公爵閣下!私の愛人になって下さい!~没落令嬢の期間限定恋人契約~
◇◇◇
「閣下、これは契約ですわ」
そう言うとマリベルは鮮やかに微笑んだ。
「私の愛人になって下さいな」
◇◇◇
付き合いで仕方なく参加した夜会で。ペットの世話を口実に早目に帰宅しようとしたところ、突然彼女に呼び止められた。
ロイスター伯爵家のマリベルと言えば、社交界の華として知らぬものはいないほど美しい令嬢だ。年若い令嬢だというのに、すでに匂い立つような色気がある。
腰まである豊かな金髪に、挑むような青い目。蠱惑的な艶のある赤い唇が誘うように開く。確かに彼女ほどの美女なら、金を積んでも自分のものにしたい男は多いだろう。そう思わせるほどに彼女は魅力的だった。
だが、生憎俺はこうしたタイプの令嬢に興味がない。いや、令嬢自体に興味がないと言ってもいい。派手好きで気の強い令嬢は一緒にいるだけで疲れる。これ以上絡まれる前にとっとと退散するとしよう。
「生憎だが俺は君に興味がない。他を当たれ」
冷たく言い放ち背中を向けて立ち去ろうとしたところ、マリベルはいきなり目の前で泣き出した。
「う、うう。これが最後のチャンスだと思ったのに。も、もう、どうしたらいいか……」
うわ~んと声を上げて泣き出したマリベルを見て呆然とする。
……どうしよう。あろうことか令嬢を号泣させてしまった。紳士としてこのまま立ち去ればどんな風評被害に合うか分からない。
仕方なく俺は溜息をつくと、号泣する彼女の手を取り公爵家の馬車に乗せたのだった。
◇◇◇
公爵家に着いてもなかなか泣き止まない彼女のため、執事のロイズが王都で人気の菓子を並べてもてなしてくれた。どうやら彼女は、甘いものに目がないタイプらしい。一通り食べるとようやく泣き止んだのでとりあえず話を聞いてみることにした。
「それで、少しは落ち着いたか」
マリベルはびくりと肩を揺らすと、またみるみる目に涙を浮かべてこちらを見上げてくる。
「閣下にはいきなりお見苦しい所をお見せして申し訳ありませんでした。高潔な閣下に愛人にしてほしいなどと、馬鹿なことを申しましたわ。どうぞお忘れになって」
確かにいきなり愛人にしろと言われたときは驚いた。しかし、憔悴して肩を落とす姿を見せられると、妙に落ち着かない気分になる。
「未婚のうら若い令嬢が愛人になりたいなどと、何か事情でもあるのか」
まあ、大体想像は付くが。ここまで連れてきてしまったのだ。話ぐらい聞いてやってもいいだろう。
「実は、父が事業に失敗して……」
ぽつりぽつりとマリベルが語ったところによると、大方の予想遠り父であるロイスター伯爵が事業に失敗し、莫大な借金を負ったとのこと。家屋敷を全て手放しても返せるかどうか分からないほどの借金に、一家は途方に暮れているらしい。
マリベルも少しでも家の役に立ちたいと金策に走ったが、今まで彼女を女神のように崇めていた男たちは伯爵家が没落した途端に手のひらを返した。素気なく援助を断るだけでなく、「金に困っているなら俺の愛人にならないか」と誘われる始末。
この貴族社会で、持参金もない没落貴族の娘を娶りたがる男はいない。良くて年寄りの後妻か、成金商人の嫁になるか。それならいっそのこと、国一番の富豪であるカリスト公爵(俺)の愛人になろう、と決意したらしい。
なるほど。確かに金は唸るほどある。ロイスター伯爵家の抱えた借金程度、カリスト公爵家にとっては微々たるものだ。だが、俺の評判を知らないわけでもあるまいに。
「今回のことで私は、不埒な目で見られても一生の愛を捧げられるような女ではないと分かりましたわ。だからいっそのこと割り切って愛人業を頑張ってみようと思ったのに、それすらも満足にできないなんて。もうどうしたらいいのかさっぱり分からないわ」
そういうと、またハラハラと涙を流す。華やかで自信たっぷりだった彼女が打ちひしがれている様子は、見ていて痛々しい。
「ほら、もう泣くのはやめろ。これ以上泣くと、目が腫れてしまうぞ」
「閣下は、お優しいんですね……」
潤んだ瞳にじっと見つめられて。
俺はもう一度深くため息をついた。
◇◇◇
