そりゃあ申請が通ったんだから、当たり前じゃないの」


 え? 申請が通った? それは誠か⁉ い、嫌だ! 俺の日常がぁ! そんなぁ。

「コピーも取ってあるけど、見る?」


 いや、こんな絶望的な事実を二度も確認したくないわ! 


「いえ、見ません。……というか、それなら何の話で呼ばれたんですか?」


「ああ、それはね。——入っていいわよ。黒島先生」


 真中先生が応接室の入り口にそう呼びかけると「はい」という言葉と共に、若い女性教諭が応接室に入ってきた。


「この人は黒島真凪くろしままな先生。今年から入った新任の先生で、今日からあなたたちの顧問になる人よ」


「え……顧問⁉」


「あら、そんなに驚かなくたっていいじゃないのよ。まあ、ワタシだって天鐘っちの顧問をやりたかったんだけどね。ワタシってほら、ただでさえ弓道部と書道部を兼任しているわけじゃない? 他にも空いている先生がなかなかいなくてね。新任の黒島先生にお願いしたのよ」


「いや、それはいいんですけど。早すぎないですか?」


「いやあね。天鐘っち。お友達じゃないの。先生、天鐘っちのためにすごく頑張ったんだからね」


「あはは……ありがとうございます」


 ありがた迷惑すぎるっ! ……いくらなんでも、話が決まるのが早すぎるだろ、おっさんが一人で舞い上がっちまってるだけじゃねぇかよ。どうにか、この話は間違いだって伝えられないか? ここまで贔屓してくれるなら、むしろ、部活一つなかったことにするぐらいはやってくれそうだしな。 


「べつに贔屓するつもりはなかったんだけどね。天鐘っち、クラスの中でも誰とも話さないから……、部活動を一緒に立ち上げるようなお友達ができたことが、まるで自分のことのように嬉しくって——駄目ねこの歳になると涙もろくなっちゃう」


……なんだよそれ、滅茶苦茶言いづらい。やばい、ここまで言われて、誰が「手違いでした」なんて言葉を発せられるんだ。おーい、いったい俺はどうすればいいんだ…… 


あと、歳ネタを使いたければ、詳細に年齢を公開しろ。この喋るが。


「では、あとはお任せします。黒島先生」


「はいっ」


 真中先生はハンカチで目元を拭いながら、応接室を後にする。


 あとは……、ってことは


「では、日高天鐘君。どうも、黒島です。よろしくお願いします」


 もうよろしくされちゃったよ、絶対逃げられないよ、これ。


「うっ、はい……よろしくおねがいします」


「泣いているのですか? ……わかります。いい先生ですよね、真中先生」


 そうじゃねぇよ、思春期の卑屈な男子生徒が嬉し涙なんて流すわけねぇだろ、歳取ったおっさんじゃあるまいし。


 はあ……この人が、雪華の顧問になる黒島先生か。髪形は牧原のボブカット? ていうのに似ている。容姿はなんだか幼い感じだ。俺たちと同じくらいに見える。大人って感じじゃない。


「そう……だね、天鐘君。今日の放課後、いつも使っている空き教室に、織原さんを連れて来てくれますか? 今日早速、一番最初の部活動について、作戦会議を始めたいんです」


 この学園の教師って気が早すぎない? 今日書類に判子押したんだよ? さっき受け取ったんだよ?


「え……、何についての会議をするんですか? なんか大会が控えているとかで急いでるんですか?」


「大会があるのなら勿論全国を目指しますが、残念ながらこの活動内容では開催している大会などはなさそうですね」


 それはそうでしょうね。もし、ヒーローの大会とかあったら怖いわ。まあ、活動内容とか見たことないけど。それでも、だいたいどんなものか分るんだけどな。

「そして、最初の部活動ですが……、天鐘君のクラスで無断欠席している、成田考人君を学園に連れ戻したいのです」


 なるほど、今からでも逃げ道を探すべきだな!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