724話 Eroi ossan
【Eroi ossan】
木漏れ日の中、胸一杯に空気を吸い込んで。
私はすぐに、これが《夢》であると認識した。
───森の香りがする。
───鳥の囀りが聴こえる。
だが、これは《夢》だ。
どれだけ『感覚があるように』思えても、《夢》は《夢》。
けっして、現実の出来事ではない。
そりゃあ日課として夕食後、ロックで2杯ほど飲んだが。
しかし、ベッドに入った記憶はあるのだ。
ならば、夢遊病というやつか?
───いやいや、それもおかしいだろう。
確かに自分は今、寝間着一枚でぽかん、と立ち尽くしているが。
11月も中旬という季節、少しも寒くないのは不自然だ。
やはり、特定の部分だけが都合良くなっている。
そういう《夢》に違いないのだ、これは。
んん・・・・・・ん??
ふと気付けば、誰かが数歩先からこちらを見つめていた。
端麗な顔立ちで、民族的な衣装を纏った姿。
痩身で背が高く。
耳が細く尖っている様は、まるでお伽話の中の『妖精』を思わせる。
───ああ、やっぱり《夢》だな。
精神の充足を求め、様々な文化や思想に手を出した自分。
ちょっとばかり世間で言うところの、『あれ』だ。
スピリチュアルな方向に傾いてしまったわけで。
そういう人間が見る《夢》としては、非常に相応しい。
とてもハッピー。
これが悪夢ではないのは、もう確定だろう。
「やあ、ごきげんよう」
掛けられた声は、優しげで落ち着いた男性のもの。
つられるように私も、笑みを浮かべて挨拶を返す。
「ごきげんよう。気持ちの良い天気ですな!」
「外からいらっしゃった方でしょうか?
この森を訪れるのは初めて、とお見受けしますが?」
「ええ。
良くは分からんが、きっとそうなんでしょうな」
「精霊達が盛んに呼ぶので、探しに来てみれば。
ああ、何と幸運な事でしょうか」
男は、世の女性を何万人規模で惹き込むような、魅惑の微笑みを浮かべ。
やや大袈裟な素振りで両腕を広げた。
「この出会いに感謝を!
貴方のような楽人の来訪とあっては、皆も喜びましょう」
「《楽人》??」
「知っておりますよ。
確かそれは、『ギター』なる楽器ですね?」
「!?」
まるで、魔法の如く。
つい先程までは無かった筈の、古いフェンダーのウッドモデル。
それが、さも”当然”とばかりにストラップで肩から下っていた。
「是非、演奏して頂けないかと」
「───ああ、いや。
これは、『エレキギター』というものでしてな」
期待に満ち溢れた視線に、些か心が痛むが。
かといって、誤解をそのままにもしておけない。
《夢》とはいえど。
幻想的な《夢》であるからこそ、現実的な問題があるのだ。
「ええと、その───勝手な推測は失礼かもしれんが。
おそらく、この辺りには電気の供給というものがないと思われる。
残念ながら『エレキギター』は、単独では使えない。
ジャックから電気を流し、『アンプ』や『スピーカー』に繋ぎ。
そういう準備をしなければ、殆ど音が出ない楽器なのだ。
ほれ、このとおり───」
ストラップのスリットに挿してあったピックで、しゃらん、と鳴らしたが。
それだけのつもりだった、が。
「おお!
しっかりと響いておりますね!」
「・・・・・・」
何故だ??
「───し、しかし!
音だけ大きくとも、細かな音色や歪みを調整出来なければ、演奏など、」
しゃらん。
しゃららん。
「ほほう!
これは何とも、魂を解放するような!
『暖かで官能的な広がり』がっ!」
何故っ!?
どうして《意識した通りの音》が鳴った!?
エフェクターもペダルも無しでっ!?
「いやいや、堪りませんねぇ!
やはり貴方は、素晴らしい腕前の楽人かと!」
こちらこそ、驚いた。
コードを2つ3つ押さえただけで拍手されるとは、出来過ぎもいいところ。
───しかも、今。
───『官能的』と表現したか?
常々(つねづね)、世界中のファンやそれ以外から言われる、あの言葉。
ギターを弾き続けて60余年。
もはやとっくに老齢の粋まで達した、この私が。
現在も尚、”エロいオッサン”と評されているのを知ってのことか?
それとも、知らないでのことかっ!?
「さあさあ!
こちらへどうぞ、楽人殿!
これは大変だ、早く皆に紹介しなければ!」
「あ、ハイ」
そして。
数分ほど森の中を進み、連れて来られた場所。
そこに集まる『妖精達』を見て、ようやく合点がいった。
───そうか。
───これは、宴席なのだ。
《夢》の最中。
文化の違いに理解が及ばなくとも、それだけは自然に分かる。
間違い無く、婚礼の直後。
《結婚式》を終えた若人を祝う、喜ばしい集い。
それ故に、演奏者が求められていたのか!
ふむ。
おそらくは、真ん中に位置する2名が新郎新婦。
幸せ一杯の女性に比べ、男のほうはやや表情が固い。
それに、何故か彼の耳が尖っていないのも気になるが。
まあ、いいさ。
私がギターを掻き鳴らせば即、嫌でも《気分が持ち上がる》。
頬を赤く染め、熱く深い吐息を繰り返し。
さぞや、《今宵の共同作業》を心待ちにすることだろう。
おまけで、ここにいる全員にもプレゼントしよう!
ハッピー・セクシー・ウェーーーブ!!




