707話 あなたの事が 03
「───どうして、《嘘》をつかないんでしょうかね?」
深々と溜息を落とした後。
グラスを置き、司祭は言った。
「誰しも、自分の《命》が一番大切で。
他人のそれは、いつだって後回しだ。
余裕があって機嫌の良い時には、手助けをするけれども。
極限になればなるほど、自分だけが大切だ。
10人の内の1人だけが、どうしても死ななくてはならないなら。
自分以外の誰かがそうなればいい、と考える」
「───『こんなもの』が『現実』で。
皆が、それを知っていて。
自分が誰かを助けない事への理論武装だけ固めて、閉じ籠もり。
爆破テロで多数の死者が出ても、”仕方無い”。
”悲しい世界だ”、で済ませる。
そんな中でも必死に誰かを救う者が現れたら、TVに映して大絶賛だ。
”これぞ、美しき人間性!”。
”人間は本来、こうあるべきだ!”なんて、臆面もなく言う始末だ。
自分は、それをしなかったのに。
なろうともしなかったヒーローを、安全地帯から讃え、持ち上げて。
一瞬だけの、せせこましい《人間哲学》を語る愉悦に浸って」
「───これらに私は、『ふざけるな!』と怒鳴ってやりたい!!」
バアンッ!!、と手の平を卓に叩き付け。
司祭は、もう十分に怒声としか表現出来ない声量で吠えた。
「己の命こそが最も大切ならば!
それが道理としてまかり通る世界ならば!
自分で自分を守れない者は、どうなるッ!?
有名で、金持ちで、権力や銃火器を携えた強者のみが生き残って良いのか!?
彼等がその他の存在をゴミのように扱うのを、認めるのか!?」
「自分がそうされたくなければ!
鼻で笑われて、ないがしろにされたくないなら!
嘘でもいいから、叫びなさい!
叫ぶべきだ!
《命は、平等である》と!
《この世にいる全てが、大切である》と!
皆で揃って、盛大な嘘をつくしかないのですよ!!」
───ぶつっ。
スピーカーから、突然の破裂音。
「おのれえええぇッ!!
何奴だッ!!
ヴァチカンの手の者かああぁッ!?」
ドガァンッッ!!
巨漢の絶叫と、揺れる卓。
たまらず転げ落ちたスタンドマイク。
聴衆席が、一気に沸いた。
「このドンソン・ハワード!
たとえマイクをオフにされようと、長年鍛え上げた大口が付いておる!
よォしッ!!
ついでだから、『偉い連中』にも悪口を言ってやりましょうぞ!!」
大歓声と拍手が、更に盛り上がりを後押しする中。
カソック姿の数名が壇上に登ろうとするのを、別の者達が阻止する騒乱。
「大司教!
枢機卿!
ご立派で特別な服を着て、ふんぞり返る者達!!
だが実際には、何をやっているか!?
他の誰かが出来ない、何をすることでその地位に就いたというのだ!?
ええッ!?
───特に、法王ッ!!」
「豪勢な椅子に座れば、それで満足か!?
そんなもので、信仰の道は終わりなのか!?
法王の地位は、死ぬ間際に回ってきたら幸運な『置物』に非ず!
カトリックの代表者であるならば、しっかりと責務を果たすがいい!
残酷で不条理なこの世界を、貴様はどうするつもりだ!?
ええい!!
今更、法王如きにへりくだる私ではないわッ!!
貴様などッ、ただの『貴様』で十分なのであるッ!!」
「何年も、何十年も続く国家、人種間の争いに!
カトリックは何を訴え、対処するべきか!
それをあろうことか、貴様はッ!
時たま思い出したように訪れた遊説先で、”心が痛む出来事である”、とか!
そんな『お気持ち表明』に意味などあるものかッ!!
休んでおらんで、キリキリと働けッ!!
法王たるもの、武力衝突の現場、戦場に颯爽と赴き!
自動小銃を構えたA国の兵士、B国の兵士!
その両方の武器を、手刀ではたき落として!
しこたま殴り、大地にブチ転がした後で!
”皆さん、争ってはなりません!”
”あなた方の命を、私は等しく大切に思っているのです!”
”どうぞ、怒りや憎しみを鎮めてください!”
ここぞとばかり、そういう《格好の良い嘘》をつき!
さめざめと泣きながら、兵士達を抱擁するとか!」
「それくらいのパフォーマンスがあっても、良いではないかッ!!
そうするべきだ!!
法王たる者はッ!!」
『素の大声』で喚く、顔面紅潮の司祭。
「───あらゆる命は、平等であり!!
全ての存在が大切なのです!!
”個性の尊重”だとか!
”自分らしく生きる”だとか!
そんな当然で『つまらない本当』を、口にする暇があるなら!
《嘘》をつくのです!
力一杯に、皆で叫ぶのです!
”汝の隣人を愛せよ”!
素晴らしい事に、聖書の中では!
その理由も、嘘か真かさえも、言及されておりません!
だから!
皆で心を合わせ、一心に《嘘》をつきましょう!
そうする事によってのみ、あなたの命もまた、大切に扱われる!
ヒーローなど、いなくとも!
誰かがあなたを救うことが、当たり前の世の中になるのです!
───うおおおッ!!
退がれッ、ヴァチカンのスパイ共ッ!!」
稀代の《大説教》を中止させるべく、ついに羽交い締めにされた大男。
彼は、3人掛かりで身動きを封じられながらも、正面の1人を蹴飛ばし。
力の限りに吠えた。
「愛も、平等も、優しさも!!
綺麗に揃えて眼前に用意されているものではありません!!
だからこそッ!!
さあッ!!
皆さん、ご一緒にッ!!
”あなたの事が、大切なのだ”!!
”世界中の命が、平等なのだ”!!
この嘘は!!
必ずや、大いなる主も赦してくださりますゆえ!!」
「大丈夫です!!
それだけは、《嘘》ではありませんよッ!!」
その日、初めて。
小さな街の警察署は日曜にも関わらず、全署員が緊急出動となり。
隣町への『救援要請』まで出すことになった。