こうして俺は、なし崩し的にロイスター伯爵家への支援を行うことを決めた。だが、縁もゆかりもない俺が理由もなく支援を行うのも不自然なので、表向きはマリベルが俺の恋人になったことにしておく。
期間は三年間。彼女が俺の恋人であるうちは、俺が彼女の家に支援をするという契約だ。その間マリベルには公爵家に住み込み、ある仕事の手伝いをしてもらうことにした。
「この御恩は一生忘れません。閣下のお役に立てるように、一生懸命頑張りますわ!」
キラキラとした目で感謝の言葉を掛けられるとなんだか気まずい。
「まあ、君は普段どおりふるまってくれて構わない」
乗り掛かった舟だ。話を聞いた以上、このまま彼女が没落していくのを見るのは忍びない。それに、マリベルという「恋人」の存在は俺にとってもメリットがある。
「侍女長を呼んでくれ。ロイズは彼女の部屋の準備を頼む」
早速恋人としてマリベルを紹介すると、侍女長は目を輝かせた。ロイズ以外の屋敷の者には、マリベルは俺の恋人であると紹介しておく。その方が何かと都合がいいからだ。
「ついに閣下のお心を射止めたご令嬢が!なんてお美しい。誠心誠意お仕えいたします。大切なお嬢様のお世話はこの私めにお任せください!」
侍女長がドンと胸を張った翌日、マリベルのための宝飾品やドレスが次から次へと屋敷に運び込まれてきた。さすが侍女長、仕事が早い。
「あの、こんなに沢山困ります。ドレスや化粧道具なら実家からもってきますから」
慌てて受け取りを拒否していたマリベルだったが、
「どれもよくお似合いですわ!あ、こちらのドレスにはその宝石を合わせて頂戴。髪飾りも忘れないでね。靴はこれ。香水はこちらがいいわ。これほどの逸材ですもの、腕が鳴るわ!」
と全く取り合わない。そう、彼女は人の話を聞かないのだ。だが、仕事はできるし見立ては確かなので信頼できる。実際、新しくできたドレスを着てメイクを終えた彼女はまるで別人だった。
「よく、似合っている」
「あ、ありがとうございます」
きつい印象を与えていた濃いめのメイクを素の顔立ちを生かしたナチュラルなものに変え、体の線を出す大人っぽいデザインのドレスを上品なプリンセスラインに変更。
色もマリベルがよく着ていた黒や原色系ではなく、淡いパステルカラーのものにすると、彼女の雰囲気はまるで違ったものになった。女性は化粧やドレスで変わるとは本当だな。照れたようにふんわりと微笑む彼女はあどけなく愛らしかった。
「私も本当はこうした落ち着いたデザインのドレスやメイクのほうが好きなのですが、内気な性格なので社交界で舐められないように派手なメイクやドレスにしていたんです」
実際俺も派手で気の強い令嬢だと思っていたが、言葉通り素の彼女はとても穏やかで大人しい人だった。普段は読書や刺繍をして過ごしている。一度見せて貰った刺繍の腕前はなかなかのものだ。
取り止めのない穏やかな日々を共に過ごすうち、少しずつ二人の距離は縮まっていった。
今では、彼女と一緒に食事をしたり散歩を楽しんだりするのがすっかり日課になった。これまで彼女ほど一緒にいてリラックスできる相手はいなかったように思う。後腐れ無く金で割り切った関係が気楽なのだろうか。
両親が亡くなったあと莫大な遺産とともに一人残された俺は、他人と関わるのが煩わしいと感じるようになった。遺産目当てで近づいてくる親族も、財産目当てで寄ってくる令嬢も、誰もかれもが煩わしい。
次第に社交界からも足が遠ざかり、出歩くことも減った。すっかり人間嫌いの変わり者となっていた俺だったが、不思議とマリベルといるのは苦じゃなかった。
◇◇◇
数ヶ月が経ち、マリベルがすっかり公爵家に慣れた頃。マリベルの実家の伯爵家も落ち着きを取り戻しつつあった。
伯爵家の財政状況を調査したところ、失敗した事業もアイデアは悪くないことが分かった。そこで、将来に渡って伯爵家の財政を安定させるため、借金の原因となった事業が上手くいくように手を回しておいたのだ。
幸い資金さえあれば成功間近だったため、信頼できる優秀な人材を送り込み共同で運営を開始。頓挫していた事業は徐々に軌道に乗り出した。
