2.潜入捜査(1)
2.潜入捜査(1)
一週間前。日本。
兵庫県神戸市緑が丘町の茶泉学院中学校・高等学校の理事長室のソファーに一人、ぼくがいた。
両手は後ろ。親指に結束バンド(タイラップ)。
肩を枕に二時間は眠っていただろう。
正直、痛い。
「待たせたね」
ノックもなしに、魔女が入ってきた。茶泉珠子理事長だ。身長は一五〇センチメートル弱でぼくとそう変わらない。年齢不詳だけれど、たぶんぼくの倍以上は生きている。戦前から生きているという噂もあって陰で「魔女」と言われている。
珠子さんに付き従う二人の美女は、秘書兼愛人とのこと。これは本当だ。本人から聞いたのだから間違いはない。もっともそんなことをぼくは人に話さないけれど。
「解いて」
その声でぼくが明るい窓際を向くと、秘書の一人が指パッチン(フィンガースナップ)でバンドをカットした。もう一人は紅茶を準備していた。
(素晴らしきヒィッツカラルドかよ!)
「罪状認否に時間が経かってね。結果は証拠不十分で不起訴となった。――おめでとう。自由だ。ただ……」
「――ぼくは何をすればいいんです?」
前置きは短いほうがいい。
「聡明。話が早くていい。――聖ルチア大学は?」
お茶をすすめられる。大きなテーブルのマホガニーはワシントン条約以前のものだった。ティーセットはナルミの最高級品だった。
「いただきます。――茶泉学院と姉妹校ですね? 先日、殺人事件があったかと。犯人を見つければよろしいのでしょうか? ――アッサム……ファーストフラッシュ?」
手を合わせる親指が痛い。
「正解。――事件があったのは米国のSL。依頼は英国のSLのパブリックスクール内の調査。――ミルクは?」
英国ではミルクティーが美味しいとされる。
「結構です。――これから殺人があると?」
「可能性の問題だ。抑止力は評価しにくい」
抑止力が働いているかどうかは判断しにくい。抑止に失敗すればそれが過ちだと知ることができるけれど。
「事件が起きる前に阻止せよと?」
(……今は初夏。これから夏休みになる前というのに、潜入捜査?)
かなり目立つことになる。
「指標?」
「善い言葉の選択ね」
「生き餌ですか?」
「あなたが生き残る可能性がある選択をしたというだけ。標的は黒髪の美少年。あなたが殺められたとしてもダイイングメッセージは残すでしょう?」
実質、死刑らしい。「死んでも証拠を残せ」とは酷だよ。
「相棒は?」
どのような作戦だろうと、単独行動など自殺行為だ。
「あなたの知っている人よ。――おかわりはどう?」
話は終わりらしい。
扉を閉め終えると「アッシュ」と声をかけられた。
廊下の向こうで銀髪の美少年が手を振っていた。