712話 僕の事を 05
「・・・オーケー、オーケー。
もう・・・十分だ、こんなのは」
口の中に残った苦い吐瀉物を、べっ、と吐き出し。
深く息をついた。
「これで覚悟が決まったから、な。本当の事を、言おう」
「──────」
「爆弾に飛び込んでいったのは・・・自分の為だ。
100パーセント、掛け値なしに『打算』さ」
「どういう打算だ」
「・・・頑張ったら、みんなの役に立つ事をしたら。
誰かが僕に、少しでも優しくしてくれるんじゃないか、って」
気持ちが悪い。
世界が揺れてんのか、自分が揺れてんのか不明だが。
わんわんと耳鳴りがして、痙攣が止まらない。
ああ。
くそ。
終わりなんて、こんなモンかよ。
いつ決まってたんだろうな。
今日、ここで死ぬ事が。
「乳酸菌は、役に立つから《善玉菌》だろ?
僕も誰かに認められたら、一人前の『人間』として評価されるかも、って」
「は??
何の話をしてやがんだ、アメ公。
頭がおかしくなったのは、今しがたか?
それとも、とうに昔っからか?」
「さっきも言っただろ。
あんたがやってるのはイジメで、僕はイジメられっ子だ。
いいか、よく聞けよ?
ちょっとやそっとのレベルじゃ、ないぞ?
毎日毎日、寄ってたかって小突かれ、蹴飛ばされて。
便器に溜まった水を飲まされ。
蛾を食わされ。
裸で公園を1周させられ。
両手を縛った上で川に突き落とされ。
尊厳どころか、魂にまで唾を吐き掛けられ、踏みにじられて。
そうやって、拷問に等しい年月を越えてきた《生え抜き》さ。
骨の髄まで、恐怖が染み込んで。
眠って見る夢は、全て悪夢で。
僕はもう、どうやっても修復不可能な、一流のイジメられっ子なんだよ」
「そりゃ凄い。
恐れ入ったぜ。
よくもまあ、そういうのを恥ずかしげもなく喋れるもんだ」
「『恥』なんて、とうに失ってる。
何しろ、人間として扱われてこなかったんでね」
「ははは、傑作だ!
それに甘んじるような奴だから、イジメられるんだろうが!
嫌だってんなら、やり返しゃいいんだ。
都合のいいサンドバッグだから、いつまでも叩かれるんだよ」
「・・・そうだな。
僕は。
やり返してやろうなんて、微塵も思わなかったよ。
ボクシングやマーシャルアーツを習って強くなろう、だとか。
とびきり偉くなってコキ使ってやろう、とか。
そういうのは全く、考えもしなかったな」
ああ。
体が冷たい、寒いな。
眠いよ。
「・・・その代わりにさ。
僕は、心の底から祈ったんだ。
”みんなが正気に戻りますように”、って。
それが叶うなら。
その時に初めて、これまでに受けた痛みと屈辱。
”全部を忘れて、許してもいいから”、って。
そう祈り続けてきたんだよ、ずっと・・・ずっとさ」
そうだよ。
暴力だとか、蔑みだとか。
そういうのが綺麗サッパリ無くなるなら、僕だって許してやれるんだよ。
ホテル経営で稼いで高級車を乗り回してる、ケビンも。
イケメンの市会議員として持て囃されてる、ブレッドも。
制止が口だけだった、当時の教員共。
見て見ぬフリで、だけど絶対に話し掛けてはくれなかった同級生達もな。
「こりゃあ、最悪な病気だ。
治療の見込みもゼロだ。
流石、普段から聖書を持ち歩いてる奴は、頭がどうかしてらぁな」
「イカレてんのは、あんたのほうだろ」
何も見えないが、何かが頭に当たって。
耳鳴りが更に大きくなった。
「・・・”正気に戻れ”よ、イカレ野郎」
体が、激しく揺れて。
揺れて。
揺らされて。
けれど、あんまり痛みは感じなかった。
「・・・”正気に戻れ”」
「・・・”正気に戻れ”」
「・・・”正気に、戻れ”」
「・・・”正気に、」
「うるせぇ!!黙れッ!!」
今。
頭に押し当てられたのは、おそらく銃口なんだろう。
この年齢まで生きてさ。
何とか必死に生きてきたのにさ。
結局、誰も正気に戻らなかったよ。
『あれら』は、本当に。
本物の『人間』だったのかな。
それとも。
ただ、僕が。
───どこか遠くで、気配がした。
───何かが揺れる、振動を感じた。
そして、すぐ側で響いたのは。
ペットボトル満載の箱を床に投げ出すような、とても重たい音だった。




