吾輩は勇者である。名前はもうない。
短編3作目になります。
最後まで読んでいただけると幸いです。
地球の日本という国にて、生を受けた私は医者である両親の愛を一身に受けて育った。
小学生になるまで、自分はどうなっていくのだろうかと胸の中に一抹の不安とそれをどうでも良く思えるほどの期待を宿していた。中学生の頃、両親の医者という仕事の本質を理解した。そして彼らのように人を救いたいと思うようになった。自分ならなれると勘違いをした。だが、現実はそこまで甘くはない。
高校一年の時には平々凡々な自分に医者なんてものはできやしないのだと理解した。高校受験に失敗した私に親は好きに生きなさいというようになった。両親が私を思って言ってくれたのは理解していた。だが私にその事実を受け入れることは到底難しく、結果、当時部活動にしていた剣道に没頭した。剣道なんてものは殺し合いが画面の向こうの話となっている現代日本では何の役にも立たないことはわかっていたが、竹刀を振っている間は何も考えずに済むような気がしていたのだ。
そんな18歳の夏、学校に進路相談をしに行く途中であった。眩い光が視界を覆い、気が付けば私は異世界にいた。腰を抜かし、床に尻餅をつくと、大理石の床が布越しでも酷く冷たく感じた。周りにいた観衆は酷く興奮していて、辺りは熱気に包まれていたのを今でも鮮明に思い出せる。
一通り落ち着くと、担当者から説明を受けた。要約すると、ここは魔法がある世界。意思の力によって世界を作り変え、超常現象を引き起こす。あなたは魔王を討ち滅ぼすために呼ばれた勇者であるとの事だった。
魔王とは人とは違う種族である魔族の国の王である。人の国は同盟を組み、魔族の国と戦争をしているらしい。少数ながらも魔族は人よりも力も意思も強く、人は負け続けた。このままでは人は滅びると危惧した人々は勇者を強く望んだ。その思いは凄まじく、私はこの地に呼ばれたらしい。
ここまで説明をしたところで意思とは何ぞやとなるだろう。人々は1秒先、1分先、もしくはもっと未来のことを想像しながら生きていると思う。こうなりそうだなとか、こうしようだとか。
私が召喚された異世界では誰かのそんな思いがこの世の未来を決定する。自分の目の前に火の玉が現れると思えば、次の瞬間には火の玉があるのだ。とは言っても万能では無い。強く正確に想像しなければならず、そんな想像できることなど高が知れている。それにまずまずこの世の未来を思っているのは自分だけでは無い。同じもの、同じ場所の未来を二人が思った時、二つの背反した未来がぶつかり、結果的には何も起こらないか、意思が強いものの未来が不完全ながらに実現する。こう言ったことによって現実に生まれた超常現象を人は魔法と呼び、思う力を意思と呼んだ。
話を戻そう。そう、私は勇者となったのだ。意思は強くはなかったが、刀一本で全てを切りさく勇者。私は魔法使い、人の国に寝返った魔族、医者といった仲間を引き連れ、戦場を駆け回り、多くの魔族を屠った。時には魔族の国に寝返っていた人間も切った。刀を振っている間は何も考えなくてよかった。
そして20年の末に私は仲間と共に魔王のいる城に辿り着いた。もう私たちに言葉は無く、ただ敵を見つけ次第切り結ぶ。そうして数時間もするとその場にいる私と魔王以外の生物は地に伏していた。
魔王との一騎打ち。意思の力にそこまで差異はなかったのだろう。刀と大剣、その技量だけの勝負であった。何合打ち合ったか分からない。そんな中、永遠のように思われた時間は唐突に終わりを迎えた。魔王が躓き、大剣が空を切ったのだ。そこを見逃すほど私は弱くはなかった。袈裟斬りの一刀を持って、魔王を両断する。返り血が私を赤く染める。体から力が抜けていく。ここを目指してきたはずであったのに、達成感も何も無い。ただ勇者として当たり前のことを終わらせたという虚無感だけが胸を支配していた。
国に帰ると私達は盛大に持て囃された。魔王を討ち滅ぼした勇者。勇者に任せたやはり我々は間違っていなかった。これからも勇者が我々をいつまでも守ってくれる。そう言って国民は私を勇者様、勇者様と褒め称えた。
国に帰って暫くすると凱旋のパレードが行われる事になった。その最中のことだった。屋根のない馬車に乗り、道の側に集まっている民衆に手を振っているといきなり馬車が止まった。見ると馬車の前に子供が出てきてしまったようであった。馬車を降り、子供に駆け寄る。
「君、大丈夫かい?怪我はないかい?馬車の前に出てくるなんて危ないよ。」
「ごめんなさい。勇者様のサインが欲しかったの。」
「ああ。いいよ。今回は特別だ。でももう馬車の前に飛び出してはいけないよ。」
「分かった!!」
「お名前を教えて。」
「ユウって言うの。」
勇者にサインをねだるユウ君か。なんて呑気に思いながら子供が持っていた色紙に「ユウ君へ、頑張れ!勇者より」と書く。
「これでいいかい?」
「うーん。」
子供は何か納得がいかないようで顰めっ面をしていた。
「書いてほしいことが違った?」
「ううん。違う。勇者様って何てお名前なの?」
「えっ?」
「これじゃ勇者様のお名前がわかんないよ。教えて!」