一括の資金援助と将来の見通しがついたことで、なんとか家屋敷も手放さずに済んだ。このことでロイスター伯爵夫妻には深く感謝されたが、マリベルの弟のカイルには、出会い頭に生卵をぶつけられるというなかなかショッキングなもてなしを受けた。
「この鬼畜!姉様を返せ!」
キャンキャンと喚く姿が、何となく幼い頃飼っていた小型犬に似ている。マリベルによく似た、金の髪に青い目のやんちゃそうな少年だ。
「家への援助と引き換えに、俺の側にいたいと願ったのは彼女の方だが」
子ども相手に大人げないとは思ったが、お気に入りのコートを汚されて少々腹が立っていた。
「そんな……」
凍りついたように固まるカイル。言い過ぎたか、と思ったときにはすでに遅く、
「う、う、うぇぇぇぇぇ」
いきなり号泣しだしたので、困り果てた俺はカイルも公爵家に連れて帰ることにした。
「閣下、困ったらすぐ屋敷に連れてくるのはいい加減お辞めください」
またもロイズに呆れられてしまったが、同じように菓子を与えるとカイルもピタッと泣き止んだので血は争えない。
◇◇◇
「まぁ!カイル?カイルなの!?」
カイルの姿を見るなり嬉しそうに駆け寄るマリベル。
「もしかして姉さん、なの?」
カイルはマリベルの姿に驚きを隠せないようだった。ここ数ヶ月で別人のようになっているのだから無理もない。
「公爵家の皆さんにはとてもよくして頂いているのよ」
朗らかに微笑むマリベル。だが、カイルは怒り心頭だった。
「馬鹿!姉さんがちっとも家に帰ってこないから、俺、監禁でもされてるんじゃないかって心配したんだよ!」
知らない間に監禁魔になっていたとは知らなかった。彼女の家にはしばらく客人として公爵家に滞在するとだけ伝えたのがまずかったのだろうか。どうやら余計な心配をさせてしまったらしい。
「ごめんなさいね。公爵様にこの子のお世話を任せて貰っているの。私がいないと寂しがるからなかなか実家に帰れなくて」
「そうだったんだ……」
マリベルの膝の上では、子猫が小さく欠伸をしている。マリベルと出逢う少し前に拾ってきたばかりの子猫だが、はぐれた母親を恋しがって鳴くのでマリベルに世話を任せているのだ。
「でも、俺も寂しい」
うるっとした目を向けられると、どうにも弱い。
「マリベルはしばらく公爵家に滞在する予定だから、いつでも遊びに来るがいい。好きな菓子を用意しておこう」
「え?いいの!?ありがとう公爵様!」
「いいんですか、シリル様」
「ああ。君の弟だからな」
こうして弟のカイルも公爵家に入り浸るようになり、火が消えたようだった公爵家はすっかりにぎやかになった。
◇◇◇
執務室まで押し掛けてきた図々しい親族達の前で、俺は一人ため息をついていた。
「最近公爵家に没落貴族の娘が入り浸っているとか!どういうことですか!」
「お遊びはそのぐらいにしてそろそろ身を固めてくださらないと。跡取りはどうするおつもりですか」
「ぜひ我が一族の中から公爵夫人にふさわしい娘をお選びください」
口々に勝手なことを言う連中に反吐が出そうだ。莫大な公爵家の財産をどうにかして手に入れようとするハイエナ連中が、マリベルのことを聞きつけたらしい。金目当ての悪女だの、愛人を囲うのは世間体が悪いだの好き勝手に言ってくれる。
「マリベルは愛人などではない。私の恋人だ。お互い成人しているのだからお前たちにとやかく言われる覚えはない」
「あの女は財産目当てに決まっています!シリル閣下にふさわしくありませんわ!」
キツイ香水の香りをまき散らし、頭に派手なリボンを付けた令嬢がキーキーと喚く。自分の方がよほど金に目がないだろうに。
まあ、実際俺が彼女を金で縛っているのは間違いないのだが。
そのことでちくりと胸が痛んだ。一緒にいるのが当たり前となった生活の中で、彼女と俺は金で繋がっている関係に過ぎないことを忘れかけていた。
伯爵家が落ち着いた今、彼女を家に帰そう。
「今、何とおっしゃいましたか」
「マリベル、君との契約は無効にしよう。君はもう伯爵家に戻ったほうがいい」
その日の夜マリベルに告げると、彼女は動揺を隠せないようだった。
「私、何かしてしまったのでしょうか。まだなんのお役にも立てていません」
