689話 天啓 09
声を張り上げ乞う者と、それを排除せんとする者。
嘆き。
怒号。
その場にいる誰もが、結局は等しく《狂乱者》であった故か。
───始まりは、些かも目に止まらず。
───天を見上げていた者さえ、気付くことなく。
ようやく異変を悟ったのは、上空が『輝く赤』一色に染まり、しばらく後。
『それ』が本当に聴こえているのだ、と認識してからだった。
”ああ、もう!
うるさい!しつこい!辛気臭い!”
明らかに不機嫌な女の声が、何をどうしてか。
耳ではなく、心の中に響いていた。
跪く者達すべてに。
等しく明瞭に。
”ゆっくり死んでゆこう、と思っていたけれど。
こうも騒がしくされたら、眠ってられないじゃない!”
うわああああああッ!!
レンダリア様ッ!!
レンダリア様ああッ!!
つい先程までの叫びが、3倍以上の大絶叫となり、アスファルトを振動させた。
夜の街が、幾多の建造物が。
ビリビリと震えて、歓喜に捻じれ、悶えた。
”だから!静かにしなさい、って言ってるの!
取り敢えず、《供物》は全て受け取るけれど!”
都庁の屋上。
燃えるような赤に包まれたヘリポートから飛び出した、『赤い線』。
地上へ舞い降りたそれが超高速で群衆の隙間を縫うこと、僅か2秒。
三千名を超える信奉者、全員の手から何かが奪い取られ、消え失せていた。
”まったく。
こんな騒動はもう、これっきりにしてほしいわね”
憤慨する母親のような口調。
しゅんとなり下を向く群衆も、イタズラを咎められた子供の有様だった。
”───まあ、いいわよ。
いてほしいなら、いてあげる”
”お前達の熱情に免じて。
いずれ、分かり易い形をもって『この世に現れて』あげる”
”だから、今夜はこれでお仕舞い!
さっさと帰って、寝なさい!
怪我しないよう、迷惑にならないように気を付けてね!?”
”さあ、解散よ!解散!!”
思わず叫びかけ、すんでのところで堪える信奉者達。
その顔のどれもが、喜びに、いや、悦びに濡れていた。
誰しも、我が人生に意味はあった、と。
過去がどうであろうとも。
今夜この場所で、自分は確かに事を成したのだ、と盛大に泣き咽び。
───その中でも、時の総理大臣である田郷 勝には。
───天から降りし『御言葉』の最後で、唐突に閃くものがあった。
(そうだ、解散だッ!!)
(内閣解散ッ!)
(いや、先にオレが総理大臣を辞任すれば、自動的に内閣は総辞職!)
(大臣共は新しい総理が任命されるまでは、職務を抜けられないが!)
(辞任したオレだけは、さっさとサヨナラ出来るじゃないかッ!!)
まさに、《天啓》。
それが《天啓》と思えるほど、すでに彼の精神は疲弊し、荒れ果てていた。
(よおぉし、オレは総理を辞めるぞッ!!)
各派の爺様が大慌てで、怒鳴り込んで来るだろうが。
もう本当に、知ったこっちゃない!
この情勢で総選挙に突入するよりは、よっぽどマシだ。
執行部だって、渋々折れるさ。
次の総理選びには苦労するだろうけどな!
これで終わりだ。
辞任し、議員からも降りよう。
高取の言う通り、一般人になろう!
”馬鹿だ馬鹿だ”と、こき下ろしてきた国民と同様。
政治家だって元々は、国民の一人に過ぎない。
今度はオレが”増税反対!”のプラカードを持ち、路上で吠える役だ。
そうやって生きてゆこう。
ただの国民として余生を過ごそう。
大丈夫だ、問題無い。
この世には、ちゃんとレンダリア様がいてくださるのだから!
確定だから!
───泣き濡れた頬を照らす、遥かな月光。
───にんまりと笑う彼の辞任決意は、ダイヤモンドより固く輝いていた。