言葉が出なかった。この世界に来てから10年間、私は勇者であった。みな私を勇者と呼んだ。仲間たちさえ、私のことは勇者もしくは代名詞で呼ぶだけで本名で呼ばれた覚えはない。私自身もそれでいいと思ってしまっていた。思えばこの世界に来てから私はいつも人との関わりを避けていた。本名を名乗って前の世界を思い出す事が怖かったのも確かだが、それ以上に私には本名を名乗るほど仲の良い人なんていなかった。ただ茫然としていると民衆の中から一人の妙齢の女性が飛び出してきた。母親のようであった。
「勇者様、申し訳ありません。ほら、行きますよ。」
そう言って子供は手を引かれて民衆に戻っていった。母親が子供に微笑みかける。愛に満ちたその微笑みに私の中にあったはずの何かが疼く。
私の母親の名前は何であっただろうか、とふと思った。父親の顔はどんなだっただろうか。全く思い出せない。自らの出自は覚えている。日本のはずだ。じゃあ都道府県は?家は何処にあった?これまで考えずに忘れかけていた思い出が私を切り付ける。子供の一言は私をこれ以上、「勇者」という役割に縋っていることを許してはくれなかった。
私のルーツは今でも覚えている。医者の両親に憧れて私は人を救いたいと思った。今、私が刀を使っているのは日本にいた時に剣道をしていたからだ。だがそんな大まかな話はいいのだ。もっと私には大事なことがあったはずなのだ。それなのに記憶はぼんやりとしていて何も、誰も、はっきりとしていない。思えばこの世界に来てからはや20年も経っていた。20年というのは子供が都合の悪い事を忘れるには長すぎるほどの時間だったのだろう。小さい頃の夢を叶えられる力と場所を得た私は、敵を斬り殺す毎に日本人である私を殺してきたのかもしれない。
私がこの世界に来た時から勇者になったというのは私一人の認識の話ではない。この世界の人は意思を持つ。彼らは勇者が現れると信じた。彼らのためにあり続ける勇者を望んだ。一人一人の意思は小さくて、拙くて、決して世界を変えれるようなものではなかったかもしれなくとも、皆が魔王を恐れ、魔王を討ち滅ぼす勇者を召喚できると信じたとしたら、それは魔法を引き起こすほどの力となることもあるだろう。私は元は日本に生まれた凡人だったはずだ。それが魔王を殺せたのは、この世界に召喚される時に、民衆に「勇者」という魔法をかけられ、勇者に相応しい力と、魔王を滅ぼす「勇者」という役割を与えられたのだろう。
民衆の意思の力によって強かっただけなのに、それを私は自分の力でこの世界を救えるのだと一丁前に思っていた。前の世界でも今の世界でも自分の力を見誤り、結局現実から逃げるために、刀を振るって考える事を放棄し続けたのは実に私らしい。
それを頭の裏側で理解していたからこそ、私は『勇者』でありたかったのだ。皆が求めるのは私でなくなってやっと与えられた役割から下ろされることが怖かった。また期待されなくなって、自由を与えられてしまうことが何よりも辛かった。
気が付けば、パレードは終わっていた。周りで仲間が心配して、かけてくれる声が頭の中を右から左に川に浮かぶ枯葉のように流れていく。竹刀も刀も取り上げられ、自由をもらってしまった私には、もう何も分からなかった。また心配をかけさせちゃった。なんて申し訳ない気持ちばかりが心をよぎっては消えていく。
今の私は誰なのであろうか。魔王を討ち果たした以上、私はどうなっていくのだろうか。魔王を討ち滅ぼすためだけの勇者は、これから何処に向かえば良いのだろうか。何ももう分からない。もっと早く考えればよかったのだ。前の世界でも勉学に失敗しても腐らずにもっと考えればよかった。人を救う職業なんて別に医者だけではない事を私はこの世界で学んだ。いや、とっくに知っていた。どんな職業でもいつかは誰かのためになるのだ。親に好きに生きなさいと言われて拗ねて考える事を放棄して、またこの世界でも勇者という使命に甘んじて、考えなくても良くなった事に歓喜して、求められるままに目の前の者を殺し続けた。その結果、親の微笑みや、友達としたくだらない話、人に惚れる理由と言った忘れてはいけない大事な事までを失ってしまった。そんなあり方は決して勇気ある者ではないだろう。だから私は勇者ではなく、「勇者」にしかなれない。
未来、私と同じ境遇の人がもっと早く、忘れてはいけないものに気がつけるようにここに愚かな勇者の軌跡を記そうと思う。考える事をやめた人は失ったものに気づけない。誰がなんと言おうとこの世界に忘れていい事なんてありはしなくて、考えなくていい人なんていないのだ。
あなたがもし召喚される前の世界を覚えていて、そこの思い出を大事にしているなら、前の勇者とやらは愚か者であったのだと、どうか笑ってほしい。 あなたの未来が、勇者ではなくて、辛い過去、今、そして未来に立ち向かえる勇気ある者でいられるように願い続ける。
頭の隅に残る日本の言葉をもって、この書を閉じようと思う。
吾輩は「勇者」である。
名前はもうない。
この手記は数年前に死んだ勇者の家から発見された。だがこれは偽物と判断されている。これを書いたとされている勇者は魔王を倒し、人々を救い、その後も人と魔族の和平交渉など人々を救い続けたとされている。こんな青臭いガキのような事を考える人ではなかったはずなのだ。
拙い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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