不安そうな顔に心が痛む。
「いや、そのことはもういいんだ。君が財産目当ての愛人だと噂になっている。君の名誉のためにも、実家に帰りたまえ。この話はこれでおしまいだ」
「……わかり、ました」
翌日マリベルは来たときと同じように身一つで出ていってしまった。
「閣下、本当によろしいのですか?」
ロイズが静かに問い掛けてくるが、俺は黙って頷いた。
昼寝から目醒めた子猫が不安そうに鳴き声を上げると、部屋の中をウロウロと彷徨う。きっとマリベルを探しているのだろう。
「あるべき姿に戻るだけだ」
◇◇◇
「ねぇ聞きました?あの方、カリスト公爵に捨てられたらしいわよ」
「愛人だったんですって?穢らわしいわ」
「家のために身売りするなんてお気の毒ですこと」
くすくすと聞くに堪えない嘲笑がそこかしこから聞こえてくる。それは全て、マリベルに向けられたものだった。
社交界に戻った彼女を待っていたのは、酷い誹謗中傷だった。面白おかしく俺との関係を吹聴した奴がいたらしい。大方彼女に袖にされた男達か、財産目当てに俺に近付いた女達だろう。
俺は自分の考えのなさがほとほと嫌になっていた。彼女の名誉を守るために家に帰したのに、逆に彼女の名誉を傷つけてしまう結果となった。
「なあ、カリスト公爵に捨てられたなら今度は俺の愛人にならないか?中古だから安くしてくれよ?」
令息の一人が彼女に下卑た言葉を吐き、カッとなった俺は声をあげようとした。
が、それより先に彼女が手に持っていたワインを思い切り男の顔に浴びせる。
「あらごめんなさい。手が滑ってしまったわ」
「なっ……」
「残念ながら、あなたごときじゃ私を満足させられないわね」
しんと静まり返る夜会会場。だが俺は、彼女の手が小刻みに震えているのを見逃さなかった。この瞬間も、彼女はたった一人で戦っているのだ。
「このアマ!調子に乗りやがって!」
激高した男がマリベルに掴み掛かろうとした瞬間、素早く腕をつかむ。
「シリル様……」
「げ、ど、どうしてカリスト公爵閣下がここへ」
夜会嫌いの俺がこんな小さな夜会に参加するとは思わなかったのだろう。マリベルの様子が気になった俺は、密かに彼女が参加する夜会に行き、目立たぬよう陰から見守る予定だった。
「カリスト公爵よ」
「彼女とは別れたはずじゃなかったの?」
遠巻きにひそひそと話す声が聞こえてくる。本当に、社交界は煩わしい。
私は男を突き飛ばすと、マリベルの前に跪いた。
「マリベル、私と新しい契約を結ばないか?」
「契約、ですか」
「ああ。私の妻になってくれ。契約期間は、死が二人を分かつまでだ」
◇◇◇
俺の冴えないプロポーズをマリベルは驚きつつ受けてくれた。
俺の人生に、愛とか恋とかは無縁だと思っていた。だが、彼女が側にいるだけで満たされる気がする。きっと、この気持ちが愛なのだろう。
彼女の膝の上で、すっかり大きくなった猫が丸くなっている。ある日ふらりとやってきた母猫と兄弟猫たちと再会を果たしたが、結局全員居ついてしまった。公爵家のあちらこちらでわがもの顔でのさばっているこいつらも、今ではすっかり家族の一員だ。居なくなってしまえば寂しいと感じてしまうだろう。
あの日、彼女を探して鳴き続ける子猫の声が、自分の声のように思えた。魂を引き裂かれるような痛みを味わうのはもう二度とごめんだ。
「シリル様はとても愛情深いかたですわ。愛する心がないのではなく、愛したものを失うのが怖いのですね」
そう言って微笑む彼女を眩しく見つめる。
「実はあのとき、シリル様がこの子猫を拾ったのを見ていたんです。この子もきっと、最初からシリル様が優しい人だってわかったのね」
そう後から聞かされて。結局俺は泣き落としに弱いのかもしれないと思った。必死で鳴き声を上げる子猫も彼女も、結局家に連れて帰ってしまったのだから。
だがそれは、人生で最も賢い選択だったに違いない。猫と彼女と甘いもの。たまに生意気な少年の訪れるこの日常を、何よりも愛しいと思うのだから。
おしまい。
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